120 一口、嚙み千切ってみる。
瘴気を全開にしてくれ。
そう言われて、楽市が心配そうな顔をする。
(大丈夫かな、シノさんたちまで届かない?)
(ほんの、ちょっとで、いーよっ、ぱってして)
(ぱっとしろ、らくーち、まかせろっ)
霧乃たちは一瞬だけの瘴気で、捉えて見せるという。
霧乃と夕凪の索敵能力は、通常でもかなり高く、さらに今は楽市からの瘴気で、能力ブーストが掛かっている。
二人は自信をもって、楽市に催促する。
(( か゛ーゆ゛ーい゛ー、は゛ーや゛ーく゛ーっ! ))
(わかったってっ。それじゃあ一瞬だけ、いっせーので行くよっ)
(うんっ!)
(はやくだせっ!)
(それじゃあ、いっせーのーっ!)
四足獣たちが飛びかかろうと、地面に爪を食い込ませたとき。
角つきの体が、一瞬膨れたように感じた。
その直後、眩暈がするほどの闇に四足獣は包まれる。
四足獣の体がビクンと跳ねて、尻尾が内側に丸まってしまう。
角つきから放射された闇が全方位を蹂躙し、燃え盛る山の炎が一瞬だけ、黒と金の入り混じる炎へと転じた。
索敵能力をシンクロさせて、霧乃と夕凪は全方位を駆け抜ける瘴気へ、五感をすませる。
すぐそばに、四足獣アンデッドが二体。そしてベイルフの城壁。
瘴気が広がる際の僅かな気流の乱れで、物の形がハッキリとわかる。
そしてその中に、動かないはずのものが跳ねるのを感じた。
(おっ?)
(はっ?)
(どう、霧乃、夕凪っ?)
楽市はそう言って、夜空を睨んだ。
楽市が目を凝らしても、星が瞬いているだけで何も見つけられない。
(( らくーち、みつけたっ! ))
(どこっ!?)
(( そこーっ! ))
楽市は二人のユニゾンと共に、心象で伝えられた方向を見てうなる。
(なんとっ!)
楽市は幽鬼を見つめながら、首を傾げた。
(あいつ凄いのか駄目なのか、良く分かんないなっ)
楽市の見つめる先には、四足獣に腹を食い千切られた、マース級ストーンゴーレムが転がっていた。
山火事に照らされて、巨体がオレンジ色に染まっている。
少し離れた所にもストーンゴーレムがひっくり返っており、そのゴーレムも腹を食い千切られていた。
その損傷の具合が、先に見たゴーレムと全く一緒だ。
うり二つなのだ。
そんなことが、あり得るだろうか?
楽市は呆れたが、霧乃たちは少し違った。
(はー、すっごい、どうなってんの!?)
(あいつ、すげーっ!)
(すげーっ!)
(朱儀、逃がしちゃ駄目)
(うんっ!)
楽市に言われて朱儀が黒き巨人を、ズシンズシンと走らせる。
手前のゴーレムを飛び越えて、奥に転がるゴーレムの残骸へ馬乗りとなった。
体重をのせ、両足をぐっと締める。
すると瓦礫でしかなかった岩が震えだし、その輪郭がぐにゃりと崩れた。
巨大な幽鬼が、崩れたストーンゴーレムに成りすましていたのだ。
幽鬼は角つきから逃れようと身をよじり、体をガス化させ始める。
しかし、うまくいかなかった。
見れば、角つきとの接点が癒着している。
角つきの巨体は瘴気で形作られていおり、その瘴気が溶けるようにして、ピッタリくっついているのだ。
幽鬼が模したゴーレムの色味が薄れて、透明になっていく。
かと思えば幽鬼は体表面に、赤、黄、緑、紫など、様々な色をびっしりと斑に浮かび上がらる。
それを激しく明滅させ、くねり始めた。
(うわーっ、きもちわるいっ!)
(きもい、きもい、きもいっ!)
(わっ、やだーっ!)
(何だこれっ!? 釣れたてのイカみたいだなっ。
あっ、ちょっと朱儀、そいつから離れないでっ)
楽市が、気持ち悪がり離れようとする三人を必死に抑える。
(ここで逃がすと、面倒くさいんだから我慢してっ)
(いーやーだっ!)
(きーもーいっ!)
(もー、やーっ!)
霧乃たちは楽市の言葉に耳を貸さず、角つきのコントロールを放り投げて、心象内で縮こまってしまう。
(まったく、もうっ!
あたし一人じゃ、強いパンチとか打てないでしょっ)
楽市は考える。
トリクミに勝つには相手の体に、分からせなくてはいけない。
このまま瘴気を全開にして、震え上がらせる手もあるだろう。
しかしそれでは、楽市の気が収まらないのだ。
散々やられてきて、一発も返さないなんて違うと思う。
しっかり、物理で分からせたい。
そう考えた楽市は、心象内で顎をさする。
(これは、あれをやるしかないな)
楽市はそう言ってため息をつき、巨人の身をかがませる。
すると楽市とそっくりな巨人の髪が、さらりと流れて落ち幽鬼の表面をなでた。
さらに、身をかがませていく。
巨人の顔が幽鬼に近付くので、朱儀が悲鳴をあげた。
(なにすんのっ!?)
(なにって、あんたたちが手伝ってくれないから、仕様がないでしょ)
霧乃と夕凪が、はっとして気付いた。
二人の記憶が甦り、恐怖で怖気ふるう。
(あっ、まさか、あれやんのーっ!?)
(うわあっ、やーめーろーっ!)
心象内のすみっこで叫んでも、角つきの動きは止まらない。
楽市そっくりの美しい顔が、口を開いていく。
瘴気は筋線維ではないので、顎が一八〇度近く開いた。
これは、咥え加減が難しい。
しっかり牙を当てて噛まないと、分からないだろう。
(うぎゃあきあああっ、きもちわるいっ! うっぷっ)
(なんで、へいきなの、らくーちっ!? おうっぷっ)
(うええっ、らくーち、おええええっ!)
(何でって……まあ、ちょっとは気持ち悪いけど、別にぬるぬるもしてないし、これ色だけじゃない?)
楽市はガード下で、様々な山海珍味を食べてきたのだ。
楽市はその中で、「いかものブーム」なる時代も経験してきたのだった。
四〇〇年の食道楽は、伊達ではない。
たかだかイカの生き造りもどきに、腰が引けることはなかった。
逆に首をかしげる。
(あんたたち獣の内臓とか平気なのに、なんでそうなるの?)
見慣れたものと、一緒にされても困る。
三人はそう言いたかったが、口からは悲鳴しかでてこない。
楽市は三人を無視して、幽鬼へ歯を食い込ませた。
途中でちょっとぐらい嚙み千切っても、大丈夫かなと思い、一口嚙み千切ってみる。味はしない。
幽鬼が触腕を幾つもの伸ばして、楽市に絡みつかせる。
しかし楽市は意に介さず、喉らしき部分へ噛みつき続けた。
もう一口、もう一口。
(( ぎゃあああああああっ、きもいっ! ))
(らくーち、きーらーいーっ!)