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凪の歌  作者: 仙葉康大
第五章
44/52

「グループ名『C組のみんなー、見てるー? 樹理ちゃん、頑張っちゃうぞー』。演目『ロミオとジュリエット』」


 樹理先輩が考えたであろうグループ名に果矢が舌打ちした。私と怜夏はまた吐いたら大変なので、ナイロン袋を用意して観劇に臨む。熱美は自然体だ。いつもそう。


 ステージに澪先輩が出てきた。一人でしゃべり始める。ロミオのセリフだ。でも、違和感がある。ロミオが誰かと話している? 何だ? 気配がする。気配だけじゃない。何か見えてきた。


「嘘やん。ベンヴォーリオがおる」


 熱美が瞳を震わせながら呟いた。こんなに動揺した熱美、初めて見る。


 ステージへ視線を向けると、確かに澪先輩の他に男がいた。他の上級生? でも黒い衣装を着ている。劇コンは、衣装の着用を認めていない。なら、先輩たちは失格? 違う。誰も動かない。


「恋か?」

「いや恋の――」

「かなわぬ嘆きだな?」


 二人は会話を続けている。ん? おかしい。澪先輩も衣装になっている。制服をいつ脱いだの? 違う。脱いでない。これはあくまで劇なんだってことを思い出してから、ステージを見ると、ちゃんと制服を着ているし、澪先輩以外の役者なんていない。でも澪先輩がセリフを言うと、また男が現れるし、制服が衣装になる。芝居の力だ。突然登場したあの男も、澪先輩が話しかけているから、存在しているのだ。異国の建物で囲まれた広場まで見えてきた。


 パントマイムを見ているみたいだ。本当はないのに、澪先輩があると信じ込んでいるから、私にも見える。聞こえるはずのないセリフまでも聞こえる。


 場面が変わって、樹理先輩も同じことをした。梅干しみたいな顔の乳母や、やや太り気味のキャピュレット夫人がステージにいる。いや、もうステージじゃない。ジュリエットの部屋だ。棚には品のいい小物がたくさん置いてある。でも実際は、樹理先輩がセリフをしゃべっているだけなのだ。


 仮装舞踏会のシーンが来た。澪先輩が樹理先輩にダンスを申し込んで、踊り始める。社交ダンスのワルツだ。入試で踊ったから、簡単なダンスじゃないことは知っている。


 ターンが決まるたびに、手が勝手に動いて拍手していた。私だけじゃない。みんな、拍手している。泣いている人もいる。失神して運ばれていく人もいた。


 澪先輩の足が一歩動くだけで、私は気持ちよくなる。澪先輩のダンスがもっと見たい。無駄な動きが一切ないのに、窮屈じゃない。自由だ。練習した踊りではなく、今踊りたい踊りを踊っているだけだよ、って雰囲気が伝わって来る。


 澪先輩のリードについていける樹理先輩もすごい。あの人、歌だけじゃないんだ。芝居も踊りも私より上だ。


 ダンスの余韻に浸っていると、すぐ、有名なシーンになった。

 二階のバルコニーへ出てきたジュリエットが、ロミオを見下ろして言った。


「ああ、ロミオ様、ロミオ様。なぜロミオ様でいらっしゃいますの、あなたは」


 曲が流れ始めた。セリフから流れるように歌へ入った。樹理先輩のソロだ。


 私は泣いていた。声の伸び、透明感、音楽記号の表現、歌詞の理解。すべて私の負けだ。技術だけじゃない。樹理先輩の歌は感情を伝える。ジュリエットがどんな気持ちであそこに立っているのか、分かってしまう。共感してしまう。ジュリエットは私だ。聞いている人にそんな錯覚を引き起こす。


 完敗だ。

 私が自分の無力を恥じている内に、劇は進み、ロミオとジュリエットは死んでしまった。

 幕が下りていく。今日一番の大きな拍手とともに。私の、鼻をすする音とともに。


=========================================================================================


 校内歌劇コンクールは、百票中九十八票を集めた、澪先輩と樹理先輩の優勝で幕を閉じた。C組は二票入っての二位だった。

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