三者面談
「暴力はダメでしょう。何考えてるの?」
消耗し切った果矢のお母さんをソファに寝かせて、私は果矢を叱っていた。
「仕方ねーだろ。こいつ、入学を認めねーとか言い出しやがったんだから」
机には手書きの誓約書が置いてあった。汚い字で、「宗谷果純は今後一切、宗谷果矢の進路に関し、口出ししないことを誓う」と書いてある。
「こんな誓約書なんの意味もないよ。話し合いで解決しよう。ね?」
「無理だよ。このババア、私の言うことに耳を貸さないんだ」
「ババアじゃありません」
果矢のお母さんが跳ね起きた。濃い口紅を塗った唇が開く。
「撤回しなさい」
「入学を認めたら、お母様って呼んでやるよ」
「なら一生ババア呼びでかまいません。入学は認めませんからね」
「あの、私からもお願いします。入学を認めてあげてください」
果矢のお母さんは後ろを向いて乱れた髪を直すと、振り返って私を見た。
「あなた、果矢のお友達?」
私は自身の名前と、果矢とは受験で知り合ったことを伝える。
「お茶を入れてきます。座って待っていてちょうだい」
「はあ」
果矢のお母さんが出してくれたお茶は、日本茶ではなく、紅茶だった。落ち着いた緑色の紋様が入ったカップは、目に優しかった。
「私、コーラ飲むから」
「果矢っ。座りなさいっ」
果矢のお母さんが言うよりも早く私が言っていた。果矢の腕を引っ張って、アンティークの椅子に座らせる。
「あの、どうして入学を認めていただけないんですか? 何か理由があるんですよね?」
「あら、もしかして果矢がフィギュアスケートやっているってご存知ない? いくつものジュニアの大会で優勝してるのよ。果矢、言ってなかったの?」
「もう滑らないのに、言う必要あるのかよ?」
「何言ってるの。フィギュアスケートだけじゃない、水泳、テニス、陸上、スキージャンプ、バドミントンと、あなた、何をやらせても結果を出してきたじゃない。将来はオリンピックのメダルだって夢じゃないわ。なのにどうして桜水なの?」
社交ダンスを一緒に踊ったときから、運動神経のよさは感じていたけれど、ここまでとは思ってもみなかった。
「どうしてって、あー、説明するの、面倒くさい。なあ、人の進路邪魔して楽しいかよ? 私はあんたの操り人形でもなんでもないし、というか、この十五年は操り人形として頑張っただろ? そろそろ開放しろよ」
「果矢の言ってること、全部は正しくないと思う」
私は果矢の目を見て言った。
「十五年間頑張って、結果も出してきたっていうのは、すごいと思う。もう親に意見されたくないって言ってもいいぐらい、本当に頑張ったんだと思う。でも、果矢のお母さんは進路を邪魔してるんじゃなく、心配してるんだよ。志望理由も知らないで、娘を送り出せる親なんていないよ。だから、どうして桜水を選ぶのか、面倒くさがったり照れたりしないで説明した方がいいと思う」
果矢のお母さんは、私のお母さんと違って、話のできる距離にいるんだから。
果矢がため息をついた。
「小学生の頃、叔母さんが出てるからって、桜水歌劇団の公演を観に行ったこと、あっただろ?」
「ええ。あったわね。あの頃、あなたはすでに色々なスポーツの才能を開花させていた。でも、練習量が増えてオーバーワーク気味だった。だから、気晴らしに見に行ってみたらって私が言ったのよね」
果矢のお母さんは、どちらかというと私へ向けてしゃべってる気がする。
「で、憧れた。以上」
「もっと詳しく聞かせてちょうだい」
「入学を認めるなら」
「順番が逆よ」
「ババア、調子に乗るなよ」
「やっぱりこんな野蛮な言葉遣いの子が、桜水の舞台に立つなんて無理に決まっているわ。やっていけるはずがない。もういいわ。入学辞退の連絡をします」
果矢のお母さんが立ち上がろうとしたので、私は机に乗り出して手をつかむ。
「待ってください。果矢は将来、トップスターになる子です」
「まさか。あり得ないわ」
「あり得ないどころか、絶対なります」
「絶対とは大きく出たわね。でも、そんなこと言って大丈夫? 桜水の歴代トップスターの身長、あなた言える?」
「どなたも百七十センチオーバーです」
「正解。フ」
「あん? なんか文句あんのかよ?」
果矢が机の上に足をのせてティーカップを倒した。茶褐色の液体がきらめきながら、机上を流れて行く。
「低身長のあなたが桜水のトップに立てるのかしら?」
「これから伸びるかもしれないだろうが」
「伸びなかったらどうするの? もうあなた十五歳なのよ。伸び盛りは過ぎてるわ」
果矢のお母さんの言葉は、私にも突き刺さる。でも私はまだいい。娘役志望で、男役に比べたら身長を求められないから。
「つまるところ、桜水へ行ってもあなたは大成しない」
「決めつけてんじゃねえ」
「水野さん、あなたはどう思う?」
私に話をふった果矢のお母さんは、笑っていた。笑みにも色々あるけど、嫌な感じはしなかった。むしろ会話を愉しんでいるような。
「低身長は確かに不利です。男役は娘役よりも大きく見えないといけないので、百五十センチの男役では、まず相手役が見つからないと思います。でも、果矢の場合、大丈夫なんです。同じぐらい低身長の私がいますから。私が相手役を務めれば、果矢は男役として大成できます」
「ええ。あなたがいるのよね。知ってた? この子が友達を家に呼ぶなんて初めてのことなのよ」
「別に呼んでねーよ」
「あなた、心配してきてくれた友達になんてこと言うの? やっぱり入学は認められないわね」
「それとこれとは関係ねーだろうが。ざけんな」
果矢のお母さんは、会話の隙を突いてはからかうように入学は認めないと言い放ち、私は何度も説得しなければならなかった。果矢は時々加勢した。
幼い頃の果矢の話もたくさん聞かせてもらった。果矢のお母さんはアルバムを持ってきて、写真を指さしながら、当時の果矢がどんなに反抗的だったかを語るのだった。
「水野さん、夕食、よかったら食べていって」
「夕食?」
壁に掛かっている時計を見る。もう午後七時前だ。嘘。そんなに話してた? そう思った瞬間、気づく。ああ、私、時間を忘れるぐらい夢中になって楽しい話をしてたんだ。果矢のお母さんと。
「すみません。夕食は祖母と食べる約束をしてまして」
今日泊まるホテルへ帰らないといけないことを話すと、果矢のお母さんはタクシーを呼んでくれた。
通りに出て待っていると、タクシーのヘッドライトが夜道を照らした。
「果矢、今日水野さんはあなたの為に来てくれたのだから、ホテルまで行って、おばあさまにも謝罪して来なさい。これ、往復のタクシー代」
「謝罪だなんてそんな」
「行く行く。凪のばあちゃん、会ってみたいし」
一万円札を何枚かぶん取って、果矢が真っ先にタクシーに乗り込む。
「水野さん」
果矢のお母さんが私のもとへ一歩詰め寄る。
「四月から、どうか果矢のこと、よろしくお願いします」
「はいっ」
私の返事は、夜空に浮かぶ朧月へまっすぐ伸びていった。




