108 あたしは、そういうのが大嫌いなんだっ。
黒いガス状となった幽鬼が、角つきの周りを取り囲む。
力づくが駄目ならば、別のやり方を試みるまで――
*
角つきがしゃの中で、陽気な声が聞こえだした。
(うにゅ? きりは、もーいーかなーって、思うんだねーっ)
(なー、もう負けちゃお、うにゅー)
(霧乃、夕凪? あんたたち急にどうしたの!?)
楽市はびっくりする。
霧乃たちが突然やる気をなくし、ゴロゴロと寝転がる心象が伝わってきたのだ。
(だってー、なー、くすくすっ)
(らくーち、なに、がんばってんの?)
(はあっ!?)
朱儀も、寝ぼけた事を言う。
(うにゅー、ふあー、まけちゃった)
(朱儀まで!? まだ負けてないってっ!)
楽市がそう言っても、朱儀の心象はトロンとしたままで、やる気が感じられなかった。
(朱儀っ!?)
(へへへー、うにゅ?)
(にゅーにゅー)
(豆福は、なに言ってるか、分かんな過ぎっ)
楽市はあっさり降参しようとする、霧乃たちをいぶかしむ。
しかし次第に、楽市もおかしな気分になって来るのだった。
(もう、あんたたちが、そう言うなら……)
一人でムキになり、負けを認めないのが、段々と馬鹿みたいに思えてきたのだ。
楽市はそこで気を抜こうとしたが、ギリギリで踏ん張った。
(あー、これ絶対におかしいっ。
幽鬼のやつ、あたしたちに取り憑いたなっ)
巨大幽鬼は、皆の精神を乗っ取ろうとしていたのだ。
霧乃たちは、ほぼ陥落ずみであり、その中で楽市だけが抵抗する。
(ぐぬぬ……白狐のあたしに、取り憑こうなんて生意気なっ。
あたしがこの程度で、落とせると思うなよっ)
取り憑くことが、得意技であると自負する白狐である。
それが逆に取り憑かれるなど、笑えもしない。
楽市はそう考え、腹を立てた。
楽市はヒノモトで国つ神の使いとして、人間以外にも様々な妖しと出会ってきた。
その中には、相手の心をどうこうしようとする、輩もかなりいるのだ。
そんな妖しを相手にしてきた楽市は、精神攻撃への耐性を身に着けていた。
だから、そこら辺のポッと出に乗っ取られるなど、プライドが許さない。
(あたしを乗っ取ろうなんて、一億年早いってのっ!)
(はいはーいっ、あーぎは、らくーち、やったっ!)
(きりは、しっぽ、動かしたなーっ!)
(なー、ちがうっ、うーなぎも、動かしたっ!)
(あ……)
楽市は仕切り直す。
(あたしが気を失ったとか、色々ある以外で、乗っ取ろうなんて、ちょっと早いんだよっ!)
(だって、あーぎ、やったもん、うにゅ)
(きりも、やった、うにゅ)
(うーなぎもっ、うにゅ)
(ちょっと、だまっててっ)
霧乃と夕凪が、楽市をさとす。
(うにゅ-、らくーち、もういいかもー)
(なー、もう負けちゃお、うにゅー)
戦闘狂の朱儀が、絶対に言わなそうな事を言う。
(もー、なぐるの、あきちゃった)
(にゅーにゅー、だ)
霧乃たちは、スッカリ気持ちよく落ちているのだ。
楽市は霧乃たちの言うことが、スッと胸に入ってきてしまう。
(そ……そうね。
このまま負けたら、トリクミが終わって……そしたら山火事を……)
(あっ、そうだよっ、早くまけちゃお! うにゅー)
(まけるの、気もちいーかもっ)
(まーけーたーっ)
(けーしーてーっ)
(うん、じゃあ…………じゃないっ!)
楽市は、心象の中で地団駄をふんだ。
(いや違うでしょっ。乗っ取られて、喜ぶなんて違うでしょっ!
まけちゃお、じゃないっ!
気持ちよくもないっ!
負けてないっ!
火事は……うん、ちゃんと消すっ!
ふざけないでよっ、あたしは乗っ取られるとか、ぶん取られるとか大嫌いなんだっ。
こんな、負け方絶対に許さないっ!)
――奪われてはならぬ
(そうだ奪われてたまるかっ! ん?)
もぞり……もぞり……
楽市に何かがささやき、楽市の内側から何かが這い登ってくる。
(この、感じはっ)
楽市はそれを、黒と金の入り混じる炎として心象に浮かべる。
一度目と二度目は、よく分からなかった。
だが体が覚えている。
楽市の体が、覚えているのだ。
楽市は確信する。
(三度目だっ)
楽市は自分に集中する。
今度現れたときに、必ずやり方を覚えようと決めていたのだ。
結果的にその集中力が、幽鬼からの心理攻撃をプロテクトする。
それを、感じ取った霧乃が笑った。
(うにゅー、らくーち、しっぽ出るの? なんでー?)
夕凪も、呆れながら笑う。
(もう、らくーちは、めんどくさいなー、うにゅ?)
呆れ顔の、霧乃と夕凪である。
そんな二人の聴覚に、何か触るものがあった。
心象内で獣耳を、パタパタとさせる。
軽い気持ちで、音を拾いあげる。
すると二人の寝ぼけた表情が、段々と驚愕の表情へと変わっていった。
結果的にそれが、幽鬼の心理攻撃を跳ね返す。
――あー?
(ん?)
(な?)
――あー? あー? あー? お師さまー?
(えっ)
(あっ)
――あー? お師さまっー あ゛あ゛あ゛、死なないでー
((チロっ!?))