うらやましい
タクシーの中は、ラジオも音楽もかかっていなかった。
果矢は車窓を眺めている。
「今日の入学説明会で話してたこと、今、話そうか?」
「いい」
「じゃあ何話す? そう言えば、果矢って四月からどうするの? 実家から通うの? それとも寮?」
「別に」
「別にって答えになってないと思うんだけど」
返事がない。
「私と会話する気ある?」
また返事なし。
もういい。私は体ごと車窓の方を向く。人工的な明かりばかりの、夜の街が広がっていた。
きらびやかな桜水デパートの前を通り過ぎてからは、通りのお店の数も減っていき、外も車内も暗くなった。
手に体温を感じた。
「今日は、ありがと」
果矢が車窓に顔を向けたまま、私の手を握っていた。
「別に」
私は仕返しのつもりで答えた。
「お前が来てくれなかったら、あのババア、ほんとに入学認めてくれなかったかも」
「そんなことないと思うよ」
「言っとくけど、あのババア、私との喧嘩で折れたの、今日が初めてだからな」
私は笑ってしまう。ほんとかな。
「何笑ってんだよ」
「ごめんごめん。でも、正直ちょっと、うらやましい。親子喧嘩できるなんて、贅沢だよ」
果矢が振り向く。目の縁も唇も歪んでいる。
「凪、お前」
「ごめん。今の忘れて」
「親子喧嘩したことないのか?」
「というか、えと、お母さんに会ったことなくて」
果矢はあごを引き、足元を見つめた後、私を傍へ引き寄せた。そのまま何も訊かずに、ずっと手を握っていてくれた。




