130 楽市と、千里眼の乙女たち
「はあ……」
楽市は視線を漂わせて、ぼんやりとしてしまう。
しかしここで、数回まばたきして首をふった。
「いけない……
ちょっとしたことで、へこんでたら、これからやって行けないぞっ」
そう言って強張った頬っぺたを、両手でほぐしていると、城壁塔の下でウロウロする人影がみえた。
数は三人。
白いローブを羽織った、獣娘たちだ。
実年齢の差はともかく、見た目は楽市より五~六歳若いように見える。
ヒノモトで言えば、高校生ぐらいだろうか。
「あれ? あの子たちって確か……」
楽市が見つけた三人は、夕凪が連れて来た娘たちだった。
夕凪がなぜか気に入ったらしく、助けたいと連れて来たのだ。
「確かシノさんのテントに、避難してたっけ?」
楽市の獣耳が、パタパタと動く。
何やら三人は慌てているようで、楽市は聞き耳を立ててみる。
少しふっくらとした娘が、泣きそうな顔になっていた。
「ねえ、どこにも無いよっ、城壁塔が消えちゃってるっ!」
背の高い娘が、ふっくらとした娘の背をさする。
「おかしいな、ここら辺のはずなのに……」
「どうしようパーナ、ヤークト。
自動筆記たちを、失くしちゃったらさーっ」
「そんなの、やだよっ」
「クローサ気が早いってっ。変なこと言わないでよっ」
三人は何かを探しているようで、それが見つからずウロウロしているらしい。
「城壁塔? あっ、ここかー」
楽市はそう言って、自分の座る岩をなでた。
キキュールの人払いは、どうやら相手の認識を阻害するらしい。
「ふ~ん……そっか」
楽市は少し迷ったが、城壁塔からフワリと飛び降りる。
空中で狐火となり、火力を上げて二十数える。
その後ゆっくりと降りていき、着地する寸前に元へもどった。
黒草履が白い砂にふれて、微かな音をたてる。
すらりと立ち、三人の獣娘を見つめた。
流れるような銀髪。
切れ長の美しい、金の瞳。
華奢な首筋からつながる、瑞々しい曲線。
そして少し、ホカホカ。
獣娘たちは突然あらわれた楽市に驚きつつも、微かに頬を染めた。
三人のうち誰かが、ほうっ……と溜め息をついている。
間違いなく、三人は見とれていた。
そうなのである。
楽市は黙っていれば、相当な美人白狐さんなのだ。
黙っていればの話だが。
楽市は小首をかしげて、右端の娘に声をかけた。
「えっと、クローサさんだっけ?
良かった、助か……あーうん、えっと、元気そうで良かった」
名前を呼ばれたクローサは、見とれていたはずなのに、目をそらし少し複雑な表情をした。
「ありがとうございます……」
横に立つパーナとヤークトが、目をパチクリしている。
二人は初対面である。
楽市が霧乃たちへ合流した時には、もう気絶していたからだ。
しかし二人は見とれた後、すぐに気付いた。
目の前の、獣娘が誰だかわかる。
夕凪から心象としてその姿を、その声を知らされていたからだ。
「えっ」
「え?」
初めの驚きが、少しづつ喜びに変わっていく。
「えーっ!?」
「ええっ、うそー!?」
パーナとヤークトは、舞い上がらんばかりとなった。
しかしもう、コールカインは切れている。だから血走って、マシンガントークを初手で出す事はしない。
いや、しない方が良いだろう。
溢れ出る気持ちとは裏腹に、二人の体が緊張で固くなっていく。
あれほど会いたかったのに、こうも簡単に会えてしまうと、どうして良いのか分からないのだ。
パーナなどは、もしお会いできるとしたら、きっと森の奥にある立派なお城でだろうと、勝手に思いこんでいた。
それが仕事場の近所でバッタリ会うなど、現実感が追い付けていない。
「ああっ……私はパーナ・レイジナと申しますっ」
「あ、あたしは、ヤークト・ピネスと申します」
「うんパーナさんに、ヤークトさんね、よろしく。
あたしは楽市」
「「 はい、よろしくお願いいたしますっ! 」」
二人は直角に頭を下げて、そのまま固まってしまった。
楽市は二人のカチコチな態度を見て、困ってしまう。
「あー、そんなに固くならないでよ。
なんか夕凪が迷惑かけなかった? あの子けっこうヤンチャだからさ」
声をかけられて、パーナが楽市を見つめる。
その目は、もうキラキラだった。
心象で見せてもらった姿と同じだと、心の中で何度も叫んでいた。
パーナはこれほど親し気に、主たちから話しかけられた事がない。
「ゆうなぎ様とは、うーなぎ様のことですねっ。
いえそんなっ、私の方こそ、うー……ゆうなぎ様に迷惑をかけてしまって……」
パーナはそこまで話して、顔が青くなる。
自分のやらかした事を、ハッキリと思い出したからだ。
コールカインの効果は切れたが、その時の記憶まで切れて無くなるわけじゃない。
しっかり覚えている。
パーナは夕凪にドン引きされたことを思い出して、気が遠くなった。
「あ……あああっ」
急激にしぼんでいくパーナへ、楽市が微笑みかけた。
「夕凪に“様”なんて、付けなくてもいいよ。
あの子すぐ、調子に乗っちゃうから。
それと、あたしにも付けなくて――」
「ええっ、そんな!」
「ああそっか……あの時も、それでもめたなー」
楽市はこの世界の獣人種が、かなり“従う”という行為に、執着していることを知っていた。
それが強力に、獣人種の精神を安定させるのだ。
頭の隅に、ナランシアの顔を思い浮かべる。
「じゃあ、あたしにだけね。
あの子たちにまで付けたら、ちょっと教育に悪いから」
「は、はいっ!」
「様を付けるなら、“らく姉さま”でもいいよ」
「ええっ、それはちょっとっ」
「ふふふ、うそうそ」
そう言って楽市は、別の顔を思い浮かべる。
楽市との会話でしぼんでいたパーナの気持ちが、再び爆上がりである。
失礼かと思われたが、もう尻尾を振るのをガマンできない。
パーナがブンブン尻尾を振るよこで、ヤークトが熱のこもった視線を楽市におくる。
夕凪の見せてくれた、心象どおりだ。
気軽に話しかけてくれて、微笑んでくれる。
その姿に、ああ本当に今あっているのだと、実感が湧いてきた。
するとカチコチな気持ちだけでなく、ヤークトの心にすっと芯が通ってくる。
今この場で会えたのは、何かの幸運。
もう二度と、お会いできないかもしれない。
このように、言葉を交わすことは無いだろう。
そう思うと、この大切な時間をどうするべきか……
漠然とだが、尋ねるのはパーナの役だと思っていた。
もし尋ねたのち、拒絶されたら……
しかしヤークトは、パーナが尻尾をガマンできないように、もう自分で聞かずにはいられない。
数瞬の迷いの後、ヤークトは意を決して尋ねることにする。
「あの、お尋ねしたいことがあります……」
「ん、なに?」