入学式事変
体育館のステージ袖から出てきた上級生が、グランドピアノの前に座った。
「校歌斉唱」
伴奏が始まった。鍵盤を弾く動きに合わせて、伴奏者の、亜麻色の長い髪が揺れている。私の記憶が正しければ、あの人が樹理先輩だ。遠目でも分かるぐらい肌が白い。って見とれてる場合じゃない。ブレス。
声を体育館に響かせる。周りの新入生も、後方にいる上級生もみんなうまいや。流石、桜水音楽学校だ。音程の狂いはないし、声量も申し分なし。
うーん。でも、なんか違う。イメージが湧いてこない。景色が開けない。
私は校歌について考える。歌詞によく桜が出て来る。あと、歌詞には出てこないけど、未来とか光とかを感じる。以上を踏まえてイメージする。桜の花びらが陽の光を浴びている。私は黒い幹に背中を預けて、空を見上げているんだ。頬に触れる春の空気が、柔らかい。温かい。
冷たい。
「ひっ」
何?
冷たい空気が私のイメージへ入って来た。桜が寒桜に変わる。花びらが刃のように鋭い。きれい。でも、やっぱり冷たいよ。
私は周りの声も巻き込んで、自分のイメージを再構築しながら、私のイメージを上書きした生徒を探す。目で探すんじゃない。耳で探す。
いた。最前列の真ん中にいるあの子だ。金髪ですごい目立ってる。しかもただの金髪じゃない。ドリルみたいな縦ロールだ。
校歌の一番は前哨戦に過ぎなかった。二番になって、私と金髪の子の戦いは激化する。お互いのイメージが相殺し合って、季節感のない桜がぽつねんと産まれた。
三番に入る瞬間、ステージの上から息を吸う音が聞こえた。まさか。聞こえるはずがないと思ったけど、確かに聞こえたんだ。
伴奏者の樹理先輩が口を開いた瞬間、私と金髪の子のイメージは砕け散った。春の野原が果てしなく広がっていく。ちょうちょ、白詰草、誰かの白い日傘。湖まである。湖は透明度が高く、底にはガレオン船が沈んでいる。そばに宝箱もある。開いていて、中の金貨が日光を反射してきらめいている。
校歌は終わっていた。
ステージの上の樹理先輩がお辞儀している。去り際、私の方を見た。気がしたんだけど、気のせいかも。
「つづいて新入生あいさつ。新入生代表、西園寺怜夏」
「はい」
立ち上がったのは、金髪縦ロールの子だった。あの子、主席合格だったんだ。通りで歌が上手いはずだ。でも、私と西園寺さんのイメージをまとめて潰した樹理先輩は、もっと上だ。
ステージに上がった西園寺さんは、あいさつの言葉が書かれた紙を広げ、破った。
え?
「トップに立つのはこの私です。以上をもって、新入生あいさつとさせていただきます」
体育館内のざわつきが膨れ上がっていく。
「なめた真似しやがって」
私の隣に座っていた果矢が立ち上がった。
「なっ。どこ行く気?」
「宣戦布告されて黙ってるほど、大人じゃねえんだよ」
私は果矢の腕をつかんで後ろへ引っ張ったが、果矢は止まらない。ステージへ上がり、西園寺さんの真ん前に立つ。新入生か上級生か保護者か教師か、誰の声かは定かでないが、金切り声と叫び声と歓声が入り乱れている。
「お、降りよう。これ以上ここにいたら、上級生に殺されちゃうから、ねえ、果矢」
廊下を走っただけであんな剣幕だったのに、入学式をぶち壊したとなると、当然、待っているのは死である。
「いーや、ダメだ。さっきの新入生あいさつには重大な間違いがあった」
「何ですか? ぜひ教えていただきたいものです」
果矢が壇上のマイクを奪い取って言う。
「トップに立つのは、私たちだ」
「たち?」
「ああ。トップスターが私で、トップ娘役が凪。そうだろ?」
果矢が私を見る。こういうとき、果矢の瞳は光をよく通す。
「えっと」
「はっきりしろよ。まさか今さら、トップには立てませんって泣いて逃げ帰るか? お前、私以外には基本、臆病だもんな」
「そんなこと言ってないでしょ。トップ、立つよ。二人で。私と果矢で」
「そりゃないやろ」
そう言って、壇上に上がって来た生徒は、明るい茶髪のポニテールを弾ませながら、西園寺さんの後ろへ回った。
「二対一は卑怯や。ウチも参戦するで。あ、ウチ、安西熱美いうんやけど、受験のときな、怜夏と組ませてもろて、まあ、大変やった。何しろ怜夏、頑固な性格しとってなー」
関西弁をまくしたてる安西さんは、肌が褐色だ。まるで日焼けしてるみたい。
「熱美、今あなたが言うべきことは、そんなことではないはずです」
「え? 何何? あ、せやった。コホン。トップに立つのは、この私です。以上をもって――」
「私の真似はやめてください」
西園寺さんが注意する。でも、頬が染まっている。
それにしても安西さん、上手かった。声だけじゃなく雰囲気まで似てて、西園寺さんが二人いると錯覚しそうになるほどだった。
「二体一は卑怯なのでしょう? なら、ちゃんと二対二にしてください」
西園寺さんが安西さんの制服のそでを引っ張った。
「ボケてる場合やなかったな。お二人さん、悪いけど、トップに立つのはウチらや。冷夏がトップ娘役で、ウチがトップスター。これは鉄板や」
「るせー。口だけなら何とでも言えるんだよ」
「そのセリフ、そっくりそのままあなたへお返しします」
「おめーもだろが」
私は両手で顔を覆った。もう嫌だ。帰りたい。
「そこまでだ。四人ともステージを降りろ」
たった一言で体育館の喧騒が静まった。普通ならあり得ない。マイクを手にしていたのが凛さんだったから、できた。だって、もっと凛さんの声を聴きたい。私だけじゃない。みんなそう思ってるはず。
「皆さま、お騒がせしました。今年の新入生は問題児が多いようです。我々が責任をもって教育いたしますので、どうかお許しください」
頭を下げた後、マイクを司会進行の人へ返した。
入学式の最後は新入生退場の予定だったが、行われず、代わりに保護者退場が行われた。この後起きる光景を保護者へ見せるべきではない、と判断したのだろう。正しい。




