011楽市、山をおりる~パワー負けする~
「ほらっ、森の中で走らないのっ、迷子にならないでよねっ」
「あーっ」
「ふあーっ」
長い間、草籠の中で揺られていた二人は、息抜きに外へ出るや、白狐に転じ走り始めた。
霧乃と夕凪は草籠の中で、随分と退屈していたようだ。
「ほらっ、走らないのっ」
そうは言っても、始めて来る土地の匂いと目新しさに、興奮してしまう。
するなという方が難しい。
はしゃぐ二人は、あっという間に姿が見えなくなった。
「おーい、霧乃ーっ夕凪-っ、戻っておいでーっ」
暫く待っても返事がない。
聞こえぬ所まで離れてしまったのだろうか?
楽市は耳を立て、辺りをうかがうが、全く足音がしない。
どういう訳か二人は、赤子の頃から足音を消して歩く癖がある。
天性のハンターとして、褒めるべき所だろう。
しかし正直いって止めてほしいと、楽市は思う。
都会の片隅で、数百年も飲んだくれていた狐は、すっかり野生の感が鈍っているのだ。
二人が本気で隠れてしまうと、楽市には見つけられない。
「あーっ、もう!」
楽市が癇癪を起していると、真後ろから二人に抱き付かれた。
「うひいっ」
楽市は不意を突かれて、変な声をあげてしまう。
楽市の悲鳴が聞けて上機嫌なのか、二人はきゃっきゃっと笑い出し、楽市にぶら下がろうとする。
「ああ、ちょっとっ! まずいっ、パワー負けしている?
しっかり躾なければ!」
そう思い捕まえようとするものの、伸ばす手をひらりと躱され、逆に手を掴まれてしまった。
そのまま楽市を、二人が引っ張っていく。
「えっ、なになに!?」
霧乃と夕凪は、空いている手でしきりと前方を差し、楽しげに話しかけてきた。
「らくーち、あっちー」
「らくーち、こっちー!」
手を引かれるまま、楽市は歩く。
「何か見つけたの?」
暫く手を引かれていると、急な傾斜が現れた。
四つん這いになって進まなければ、ならないほどの角度だ。
進むというよりは、登るといった感じである。
霧乃と夕凪は急斜面を登り、その先へと掴む楽市を促す。
「ちょっ、ちょっと待ってっ、ストップ!」
楽市から逆に引っ張られて、二人が唇を尖らせた。
よほど見せたいものが、あるらしい。
「あー?」
「うーっ」
「ちょっと待って、こんな急だと、小袖の裾が邪魔で歩きにくい。
こらっ、引っ張らない!」
どうやら小袖では、足が開きにくいらしい。
霧乃と夕凪はひらひらのワンピースなので、苦にならないようだ。
楽市は動き易くするために、意識を足元に集中して形態変化を行う。
小袖の裾が生き物のように、くねりだし縮んでいく。
楽市の裾が思い切り短くなり、白い足が露わになった。
「これで良しっ」
「おーっ」
「ふぁーっ」
「ほらっ、触らないのっ」
こういった所では、狐火となって飛べば良いのだが、楽市はそれをしたくない。
斜面へ張り付くように生える木々を掴み、体を引っ張り上げる。
物に直接干渉して、前に進む。
何と楽しいのだろう。
ヒノモトでは、長いこと奪われていた喜びがここにあった。
楽市は、体を動かすことに夢中になる。
取り憑いた体を動かすのとは、やはり違う。
楽市は目をキラキラさせて、快調に登っていった。
するといつの間にか後ろに回り込んでいた、霧乃と夕凪がくすくす笑い始る。
どうやら足を広げる度に見える、楽市の尻が面白くてしょうがないらしい。
「ぷぷ、おしりー」
「あははっ、おしりくりって、あはははははっ」
「こらっ、あんま見ない!」
「らくーち、おしりおっきー」
「あははっ、くりってっ」
登りきると、その先は垂直に切れ落ちた崖となっている。
足元は岩肌がむき出しだ。
何か焼けた跡のように、黒ずんでいる。
楽市は他の地でも似たものを見て、不思議に思うのだが、今は眼下に広がる光景へ、釘付けとなっていた。
霧乃と夕凪は、驚く楽市を見て得意げだ。楽市を連れて来た、甲斐があるというもの。
「なー、らくーち、なー」
「きれい、なー、きれいー」
見晴らしの良い崖先には、山間部を埋め尽くすように、純白の砂漠が広がっていた。
丁度、真上に来た太陽光に、照らされて白銀に輝いている。
余りの輝きで目が痛い。
砂漠は見える限り、山と山の間を全て埋め尽くしていた。
中腹から生い茂る木々が、すっぽりと埋もれているので、相当な高さで堆積しているのが分かる。
山間部を埋め尽くす砂は、幅の広い所で数百メートルはあるだろう。
遥か高見から眺めれば、東西を貫く大河のように見えるかも知れない。
温暖湿潤な気候の山奥で、これは有り得ない。
「なんだ、これ?」
何も知らぬ霧乃と夕凪は、珍し気に眺めて楽しんでいるだけだ。
しかし、山野に関して詳しいと自負する楽市は、狐につままれたような顔をしていた。
「あー、分っかんないや…まあ、いいか……」
楽市はこの地に来てから、分からない事に掛けても、それなりのベテランなのだ。