桜の香
桜が咲き始めていた。
校庭には受験生とその親が集まっている。人口密度が高い。肩がぶつかるたびに、私は小声で「すみません」と謝る。はぐれないよう、雛ばあとは手をつないでいる。皺だらけの手はあったかい。
腕時計を見る。もうすぐだ。
「発表いたします」
桜水音楽学校の制服を着た生徒が、校舎の屋上から声を発した。拡声器を使う必要のないぐらい大きな声だった。
屋上から布が垂れた。縦にも横にも長い布で、煉瓦色の校舎の上半分を覆ってしまった。桜水音楽学校合格発表の文字と受験番号以外は書かれていない布を、皆が見上げる。
自分の数字を探す。一列に十個の数字が並んでいて、四列、計四十名分の受験番号が並んでいる。
七百九十九番。
一列目にはない。
誰かの歓声が上がる。耳を澄ませると、嗚咽も聞こえて来た。
二列目の数字を上から下っていく。三百、四百、五百、最後は六百二十一番だった。
三列目、七百、十七、違う。下へ下へ数字を目で追っていく。
私は放心した。
涙は出てこなかった。歓声を上げたいとも思わない。この感情に何て名前をつけてあげればいいのだろう? 誰か教えて。お母さん、教えてよ。
七百十七の下の下の下に私の受験番号はあった。七百九十九番。確かにある。ある。何度確認してもある。
「雛ばあ。私、合格したみたい」
「凪」
雛ばあはいつもと同じトーンで私を呼ぶと、バレエの練習の時には絶対見せない笑顔を見せてくれた。
「大きくなったねえ」
「私、チビだよ」
「馬鹿だねえ、この子は。身長のことじゃないよ」
視界がにじむ。
私は手探りで雛ばあに抱きつき、赤ちゃんみたいに泣いた。雛ばあの匂いはいつもおんなじ。でも今日は、桜の香りが混じっている。




