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凪の歌  作者: 仙葉康大
第二章
9/52

人でなし

 外へ出ると、夜が境内の隅々まで行き渡っていた。山の上の方から音が聞こえた。木の枝同士がこすれ合っているような音にも聞こえるし、獣の鳴き声にも聞こえるし、ただ風が吹いている音にも聞こえる。


「車はこっちだよ」


 彦おじさんがそう言っても、雛ばあは石段の方へ歩き続ける。


「おふくろ」

「誰があんたに送ってもらうって言ったんだい。私は、凪に送ってもらうんだよ」

「歩いていくのか。まあ、別にいいけど」


 彦おじさんが小走りでやって来る。


「来るんじゃないよ。何度も同じことを言わせるんじゃない。私は、凪に送ってもらうんだよ」

「無茶言うな。それじゃあ、おふくろを送り届けた凪は、一人で夜道を帰ることになる」


 慣れている道だから、大丈夫だとは思うけど、山道って何が起こるか分からないから、用心するにこしたことはない。


「だったら私、今日は雛ばあの家に泊まるよ」

「え? でも、明日も学校あるんだし、急に言われてもおふくろだって困るだろ?」

「待ってるから、支度しておいで」


 ダッシュで部屋に戻り、鞄に明日の時間割りを詰め込む。あ、さっき脱いだスカートもいる。あとはパジャマと、一応、桜水のDVDと。あと、何が必要? 今の私に欠けているものは?


 自信、とか。色々、盛りだくさん。

 ない物ねだりをしてもしようがないので、外へ出て、言った。


「雛ばあ、行こう」

「ん。行こうかね」


 一人お寺に取り残されて涙ぐむ彦おじさんに手を振ってから、前を向く。足元、今立っている場所の石段は見えるけど、十段先はもう見えない。夜のせいで、段と段の境が判別しづらい。


「手、握ってもいい?」

「ん」


 雛ばあの手を取って、歩調を合わせて降りて行く。一段飛ばしや二段飛ばしなんてできない。一段ずつ降りて行くしかないんだ。


 沈黙が続くから、風の音がやけに大きく聞こえる。まだ石段の終わりは見えない。闇が濃い。


「すまないね」


 雛ばあが呟いた。


「大丈夫だよ。これぐらいなんでもないし。石段降り切っても、家に着くまで手、つないで歩こう」

「違う。美咲のことだよ」


 お母さんのこと。


「どうして雛ばあが謝るの?」

「私はあの子の教育を誤った。バレエを教えるにしても、スパルタで上から押さえつけるばっかりで、甘やかしたり褒めてやったりしなかった。時々、思うんだよ。あの子が小さかった頃、一回でも二回でもいい、褒めてあげれば、もっとまともな子に育ったかもしれないって」


 確かに、娘の子育てを放棄した切り、一度も会いに来ず、今も消息不明のお母さんはまともじゃない。


「雛ばあは悪くないよ」

「悪いんだよっ」


 手を握る力を強めた。


「バレエを教えるべきじゃなかったんだよ。桜水なんかに行かせるべきじゃなかったんだよ。トップオブトップスター? 笑わせんじゃないよ。あの子の正体は、産まれたばかりの娘を置き去りにする、人でなしじゃないか」


 雛ばあの呼気が荒くなってきたので、いったん足を止める。


「なら私達、人でなしを産んだ母親と人でなしの産んだ娘だね。雛ばあと私で人でなしをサンドイッチだよ」

「凪。ジョークを言ってるつもりかい?」

「いや、そうじゃなくて、つまり」


 一歩踏み出して石段を降りる。一段上にいる雛ばあと目線の高さが同じになる。


「人でなしがいなかったら、私は今ここにいない。雛ばあとも会えてない。だからね、私、お母さんの、水野美咲の娘でよかった。よかったんだよ、きっと」


 雛ばあが目を見開いた。その一瞬の隙を見逃さず、私はたたみかける。


「ねえ、聞かせてよ。お母さんが私を置いて行った理由。一度も会いに来てくれない理由。私が産まれた理由。全部、聞かせて」


 私は雛ばあの前に仁王立ちになった。


「どうしても話したくないなら、いいよ。でも、私の為にとか、私を傷つけたくなくてとか言うのはなし。私を理由にしないで。雛ばあが話さないとしたら、それは、単純に、雛ばあが話したくないから話さないんだよ」


 ここまで追い詰めて駄目なら、諦めよう。でも、桜水受験は諦めない。絶対に。何があっても。


「やっぱり親子だね。今のあんたの目、美咲そっくりだよ」


 雛ばあの吐いた白息が闇に溶けて消える。


「十五年前、美咲は赤ん坊のあんたを抱いて、この島に帰って来た。いつ結婚したのか、父親の姿が見当たらないけどどこにいるのか、そんな私の疑問を無視して、開口一番あの子は言った。『この子を育ててほしいの』って。母一人で子育てをするのは大変だから、手伝いを頼んでいるのだと思ったよ。でも違った。あの子はすぐ港へ行って、島の外へ出る定期便に乗ろうとしていたんだよ」


 一呼吸、置いた。


「タラップを行くあの子の腕をつかんで、私は叫んだよ。『どこへ行くんだい?』って。あの子は笑って『島の外へ』と言った。もう一度私は叫んだ。『凪を置いて行くつもりかい?』って。あの子は言った。『悪いとは思ってる』と」

「ゆっくりでいいよ。雛ばあ。落ち着いて。ゆっくり」


 でも雛ばあは止まらない。体中を震わせながら、話し続ける。


「『娘を置き去りにしてまで行きたい場所なんかあるのかいっ』って言うと、『ある。私は、娘よりも自分のしたいことを優先する、クズだから』ってあの子は言った。気づいたら手が出てたね。頬を引っぱたいていた。それきり、あの子とは会ってない」


 お母さんの行きたかった場所ってどこだったんだろう? 桜水歌劇団ではなく別の場所?


「結局のところ、あの子は母親になれなかったんだよ。母親になる覚悟もないのに、あんたを産んだんだ。私が唯一あの子に感謝していることは、凪、あんたを産んでくれたこと、それだけだよ」


 そう言って、雛ばあは私の頭を撫でた。十五年前、お母さんの頬をぶった手で。


 石段を降り切って、両端を木々に囲まれた山道をくだっていく。木々に切り取られた空は狭くて、でも、冬の星が小さく輝いていた。


「お母さん、今頃どこで何してるんだろうね」


 歩いても歩いても答えは出なかった。

 

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