123 その頬を、すすで汚して
「物理浮遊っ」
キキュールが魔法を唱えると、シノの身につけているド派手なローブが波打ち、シノごと浮かび上がった。
シノは偽装に使った魔法がとっくに切れて、元の骨に戻っている。
「チヒロラ、まめ、そいつを掴んでいてくれ」
キキュールが頼むと、二人がシノのローブを握った。
ちょっとつついただけでも、シノの体がユラユラする。
それが面白くて、チヒロラと豆福はずっとつついてしまう。
「わー、フワフワですっ」
「ふふふ」
豆福は先ほどまでぼんやりしていたのに、今はニコニコしている。
これから会いに行けるという事が、豆福の心を軽くしているのだろう。
「今から、転移魔法でベイルフに向かう。
二人ともそいつを引っ張って、私の隣りに立ってくれ」
チヒロラと豆福が寄り添うのを確認すると、キキュールは動く左手で、空中に格子状の魔法陣を描く。
横に五回、縦に四回、指先で素早く光の線を引いていった。
浮かび上がる格子状の魔法陣は、広がりながら湾曲し、網のようにキキュールたちを包み込む。
「空間転移っ」
河原にいた四人が、軽い破裂音を残してその場から消えた。
次の瞬間キキュールたちは、連なる山の頂に立っていた。
眼下に広がる盆地の中ほどには、ベイルフの城壁が見える。
その脇をフリンシル川が流れており、右からのぼる太陽が、城壁の左側に濃い影をつくっていた。
あれほど溢れていた、低級アンデッドの姿はほとんど見られない。
再び北へ向かい、歩き出したのだろうか?
キキュールたちから見ると、ベイルフを挟んだ向こう側が、山火事を起こした北側となる。
今たつ場所からも、一目でわかった。
山の火が消えている。
いまだに焦げ臭い匂いが、被害を受けていない南側にまで漂ってくるが、見事に楽市たちは消火を成功させていたのだった。
「わあああああっ!」
豆福が喜びの声を上げた。
山頂でチヒロラと抱き合い、二人でぴょんぴょん飛び跳ねる。
「まめさん消えてますよっ、うーなぎさんたち、すごいですーっ!」
「ぶぁー、きーえーたーっ!」
キキュールは山火事が消えて大喜びする二人とは逆に、悲痛な面持ちでベイルフを見つめていた。
キキュールのエメラルドグリーンの瞳には、何の損傷もないベイルフの城壁が映っている。
しかしその中で息をする者は、一人も居ない。
山頂に吹く風が、キキュールの黒髪をゆらしてその横顔をかくす。
「ここからは飛空魔法で、ベイルフの上空を通過しながら近付く」
「はい、わかりましたっ」
「ふぁーっ」
キキュールは左手でシノのローブを掴み、飛空魔法の呪を唱える。
チヒロラと豆福はそれぞれ朱い鬼火と、黄緑色の光球となった。
あれほど乗り越えるのに苦労した、城壁を軽々と越えて都市上空を進む。
眼下には、三日前と何も変わらぬ惨状が続いていた。
キキュールは暗い顔をしながらも、ある違和感に気付く。
この夏場なのに、死体がまるで腐っていない。
変色もしていなかった。
「これは……」
キキュールには分からない事だが、祟り神ゆらいの瘴気は、あらゆるものを衰弱死させる。
それは人々や獣、草木ばかりでなく、細菌類も全て殺していた。
死体を分解するサイクルまで、死滅しているのだ。
あっという間にベイルフ北城壁までたどり着くと、鬼火のチヒロラが自身をクルクル回転させながら叫んだ。
「あー見てください、がしゃさんたちがいますーっ」
キキュールが視線を正面に戻すと、北側の盆地の稜線に巨大アンデッドたちが立っていた。
距離があっても、その巨大さゆえにハッキリと視認できる。
フリンシル川を挟んで左の頂に、四足獣スケルトン二体と半透明の幽鬼。
川を挟んで右に、傷だらけの凶悪なスケルトンが一体。
まるで門番のように、両側の頂に立っている。
二十メートル近いアンデッドたちが、微動だにせずいる姿は異様だ。
がしゃたちは、再出火を監視するために立っているのだった。
監視する山の裾野は、見渡す限り焦土と化している。
キキュールは険しい顔で、アンデッドたちを見つめた。
「こいつらが、ベイルフを……」
シノを掴む左手に、力が籠る。
そんな横から、豆福がこらえきれずに飛び出していった。
「ふぁー、らくーちーっ!」
「あっ、まって下さい、まめさーんっ!」
チヒロラが、その後を追う。
二人の火の玉が楽市たちを探すため、上空を舞った。
がしゃが居るならば、どこか近くに居るはずだ。
けれども、なかなか見つからない。
「きーりーっ、うーなーっ、あーぎーっ、どーこーっ!?」
豆福の光球が、激しく揺れて飛び回る。
「どーこーっ!? らくーちーっ!」
あまりに見つからないので、豆福のみんなを呼ぶ声が震え始めたとき、チヒロラの声が聞こえた。
「見つけましたよっ、まめさーんっ!」
「ぶああーっ!」
豆福の光球が、声のする方向へすっ飛んでいく。
その声はキキュールにも届き、シノを引っ張って声のする方向へと飛ぶ。
ベイルフ城壁の左側へまわりこむ。
すると四人は、ベイルフの城壁がつくる影の中にいた。
ピクリともしない、みんな寝ているのである。
楽市がのんきに、大の字になって地面で寝ていた。
その頬っぺたは、煤で汚れている。
楽市の広げた左腕を枕にして、霧乃が丸くなっていた。
反対の右腕では、夕凪が可愛い寝息を立てている。
朱儀は楽市の上で、胸を枕に腹ばいだ。
子供たちの頬っぺたも、煤で汚れていた。
みな城壁の影で、気持ちよさそうに寝ている。
「すー、すー」
「すー、すー」
「すー、すー」
「んっ……うん、ぐー、うぐ」
楽市だけ、ちょっと寝苦しそうだ。
キキュールは傍に降りたち、その変則的な川の字をジッと見つめる。
「この女が、らくーち……なのか?」