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凪の歌  作者: 仙葉康大
第二章
12/52

特訓

 「できないよー」


 漁船の上で私は叫んだ。潮風が目にしみる。


「できないじゃない、やるんだよ。凪、できるまで今日は(おか)に上げないからね。あと、次、弱音を吐いたら、二度とバレエを教えないからね。死ぬ気でやりなっ。このっ、馬鹿孫がっ」


 もう優しかった雛ばあはいない。


 どうしてこうなったか、回想する。


 放課後、港へ来た私は、雛ばあと仲の良い漁師さんの船に乗せてもらって、海へ出た。甲板(かんぱん)に立って瀬戸内海の島々を眺める私に、雛ばあは言ったのだ。


「今日からあんたにバレエを教える。まず基本姿勢から。パラレル」

「え?」

何呆(ほう)けてるんだよ。六番ポジション、パラレル。さっさとやりなっ」

「は、はいっ」


 本の内容を思い出しながら、パラレルの姿勢を取った。要は、つま先をそろえてまっすぐ立った。


「背中曲がってるよ。お腹凹ませな。太ももの内側を意識」


 雛ばあは私の背中やお腹や太ももを手で触って、どう力を入れればいいのか、教えてくれた。


「バレエ、教えてくれないんじゃなかったの? いいの?」

「いいんだよ」

「どうして?」

「どうしてもこうしてもあるかい。気づいただけさ。ビンタ一発じゃ足りないって」

「え? ビンタ?」


 誰を? まさか私を? ひええ。雛ばあ、鬼になちゃった。


「私は美咲ともう一度会って、今度はあの子を殴るよ。ビンタなんかじゃ済まさない。あの子のしたことは、もっと重い。それを昨夜、確信した。だから、凪」


 雛ばあが私の目を見た。


「桜水のトップに立ちな。あの子の栄光を踏み潰すぐらいすごい役者になりな。そうなれば、絶対あの子はあんたの前に現れる」

「そんな保証ないって言ったのは、雛ばあだよ」

「あるんだよ。なにせあの子は根っからの負けず嫌いだからね。自分より上手い役者の存在が許せないはずだよ。ほら、足、力を入れ過ぎない」


 力を抜くと、船の上ということもあってバランスが崩れた。


「もう一回。まず一分間、パラレルを維持してみな」


 船は島々の間を縫うようにして進んでいた。船がどう動くかを予想しながら、直観もフルに働かせて、体のどこに力を入れれば、もしくは体のどこの力を抜けば体勢を維持できるか、必死になって考えた。


「よし。一分。次は三分だよ」

「え? またパラレル?」

「何だい? 文句があるのかい?」


 雛ばあの目が三角になった。


「ありません」


 三分ができたら、十分、三十分、一時間と要求される時間が伸びていった。


「できないよー」


 一時間、パラレルの体勢維持ができない。三十分はできたのに。コツはつかめたはずなのに。


 陽が沈んでから三十分は経っただろうか。海の色も黒く濃くなってきている。体の節々に痛みを感じている私は、潮風すら目にしみるように感じた。


「馬鹿孫がっ」と言う雛ばあの叱咤(しった)が耳に刺さる。

「十分、休憩しな」


 雛ばあは無理を突きつけているわけではない。一時間ごとに休憩は取ってくれるし、私が甲板の階段に座ると、足や肩をマッサージしてくれる。でも、一時間同じ体勢なんてできないよ。駄目だ。私、今度は心の中で弱音言い始めてる。


「集中力の限界はあるんだよ。一時間ずっと集中なんて無理に決まってるね」

「じゃあどうすればいいの?」

「自分で考えな」


 休憩を終えて、甲板に立つ。パラレルの姿勢になる。雛ばあがストップウォッチを押した。


 一時間ずっと集中なんて無理なら、いっそ、気を張らず景色でも眺めていようかな。幸い、今日はずっとこの練習をしてきたから、慣れてきて、今や景色を見る余裕ぐらいはあったりする。


 夜の海に浮かぶのは、他の船の明かりだ。視界を広くとると、島の明かりも見えた。島の向こう側は見えない。瀬戸内海の外を、私はあまり知らない。


 不意に船が傾く。姿勢を崩さないよう足裏やおへそや首筋に力を入れる。体の芯を意識して、体幹が揺らがないようにする。


 よし。雛ばあが何も言わない。姿勢は崩れてない。なんだ。集中しなくてもできるじゃん。いや、違う。船が傾く一瞬だけ集中すればいいんだ。集中の瞬発力だ。あとはリラックスして、海でも見てよう。受験に合格して桜水へ行くことになったら、寮生活だろうから、青架島を離れることになる。この景色も当たり前じゃなくなるんだ。ずっと青架島で育ってきた私は、懐かしいという感覚が分からない。でも、もうすぐ分かるときが来る。お母さん。お母さんはどういう気持ちで、芸名の苗字を青架にしたの? 会えたとき訊いてみたいことが一つ増えたよ。


 そう言えば、今日、発声練習してなかった。あとでしなくちゃ。


「はい。一時間」

「嘘? もう?」

「短かったかい?」


 私はうなずく。


「色々と考えてたから。あ、そうだ。発声練習しなくちゃ」


 甲板にタオルを敷いて、その上に寝転がる。今日の夜空は月が見えない。分厚い雲がかかっているのかな。


 声が夜空を突き抜けて宇宙まで届くようイメージする。息を吸う。


「アーーー」


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