106 ベイルフの底に、溜まるもの。
闇が、落ちてきた。
空を覆おう巨大な幽鬼が、自身をガス状に変化させベイルフの底に溜まる――
*
「う……ん……」
体が酷くだるい。
キキュールは、瞑っていた瞼を開く。
暗闇だ。
何も見えない。
「こ……れは……」
自分が横たわっていることを知り、起き上がろうとする。
しかし出来なかった。
体が鉛のように重く、上手く動かせないのだ。
そんなキキュールに、シノが声をかけた。
「気付いたようだね、キキュール。
今は無理に、動かさない方がいい。
君は再び、瘴気を強く浴びてしまっている」
「シ……ノ?」
シノの声がする。
すぐ目の前から聞こえるのだが、暗くて何も見えない。
夜目の効くアンデッドにとって、それは有り得ないことである。
ただの暗闇ではなかった。
「シノ……私は……いったい……」
頭が酷く重い。
だるい体に引きずられて、考えるのがおっくうだった。
「うん……どうやら私たちは、巨大なゴーストの中に、取り込まれてしまったらしい」
「ゴーストの……」
キキュールは気を失う直前に見た、落ちてくる闇を思い出す。
「あれがゴーストだというのか? まさか……」
キキュールの知っているゴーストは、ひょろひょろとした陽炎ていどの代物だ。
シノの困ったような声が、聞こえてくる。
「私にも、よく分からないんだ。
ただチヒロラが言うには、あの巨大スケルトンたちと同じく、はかばーにいたゴーストらしい」
「はかばー?」
「そうなんです、うにゅー。
はかばーから、ぴょんと来ちゃったみたいですー。
うにゅ」
暗闇の中で、チヒロラの声が聞こえた。
声からして横たわるキキュールの、すぐ傍に座っているらしい。
「チヒロラ?」
「はいー、ふふふ」
何かチヒロラの様子がおかしい。
喋り方が変だ。
「さっきから、この調子なのだよ。
何か精神系の魔法を、かけられているようだ」
「えー、チヒロラは、何にゅもされて無いですよー。
うふふ元気ですー。
うにゅー」
変な口調で、元気だと言われる方が不安になる。
何も見えないのが、じれったい。
キキュールは、チヒロラに頼んだ。
「チヒロラ、火を出せる? 周りを明るくして……」
「えー、またですかー。いいですよー、はーいっ」
チヒロラが指先に火を灯すと、周りの闇がまるで生物のように引いていった。
火を、嫌がっているようだ。
朱く照らされた中に、チヒロラがちょこんと座っている。
何も変わらないように見えるが、目がトロンとしていた。
キキュールが正面を見ると、シノの顔が目と鼻の先にある。
シノはキキュールに覆いかぶさる形で、両手を地面に付いていたのだ。
シノが獣人の顔で、困ったような表情をする。
「こんな態勢ですまないね。私もちょっと動けないのだよ」
「シノ、お前は……大丈夫なのか?」
「ああ、大丈夫だとも」
朱い光の中で、シノが微笑む。
そんなシノを見て酷い状況なのに、キキュールはホッとしてしまう。
「シノ……」
シノが傍にいるだけで、どこかホッとしてしまうのだ。
するとだるい体に引きずられて、ぼんやりとしていた、キキュールの思考が動き始める。
巨大スケルトンと、同レベルの幽鬼。
それが、落ちてきた――
キキュールの瞳が、激しく泳ぎだした。
唇が震えだす。
「シノ……ちょっと待ってくれ。
この状況は、ベイルフ全体に及んでいるのか!?」
キキュールは、目だけを動かし周りを見回す。
しかし暗闇が広がるばかりで、何も見えなかった。
「……おそらく」
「そんな……それじゃ、街のみんなはっ」
アンデッドのキキュールでさえ、全く動けなくてこの有様なのだ。
ならば衰弱した獣人たちは、どうなるのか?
キキュールの脳裏に、双子の幼子と母親の姿がうかんだ。
「シノそこをどいてくれっ。私は行かねばならないっ!」
キキュールは動かぬ体を、無理やり動かそうとする。
「キキュールよせ、無理をするなっ」
「うにゅー、キキュールさん、どうしたんですかー?」
「どけっ、シノっ!」
キキュールは、渾身のちからで体を揺さぶる。
「キキュールっ」
「うるさいっ」
揺れる体が、シノの右腕に当たる。
すると右腕が砕けて、シノがキキュールの胸元に倒れ込んできた。
シノのローブから、大量の砂がこぼれ出す。
「シノっ、お前っ!?」
「あー、お師さまー?」
「ふふ……突然、落ちてきたものだからね。
君の中に結界を張るだけで、手一杯だった……」
「お前っ!」
「あー? あー? お師さまー?」
チヒロラは表情がぼんやりしながらも、涙がこぼれ出した。
「チヒロラ……これぐらいの崩壊は、何度も経験ずみだよ。
だいじょうぶ……すぐ直るさ」
「えー? えー?」
「そうだ……キキュール……君は、聞きたがっていたね。
君の変化について。今、話して……」
「シノっ!」