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一生の思い出

作者: Nood

 目を覚ますと、カーテン越しに朝の光が差し込んできた、俺はその眩しさに目も明けられず、重たい身体を起こした。

時計を見ると、短い針はとっくに10時を回っている。


「ふぅ。少し寝すぎたかな・・・」


なんという清々しい朝だろう。日曜日の朝というのは実に素晴らしいものだ。

そんなことを考えながら俺は起こした身体をもう一度ベッドに擦りつけ、少しずつ開いてきた目を天井へと向けた。

今日はどのように過ごそうか。せっかくの休日だし、何か有意義なことをしないければ。それも、何か特別なことを・・・。


不意に、自分の腹が音を立てた。


「・・・」


「腹減ったな・・・」


俺は母親のいるリビングへと足を向けた。

そこでは母が一人ソファーに座ってテレビを見ている。


「おはよう、母さん」


「あら、おはよう。今日はずいぶん寝てたのね、朝ごはん机の上にあるから、食べたらお皿、洗っといて」


「・・・はぁ、はいはい」


俺は椅子に腰を下ろして、朝食を食べ始めた。トーストの上に目玉焼きが乗ったものと、ヨーグルト。

いつもと変わらない食事だ。

俺はトーストを齧りながら母の眺めているテレビへと視線を向けた。

どうやら刑事ドラマが放送されているらしい。

俺の母親は最近刑事ドラマにめっぽうハマっている。正直俺にはあまり面白さがわからない(それは俺が刑事ドラマを真面目に観たことがないからだろう)が、どうしてこう主婦ってのは刑事ドラマが好きなんだろうか。

俺はそんなことを考えながら画面を眺めていた。

どうやら物語のクライマックスらしく、いかにも刑事風な格好をした男と、いかにも犯人風な女が、綺麗な海が見える浜辺で何か話している。

おおかた刑事が犯人を追い詰めて、犯行の動機でも聞いているんだろう。犯人役の女が刑事の言葉を聞いてその場に泣き崩れる。

そこからエンディングの曲がかかってドラマは終わり。なんとも予想通りの展開で、少し笑いそうになってしまった。

しかし、母は大興奮だったようで、犯人に同情したり、トリックの巧妙さに感心したりしている。


「まさかあの女が犯人だったなんてね~」


「THE・犯人って感じだもんね」


「私はあの愛人の男が犯人だと思ったんだけどな~」


そんな会話をしていると、母が急にこんなことを言い出した。


「あ、そうそう。私も昨日言ったばっかりなのよ」


「・・・?言ったってどこに?」


「海よ海。綺麗だったわ~、あの夕日の美しさといったらもう!」


どうやら母親も昨日海に行ったらしい、それもサンセットが綺麗な素晴らしいリゾート地だそうだ。


ん?まてよ?


「母さん、昨日はずっと家にいたじゃないか」


「ええ、いたわよ。でも海にも行ったのよ」


「・・・?」


何を言ってるのかさっぱり分からない。俺の親も、遂にボケはじめたのだろうか。

いや、もう50近い年齢だからって、そんなに早くボケるはずがない。多分。

しばらく考えていると、机の上にあるスプレー缶が目に入った。

俺はそれを何気なく手に取り、ラベルを見てみた。

スプレーのラベルにはこう書いてある。


「サンセットビーチの思い出」


それをみた瞬間に、俺は気づいた。


「まさか!」


母の方へ顔を向ける。


「母さん!!またスプレー勝手に注文したの!?」


「ええ。」


「もーう!これ高いんだから!先月も注文してたし、お父さんが怒るよ?」


「しょうがないでしょ、主婦なんだから。普段外に出られない分、こういうのでストレスを晴らすしかないのよ」


「う・・・。」



 思い出スプレー。

それがこの缶の名前。商品名。


数年前に開発されて、今大ブームを呼んでいる人気商品だ。

スプレーの缶の中に入っているのは、酸素でも毒ガスでもなく、「思い出」だ。

詳しいことは分からないが、それを吸うと脳のどこかが刺激されて、その缶にはいっている思い出が手に入るらしい。

勿論、思い出は思い出だから、実際に経験したことじゃない。

だけど、思い出は残る、風景を見た時の感動とか、波打ち際の音とか、そういう思い出せるものだけが残る。それと、スプレーを吸ったという思い出も。

思い出スプレーはオーダーメイドだから、自分の欲しい思い出が自分の欲しい通りに手に入る。

実際に世界一周なんてしなくても、その思い出を手に入れれば充足感が味わえるし、メダルが無くてもオリンピックに優勝することが出来る。

だからこのスプレーは中毒性も値段も高い。とてもじゃないが、一般庶民が月々に買えるような値段ではないのだ。

海の思い出を手に入れるより、実際に海に行ったほうが安いだろう。


「とにかく!これ以上無駄遣いしないこと!俺、もう行くから。」


「はーい」


母の生返事を背に受けて、俺は玄関へと向かった。俺はまだピチピチの大学生だ。

あんなものに頼らなくたって、自分の思い出くらい自分で作れる。

靴のつま先を何度か地面に打ちつけ、俺は玄関を勢い良く飛び出した。

リビングにいる母は、俺を悲しそうな目で見送っていった。




 勢い良く家を飛び出したは良いものの、どうせ今日の予定も決めていないのだ。と俺は家の前で立ち尽くした。

家から出たのも、母のあのような姿を見るのが、まるで自分の未来を見るようで嫌だったからだ。

さて、これからどうしよう。


「遊園地にでも行ってみるか・・・」


男一人で遊園地というのもなかなかのものだが、俺がそこを選んだのには理由がある。それは遊園地が思い出に残りにくいと思ったからだ。

遊園地のアトラクションはその場の興奮を楽しむものだ。後から思い出して惚れ惚れとするようなものではない。

つまり、他の観光地なんかと違って遊園地の興奮ってのはスプレーじゃあまり再現できないものなんじゃないだろうか。と俺は思ったのだ。

これといった根拠も無いが。


 そうして、昼には遊園地に着いた。

園内にはそこそこの客はいるが、スプレーなんかが流行っていなかった頃に比べて、かなり数が少ない。

それは遊園地を皆が思い出だけで楽しんでいるというわけではない。

恐らく、遊園地は妥協という枠組みから外れてしまっただけだろう。

今の時代、スプレーさえ吸えば何だって出来る。

国内のどんな場所だって、海外だって、はたまた月面だって行くことが出来る。

最近では物理的な思い出まで残すサービスがある。写真を合成し、記憶どおりの写真を作れば、これはもうその場所へ行ったも同然なのだ。

だから、別に街のこんな小さな遊園地で妥協する必要は無い。ヨーロッパでも宇宙船内でも、好きなところに行けばいい。

これほどまでとなると、すべての経験をスプレーに任せてしまう人間だっているにちがいない。

しかし。



思い出しかない人間に、価値なんてあるんだろうか。




 かくいう俺も、一度だけ例のスプレーを試したことがある。高校の時に必死でためた金で、一本だけ注文してみたのだ。

思い出の内容は、ヒーローになる、とかそんな感じだった気がする。良く覚えていない。

俺はスプレーが届くとすぐに包みの箱を捨てて、説明書通りによく振ったあと、それを口にあてがった。

スプレーを吸ったことがある友達から、その効果については聞かされていたが、自分で試すのはとても緊張した。

不安な面持ちで大きく息を吸い込むと、俺の頭の中に、急激に痺れるような感覚が走った。

それは今まで経験したことの無いような感覚で、快感でもあったし、激痛でもあった。



 次に目が覚めたのは、それから1時間後のことだ。どうやら気を失っていたらしい。

目覚めてからすぐには、自分のいる場所が自宅だとは分からなかった。

なにせさっきまで、俺はテロリストと戦っていたのだから――。


 俺が手に入れた思い出はこうだ。

朝、いつものように起床して、俺は学校へ向かう。

そしていつものように授業が始まるのだが、その日は違った。なんと、学校がテロリストに占拠されてしまったのだ!

教室の皆はうろたえ、俺以外の男共は今にも泣き出しそうだった。

そんな中、クラスの中の女子が一人襲われているではないか。それは、最近気になり始めた隣の席の佐々木だった。

俺はその姿を見ていても経ってもいられず、一人テロリストに戦いを挑むのだった――。



と、そんな記憶が、わずか1時間のうちに俺の脳に鮮明に焼き付けられた。

普通、人の記憶なんてのは曖昧だから、大事なもの以外の、例えばそのときの周りの人間の表情とかそういう細かいことは忘れてしまう。

しかし、その思い出は表情だけでなく、空気の質感や空の色、なんとその日の朝ごはんの味まで、鮮明に俺の記憶に残っていた。

俺はなんだか恐ろしくなって、もう二度とスプレーを使わないと決めた。

それと、思い出がヒーローになる途中で途切れてしまったことに対しても、少し腹を立てたりした。


その次の日、隣の席の佐々木に声をかけた。


「昨日は、大丈夫だった?」


「・・・?何のことを言ってるの?」


そのとき、俺は昨日起きたことが全て作られたものだと初めて実感した。

実を言うとそのときまで、まだ心の中であの思い出は本当にあったことではないかと不安になっていたのだ。

それほど、スプレーというのは強烈なものだった。

そのときの虚無感というのは、まるで自分の人生を否定されたような、そんな感触だった。



遊園地でのアトラクションはどれも、あのテロリストの半分の衝撃も俺にはくれなかった――。



 日も暮れ、遊園地から帰る俺の足取りは、すっかり落ち込んだものになってしまった。

やっぱり人間の思い出なんて、あのスプレー一本で事足りてしまうのかもしれない。

いや、それどころか、俺自身の幼少時代の記憶も、あのスプレーで出来たものかもしれない。

そんなことを考えるたびに、気分が沈んだ。



・・・その時、妙な感覚を感じた。

ふと、俺は立ち止まって辺りを見回した。

夕焼け空は、時間が経つにつれて、徐々に紫色と紺色が混ざった色彩へと変わっていく。

帰り道に生い茂る街路樹の隙間からは薄明るい夕日が差し込み、秋から冬へと移る頃の冷たい風の匂いが、俺の髪を優しく撫でていった。

時計の針はもう6時になろうかという頃だ。

遠くから電車の走る音がゆっくりと伸びてくる。


俺はこの風景を知っている。


いや、憶えていると言ったほうがいいのかもしれない。

しかし、憶えているといっても、幼少時代にこの道を通ったとか、そういうものではない。

もっと深い何か。

強い体験とか経験とかではない、そういうものを超越した懐かしさを感じる。

まるで、生まれる前からその場所を知っていたみたいに、心のそこから淡い感情が湧き出てくる。

俺はそのとき、デジャヴという言葉を思い出していた。

これだ。

この既視感こそが、思い出なのだ。

記憶スプレーに作ることができないものとは、ジェットコースターに乗っているときの感覚なんかではなく、こういうものなのだ。

忘れていた思い出のほうが、今の俺には必要らしかった。

俺は自分が救われたような気がして、足早に家へと向かった。



 ――その日の夜、夢を見た。

ある夏の日のことで、俺はまだ高校生だった。

そこは花火大会の会場で、屋台が並ぶ河川敷の通りに、何百人もの人が行き交い、肩と肩をぶつけながら、今か今かと花火を待っている。

河川敷の舗装された道から少しそれると、そこにはブルーシートがこれでもかと広げられていて、大勢の客が、屋台で買ったものを食べながら楽しそうに笑っている。

その中に、俺がいた。

一人シートも広げず土手に座り、ボーっと空を眺めていた。

人々の熱気は空をおしつぶさんばかりに広がっていくのに、ただ一人、俺だけが、死んだ魚のような目で、何も無いどす黒い空を見つめていた。

夢にいたのは確かに俺だが、俺の中にはそんな記憶は無い。高校生の頃の花火大会はいつも誰かが隣にいたのだ。友達や家族、今では別れた恋人も。

だけど、俺はその目だけはしっていた。何を隠そう、俺自身の目だ。

あの目は、そう、今朝の母によく似ている。まるで思い出の中に閉じ込められたような、悲しい目。


そう、あれはまるで――。








「脳波に微弱の反応あり」


「患者の様態に問題は?」


「今のところありません」


病室では、医者とスーツを着た男二人が、ベッドに眠っている高校生を見つめていた。

高校生の母親が病室へ入ってきたのは、その一分後だった。

ガラガラッと、病室のドアが勢い良く開く。

走ってきたのか、母親は息を切らしている。


「はぁ!はぁ!うちの子は大丈夫なんですか!?」


「奥さん、落ち着いて。大丈夫ですよ。」


医者が落ち着かせる口調で母親に声をかけた。


「脳波に反応がありました、お子さんのなんらかの記憶が、新しい記憶と混ざり、混乱しているのでしょう。しばらくすれば、回復します」


「しばらく?しばらくですって!」


母親の目に涙が浮かぶ。


「もう数ヶ月も、息子は目を覚まさないんですよ!?このままずっと寝たきりだったら、私・・・!」


「奥さん、落ち着いて」


スーツの男が今にも倒れそうな母親の肩を支えながら言った。


「一生目覚めないことはございません。いつかは目覚めます」


「しかしその・・・大変申し上げにくいことですが、息子さんはあと10数年は目を覚まさないかと」


「10数年!」


母親は絶句し、その場に卒倒しそうになる。

2人のスーツの男が、必死で肩を抱きかかえる。


「ええ、息子さんはとても膨大な量の記憶を吸引してしまいましたから」


「なにしろ「一生分の思い出」を注文したんですからねえ。やはり、それなりに記憶の定着にかかる時間は長くなります」


「ああ・・・なんで・・・。どうしてこんなことを・・・」


母親は今にも大声で泣き出しそうになっている。


「その一生分の記憶も、あなた達が作成したんですか?」


医者が興味本位で尋ねる。


「ええ、まあ。ほとんどは私達のチームが作成しております。といっても、一生分の記憶なんてものは、今回が初めてでしたから。それに・・・」



「それに?」


「記憶スプレーの効果というのも、吸った人間に対して大小違いはありますから。今この子がどういった人生を歩んでいるかなんてものは分からないんです」


「しかし、こん睡状態になってからの時間を計算しますと、おそらく今は大学生くらいでしょうか。その位の時期の記憶が脳に入っているかと思われます」


「はあ、なるほど」


「いずれにせよこの子が目覚めたとき、この子は一度、一生を終えたことになります」


「まるで自分が自分じゃないように思うでしょうね」


医者が小さな声でつぶやいた。


すると、スーツの男はこういった。


「勿論でございます。この手の注文をされるお客様は、皆―――」


「生まれ変わった目をしていますから」

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[良い点] はじめまして 絵都瀬とら です。 たまたま目にした作品で、気になるタイトルだったので拝見しました。 この作品は作者様の伝えたいこと(特にラスト一文に落とし込むための伏線)が充分に読者に示…
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