第8話
ギシ、ギシ、と床が軋む音が寝室にまで響く。それを耳にして、リアムは静かに上体を起こした。
──誰か、来る。
察知した瞬間、立て掛けていた剣を震える手で掴んだ。
ここには今、自分しかいない。革屋のじじぃが何をしているかは分からないが、恐らくはプレイヤーの為に今も店先にいるはずだ。それに、俺はほぼ全プレイヤーから狙われている身。もしプレイヤーならば、狙いは俺だ。
剣を鞘から抜き、生身のまま剣を抱える。それを隠すように体に布団を巻き付け寝たふりをして、相手の油断を誘う。今までも、相手が油断したからこそ倒せたのだ。逆に言えば、相手が油断をしていなければ勝てなかったのだ。
そうこうしている内に、扉が嫌な音を立て開かれた。もう、すぐ近くまで来ている。
ギシ、ギシ、ギシ。
音は目の前で止まり、影が差し掛かった。チャンスは、相手が油断している一撃目だけ。
剣を握る左手に力を入れ、布団を剥がしながら、思いっきり振り上げた。
「うおお!!」
影が後ろへとよろめく。
……が、渾身の一撃に手応えはなく。剣は真上まで振り切り、空気だけを切り裂いた。
終わった。
それだけが頭の中を支配する。
「っとと、おいおい危ねぇな」
しかし、相手からの反撃はなく。しゃがれた声は剣を向けられたにも関わらず、軽快な口調で……それに、聞き覚えがあった。
雲に隠れていた大きな月が現れ、襲撃者の姿が露になる。
片手には瓢箪を持つ男。その姿は、ここに入る前にも見た男と一致しており、リアムは驚きから目を真ん丸にした。
「は、なんで、お前が……」
革屋の呑んだくれの親父だ。
顎を撫でながらぶっきらぼうな言葉を漏らすその親父の姿は、かつての、リアムの意識が芽生える前の記憶の中と同じだった。
無精髭を生やした口元が、にやりと歪む。
「よぉ、リアム。元気か」
片手をあげ、笑いかける姿までも記憶と同じで。
「じじぃ……」
呆然としながら、革屋の親父を見つめる。
それもそのはずだ。何せ、彼はショップNPCのはずなのだ。この世界のNPCが他律型だというのなら、これもプログラムされた動きでないと可笑しいのだが、彼は今。本来ここにいるはずのないリアムに声をかけたのだ。
──あり得ないのだ。本来ならば。
「お?その顔は、"NPCなのに何で動いているんだ?"って言いたそうだな?」
さぞ楽しそうに笑う顔も、本来ならあり得ない、現在の状況を見て判断したものだった。
「……お前は、本当にあのじじぃなのか?」
本当に記憶にある彼なのか。状況と記憶が混濁し、ワケが分からずにいた。
記憶では、彼──じじぃなのだが、状況では、それはあり得ないと訴える。
「さぁな?お前の言うあの、は分からんが、俺はずぅーっと俺のままだぜ?」
軽快な口調で答えながら、じじぃはその場にあぐらをかいた。
「おら、お前も座れ。話はそれからだ」
一体何のつもりなのか、よく分からず声をかけようとしたが、じじぃにそれを無言で目で制された。そのまま立っていても話は進まないと察し、とりあえず、何も分からないまま、示された場所に渋々座る。
じじぃが懐から小さな杯を出し、瓢箪からとくとくと酒を注いでいく。
「ほら、お前の分だ」
差し出された杯に、リアムは眉を顰める。
「えぇ……じじぃの懐に入ってた杯渡されても気持ち悪いんだが……?」
「おめぇ失礼なやつだな!いいから受けとれってのアホが!」
強引に押し付けられた杯は受け取る他なく、仕方なく受け取る。それに満足そうに頷き、じじぃは瓢箪を口に、仰いだ。
酒が通り、喉が鳴るのを聞かされるだけ聞かされ、じじぃからは何も反応がない。
「……で」
「んぁ?んだ、リアム」
「いや、じじぃは、その……」
そこから先は、流石のリアムも言い淀んでしまった。
もし、NPCであると言ってしまえば。恐らく、何の事だと返されるか、もしくは──
「俺がプレイヤーだった時、殺されるか、か?」
「……心でも読んでんのかよ?」
「いんや?お前がそういう顔してたんだよ」
こんな、月明かりしか光がない暗い部屋で、一体どうやって顔から判別したというのか。
ゴクリ、と一際大きな音を鳴らし、瓢箪から口を離しだじじぃの口元は、まだ笑っていた。
「NPC、ねぇ……。その単語をお前から聞く日が来るとはな」
「知ってたのか?」
「知ってらぁ。随分昔から、な」
瓢箪を揺らし、もう中身が入ってないことを確認すると、寂しいなぁ、なんて声を漏らす。
「おい、酒なんて気にしてねぇで話を」
──コトン。
静かに。だが、その場を支配する音。ずっと離さなかった瓢箪を、じじぃが初めて床に起き、手を離した。
「今から言うのは、酔った勢いだ。俺は、明日の朝には話したことも忘れてる」
酔ってるとは思えない、低く響く声音。
鋭い目線でリアムを貫くように見る親父の目は、どこまでも真剣だった。
「もし、お前がNPCだと言うのなら……リアム、お前。CRプロジェクトに巻き込まれてやがる」
「CR……プロジェクト」
親父の言葉を反芻するように呟いたリアムの声。しかし、親父は全くリアムの言葉に反応せず続ける。
「お前自身がNPCだと言うのなら、どんな形であれ、少なからず関わっている事になる。俺も詳しい事は分からねぇが、この世界の根幹に関わる話だ」
会話にすらならない、一方的な話だ。何か話しかけようものなら、その貫かんばかりの鋭い目線によって制される。リアムには、黙ってその話を聞くことしか許されていなかった。
「この世界は、プレイヤーがいなくなった時点で崩壊する。当たり前の話だがな。だが、これは普通のゲームじゃねぇんだ」
普通のゲームじゃない。その意味が分からないが、何回も、頭の中で反芻する。恐らく、これはとても大事な事だ。
「俺には、お前がNPCなのかプレイヤーなのか。どちらかは分からないが、これからCRプロジェクトに深く関わっていくつもりなら、俺と同類を探せ」
「同類……?」
「N P Cだ。この世界に、NPCでありながら、自律している奴は──高確率で俺と同類だ」
NPCでありながら、自律している──つまり、今の俺やじじぃと同じ状況のNPC。
「俺は末端だからな。あまり深くは知らないが、他の奴なら俺が知らない事も知ってるかもしれねぇ。中には、中枢部分の奴もいるらしい。そいつらを探せば、お前が望んでいる結果が得られるはずだ。……だが、絶対"自分がNPC"とは言うなよ?どれだけ信頼している相手だろうが、な」
CRプロジェクトが、あいつらから逃げられる道に繋がるのか?……意味は分からない。分からない、が。下手にプログラム内に潜り込むより、同じNPCを探す方が安全だし、目的が明確だ。
その情報を何故俺に託したのか、何で俺の望みを知っているのか。謎はつきないが、じじぃは何故か信頼できた。
「……ありがとな、じじぃ」
「あぁん?何の事だ、おら、お前も飲め。酒に酔ったお前は、今夜の事を忘れちまうんだろ?」
瓢箪を手にし、じじぃは俺の杯いっぱいに注いでいく。……さっき無くなったってのは嘘だったのかよ。
相変わらずなじじぃを見て、口角をあげる。
注がれた杯を傾け、酒を仰いだ。
「じじぃ」
「んだぁ?」
「一体、何の話してたんだっけか」
「……さて。覚えてねぇなぁ」
顎の髭を撫でつけながら、じじぃがにやついた顔で答えた。
───次の日の朝。
じじぃの形をした何かは、呑んだくれの革屋として店先に座っていた。
じじぃは、もうこの世界にはいなかった。
20歳になったユリ
「お酒のめましぇん…( ;∀;)喉イタイ…」
20歳になっても結局飲めない(´∇`)