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凪の歌  作者: 仙葉康大
最終章
51/52

はい

 二時間に及ぶ本番を終え、楽屋に戻っても、テンションはまるで下がらなかった。みんなと凛さんと今日の反省や感想を言い合う。


「まだまだ問題はあるが、お前ら、よくやった」


 凛さんが話し終えたちょうどそのとき、ノックの音がした。楽屋の扉が開いて、女の人が入って来た。季節はもう秋なのに、かつ、室内なのにサングラスをかけている。モッズコートを着ていて、凛さんと同じぐらい背が高い。桜水のOGの方かな? 片手に、自由の女神がプリントされた紙袋を提げている。


「凛、相変わらずね。これ、お土産」

「ッ」


 凛さんの様子がおかしい。瞳が震えている。


「どうして、あなたが?」

「別に。たまたま帰国してた時に、たまたま海星組とか言う聞いたこともない組の公演があって、たまたまチケットが手に入ったから、来てみただけよ。ねえ、お土産、さっさと受け取ってくれない? 私、すぐ帰るつもりだから」


 帰国してた? 自由の女神がある国アメリカから? まさか。


「たまたまなわけがない。あなたは、わざわざ公演の日程を調べて、わざわざチケットを取って、わざわざ帰国して、海星組の初公演を、いや、凪の初舞台を観に来たんだ。そうでしょう? 那美さんっ」


 青架那美、つまり水野美咲、つまり、私のお母さんがそこにいた。


「え?」


 海星組のみんなは一瞬呆けて、でも、すぐ表情を引き締めて、私の傍に来てくれた。私は、ありがとうも言えない。自分を捨てて行ったお母さんが目の前にいると思うと、体が委縮してしまって、声が出ない。


 凛さんがお母さんの腕をつかむ。


「すぐ帰るなんて言わないで、凪と話してやってください」

「どうして私が?」

「あんた、凪の母親だろうが」と果矢。

「せや。何か言うことあるんやないですか?」

「少なくとも、すぐ帰るという選択肢はあり得ません」

「凪ちゃんだって言いたいことがあるはずよ」

「ああ。あなたは凪と話をする義務がある」


 お母さんがため息と共に、紙袋を床に落とす。


「ねえ、凛。この子たち、誰に向かって口を利いているのか、分かってないみたいよ」

「分かってないのはあなたの方だ。何でもいいんです。凪に何か言ってやってください。何も言わないで帰るのだけは、やめてください」

「分かった分かった分かったから、うるさくしないでよ。何か言えばいいんでしょ。じゃ、今日の歌劇の感想でも言うわ。まず、ゴルディアス役の子」


 怜夏を指さして、お母さんは続けた。


「ダンスと歌は及第点以上だけど、芝居が下手くそ。セリフだけが芝居じゃないの。もっと目線や息遣いや仕草で芝居しなさい」


 怜夏が返事をする。


「私のことはいいですから、凪に――」

「次、バッカス役の子。芝居はかなりいいけど、歌と踊りが可もなく不可もなくで面白くない。要練習」

「せやからウチらじゃ――」

「ちゃんと後で言うから、黙って聴いてよ。ほんと、あんたら、何なの。フー。気を取り直して、次、ベリオット役の子。上手いけど、トップスターとしては微妙。何が足りないか、自分で考えること。それが財産になるから」


 澪先輩がうなずいた。


「エリーゼ役の子。あんたも上手。でも、トップ娘役の役割は、自分が気持ちよく歌うことじゃない。トップスターを輝かせることなの。それが分かってない」

「むー。もっと精進しなきゃっ。頑張るぞっ」


 お母さんの言っていることは、今のところ、全部正しい。


「ソル役の子」


 果矢があごを上げる。


「何だよ?」

「生意気ね。の割りに、実力が伴ってない。もう少し歌、何とかならない? ダンスだけ上手くてもトップには立てないよ。今のままだと半人前で終わる。今日の舞台を見た限りだと、あなたが一番体力ありそうだったから、毎日ぶっ倒れるまで練習すること。甘えは許さない。だってあなたは――」


 お母さんが言葉を切った。


「ううん。何でもない。危ない。余計なこと言いそうになった」

「余計なことじゃねえ。『だってあなたは凪のパートナーだから』だろ? そうだ。私が凪のパートナーだ。何か文句あんのか?」

「ノーコメント。で、最後、ルナ役の子」


 ついに来た。私の番だ。


「おい。私らを役名で呼ぶのはいいよ。でもな、凪に対してルナ役の子はねえだろうが。なあ、元トップオブトップスターさんよお」

「ルナ役の子」

「てめえ」


 お母さんに殴りかかろうとする果矢を、みんなで止める。私は後ろから抱きついて言った。


「果矢。いいから。私は大丈夫だから」


 でも、ほんとは全然大丈夫じゃなかった。お母さんにとって私は、ルナ役の子でしかないんだ。


「まず姉に起こされるシーン。あそこはもっとセリフをためること。寝ぼけてるんだから、頭は回ってないはずだよ」

「はい」お母さん、訊きたいことがいっぱいあるよ。


「泣き叫ぶときは、ただ暴れたらいいってわけじゃない。手の動き、足の動き、色々と試してどの動きが効果的か、研究した方がいいね」

「はい」どうして一度も会いに来てくれなかったの?


「ルナは幼いだけじゃない。賢さも見せないといけない。セリフの言い方一つで登場人物の印象は変わるから、注意しなさい」

「はい」私、お母さんが主役やってた歌劇見たんだよ。DVDでだけどね。今なら、あれがどれぐらいすごいか、分かるよ。


「乱闘のシーンは、もっと早く動いて。あなたは逃げるだけなんだから、スピードで目を引かないと」

「はい」ねえ、青架島のことを懐かしく思うことってある? どうして芸名の苗字を青架にしたの?


「踊りがなってない。筋力がついてないから、動きが不安定で危なっかしい」

「はい」お母さんも昔、桜水音楽学校を受験したんだよね。合格発表のとき、泣いた?


「誓いのキスのシーン、どんなアドリブがあったのか知らないけど、絶対驚きを顔に出さないこと。あなた、少し出てた」

「はい」アメリカで生活してるってことは、もしかしてお母さん英語ペラペラ?


「歌は、まあ、いいんじゃない」

「はい」私の歌、ダメだよ。まだ上がある。もっと上手くなれるはず。


「ねえ、はいはいはいって、他になんか、ないの? 言いたいこととか」


 ある。たくさんあるよ。私がどんなふうに生きてきたのか、知ってほしいし、お母さんがどこで何をしてたか、知りたいよ。でも、いざ、お母さんを目の前にすると、何も言えない。「はい」って返事をするのだって、しんどかった。


「まあ、ないか。今さら、だもんね。じゃ、バイバイ」


 お母さんは、凛さんの腕を叩きつつけるようにしてふりほどくと、走って楽屋の外へ出て行き、ドアを閉めてしまった。


「くそっ。凪、追いかけるぞ。来い」


 叫びながら、凛さんが出て行った。私はうつむいて、首を横にふる。


「行くぞ、バカ」


 果矢が手を引っ張ってきても、足に力を入れて抵抗する。


「行かない」

「ハア? なんでそうなるんだよ?」

「行ってもしょうがないよ」

「だからなんで?」


 じれったそうに、早口で訊いてくる。


「だってお母さん、私のこと、ルナ役の子って言った」

「お前、やっぱり気にしてたんじゃねえか。なんでさっき私に殴らせなかった?」

「そんなことしたら、大問題になる」

「お前が今行かないで、一生後悔する方がよっぽど大問題だろが。行くぞ」


 私は少しずつ楽屋の出口へと引きずられていく。


「行きたくない。もういいの」


 お母さんが凛さんにしたように、腕を力任せに振って、果矢の手を振り払う。


「あの人にとって私は娘じゃないんだよ。だってお母さん、一度も凪って呼んでくれなかったっ」

「馬鹿野郎っ。お前だって一度もお母さんって言ってねーだろがっ」


 空白が頭の中に広がった。


 言われて、今、気づいた。そうだ。私の方もお母さんをお母さん扱いしてなかった。「はい」って、たったの二音しか発音せず、会話を終わらせたのは、私だ。


「ごめん、私、行かなきゃ」


 楽屋を飛び出して、通路を劇場ロビーの方へ走っていく。スタッフさんとぶつかりそうになりながらも、右に左にかわしながら進む。


「鈍足」

「え?」


 後ろから追いかけて来た果矢が、私を追い抜いた。


「ほら」


 差し出された手を、私は握り締める。


「お願いっ」

「任せろ」


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