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凪の歌  作者: 仙葉康大
第二章
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覚悟

 雛ばあは頼れない。となると、やっぱり独学か。そんなことを考えながら、玉ねぎの皮を剥いていく。


「凪や」

「ひゃっ」


 いつの間に入って来たのか、後ろに雛ばあがいた。戸が開く音も足音もしなかった。


「びっくりした。どうしたの? あ、せっかく来たんだから、夕食食べて泊まってってよ」

「あんたに料理させて、達彦(たつひこ)はどこにいるんだい?」

「多分、本堂の方で仕事してるよ」

「あの馬鹿者が。凪、料理は私がやるから、あんたはあんたのすべきことをするんだね」


 雛ばあは私を手で追いやると、台所に立った。でも足場がないから、台に届かない。私はお風呂から椅子を持ってきてあげた。


「久しぶりに一緒に作らない?」

「あんたはあんたのすべきことをするんだね」


 雛ばあは同じことを言った。水分がなさそうな横顔で。


「ありがとう、雛ばあ。私、頑張ってみる」


 部屋に戻り、バレエの基本姿勢を練習する。やっぱり、できているのか、できていないのかも分からない。どうしよう。どうすれば。そんなことを考えている内に、夕食ができたと雛ばあが言いに来た。流し目で私のパラレルの姿勢を見ると、首を傾げて一階へ降りて行った。


 食卓には、肉じゃがとポテトサラダと納豆が並んでいた。今日はじゃがいもの日だ。


「達彦。あんた、いつまで凪に料理作らせる気だい? 受験生に家事やらせてんじゃないよ、まったく」


 彦おじさんが頭を押さえた。


「凪、すまん。負担になってたよな」

「いいの。料理や洗濯って、行き詰まってる時はいい気分転換になるから」

「いや、これからはなるべく僕がするよ。家族なんだから、協力できることは協力しないとな、お、ふ、く、ろ」


 彦おじさんが雛ばあを睨んでいる。笑顔で。


「何が言いたいんだい?」

「おふくろは当然、凪にバレエを教えてくれるんだよな?」


 雛ばあが目を閉じて、肉じゃがの汁で光っている糸こんにゃくを口に入れた。


「おい。やっぱり凪の頼みを断ってたんだな」

「彦おじさん、違うの。私は頼んだりしてなくて、その、自分で、独学でやれるかもって、それで」

「凪、おふくろに気を遣う必要なんてないんだ。おい、おふくろ。何とか言ったらどうなんだ? 黙っているのは卑怯だぞ」

「お黙りっ」


 雛ばあが目を見開いた。食器が震えたような気がした。そう錯覚させるほどの圧があった。


「だ、黙らないぞ。凪が頑張るって言ってるのに、協力しないのはおかしいだろ」

「おかしいもんかい。桜水音楽学校なんて行かない方がいいんだよ。他のどの学校へ行こうとかまいやしない。でも、桜水だけは反対だね。絶対駄目だ」

「どうしてだよ? 姉さんが桜水へ行ったからか?」

「達彦っ」


 雛ばあが箸を放って、両手を机に叩きつけた。今度は実際に食器が跳ね上がった。


「凪の前で美咲の話をするんじゃないよ」


 彦おじさんはかぶりを振った。


「違うんだよ、おふくろ。凪の前でこそ、姉さんの話をするべきだったんだ」

「いっちょまえにかっこつけてるんじゃないよ。ならあんたは、美咲がどういう理由で、凪を私達に預けて出て行ったかも、話せるっていうのかい?」


 彦おじさんの喉仏が上下する。私もつばを飲み込んでしまう。


「それは」

「そら見たことかい。覚悟もないのにかっこだけつけてんじゃないよ。いいかい。凪の前で美咲の話をするって言うんなら、あの子の輝かしい実績と人でなしの部分、その両方を話さなくちゃいけないんだ。どっちかだけ話し、凪が先入観や偏見を持ってしまったら、それこそ凪の為にならないじゃないか。もっとよく考えてからものを言うんだね、この、馬鹿息子がっ」


 彦おじさんは、まるで本当に叩かれでもしたかのように頭を下げた。

 私は茶碗を置いて、膝の上に手を重ねた。あごを上げ、目に力をこめて言う。


「覚悟なら、あるよ」

「凪。無理を言わないでおくれ。この馬鹿息子にも私にも、覚悟なんてないんだよ。だから、十五年間ずっと美咲の話題を避けてきた」

「違う。私が言ってるのは、私の覚悟」


 雛ばあの口が半開きのまま震えはじめた。


「どうしてお母さんが私を置いて行ったのか。どうして一度も私に会いに来てくれないのか。理由があるんだよね? 私、聞くよ。聞く覚悟が、私にはある」


 どんな残酷な理由でもいい。聞きたい。もうお母さんから逃げるのは、やめだ。桜水へ行くって決めたとき、私は、お母さんと向き合うって決めたから。


「雛ばあと彦おじさんが私を気遣ってくれているのは、分かってる。ありがたいとも思ってる。だから、二人が言いたくないのなら、無理にとは言わない。でも、お母さんに会ったら、どのみち訊いちゃうよ」


 雛ばあが咳き込む。私は傍へ行って背中をさすってあげる。


「会うって、どうやって会うつもりだい? あの子は、もう、この島には」

「雛ばあ。あのね、私、桜水音楽学校を受験して、合格して、入学して、それで、それでね、いつか、桜水のトップに立つ。立ちたい。トップ娘役として桜水の舞台に立てば、きっとお母さん見に来てくれる」

「あの子が見に来る保証なんてないだろうに」


 痛いとこ突くなあ。確かに、私が言っているのは、希望的観測ってやつだ。そもそも私がトップ娘役ってところから無理があり過ぎる。チビだし、バレエできないし。


 でも。


「見に来ないって保証もない」

「屁理屈だね」

「あはは。そうかも。でも、会えないなら会えないでいいんだ。お母さんの立っていた舞台に立って、桜水でしか歌えない歌を歌えれば、満足しちゃう気がする。いや、どうだろう。逆で、もっともっと歌いたいって思うかも。想像がつかないや。あ、ごめんなさい。私、舞い上がっちゃって」


 いつの間にか、早口になっていた。


「謝らなくていい」


 と言った切り、雛ばあは食事が終わるまで何もしゃべらなかった。肉じゃがを噛むあごの動きがどことなくぎこちなかった。


「大丈夫? 入れ歯の具合、悪かったりする?」

 と私が言っても、雛ばあは無視だ。やっぱり怒っているのかな。

「おふくろ、何か言えよな」


 これも無視だ。でも彦おじさんはめげなかった。彦おじさんだけしゃべり続けた。でも、雛ばあは一言も返さなかった。


「ごちそうさん。私は帰るから」

「泊まっていかないの? 外、もう真っ暗だよ。危ないよ」

「帰るから」

「あの、雛ばあ、怒ってる、よね?」


 雛ばあは、私の視線を(かわ)すように(きびす)を返し、戸に手をかけた。

 彦おじさんも靴を履く。


「ったく強情だな。凪、おふくろを送っていくから、留守番を頼む」

「要らん」

「七十の年寄りが何言ってるんだよ。変な意地張るんじゃない」

「凪」

「はい」


 急に名前を呼ばれたので、背筋が伸びた。って、私、いつも猫背なのかな。駄目だ駄目だ。桜水の舞台に立つなら、普段から姿勢は意識してないと。


「雛ばあ?」


 雛ばあは私に背を向けたまま、何も言ってはくれない。でも、小さくて丸い背中は何か言っているようだった。


「私が送ってこうか?」

「なら、頼もうかね」


 雛ばあが返事をする前から、私は動き出していた。だってきっと、雛ばあ、私に言いたいことがあるはずだ。夕食の間、ずっと考えていたことがあるはず。私は聞くよ。だって、聞く覚悟があるって言った。


「凪。上着」


 雛ばあに言われて、自分が防寒着を身に着けていないことに気がついた。十一月の夜に制服だけじゃ寒すぎる。部屋に戻り、スカートを綿のパンツに履き替えて、コートを羽織る。毛糸の手袋に指を通して、マフラーが必要か一考し、置いて行く。

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