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神崎家と異世界の三人娘  作者: 未確認物体X
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第2章-4 贅沢な孤独

 熊本駅構内の喫茶店。ブレンドコーヒーと紅茶を二人で啜り、ようやく人心地がついた。


 この世界に来て、初めて店で飲んだお茶の味は、家事のスペシャリストであるフローリアの舌をも唸らせるものだった。

 ハウスメイドとして培われた経験を持ってしても、この味は中々に再現できまい。


「この世界のお茶、わたしは好きです」

「ユーフェリアのお茶と比べて、どうなんだ?」

「ん……、おいしいとかマズいとか、そういう要素に劇的な差はないように感じます、やはり環境の違いでしょうか……味が違うんですよね」

「なんなら水ひとつで違いが出ると言うしな」

「そう、それです。この熊本の水は非常に良質で驚きました。ユーフェリアで言うとアニスに匹敵するほどです」

「……異世界ユーフェリア、か」


 談笑していたのもつかの間。影一郎の表情に影が落ちる。


「あの、聞いてもいいですか? 影一郎さんのこと」

「俺のこと、か。面白い話じゃないけど、いいのか?」

「聞きたいんです、わたしが」


 この人からは目を逸らしたくない。何を思い、何を感じているのかを知りたい。

 ――この人となら、抱える孤独を分かち合えるのでは。

 我ながら打算的な感情だとフローリアは思う。それでも心は影一郎に寄り添いたがっていた。


「――水成や命からちょっとは聞いたと思うけど、俺と親父は血が繋がっていない。これはちゃんと然るべき手順を踏んで正式に確認を取ったから間違いない」

「なんというか、そういう事実があるってことだけは端折って聞きました」

「うん。でもまあ、それは別に問題じゃないんだ」

「……というと?」

「執着している訳じゃないんだけど、親父が隠すからどうにも気になってなあ……。半ば意地になってるっていうか」

「隠す理由……ですか」

「ああ。偶然、それを知る機会があったんだが、いざ親父に問いただしてみても何も答えちゃくれなかった」

「……」

「結局、親父にとって本当の子じゃないからなのかな、とか。くだらないことまで考え始めてさ……情けないよな、二十歳にもなってこれじゃあ」


 力なく、自分自身を嘲笑するように影一郎は言う。

 確かに大地の拒絶ぶりは人が変わったようだった。あれほど穏やかな父親が、静かに鬼気迫る様相で、テコでも動かない仁王立ちのようにすら見えた。


 結局どちらも意地になっているだけなのでは、と少しだけフローリアは思う。

 そんな簡単な話ではないような気がするが、二割程度は意地の問題なのでは。

 男とは得てしてそういうものであると、フローリアはかつての主人が言っていたことを思い出している。


「前にも似たようなことを言いましたけど、男の人は少し情けないくらいがいいんですよ」

「ごめんな、こんな話に付き合わせて、慰めてまでもらって……」


 正真正銘、自分自身に恥じ入ったのか。影一郎は乾いた嘲笑で顔を引きつらせている。

 フォローしたつもりがダメージを与えていた。フローリアは慌ててフォローのフォローに入る。


「いえ、わたしもその、孤児でしたので。似たような境遇と言えば、境遇なので。気持ちには寄り添えるんじゃないかと」

「そうだったな」

「はい。……これを、見てください」


 当面の生活にあたって必要性を感じて大地に購入してもらった、値段の張らない小さなハンドバッグ。その中からフローリアは一通の書状を取り出した。


「? 一度見せてもらったな」

「そうですね。偶然というか、おそらく必然的に。これと同じ便せんを、わたしとブレイズさんとフュリーさんは持っているんです」

「己の出生について……だったか」


 もっとも、差出人が分からなければ情報の信ぴょう性などあってないようなものである。

 それでも、縋りたかった。――いや、それしか、縋るものがなかった。

 本当の親探しなど、三人ともとうの昔にやっている。なんの成果も得られていないのだ。

 たとえ情報がまがい物だと分かっていても、確かめずにはいられない。

 正しく、その気持ちを共有していたのだろう。


「これ、わたしの手紙だけ内容が違ってたんです」


 ブレイズとフュリーが見せた同じ便せんを見て、彼女らから”母親“なる一言を聞いた時、フローリアはどきりとした。

 フローリアが神奈を母だと思ったのは推測でしかなかったが、彼女らの手紙にははっきりと母親に会わせるという文面が書いてあったのである。


 その時、フローリアは自分で何を思ったか。――ウソをついた。


「『わたしも、同じものをもらいました』――って、言ったんです」


 便せんだけを見せて。内容まではつい、隠した。


 あの時の自分にどのような感情が流れたのか。刹那的な判断というのは瞬発力がある。

 ゆえに、それには色濃く人の欲求が浮かぶ。フローリアは、潜在的に孤独を拒んだのだ。少しでも繋がりを欲していた。


「お二人は、きっと神奈さんと何らかのつながりがあるんだと思います。でも、わたしは、きっと、赤の他人だと、思います」


 言葉尻が震えている。

 あまり口にしたい言葉ではなかった。神崎の家で騙し騙し、誤魔化してきたことを認めてしまうことだからだ。


 軽蔑されただろうか。俯いたフローリアは顔を上げることができない。

 関係もないのに勝手に取り入って、勝手に台所を取り仕切って、命の仕事を取り上げて。勝手に我が物顔で食卓を掌握しようとしていた。


「けど、生い立ちって書いてあるし。何か関係はあるんじゃないのか」

「……そうだといいですね。けれど、神崎の家とは直接関係ないんじゃないでしょうか。なんとなくだけど、そんな気がします」


 確証がないのはブレイズやフュリーも同じだが、こちらの確証はできればあってほしくないものだとフローリアは思う。


「ごめんな」

「え?」


 俯いた顔を上げると、影一郎が沈痛な面持ちでフローリアを見つめていた。


「君は俺なんかのことをわざわざ慰めにきてくれたのに……俺は、君の孤独に寄り添えそうにもない」

「……」


 打ちのめされた、と思った。自分勝手に救いになるかもしれないと思っていた存在は、やはりそうではなかった。だからと言って落胆する自分自身にも、嫌気が差す。


「違う、そうじゃない。君が思っていることとは多分、違う」


 よほど顔に出ていたのか、影一郎は慌てて身振り手振りでフォローを始めた。

 なぜだろう、と思った時にようやく、フローリアは自分が静かに涙を流していることに気づいた。


「俺はそもそも家族に恵まれながら、余計な詮索をしていらない我がままを振り回しているだけの、ナリだけでかい子どもに過ぎない」

「……影一郎さん」

「……君は、ずっと心の中に孤独を抱えて生きてきたんだろうと思う。それも、俺なんかとは比べものにならない寂しさや不安があったんだろうと思う」


 この世界に来てはじめて、影一郎が持つ本当の心のやさしさに触れた気がした。

 拒絶ではなかった。むしろ、フローリアを思えばこそ、影一郎はいま一生懸命言葉を紡いでいるのだと知った時、流れている涙はまた別の意味を持った。


「俺なんかが寄り添っても、寄り添った気になるだけだ」

「……ありがとうございます」

「へ?」


 影一郎はあっけにとられたように口を開けた。

 それがなんだかおかしくて、覚えず笑みがこぼれた。笑いながら涙をぬぐう。


「いやそうじゃなくて、俺なんかと比べたら駄目だっていう話を……」


 わたわたと慌てる影一郎。フローリアにはその仕草すら愛おしく感じる。


「いえ、大丈夫ですよ。ちゃんと正しく伝わってます」

「だといいんだが……。なあ、ひとつ聞いていいか」

「はい。なんです?」


 少し冷めてしまった紅茶に口をつけ、どこか晴れた気持ちのフローリアはすっかりいつもの調子を取り戻した。


「フローリアはどんなところに引き取られたんだ? 生きるために家事なんかを学んだって言ってたけど」

「その話ですか。ええと、通常、孤児はいずれ里子に出されます。その中でも魔術の適性が高ければ国に魔術師として引き取られるケースもありますね。ブレイズさんとフュリーさんは、おそらくそれです」


 フローリア自身も、かいつまんで事情を聞いただけの話に過ぎないが。

 それでも見ただけで分かるものである。あの二人は魔術師に違いない。


「……なるほど」

「で、わたしは魔術の適性もそこまでではなく、戦災孤児だったこともあり身元もはっきりしていなかったためか時間がかかりました。そうして七歳のころ、ようやくグローリーの辺境にある、さるお屋敷に引き取られたのです」

「お屋敷とな」

「キースセインという侯爵さまのお屋敷ですね。そのお屋敷ではみなしごの、それも女の子ばかりを集めていました」

「やばくね」


 確かに言葉面だけ見ると相当にやばい。そういう趣味があると見なされて当然である。


「その実、孤児に読み書きや一般教養など、勉学を積ませ、更にはハウスメイドとして雇いその技術を磨くことで一流のメイドを輩出する機構でもありました」


 世間一般的にいうところの好事家、というやつだろうかと今にして思う。


「また、女の子たちが興味を持ったことがあれば、全力でそれをサポートしてくれていましたね。そうして、ハウスメイドで働いたお給金が貯まって、やりたいことなんかを見つけた子から次々にお屋敷を巣立っては、また新たな孤児がやってくるのです」

「聖人かよ、その人」

「聖人に違いないでしょう。ただ、独り身で男性として渋みの出る年齢でもあるので、当然と言えば当然、懸想する子も後を絶ちませんでした。その多くは――。」


 特にフローリアの趣味ではなかったものの、状況が状況なだけにキースセインから向けられた恩情と、それに応えたいと思う気持ちをこじらせた挙句、ころっと落ちてしまうケースが一番多かった。

 防波堤の役割を持った、いわゆるメイド長と呼ばれる存在が目を光らせてはいたものの、絶対的な抑止力にはなり得ず――。心を病んで、出て行ってしまう女の子も、いた。


「まあ出て行った子は『こうなったら絶対にあの人よりいい人を見つけてやる』という失恋のバネを武器にたいてい幸せを掴んでいるらしいのですが」

「そこまで計算してる訳じゃないよね!?」

「推し測れませんね。まあ、そんなところです」


 そうしてフローリアが十歳になってしばらくした頃、あの謎の手紙が届いたという訳である。

 フローリアは遠い目をしてキースセインの屋敷で過ごした日々を思い出す。拾われたことは嬉しかったが、何もできない子供であることが恥ずかしいと、初めてそこで自分自身から自立できたことが大きな意義であった。


 喋って喉が渇いたので、フローリアは残った紅茶を一気に飲み干した。

 空になった紅茶のカップを置くと、一息ついた。少し冷めた紅茶だったが、次に来る時はちゃんと味わいたいものである。その時は、目の前の青年にも同じ温かさを味わってほしいと、そう思う。

 ふと、影一郎が難しそうな顔をしていたことに気づく。


「……どうしたんですか?」

「いやな、ひとつ思うことがあって。聞いていいかな」

「? なんです?」


 神妙な顔をした影一郎が口にした疑問に、フローリアは拍子抜けした。


「なんで、男の子は引き取らなかったんだろうな」

「……曰く、男のガキは好かん、と」


 影一郎は拍子抜けした。


「身も蓋もないなおい」

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