ドナドナ
ドナドナ
ある晴れた 昼さがり いちばへ 続く道
荷馬車が ゴトゴト 子牛を 乗せてゆく
かわいい子牛 売られて行くよ
悲しそうなひとみで 見ているよ
ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を 乗せて
ドナ ドナ ドナ ドナ 荷馬車が ゆれる
青い空 そよぐ風 つばめが 飛びかう
荷馬車が いちばへ 子牛を 乗せて行く
もしもつばさが あったならば
楽しい牧場に 帰れるものを
ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を 乗せて
ドナ ドナ ドナ ドナ 荷馬車が ゆれる
ドナとは牛を追いかけるときの掛け声であったと記憶している。転生前の記憶だから少々曖昧だ。作詞作曲者に関しては完全に忘れてしまった。まあ、元の世界の住人の名前だから記したところで誰も知らないだろうから問題はない。
しかし、前述した歌詞の方には自信がある。2番までご丁寧に覚えているとは自分でも驚きだ。歌だから文章よりは記憶しやすかったのだろうか。
歌詞を見てもらえれば解っていただけると思われるが、あまり楽しい歌ではない。周囲が盛り上がっているときに、突然これを歌いだすような奴とは、ある意味で友達になってみたいが、客観的に見て推奨できる行為でないのは明白だ。
歌詞に対してメロディーはというと、こちらも歌詞に負けず劣らずの楽しくなさである。
あくまで私の印象になるが、誰をも悲しくさせる音、とでもいうのだろうか。その音を聴いて悲しくならない人間はこの世にいないのでは無いか、そう思わせる程の強烈な何かがあのメロディーにはある。
ドナドナという掛け声とともに荷馬車に乗せた子牛を連れて行く。その胸を僅かに締め付けさせる光景を連想させる歌詞。それを抜いても十二分に何かを訴えてくるメロディー。その2つが組み合わさることで何とも言えぬ不気味さを醸し出す。
そう、不気味なのだ。悲しみを感じさせるというよりもその悲しみを否応なしに感じさせるところに不気味さを感じると言った方がしっくりくる。
人間には、宗教やどこの国に住んでいるかなどである程度グループ分けができるものだが、しかし、人の数だけそれぞれ思想があり、そうなれば感受性に関しても千差万別になると考えれる。
だが、この曲を聞いたとたん、そういった違いなど些末なものと言わんばかりに、全員が悲しみという感情で一定になる。そう思わせてくるこの曲を不気味と言わず何と評すればよいのだろう。
私は2つの世界を知っているが、これほどまでに不気味な曲を他に知らない。
「なんでドナドナですか、ねぇ。」
男は問いの意味を吟味するように、私の発した質問を繰り返した。
「好きなんだよ。ドナドナ」
と男は答える。
この曲が好き。それは普通の発言だ。普通の人が普通の日常において言う普通の発言。仮に変人が発しようとも普通に思われる発言だろう。
ただその好きな曲がドナドナだったからなのだろうか、それともこの男が発したからなのだろうか、もちろんそのどちらも要因ってこともありえるだろうけれど、この曲が好きという至って平凡な発言にも関わらず、なぜか非常に含みのある意味深な発言に聞こえてくる。
「それまた、…変わってますね」
「そうかい?君はこの曲嫌いかい?」
「いえ、別に嫌いというわけではないのですけど。何というか、その曲を聴いていると、その…、なんというか…」
「悲しい気持ちにさせられる、かい?」
心を見透かしてくるかのように男は言う。そして私は本当に心が見透かされたような感じになり、あまり快くはなかった。
「……そうです」
「だから良いんじゃないか」
「…どうしてですか?」
「だってこの曲を聞けば、悲しいことを思い出せるじゃないか」
男は不気味なまでに優しい声でそう言った。
「悲しいことは普通忘れたくなるものでは?」
「それは子供の考えだよ。大人になると忘れたくない悲しみというのもあるんだよ」
「そうですか…」
忘れたくない悲しみ。含蓄のある言葉ではあったが、この時の私は単純に自分は子供だと馬鹿にされたようで、ただ腹ただしく思う程度にしか思わなかった。
そういう所がまさしく子供なのだが、当時16歳とはいえ、転生前も合わせると既にそこそこ人生経験豊富であったわけで、自分は精神的には成熟していると思い上がっていたのだろう。この時はその言葉の意味を深く考えるなんてことはしなかった。
「君はこんなところに何をしに来たんだい?海水浴シーズンはとっくに終わっているよ?」
話題を切り替えたかったのか、男はそう問いかけてくる。
「別に。理由なんてありませんよ。海水浴じゃなきゃ海に来ちゃいけないんですか?そもそも海に来るのにいちいち目的なんか必要ですか?」
私は子供扱いされたことへの腹立ちを引っ張るかのように、トゲトゲしくそう返した。
「それもそうだね。現に僕も笛を少々吹きたかっただけで、人が少なければ場所はどこでもよかったわけだし」
それに対して男は憎たらしいぐらい落ち着いた調子で返してくる。風流な格好と優しさの溢れる低い声が成熟した男の大人の色気を醸し出し、よりその余裕っぷりを強調してくるようであった。
ここにきてふと思い出す。
そもそもこの男に近づいたのは、なぜドナドナを吹いていた以外にも、この男の何者であるか知りたいが為だったことを思い出した。というよりも寧ろそちらの方が重要であった。
ドナドナを知っている。つまりそれは私の転生前の世界における知識を知っていることを意味している。
通常、転生者である私のような特殊な例を除いて、別世界の知識を知っているなど異常事態である。ならば目の前の男はなぜそれを知っているのか、これを言及する前に帰ることはできない。
そう思い質問しようと「あのっ」と声をかけようとしたとき、それを遮るように、反対に男の方から質問してきたのだった。
「君も転生者なのかい?」