115 キキュールさん、やる気だす
「いくよ、きりっ!」
「うんっ!」
霧乃と夕凪は、二人だけで御輿をかつぎ瓦屋根をはしる。
平らなところが全くないので、左側の夕凪が屋根の棟を走るとき、右側の霧乃の足が宙ぶらりんとなった。
宙ぶらりんの足下に、裏路地がみえる。
「わーっ」
魔法でフワフワと浮く石畳を、夕凪が一人で引っ張るため、石畳が大きく傾いてしまう。
上に乗るシノたちが、ずり落ちそうだ。
それを石畳の上に移動した、朱儀とチヒロラが落ちないように支えた。
「おー」
「ひーっ!」
チヒロラの顔が青くなる。
「うわーっ、うーなぎさんっ、あんまり
斜めは困りますーっ、落ちちゃいますっ」
「ゆっくりできないっ、おちないでっ!」
「はいーっ!」
夕凪は駆け抜ける足元がなくなると、軽くジャンプして次の棟に飛び移る。
するとこんどは、霧乃が着地して石畳をつかみ、引っ張っていくのだった。
次は、夕凪の足が宙ぶらりんだ。
「うひゃーっ」
霧乃と夕凪は交互にそれを繰り返し、赤い屋根をはしっていく。
右に左に片輪走行する石畳は、まるで水面に揺れる木の葉のようだ。
あっという間に、城壁へと着いた――
と言いたい所だがやはり、通りを走るよりもロスがある。
前半でかなり道に迷っていたこともあり、後ろからハッキリと瘴気の圧力を感じた。
夕凪は、走りながら前方の城壁を見る。
随分と高い壁が、そびえていた。
走っている屋根の高さを差し引いても、まだ十メートルほどの高さがある。
夕凪はキキュールに、声をかける。
「ねえ、もうすぐ、つくけど、
このまま、あの高いの、とべる?」
「飛べなければ、追いつかれるのだろう?
ふふ……飛んで見せるさ」
キキュールは余裕をみせて引き受けたが、実はかなり危うかった。
コントロールしていなかったと言っても、ここまで来る間も、キキュールはずっと物理浮遊を使い続けていたのだ。
普段ならば問題ないことも、今のキキュールにはかなりキツイ。
それでもやるしかない。
夕凪はここまで御輿を引っ張ってきて、キキュールの力が危ういと感じていた。
それなのに、キキュールは余裕の答えを返す。
素直にすごいと思ってしまう。
「へー、すごいんだね。
らくーちなら、むりー、たすけてーとか、言うのに」
「らくーち?」
キキュールが聞き返そうとすると、夕凪が遮る。
「あっ、いくよ、もうすぐっ。
うーなぎも、できるだけ、とぶからっ!」
「よしっ、こいっ!」
夕凪が最後のフチを踏み付けてジャンプ。
すると同時に、キキュールが再度、物理浮遊を唱える。
顔で余裕を見せたからといって、実際の魔法精度が上がるわけではない。
石畳はゆっくりと、震えながら上昇していった。
時間をかければ、かけるほど気力が擦り減っていく。
ここは一気に、登り切らなければいけない。
しかし石畳は、キキュールの思い通りに動いてはくれなかった。
うまく動かない、左手も腹立たしい。
イラつきが、更にキキュールの集中力をかき乱す。
石畳が激しく、震えだした。
――もう無理だ
キキュールがそう思った時。
目の前に、キキュールを必死に応援する、チヒロラの顔が見えた。
「キキュールさんっ、もう少しですっ、もう少しですーっ!」
それだけではない。
朱儀の顔がみえる。
霧乃と夕凪の顔もみえる。
ずっと「それどころでは無い」といった顔をしていた、豆福もキキュールの顔を覗き込んでいた。
皆が、キキュールを応援する。
「いけるっ、もうちょっとだよっ」
「いけー、カッコイイぞっ!」
「いけーっ、いけーっ!」
「けーっ!、あっ」
「キキュールさんっ、すごいですーっ!」
視界いっぱいに、子供たちの顔だ。
皆、必死にキキュールを応援してくれていた。
その顔を見ていると、なぜだろうか?
苦しさや苛立ちとは別に、キキュールの中に温かいものがフワリと生まれた。
――この子たちを、がっかりさせちゃいけないな
そう素直に思えたとき、無理だと思った力がほんの少しだけ絞り出せた。
それを魔力に変換し、石畳に注ぎ込む。
自分の中に生まれたものが、何かなど自問するのは後回しだ。
使えるものは、何でも使ってやる。
自分が助かるためだ。
キキュールは、そう考える。
そしてもう一つ。
キキュールは、絶対にシノを消滅させたくなかった。
視界がブラックアウトするまで魔力を注ぎ続け、そこでプツリと、キキュールの意識がとぎれる。
「あっ!」
キキュールは慌てて、目を覚ます。
どうやら一瞬だけ、意識が飛んだようだ。
目の端に、ベイルフの城壁と地面が見えた。
「失敗した!? 落ちたのか私はっ!?」
そう言って焦り出すキキュールの視界に、チヒロラの顔がどアップで入り込む。
チヒロラは、キキュールが壊れないよう優しく頬ずりした。
「やりましたキキュールさんっ、越えられましたーっ」
「えっ」
キキュールは無事に、城壁を越えられていた。
気を失った後も魔力は消えず、石畳はゆっくりと城壁の外側へ降下していったのだ。
戸惑うキキュールに、次々と妖しの子が頬ずりをする。
豆福は、それどころでは無い。
夕凪が最後に頬ずりしながら、キキュールに言う。
「ここからは、ねてて、いいからさっ」
「ああ……そうさせてもらうよ」
子供が大人に言うセリフではないが、キキュールは素直に従った。
今はもう絶対に、何もしたくないのだ。
胸にかかるシノの重みを感じながら、キキュールは再び目を閉じた――