僕が現実味だ
僕が放送室の扉を開くと異形の生物が跋扈する森だった。方々から聞いたこともない生物の絶叫が鳴り響き、暴れた異形の余波で皮装備の人間が飛び散っている。まずい、この先はファンタジーだ。このまま先に進むと僕は『友達がいなくて放送室で飯食ってたら異世界転生してしまった件』みたいな2ジャンル先の作品に入り込んでしまう。とりあえず扉を閉じよう。もう一度開けたら学校かもしれない。
落ち着いて扉を閉めようとすると常時嘔吐機能付き巨大人面ズワイガニがカニ走りで猛然と向かってきた。大型車くらいの大きさのそれの迫真のサイドステップに、渾身の力で扉を閉めて放送器具の下に避難する。僕の予想とは裏腹に人面ズワイガニは放送室に侵入してオーロラをまき散らさなかったし魑魅魍魎どもの叫び声も聞こえなくなったが、逆にそれが僕を不安にさせた。
命は助かった。だがこの放送室がいくら防音されているとはいえあの人面ズワイガニたちのいる外界の音や衝撃がまったく届いていてこないというのは不気味だ。あっちとこっちでは空間が隔絶されているから~といった察しはつくがそれを認めるとここもファンタジーの領土ということになってしまう。ファンタジーは嫌だファンタジーはいやだファンタジーハイヤダ。
思い切りのいい人間か人生に見切りのいい人間ならこのまま外に出てご都合主義的にファンタジーパワーアップしてなんやかんや世界を救って元の世界に戻るなり向こうで人生謳歌するなりするんだろう。
けれど僕は元の世界に未練があるし――いや、友達いないのは未練ないのと関係ないだろ。やめろ、放送室で飯食ってるのはここが落ち着くからだ社会が苦手なわけじゃない。やめろって言ってんだろ!――なんやかんや世界を救ってから帰るのも辛いから嫌だ。僕はゲームするときいきなりエンディング見られるコマンド入れるタイプの人間なんだ。
楽してリアルワールドに帰るために放送席の下から這い出て現状を確認する。うん、何の変哲もない放送室だ。とりあえずマイク(鈍器)とマイクスタンド(鈍器)とカメラ機材(鈍器)があるから有事の際はこれでなんとかなるか。そう思ってから人面ズワイガニにカメラを粉砕イメージが湧き出て泣きたくなった。
さらに部屋を見回す。椅子が数脚、内線が一台。多分繋がらないだろう。本当に繋がらなかったときの精神ダメージが計り知れないので今はまだ触らないでおく。あとは窓……そう、窓があった。この放送室には小さめの窓が付いている。飛ぶようにカーテンのかかった窓へ走り寄る。扉がファンタジーな異界と繋がっていても窓なら現実と繋がっているかもしれない。
僕はそっとカーテンを閉じた。
「そういえば機材の後ろにお菓子を隠しておいたんだった」
そう言って機材をずらして後ろから出てきたスナック菓子を手に取る。
「いつまでここに居なきゃわからないからな……食料の確保をしておかないと」
たしか他にも放送部員が所々にお菓子を隠していたはずだ。定期的に教師に回収されていたけど僕のお菓子が無事ということは他のも無事のはず。そう思い僕は機材をあちこちひっくり返してお菓子を探し始めた。
「これはコイケヤのポテトチップスうすしお味……ふざけんなようす塩と言ったらCalbeeか堅揚げポテトだろうが……」
「おいショウ、こっちにワサビーフあるぜ」
「ワサビーフとはセンスがいい。誰かお菓子センスのあるやつが部員にいるな」
ノイクがワサビーフをもってよって来る。すべてのお菓子を置くと結構な量だ。皆隠しすぎだろ。これなら僕とノイクの二人で一週間ぐらい生き残れるだけの食料が集まった。
「籠城戦とかしたくないけど……」
「なら扉を開けてみるか? 意外と真面目な王様が『お前たち お呼びじゃないので すぐ帰れ』ってなるかもしれん」
字余り
「先に土に還りそうだよ」
「違いない」
それから一時間くらいはお菓子を食べつつノイクと現実逃避をしていた。早く現実に逃避したい。
「あーあ、早くエバーグロウ学園に戻りてえぜ」
「せっかく思い出さないようにしてるのに戻るとか戻らないとかそういう話をするな」
「でもよー、このまま待っててもグロウナイツや警邏部隊は助けに来てくれねえぜ」
「先生が不審に思って探しに来てくれれば……いや、向こうからこっちに連絡する方法ってあるのかな」
「ローウェル先生ーッ! 助けてくれーッ!」
「そこでローウェル先生出すのか……」
何かがおかしい。学校では放送部と生徒会兼部してるくせに片方の仕事がある時もう片方に逃げてるクズと噂されている僕、【渡辺 ショウ】(わたなべ ショウ)(15)は今の状況に何かを感じ取った。
「なあノイク、もしかしてこの放送室、既にファンタジーに浸食されてるんじゃないか?」
「マジかよ!? どうしてそう思うんだ?」
「だってさ、ここ日本だぜ? ローウェル先生とかガチで外国人じゃん。そんなハイカラで横文字な存在エバーグロウ学園にいた?」
「ハイカラで横文字って言ったら学園の名前からしてハイカラで横文字だぞ」
言われてみれば確かにそうだ。つまりローウェル先生はセーフ? いや、そもそもエバーグロウ学園からアウトの可能性もある。何が現実的だったっけ? グロウナイツはあった気がする。警邏部隊はちょっと自信がない。ワサビーフもグレーゾーンだ。
「ノイク、僕たちは既に現実という認識からして侵されている可能性があるぞ」
「確かにそんな気がしてたぜ……」
「このままだと僕らの現実味と自己があやふやになってやがてファンタジーになる」
「色々やべえな」
「何がファンタジーか考えだすときりがない。だからここだけはファンタジーじゃないという範囲を少しずつ広げていって自己を確立するんだ」
「よっしゃ」
話し合うにあたって僕らはスタジオに移動した。調整室のほうは既にファンタジーに侵されたという考えで動いている。もちろんスタジオも手遅れの可能性は低くない、というかかなり高いが少しでもファンタジーから遠ざかろうというささやかな抵抗だ。
「まず俺とショウは現実だよな」
「そこは確実だよね」
当たり前だが自分は本物だ。証人は友人である互い同士だ。
「調整室の機材も多分ノンファンタジーだと思うんだけど……」
「そうか? 声を遠くに届けるツールとかファンタジー感あるぞ」
「くそ、とりあえず放送室の機材は保留だ。あと確実そうなのは……」
「お菓子……は、ワサビーフ以外は多分セーフじゃねえか?」
「そうだね、ワサビーフ以外は食べても大丈夫かな」
ワサビーフを調整室に放り捨てるノイク。疑わしきファンタジーは隔離だ。
「学校周りの、グロウナイツとか警邏部隊って現実っぽい?」
「俺としちゃ現実味アリアリだが……ショウ的にはしっくりこないっぽいな」
「うーん……そうだ、直接現実味があるかどうかじゃなくてそれに関係するなにかも一緒に思い出せれば現実なんじゃないか?」
我ながら名案だ。いくら謎の組織名を刷り込まれてもその周りのことまでは分からないはず。僕が一人納得していると神妙な面持ちでノイクが口を開く。
「でもよ、下手に周りの設定とか思い出そうとすると余計浸食されるんじゃね?」
「つまり……どういうこと?」
「関係物を洗い出そうとする時点で新たにファンタジー的設定が作られて俺たちの頭の中に刷り込まれるかもしれない、もしそうだとしたら余計なことを考えれば考えるほど俺たちの現実味は薄れていってしまうかもしれない」
おお、ノイクのくせに頭良さそうだ。僕らは行くも沼、戻るも沼の恐ろしい空間にいるということか。
「くそ、何か考えるだけで頭がファンタジーに侵されてる気がしてくる……!」
「ショウ、お前ちょっと疲れてるんだ。少し横になって休憩しよう。幸いお菓子もワサビーフ以外のがたくさんあるしまだ時間はあるよ」
確かにそうだ。下手な考え休むに似たりというしまともに思考ができるようリフレッシュしたほうがいい。ノイクの提案に賛成した僕はパイプイスを並べてベッド代わりにして寝ることにした。
「毛布的なものが欲しいな、ちょっと取ってくる」
ノイクが調整室へ行きキョロキョロと掛けられるものを探している。するとちょうどよいものを見つけたらしくノイクは手にかける。
僕は何も掛けず寝ることにした。ノイクはぐったりしていたけど「何が起こるか分からないから」と見張りをしてくれることになった。僕が起きたら交代だ。
目が覚めたら現実に戻っていますように……