010楽市、山をおりる
日が昇り、一日が始まる。
楽市は穴の縁に座り、鼻歌まじりで手を動かしている。
そこらに生える長い草を千切っては、何やら編み物をしていた。
とても器用に編み込んでいき、所々に自分の息を吹きかけていく。
少し離れた所で遊んでいた二匹が、何をやっているのか興味が湧いたらしい。
こちらにやって来て、楽市の手元を覗き込む。
「んー?」
「なんだー?」と話しかけてきた。
まだ舌足らずだが、もう話せるようになっている。
「ふふん、何をしているんでしょーねー」
楽市は得意げになって微笑み、二匹の顔をまじまじと見た。
――話せるようになる――子育てしていれば、それだけで子の成長を感じて、大喜びするはずだ。
けれど楽市は、それよりもっと大きな変化に驚かされる。
楽市の手を覗き込む二匹の姿は、完全に「少女」の姿をしていた。
もう二匹ではなく、二人だ。
半透明のぶよぶよした、何かではない。
人の年齢で言えば、五歳ぐらいだろうか。
その姿は、楽市と同じ銀髪の獣耳で、瞳は金。
尻尾もふさふさで、紛れもない白狐だった。
すっきりした目元の、美人姉妹さんである。着ているものは、袖なしの黒いワンピース。
下は素足だ。
――成長が、早すぎる――
まず楽市が感じたのは、そこである。
まだ2ヶ月ほどしか、経っていないはずだ。
楽市はヒノモトと比べて、世界を構成する質が違うと感じる。
大気を吸い込めば、森の匂いがヒノモトより強い。
草を食めば、苦みと共にこれまで感じたことのない、強い滋味が溢れてくる。
降り注ぐ雨を舐めれば、甘いのだ。
改めて大変な所へ来たものだと、楽市は思う。二人の姿は、この地に消えた兄や
仲間の存在に、強く影響を受けていた。
ならば二人は、新しく生まれた藤見の森の仲間。そう考えて、良いのではないか?
「よーしできたっ」
楽市の弾む声に、二人は首を傾げる。
何が出来たのだろうか?
楽市の手にあったのは、草で編まれた小さな籠である。
草で作った長い紐が取り付けてあり、肩へ掛けられるようになっている。
楽市はそれを斜め掛けにし、籠をお腹の前に持ってきた。
「霧乃、夕凪。
ほーらこの前、教えたやつ、まーるくなれる?
丸くてフワフワしたやつ」
楽市は、二人に名前を付けていた。
二人はとても似ているが、少し違う。
一人は肩までの銀髪をお下げにし、前髪が切り揃っている。
もう一人は、ロングの銀髪をゆるふわお下げにしていた。
髪型の違いがどうして現れるのか、よく分からない。そうなるとしか言えない。
楽市は、前髪が切り揃っている方を「霧乃」、ゆるふわお下げの方を「夕凪」と名付けた。
名の由来に深い意味はない。
しいて言えば、どちらも楽市が好きな酒の銘柄である。
楽市の「丸くなれ」と言う指示に、霧乃と夕凪は素直に従う。
二人の形がくにゃりと歪み、二つの青白い狐火となった。
「くふふっ」
「うひひっ」
二人は形が変わるとき、まだ慣れないので、くすぐったいらしい。
大きさは、子供の握りこぶしぐらいである。
楽市はそれを一つ一つ摘まむと、籠の中へ放り込んだ。
楽市の尻尾が、千切れんばかりに振られている。
「さあっ、いきましょーか!」
楽市が赤子の成長を見守りながら、なにを思い、何を考えていたのか?
それは――あれ? ひょっとして他にも、白狐として生まれた子が、いるんじゃないの?――というものだった。
この考えは、楽市の心を鷲掴みにする。
ただその子たちが厳密に、白狐と言えるのかは疑わしい。
異なる世界で生まれた妖しが、藤見の白狐と言えるのか?
そこで楽市は、頭をぷるぷると振った。
「あーまた、余計なこと考えた……」
厳密とか、何とかはどうでも宜しい。
楽市には霧乃と夕凪が、どうしても白狐に見えるのだから。
楽市は兄と仲間を失い、心にぽっかりと穴が空いていた。
その埋め合わせ。
慰め。
勝手な思い込みだろうと、何だろうとそれが欲しい。
昼間に気を張っていても、夜が来ると兄を想う。
その喪失感に胸を掻きむしられる。
そんなとき新しく生まれた仲間たちに、囲まれる自分を思い浮かべる。
それだけで、どれだけ気持ちが救われたことか。
すぐにでも探しに行きたい。
しかし霧乃と夕凪の形が定まるまでは、決してここを動くわけにはいかない。
二人の形態定着を、決して狂わせてはいけなかった。
だからこそ、楽市はこの日が来るのを待ちわびていたのだ。
もう二人は大丈夫。
「んーっ」
楽市は背伸びをして、深呼吸をする。
やっと、山を下りられる日が来た。
「あ……」
楽市は、ふとやるべき事を思い出す。
もう久しくしていないので、忘れてしまう所だった。
一旦二人を籠から降ろし、森で適当な枝を探す。
「うーん、やっぱり榊は、無いよねぇ」
楽市は手頃な枝を取り、穴の所へ戻っていった。本当は塩や米なども欲しいが、仕方がない。
「でも大丈夫、要は伝わればいいから」
楽市は穴の傍に小さな盛り土を作り、その場に立ち姿勢を正した。
霧乃と夕凪が、興味深げに覗き込む。
「らくーちー?」
「なー?」
「うん、あんたたちも見ときなさい。
藤見の森の白狐として、大切なことなのですよ。
これから、この地の神様に旅の無事をお願いします」
そう言って、楽市は枝を振る。
風の中に、楽市の声が響き始めた――
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