131 楽市の沈黙
親しくして、いただける方。
その方に、拒絶される恐怖。
それは、その方の“信”を損なうこと。
それを思うと、体が震えてしまう。
数千年の品種改良を経て、与えられたぬぐい切れぬ本能があった。
ヤークトは今、それを必死に抑えて、自分の想いを楽市へぶつける。
「あたしたち獣人種は、なぜラクイチ様の森に、入れて頂けないのでしょうか?」
「ん?」
「あたしたちがラクイチ様の下へ集い、生きていくことは叶わないのでしょうか?
ラクイチ様っ、ぜひあたしたち獣人にも、あの森へ入ることをお許し願えないでしょうか?」
その言葉に、パーナの体がピクリと跳ねた。
そしてクローサが、信じられないと言った顔をする。
「ちょっとヤークトっ!
それはエルフ様から、離れるということなの!?」
クローサの声には、怒気がはらむ。
獣人が勝手に、主を変えることなど許されるはずがない。
それは最もしてはならない、不忠の行為である。
ヤークトは、クローサからぶつけられる怒気に耐えて、楽市を見つめる。
ヤークトは、楽市の視線が下がるのに気付いた。
恐らく、ヤークトの尻尾を見ているのだろう。
彼女の尻尾は、内側に丸まり震えていたのだ。
表情は取り繕えても、尻尾や耳は取り繕えない。
自分の意志とは関係なく、尻尾は丸まり、耳は伏せられる。
いくら力を入れようとも、意思に覆いかぶさる本能がそれを許さない。
パーナは震えるヤークトを見て、先ほどのハイな気分が吹き飛び、楽市とヤークトを交互に見つめた。
パーナは一度、夕凪に強く拒絶されている。
その失敗があるため、楽市には夕凪にした質問をできないでいた。
それを今、ヤークトが代わりに聞いてくれたのだ。
しかしそのために、楽市から先ほどまであった、優し気な雰囲気が消えている。
その金の虹彩は冷ややかで、ヤークトを射抜きそうなほど鋭利だ。
ダークエルフとの信を、損なうような発言。
それを楽市はどう見るのか?
戦時にて、信を損なう者。
そんな者を、信じられるだろうか?
その行為が楽市との繋がりかけた信を、破壊するのではないか?
両者の信を損なう行為。
パーナはヤークトの置かれた立場が恐ろしくて、自分も連なり声を出すことが出来なかった。
パーナの呼吸が、荒くなっていく。
そして当の楽市はというと――とっても、困っているのだった。
その困惑が眉間を硬直させ、目つきを悪くする。
それは見方によっては、射抜くような瞳に見えるだろう。
しかし楽市は、ただ困っているだけなのである。
何だか熱く見つめてくるので、思わず視線を下にそらした。
――いや、あたしに言われてもなー
受け入れるも何も、楽市がそれをしている訳ではない。
あの森が、勝手にやっている事である。
しいて言うならば、あの森にしずむ藤見の仲間が、関係しているのだろう。
しかしそこに楽市は、全く関わっていないのだ。
――あたしが森を、操っていると思っているんだろうなー
それと言ってしまえば、祟り神のしきる森に、生者が住めないのは当たり前ではないだろうか?
そこに生者が住みたいと言っても、ムリ筋なのである。
そのムリを通すならば、生者に一回死んでもらって――
楽市はそこまで考えて、「ああ……」とつぶやきを漏らす。
死ぬも何も、つい先ほど無茶苦茶なことが起きたばかりだ。
しかし、どう説明したら良いのか?
楽市は言葉少なに、ヤークトへ返した。
「えっと多分、もう拒絶されていないと思う……」
長い沈黙の末の、返答。
それにヤークトは、どう反応して良いのか戸惑ってしまう。
「えっ、それは、どういう事でしょうか?
お許し頂けたという事でしょうか!?」
「うん? んー」
ヤークトは戸惑ったままだ。
いつの間に、許されたのだろうか?
自分が寝ている間に、何かあったのだろうか?
楽市の返答は、あまりにも言葉が足らなかった。
しかし楽市は、その先を何も話そうとしない。
楽市の表情が険しくなり、その瞳を閉じてしまう。
ヤークトはその表情を、どう捉えて良いのか分からない。
ただ何かを、耐えているように見える。
何を、苦悶しているのだろうか?
ヤークトは、楽市の言葉をじっと待つ。
そして楽市は……
――いや、分かんないんだけどっ、あたしもさっき再生の話を、知ったばかりなんだけどっ
楽市はそのために塔のてっぺんで、ヘコんでいたのだ。
――豆福が何かやったらしいけど、その豆福がよく分かってないんだもの。
どういう事かって、聞かれてもなー
楽市は返答に、とっても困っていたのである。
困りながら、ある骨の顔を思い浮かべる。
何か説明できるとしたら前回を知っているらしい、骨の人じゃないだろうか?
だと良いなと、楽市は思った。そして思い出す。
「ん? ねえさっき城壁塔を、探していたんでしょ?」
「えっ、はい、そうですが?」
ヤークトは唐突な質問に、面喰ってしまう。楽市の瞳に光がもどる。
「ねえ三人とも、あたしについて来てくれる?」