デュエットダンス
歌劇は、ベリオットが屋敷に忍び込み、エリーゼに一目ぼれするシーンから始まった。舞台では、ベッドや本棚といった家具に囲まれて、澪先輩と樹理先輩がセリフを言っている。客席を見るタイミングや目をつむる秒数など、細かいところまで計算した芝居だ。客席からはそれが計算には見えていないだろう。だから二人は、トップなんだ。
舞台が暗転した。
私の出番だ。下手から真っ暗な舞台へと出て行った。ベッドの中に入り、眠る。本当に眠るつもりで眠る。今から私は、エリーゼの妹ルナだ。
スポットライトのついた気配がした。
「ルナ。起きて。ルナったら」
「死んでるんじゃないか?」
「馬鹿言わないで。あなた、デリカシーの欠けらもないのね」
「海賊にデリカシーを求めるなよ。まったく」
「ううん?」
私は小さく呻きながら、寝返りを打つ。
「ルナ。私のかわいいルナ、起きてちょうだい」
「ううん? あ、お姉様が夢に出てきたわ。やった。私、トランプがしたいわ。ね、いいでしょ? ポーカーがしたいの。またお姉様を負かして、お金をぶんどりたいの」
「ルナ。夢じゃないのよ。あとお金をかけたポーカーをしたことは、内緒にしてとあれほど言ったじゃない」
「エリーゼ。お前はこんな小さな妹に賭け事を教えたのか? 悪魔だ。お前こそ俺の嫁にふさわしい」
私は澪先輩をにらみつけ、樹理先輩の着ている青いドレスの裾をつかむ。
「誰? この人?」
「この人は悪いお兄さんよ。海賊なの。私を連れ去るって言って聞かないの」
「お姉さま、いなくなっちゃうの?」
首を傾げてみせる。
「ええ。だから、さよならを言いに来たの」
「ほんとうに? 嘘じゃないの?」
「私だって嘘であってほしいわ。でも、嘘じゃない。いい? ルナ。別れはいつも突然やって来るの。だからあなたは、後悔しないよう今を大切に生きるのよ」
「やだ。やだよ」
「もういいだろ。行くぞ。来い」
澪先輩が樹理先輩の腕をつかみ、上手の方へ引っ張っていく。樹理先輩のドレスの裾をつかんでいた私は、引きずられながら、泣き叫ぶ。
すぐ澪先輩が私の口に手を当てた。それでも声が体外へ漏れてしまうぐらい声帯を震わせる。涙だって出す。
「静かにしろ」
私は首を横にも縦にも斜めにも振る。手足も動かして物音を立てる。
「くそっ。おい、こいつはどうすれば静かになる?」
「私を連れて行かないってのはどうかしら? ルナは私と離れ離れになるのが嫌で泣いてるんだから」
「いいだろう。このくそガキも一緒に連れて行く。これで何も問題はないな?」
「問題大ありよ。ルナを巻き込まないで」
私は暴れるのをやめて、立ち上がる。澪先輩と樹理先輩の手を引いて上手へ向かう。
「ちょっとルナ」
「お姉様、私、海賊の人ともポーカーしてみたかったの」
舞台袖へ引っ込み、息を吐く。やっぱり本番は、体にかかる重力がまるで違う。呼吸を整えている間に、大道具の入れ替えが済んだ。
舞台が明るくなってから、私達三人は小走りで出て行く。舞台中央にそびえ立つマストには、帆が張られていて、波の音がBGMで流れている。海賊船の乗組員たちは、ロープを引っ張ったり海図を広げたりと、それぞれ作業している。その内の一人が私達に気づく。
「みんなー、船長が戻ったぞ。ん? 船長、その二人は?」
「ついでにさらってきた。手は出すな。俺の嫁だ」
澪先輩が樹理先輩を手で示す。
果矢が下手から出て来るのが見えた。瞬間、私は澪先輩の方を向いて、下手側へ背を向けた。
「で、こっちのちっこいのが、妹の、何だっけ?」
澪先輩の問い。ちょうどぶつかる直前のタイミングで、私は答える。
「ルナ」
「どけ」
後ろからいきなり突き飛ばされてつんのめった私を、樹理先輩が抱きとめる。
「船長に報告。敵船二隻、接近中」
「貸せ」
澪先輩が果矢から望遠鏡を奪い取って、客席を見渡す。その間に私は果矢の方へ行き、顔を近づけて睨みつける。セリフはない。舞台の前の方で澪先輩と樹理先輩がしゃべっているから。私と果矢は、主役でもなければ、メインヒロインでもない。だから、こんなふうに一歩引いて、芝居をしなくてはならない場面が多々ある。でも、気持ちの上では一歩も引かない。引いちゃいけない。
「バッカスとゴルディアスか。奴らとやり合うのは面倒だな。総員、持ち場につけ。全速で逃げる」
乗組員の動きが二倍速になる。私は果矢の腕をつかんで、持ち場へつかせないようにする。
「ダメです。もう追いつかれます」
舞台の両端、部分的にくりぬかれている床面から、怜夏と熱美が上がって来た。舞台袖からの登場ではなく、舞台下からの登場だ。
熱美がキャプテンハットを指で回しながら、言った。
「やあやあベリオット。お使いご苦労。さ、『永遠の指輪』を渡してもらおう。まさか嫌だとは言わないよな?」
「バッカスは何を言ってるのかしら。『永遠の指輪』は私のものよ。あなたたちみたいな野蛮な男には、そぐわない代物だって分からない? 海賊一美しい私にこそ、ふさわしい」
怜夏が髪を手で梳きながら、澪先輩たちとの距離をつめる。反対側からは熱美も迫っている。
澪先輩が舞台上にいる誰よりも前に出た。熱美と怜夏を見やり、最後は客席に向かって歯を見せて笑う。
「どうやら、死にたいらしい」
本番前、楽屋で起こした乱闘騒ぎ。あれの続きが始まった。
舞台袖から五人ずつ、バッカスとゴルディアス・クインの手下が現れる。私は果矢と一緒に、舞台を走って逃げ回る。樹理先輩を守りながら剣をふるう澪先輩の脇をすり抜け、熱美の前で急ブレーキをかけ、方向転換し、怜夏の背後から様子をうかがう。剣と剣がぶつかり合う音、銃声悲鳴笑い声。舞台の上は音であふれている。
樹理先輩が口を開く。
「アーーー」
最初の四小節はソロだ。五小節目から澪先輩が歌いだし、その後は次々と役者が声を重ねて行く。剣を振る動きが歌のリズムと同調していく。敵を倒すための攻撃が舞へと変わる瞬間が来たのだ。敵、味方、入り乱れて踊る。
熱美が冷夏へ手を差し出した。
「ゴルディアス・クイン、どうだろうか?」
「確かに、このまま戦っていても埒が明かないようね」
怜夏は熱美の手を握り、曲が終わる前に舞台袖へとはけて行った。舞台に残っている者は、雄叫びを上げる。
「酒樽を開けろ。今夜は宴だ」
宴のシーンも、歌い踊る。しかし、戦闘のときと比べたら曲は弾むようで、踊りも軽やかなステップを踏むものが多い。果矢がタップダンスを披露し、私もお客様も笑顔で拍手する。
一人また一人と舞台袖へ消えて行く。
残ったトップの二人は、愛を囁き合う。舞台を広く使って、ゆっくりとしたテンポで、波に揺られるように踊る。デュエットダンスだ。樹理先輩が曲に合わせてハミングし始めた。少し遅れて、澪先輩も苦笑してハミングする。
私、果矢、怜夏、熱美は舞台袖から、海星組のトップスターとトップ娘役のデュエットダンスを見つめていた。
入学式がもう懐かしい。あのとき怜夏は、トップに立つと言った。果矢も言った。私だって熱美だって言った。
私達はまだトップになんて立てない。実力がない。何もかも足りていない。でも、この気持ちは変わらない。いつか、トップに立つ。




