第26話 融解
「掛けっ放しのエンジン切ってくるから、少しじっくり見せて貰ってもいいかな?」
と、森は見晴らしのいいベンチに才子と菜々緒を二人っきりにして独りその場を離れた。気の利く……案外いいヤツなのかもな?
そんな、少し距離を空けて停まった二台の赤と白の新旧ポルシェを遠目にしながら、随分久し振りにこの幼馴染みと隣同士で座っている。
「菜々Pも取ったんだ? 免許」
「……」
「スパイダー……かっこいいね?」
「……」
「でもなんでポルシェ?……勿論、あんたん家なら別に不思議はないけど」
「……」
「……免許も、ポルシェもテニスも何も、菜々Pはなんでそんなに私に被せてくるん?」
菜々緒の沈黙に任せ、 積年のなんとかもちょっとしれっとぶっ込んでやった。
決め台詞だった筈なのにまさかの一(爆)笑に付されたのが、しかも初対面の森にまであんな風に……それが余程、お嬢様のプライドと癪に触ったのか?憮然として押し黙っていた菜々緒がようやく口を開いた。
「さぁねぇ?なんでだったかしらねぇ?」
と、なげやり気味に呟いて再び暫し沈黙したあと、虚ろな視線をスパイダーに投げて脈略の欠片もなくボソリと零した。
「でも才、案外あなたの言った通り"ただ運転する"ってのも確かに悪くないかもね? なんか日頃の鬱陶しい事とか……」
モニョモニョと尻切れではあったが菜々緒が会話に乗ってきたので、
「へ〜? 最強オンナの菜々Pにもそんなんあるんだ?なんか意外」と突ついてみた。するとよくぞ聞いてくれました!とばかりに堰を切ったようにぶち撒け出したではないか?
曰く、片田舎の学校の癖に、どいつもこいつも上品ぶってお高くとまって体裁とかばっか気にして化けの皮被った上辺ばっかの薄っぺらい、そして女子校特有の陰湿なカーストや妬み嫉み虐めの類。幼稚な恋愛ゴッコとか、しょうもないアプリとかSNS、ゲーム……どれもスマホの中で拡散そして完結されるだけの狡猾な日常。かわい〜とか言って一過性のなんかに右向け右で飛びついて、アイドルとかキャーキャー言ってる下らない奴らばっかで中学からもう6年間、毎日毎日反吐が出るわ(本人喋るまま)!
エスカレートしてきた菜々緒は更にヒートアップして赤裸々に続ける。
刺激求めて大学生とか年上のオトコとか付き合ってみたけど、結局は見てくれとか、カラダとか(まっ!なんてっ!?)……地元じゃ最先端の店?あんなトコ出入りするな〜んも考えてないバカぼん(あ、毒蛇のチャラ男のことね?)とか、多少まともでちょっとイイかな?って思ったオトコもとんだマザコンの甘ちゃん(その次の男のことなのかしら?)でどいつもこいつもペラッペラで尊敬や精神的な拠所求めるなんて所詮、無理。……結果、皮肉にもあなた(私)の忠告通りだったって事。
こんな調子で菜々緒は堰を切ったようにソリの合わない日常や取り巻く環境のこと一頻り毒を吐き出した。……向こうの方では森がナローのエンジンを切って暫く眺めたその後ボクスターに歩みを進める、
「憶えてる 才?昔、小っちゃかった頃、あなたん家お泊まりに行った時の事」
「……うん、憶えてる。まだこっちにいた頃だね?」
その頃のこと思い出すと胸の辺りが絞られる様に切なく、少し苦しくなる……
菜々緒の両親が何処かへ旅行かなにかで家をあける事になったので、当時、幼稚園で仲の良い家族ぐるみの付き合いがあったウチに、数日間 預けられる事になった。
「あなたのお家は全くアメイジングだったわ」
曰く、家族団欒で笑いながらテーブルを囲み、普段言われた事もない嫌いな食材を咎められたり。初めて食べたプッチンプリンに超感激したり。お父さんに馬乗りになったり乱暴に放り投げられたり、ゲームに熱中したり。一緒にお風呂に入ったらふやける迄数かぞえて、ふざけながらきゃっきゃ言いながら裸のまま走り回るのを掴まえられドライヤーで髪を乾かして、川の字で両親に挟まれて寝付く迄ベットでお話しをして貰ったり絵本を読んで貰ったり……
私にはごく平凡なあたり前の日常であっても。しかし菜々Pにとってはどれも……絵本やTVの中だけの夢。憧れたあたたかい初体験だったと言うこと初めて知った。
「"なに?才ちゃんは毎日こんな夢みたいなお暮らししてたの?"って思った……」
曰く、一見外面は良くっても仕事柄かなり豪放磊落な父親のせいもあり絵に描いた様な崩壊家庭だったと言う。相当、複雑かつ荒涼として温もりのカケラもなかったそんな幼少時代、菜々Pが最も渇望して止まない、しかし絶対に手に入らないであろうものを私は全部持っていた事。幼心にもメラメラと湧き上がる嫉妬と舐める辛酸の不公平感。そして人生はじめてのお友だちへの愛おしさ、その幼い愛情と同じかそれ以上の焔で芽生えた、根っからの負けず嫌いの性格に対抗心・嫉妬心が化学反応を起こした歪な感情の裏返しであったこと。
「でも私、それ全部いっぺんに失くしちゃったんだよ?」
『おばさまとおじさまは…その、お気の毒だったわ、本当に。でもそれから急に180度態度変えて、"才、しっかりなさいね?私がついてるわ?"みたいなのもバカみたいでしょ?今更……それは無理。だからあなたには真正面からあなたと同じフィールドで無言で鼓舞する存在が必要!って事にしたの。』
菜々緒はなんてことなく普通に、しれっとそう言ってのけた。
はぁ?
"って事にしたの"? …なん、それ?なんて勝手な道理だ?開いた口が塞がらない。
そりゃ、今日の勝負='独り思い込み追い駆けっこ'と同様、彼女の完全な自己中発想ではないか? なに?と言うことは私が長年"なぜ?"ってずうっと燻ってた、ある種の哀しみを抱きながら鬱陶しく思ってた突っ掛かってくる幼馴染の異常なライバル視や所業の数々、其の実ある時点からは菜々Pなりのやり方で励まされてた?ってこと?
「要はあんたのプライド邪魔して……ってこと?」
「その、あなたその度スルーするから……」ひょっとむこう向いた染まった横顔は夕陽のせい?その短い独白と仕草で最強オンナの精一杯を汲んだ。
あっちの勝手な...そしてこっちの勝手な思い込み。
なんか力が抜けた…思い切り抜けた。なんか納得はいかないが、ながいながい間のわだかまりの様なものだけはその瞬間、その交わしたごく短い会話が魔法のキーだったかの如く嘘みたいにすうっ……と、オレンジから薄紫が辺りを包んだ'峠の駐車場'にとけて消えた様な気がした。
「なん?それ。バカみたい」
きっと捌け口のなかった菜々緒にとっての私も方法論こそ違え似た様な存在であった筈。なのに、同様に'あっちの勝手な……こっちの勝手な'で、忌避され続けたことそして幼少期の蟠りも、同様にだったろう。
'峠駐'。ここはそんな場所なのかな?
……
ひとしきり、少し幼い頃に戻った様に私達は話した。そして、ふ!っと一つ息を吐いて立ち上がった才子は紺色のスカートを翻し、菜々緒の聖マリアンヌのそれと比べれば幾分シンプルな白のセーラー服の上に羽織ったカーディガンの裾を風に靡かせ、大股で愛車に歩を向けた。
「……もう帰ろっか?」
爺ちゃんとやったのを思い出しながら森に手伝って貰いタルガトップを開く。
そして菜々緒のスパイダーも後方のリアフードを跳ね上げ固定、2分割のウェザープロテクター(後方)とサンシールド(屋根部分)と呼ばれるソフトトップを捲る様に外して行き丁寧に折り畳み決められたラゲッジスペースに格納する。
"畳み方が悪い!それじゃ入らない!"と向うっ側を持った森にさっきのお返しとばかりに叱責を浴びせやり直しさせたのもあって…スパイダーのそのオープン化工程は才子のタルガの優に3倍以上掛かってしまった。しかし現代の車では珍しく電動化されなかったこの方式の恩恵は軽量化に大きく貢献しているのは間違いない。
新旧2台の手動式の屋根取り外し式オープン・ポルシェは……
今度は才子が先導して山を下った(初心者だから相変わらずゆっくりと…)。秋の風はもう冷たかったが、しかし才子も新しい方のドライバーも寒さなど感じる事なく拙いながらも軽快にステアリングを操りオープンカーでしか味わえないこの開放的なドライブを髪を揺らせながら楽しんだ。そう、往路とは異なる、どこか繋がった幼馴染との心のランデブー。




