129 楽市は、ちょっと頑張りたい
稲に似た、植物の葉先が風で揺れている。
脇では茎のしっかりした植物が、先をたくさん枝分かれさせて、黄色い蕾を幾つもつけていた。
その蕾へ、クルクルと舞う甲虫がとまる。
草花のそよぐ原っぱから山の裾野へ目を移せば、濃い緑をしっかりと茂らせた背の高い木々がみえた。
山肌を抜けていく風で、木々はゆっくりと揺蕩っている。
その上空を、名も知らぬ禽獣が旋回していた。
山頂まで視線を上げると、背の低い木々や、芝の原っぱに立つ巨大アンデッドがみえる。
昼時の真上にのぼる太陽が、それら全てにクッキリとした影を作っていた。
アンデッドのシルエットを除いて、生命あふれる一日といった所だ。
しかし楽市や子供たちは、ベイルフの壁に背中をあずけて座り込み、死んだような目をしていた。
ちなみに豆福だけは、昼の日光を浴びてニコニコしている。
「豆福すごいよ……びっくりした」
「ふふー」
「あれ、どうやったの?」
「んー、きたのー」
「んー? そこを詳しくっ」
「へ?」
楽市から褒められて、よろこぶ豆福。
しかしどうやったのかと聞かれて、幼子は首をかしげた。
「まめ、あれ何?」
「まめ」
「まーめー」
「まめさんっ」
霧乃たちも、あれは何だったのかと聞くが、豆福は「きたのー」とか「きてって、いったのー」ぐらいしか説明できない。
あまりに同じことを聞かれるので、豆福の口が尖り始めた。
絶対しつこいなこいつらと、思っている顔だ。
それでも根気よく聞いていくと、どうやら豆福は「ただ呼んだだけ」らしい。
豆福自身は、何もしていないという。
にわかには、信じられなかった。
ではなぜ、呼ぶことが出来るのか?
そう聞かれて、豆福は泣きそうになる。
植物系のあやしとして、生まれながらに植物と通じ合えるのだ。
豆福はなぜと聞かれた、その質問の意味が分からないのだった。
「うー、もーやーだーっ、なーぜーは、やーっ!」
豆福が涙まじりに怒り始めたので、楽市たちは聞くのを諦めて、褒めに走った。
「わー、ごめん。 豆福はすごい子っ」
「まめ、すごいこっ」
「まめ、すごいっ」
「すごいっ」
「すごーいですっ」
「ん゛ん゛、ほんとー?」
豆福は、おざなりな言葉だと感じ取ったのだろう。
疑いの目を向けてくる。
引き続き霧乃たちが豆福をあやす中で、楽市は目の前に広がる山々を眺めた。
目の前の大自然がつい先ほどまで、腸をぶちまけたような惨状だったとは、今でも信じられない。
見る見るうちに、黒ミミズが色とりどりの草花となっていった。
巨大ミミズが、深緑の立派な木々となった。
隣に座るキキュールが、こんなの馬鹿げているとか、魔術の根幹がどうのとかブツブツ言っている。
楽市は、寝ているシノに声をかけた。
「シノさんは、どう思います?」
「……うーむ」
楽市は思う。
もう、それでいい……もう許すと。
森の再生?
良いことだと思う。
ただどうしても、受け入れられない事があった。
全身にくっついていた黒い粒が、ありとあらゆる羽虫、甲虫へと変化したことだ。
まだ、モゾリと動く粒の方がましだった。
全身の黒い粒が、全て虫になったとき。
楽市は、血を吐くような悲鳴をあげたのだ。
「はあ……」
思い出しただけで、楽市の気力が擦り減っていく。
豆福をあやし終えた夕凪が、夏の日差しに炙られながら目をつぶる。
「あついー」
「……うん、あつい」
誰に言ったわけでもなかったが、隣の霧乃が返事をしてくれた。
霧乃は、やはり優しい子。
チヒロラが重い腰をあげて、周りを眺める。
「どこか日陰で、お師さまを寝かせてあげたいですー」
「私は、別に構わないが」
「でもー」
シノは高位の、エルダーリッチである。
日光への耐性を習得済みだが、チヒロラの心情としては、やはり昼間の日光は避けてほしい。
キキュールが、チヒロラの心配そうな声を聞き、辺りを軽く見渡した。
そして、寄りかかる壁を見上げる。
「あそこだな……」
見上げる先には、ベイルフの城壁塔があった。
塔の最上部の小部屋には、普段何も置かれていない。
戦時の場合、邪魔になるからだ。
武器火薬類は、全て下方の階に常備してある。
しかしその最上部の小部屋には、木のテーブルと椅子が数脚あった。
テーブルには、金ピカの不思議な機械が幾つか置いてある。
霧乃がそれを見て、うっとりしてしまう。
「ふあっ……きれい……」
部屋の中は少し蒸したが、外よりはましだ。
キキュールは部屋に入ると、左手で空中に魔法陣を描き、人払いの結界を張る。
指先の光が、四方に飛んだ。
「こうすれば、私が許可したもの以外はいれない。
チヒロラ、これでいいか?」
「わー、ありがとうございます、キキュールさんっ!」
はじめ霧乃、夕凪、朱儀の三人は、部屋に入るのを嫌がった。
いぜん押し潰された、ストーンゴーレムの部屋を思い出したからだろう。
しかし床の岩がヒンヤリして、気持ち良いことを知ると、寝ころんでたちまち寝息を立て始めた。
霧乃、朱儀、夕凪の順で川の字である。
豆福は眠くないが、霧乃と朱儀のあいだに入り込む。
「まめ、もー」
チヒロラは眠らずに、寝かせたお師さまの隣に座る。
そうして三日前に、どうやって皆でベイルフを脱出したかを、興奮しながらシノに話し聞かせた。
「そしたらですね、うーなぎさんが、引っ張るって言い出したんですっ。
どういう事かなって思ったら、本当に引っ張ってましたっ」
「ほう、屋根を伝ってかね?」
「そうなんですーっ」
キキュールは、シノを挟んで反対側に座り、二人のやり取りを静かに聞いていた。
楽市は皆が落ち着いたのを見て、キキュールに声をかける。
「あたし、ちょっと外の様子を見てきますね」
「……はい」
楽市はキキュールの固い返事を聞きながら、チヒロラに手をふり、ドアを開けて外にでる。
城壁塔をよじ登り、てっぺんに座った。
足をブラブラとさせて、再生した山々を眺める。
そして、自分の小袖をみるのだった。
しっとりとした黒地に金の流線が入っており、なかなかカッコ良くて、楽市は気に入っている。
ただ前は、雪のように白い小袖だったのだ。
「白かったんだよね」
シノに森が再生すると聞かされたとき、本当にビックリした。
そしてシノが、そんな楽市に驚いていた。
*
「何ですかそれっ、シノさん!?」
「ん? 北の森の時も、そうだったではないですか。
ラク殿は知らないのですか!?」
「ええっ、知らないですよそんなことっ!」
「では、あの時どこにいらしたのです!?」
「あたしは、あの時――」
楽市は、そこでうつむき答えなかった。
*
楽市は城壁塔の上で座り直し、体育座りになる。
「生き返るかー。
あたしも一回、死んだってことかなー。
まあ、そうでなきゃ祟り神になんてならないか……」
散々祟り神の力を使っておいて、今さら特に落ち込むわけでもない。
そこは、あまりショックではない。
ただ――
「何か、もう大丈夫だと、思ってたんだけどなあ……」
まだ半年ほどしか経っていないけれど、霧乃たちもいる。
楽市はこの世界でやっていく、自信みたいなものが少しずつ生まれていた。
確かに、今もそれを感じている。
――でも、ちょっとしたことで、「あの時のまま」の気持ちがぶり返すなんて
「なんか、ちょっとやられた。
ちょっとだけ、チクってきたぞ」
あの時の狂おしい気持ちが突然襲ってきて、すぐに去っていくのだけれど、しっかりと胸の辺りに鈍痛を残していく。
「忘れたいわけじゃないんだよ、兄さま。
ただ今はちょっと、頑張りたいなって思って、ごめん……」