112 恐怖と全能感は、アメとムチっぽい。
「あ、だめだこれ」
夕凪がつぶやき、みんなもそう思った。
いくら妖しの子に力があると言っても、石の神輿を担いで走るのだ。
瘴気の拡散スピードから、逃げ切ることは出来ないだろう。
しかし――
「あれ、ばばばーって、こない?」
夕凪は、燃えるカゲロウをみる。
最初に起こった、瘴気の大爆発。
それを確かに感じたものの、来るものがこないのだ。
瘴気は初めの勢いを、無くしていた。
動きが鈍くなり、何だか縮み始めたようにも見える。
「あれ、なんで?」
首を傾げる夕凪に、霧乃が叫ぶ。
「わかんないけど、今のうちだよ、うーなぎっ!」
「うんっ、みんな、いくぞーっ!」
「「「「 おーっ! 」」」」
*
(ああ、駄目くるっ! あっ……)
自分の内側から溢れ出ようとする、黒と金の奔流。
楽市はその莫大な瘴気に、意識を押し流されそうになる。
しかし楽市は気絶しないように、歯を食いしばり踏ん張った。
瘴気の激流に、必死に逆らう。
(ここであたしが意識を失えば、瘴気がそのまま駄々洩れになっちゃうっ!
そうなったら、あっという間にシノさんまで届いちゃうっ!)
楽市は、二度の体験で知っていた。
祟り神の瘴気は、顕現するまではコントロールできなくても、その後は楽市のコントロール下に入ることを。
楽市が一瞬でも気を失えば、近距離にいるシノたちへ、瘴気がそのままとどいてしまう。
それは絶対に、避けなければいけない。
だから絶対に、気を失ってはいけない。
心象内で、楽市の手足が黒く染まっていく。
楽市は自分の意識を繋ぎ止めるため、ある者の名を呼んだ。
瘴気の根源に、沈んでいるであろう者の名を叫ぶ。
(長篠兄さまっ、兄さまあっ!
お願いっ、あたしはシノさんを殺したくないっ!)
長篠兄さまああっ!)
楽市の視界が、黒く染まる。
角つきがしゃから、大量の瘴気が吹きだし始め、幽鬼は触腕を自切して空へ飛びのいた。
その直後、爆発するように角つきから、黒と金の入り混じる「国つ神」が顕現する。
その姿は、巨大なカゲロウのようである。
ハッキリとした形を成さずに、激しく燃え盛っていた。
幽鬼はそれを見て、更に高く浮かび上がる。
幽鬼の動きが、オーバードーズで鈍くなっていく。
それでも、無理に体を動かし上昇した。
瘴気はその特性として、まず地を走り広がっていくのだ。
もちろん空中にも伝播するが、地面から離れるほどその影響を受けなくなる。
それでも、至近距離での瘴気だ。
「並のがしゃ」ならば、とっくに粉となっているだろう。
しかし幽鬼は、崩壊することなく耐え抜いた。
巨大幽鬼は長期間、はかばーでの過剰摂取を耐え抜き、そこでの「トリクミ」を戦い抜いた歴戦個体なのである。
幽鬼は、角つきから距離をとり様子をうかがう。
いったい何が、起きているのか?
幽鬼は、注意深く観察する。
*
黒く染まる世界の中で、荒い息遣いが聞こえる。
(はあっ、はあっ、はあっ……)
楽市は気を失わずに、なんとか顕現するまでの間を耐え抜いていた。
(たっ……耐えれたの? あたしっ!?)
楽市は、ほっとしかける気持ちを奮い起こす。
気を抜く暇はない。
すぐさま、自分の身に宿る瘴気へ命令する。
(しずまれっ、このこのこのーっ!)
楽市は、誰にともなく語りかける。
(分かってるってっ!
トリクミに勝つ。
そのために、あたしが呼んだって言うんでしょっ!
だけど今は駄目っ。
動かさない。
シノさんたちが逃げ切るまで、動くことは許さないからっ!)
楽市は、瘴気を出さないように強く念じた。
そのかいあって瘴気の動きは、急激に鈍くなっていく。
しかし流出量をしぼるだけで、完全に止める事はできなかった。
今の楽市には、これが精一杯だ。
そんな状況を注意深く見る幽鬼が、瘴気の中でうずくまる角つきを確認する。
あれだけの瘴気を出し、崩壊することなく形を保っている。
流石は、はかばーナンバーワンと言われるだけのことはある。
普通ならばここで、角つきには敵わぬと思うところだ。
しかし角つきから放出された瘴気は、オーバードーズで崩壊する恐怖と同時に、限界までチャージされた全能感を、幽鬼に与えるのだった。
幽鬼の、殺意は消えない。
観察する中で瘴気濃度が、急激に低下して行くのが分かった。
周りの圧迫が解けて、幽鬼は体が動かせるようになる。
しかし角つきは、うずくまったまま動かない。
少し思案した幽鬼は、四足獣アンデッドをけしかける事にした。
幽鬼は嫌がる四足獣にもう一度、触腕を巻き付ける――