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凪の歌  作者: 仙葉康大
第四章
35/52

イメージ

 西園寺さんは公園の東口にいた。


「調子どう? 西園寺さん」

「まあまあといったところです」

「へえ。そうなんだ。じゃ、私も手伝うから一気に終わら――」


 私は絶句した。

 段ボール箱の中身はまるで減っていなかった。


「な、何個ぐらい配った?」

「強いて言うなら、零個です」

「熱美からコツ、教わったりしてない?」

「コツ? いいえ」


 あれれ。熱美、なんで怜夏にだけコツを教えなかったのかな? 熱美の意味深なウインクを思い出す。つまり、私と西園寺さんが仲良くなるきっかけを作ってくれたってことかな? 考え過ぎ?


「あのね」


 私は熱美がしたように実践しながら、コツを怜夏に伝えた。


「なるほど。やってみます」


 すぐには上手くいかなかったけど、二人目で上手くいった。


「初めて受け取ってもらえました」

「よかったね。どんどん配っていこう」


 休まず配り続けて、やっと残り半分ぐらいになったとき、時刻は十九時を過ぎていた。公園のそこかしこに設置してある垂直棒の先には、すでに明かりが灯っている。駅が近いので、夜になっても人の通りは絶えない。ライトアップされた噴水の前で恋人と写真を撮っている人もいれば、アコースティックギターの弾き語りを始める人もいる。


 ポケットティッシュはまだたくさん残ってる。果矢、熱美、早く来て。


「もういいです」


 突然、西園寺さんが言った。


「え?」

「あとは私がやっておきますから、あなたは寮に帰ってください」

「いや、最後まで手伝うよ」

「けっこうです。さようなら」


 一方的なさようならなんて聞きたくなかった。たとえそれが、私へ迷惑をかけまいとしての発言であっても。


「帰らないよ」

「元々これは私の分です。ならば、私が配るのは当然のこと。どうぞおかえりください」

「私の分とか言ってるけど、違うから。段ボール箱四箱全部合わせて、私達の分なんだよ。だから、西園寺さんを一人置いて帰るなんてあり得ない」

「ですが、まだこんなにあります。遅くなりますよ」

「とにかく、あと何時間かかろうと一緒に配るから」


 少なく見積もっても、あと一時間はかかりそうだ。一個ずつ配ってたら、どうしてもそれぐらいかかる。かといって、一人に十個とか渡しても、宣伝の効果が薄まるし。何かいい方法はないかな?


 策を考えていると、バイブレーション音がした。

 怜夏がポケットから携帯を取り出して耳に当てた。


「はい。あと半分ぐらいです。ええ。ええ。分かりました。言ってみます」


 通話を切って、私を見る。


「熱美が、もう帰りたいから歌を歌えって言ってきました」

「歌って人を集めろってことかな?」

「おそらく」


 弾き語りで人を集めるのと同じ要領か。


「でも、もう帰りたいって電話があったってことは、果矢と熱美の方はもう終わったんだよね? 二人はこっち来ないの?」

「来ないそうです」

「もしかしてもう帰ったとか?」

「いえ。そういうわけでもなさそうです」

「んん? どういうことなんだろう?」


 タイミングよく電話が鳴ったのも気になる。もしかしてどっかで見てるんじゃ?


「ま、いいや。何、歌おうか?」

「? あなたも歌うのですか?」

「え? 一人で歌う気?」


 西園寺さんがうなずく。


「でも、歌いたいのなら、歌ってもらってもかまいませんよ。あなたが歌おうと歌わまいと、関係ありませんから。私はこれまでもこれからも気持ちの上では一人で歌いますし、一人で踊ります」

「熱美とも歌ったり踊ったりしないの?」

「あ」


 口に手を当てた。西園寺さんって天然さんなのかな。


「熱美だけは例外です。熱美は歌も踊りも下手くそです。でも、なぜか、熱美と歌ったり踊ったりすると、胸が温かくなります。だから、好きです。とても」


 言ってから、西園寺さんの顔が真っ赤になった。


「私、何を言っているのでしょうか。あなた、誘導尋問をするなんて卑怯です」

「した覚えはないんだけど」


 なんか私まで頬が熱くなってきた。顔を手で仰いで言う。


「西園寺さんさえよければ、校歌、歌ってみるってのは、どうかな?」

「私は何でもかまいません。好きな歌も嫌いな歌もありませんから」


 伴奏がないので、目を見てブレスを合わせようとしたけど、西園寺さんは私の方を見てくれない。


「えっと」

「いつでも歌えますから、あなたのタイミングで始めてくれてかまいません」

「じゃあ、1、2」


 3、4で校歌の出だしの音が公園中に響き渡った。


 西園寺さんの声は私よりも凛としている。切れ味がある。楽譜上の音楽記号をすべてもれなく表現するだけの技術もある。主席合格は伊達(だて)じゃない。


 さて、分析は終わりだ。ここからは私も全力で歌う。

 イメージする。春の淡い光の中、桜の木の枝がそよ風に揺れている。

 西園寺さんが目を閉じた。


 私の桜が寒桜に変わった。入学式の時と同じだ。やっぱり、西園寺さんのイメージは寒桜なんだね。お互いのイメージを塗り替えては塗り替えられて、歌がまとまらない。


 私が折れて、西園寺さんに合わせる? 冗談じゃない。そんなものは、デュエットじゃない。


 私は思い切って、昼ではなく夜をイメージしてみる。西園寺さんのイメージしている冷たい空気も自分のイメージに組み込む。まだまだ。ぼんぼりの灯が映っている川面に桜の花びらが着地する。波紋が同心円状に広がっていく。


 西園寺さんが目を開けた。次の瞬間、イメージがなだれこんできた。


 への字に弧を描いた橋だ。朱色の欄干(らんかん)に手をついて、着物姿の西園寺さんが川面を見つめている。冷たい風が吹いた。夜桜の花弁が、西園寺さんの首筋や頬をかすって川へ降りそそぐ。


 西園寺さんのイメージを受けて、要素はそろったような気がした。でも、校歌から離れすぎたきらいがあるので修正する。


 橋を桜水大橋に、西園寺さんの着物を音楽学校の制服にする。このイメージなら校歌に合っている。


 イメージの中に私も登場して、西園寺さんの隣に立つ。校歌は一人で歌うものじゃないから。何より、私が、西園寺さんと歌いたいから。


「西園寺さん、一緒に歌おう」


 現実の西園寺さんもイメージの中の西園寺さんも、一瞬目を見開いて、それから、微笑した。


 私達が声を重ねると、空が白み始めた。日の出だ。夜桜が朝桜に変わっていく。これが私達のデュエットだ。朝の冷気と日光の温かさが溶け合っていた。


 拍手が爆発した瞬間、私はイメージの世界から現実の夜の公園へ引き戻された。目の前には人が何十人、もしかしたら百人近く、集まっていた。甲高い口笛、宙を舞う小銭、賞賛の言葉。


 私と西園寺さんは顔を見合わせる。いつの間にこんなに? そうだ。ティッシュ、配らないと。


「あの、私達」

「桜水音楽学校でーす。ティッシュ。一人一個ありまーす。もらてってくださーい。どうぞどうぞどうぞ」


 集まってくれた人達の中から熱美が出てきて、高らかに声を上げた。やっぱり隠れて見てたんだ。


 果矢もいた。人と人の間を走り抜けながら、ティッシュを配り回ってる。このチャンスを逃す手はないので、私と西園寺さんも配りまくる。


 頑張って。応援してる。すごいね。うまかった。そういった言葉をいただけた。歌ってよかった。

 もう一つよかったことがある。

 翌朝、C組教室にて。


「おはよう、怜夏」

「おはようございます、凪」


 同じ目標を持つライバルができたこと。


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