第6章 清算
地上界生活日誌 その55
アテネシア暦704年4月29日 曇り
戦争もやがて終わるのでしょう。そう、報せを聞きました。
愛しいあの人が戦から帰ってくるのと、わたしの命の終わり。果たしてどちらが早いか……
結核。けっきょく治りませんでしたね。実に、人間らしい。
この狭い病室が、わたしの終の場所になりそうです。
カンナはほぼ毎日のように降りてきて、シェダの世話をしてくれている。
ありがとう。親友。あなたがいてくれてよかった。
あなたは神界の規定で、わたしに回復魔術を施すことが出来ないことを何度も謝ったね。
違うよ。悪いのは、あなたじゃない。
わたしが悪いんだ。
管理者という立場に身を置きながら、人間としての幸せを求めてしまった。
その意味を、理解していなかった。その報いに違いない。
明日生きているかどうかも怪しい身だけど、祈ります。
せめて愛しいエヴァンと、愛しいシェダの人生に幸多からんことを。
※
馬車の上。軽やかに、少しだけ揺れる馬車に、大地以外の六人が乗っていた。
グローリー馬車の乗り心地は、その速度とは裏腹に揺りかごのようだと言われている。
揺りかごにやさしく揺られて、眠るフュリーは昔の光景を夢に見ている。
生まれた日。はじめて抱かれた日のこと。
覚えてなどいない。
これは記憶の奥深くに眠っている自分の原初であると感じた。
覚えていないはずの温かい感覚。母に抱かれているとすごくあったかくて、安心した。たぶん、その次に男の人に抱かれた。これが父親だろう。
周りには小さい兄弟たちがいて、幸せに育っていた気がする。
だけど、すぐに悪い人がやってきて、私を取り上げようとした。
おとうさんがわたしを抱きしめて護ってくれていた。けれど――。
フュリーははっと目を覚ました。弾かれるように身体を起こし周囲を見回す。
不思議な夢だったと感じているが、もう内容を思い出すことすらできない。
馬車の中であると感じた。傍らに心配そうに自分を見ていた命がいた。フュリーを寝かせてもなお六人が悠々乗れる、キャラバン型の馬車だろうか。窓の外に流れる風景の速さを見るに、グローリー製。
そこで気づく。
「だ、大地さんは!?」
「落ち着いて。一応傷の回復はできたけど、かなり頭を強く打ったみたいだから」
「あ……」
命が持っている、血で染まった濡れタオルを見て気づく。その血はきっと自分のものだ。
気を失う直前のことを、まだ少し痛む頭で思い出す。
木の影かと思った。その実、あれは敵だった。
対応が間に合わず、無様に大剣の腹で頭を殴り飛ばされてあっさりと気を失ったのだ。通常ならばしばらくはまともに生活ができないケガだった。命の存在は大きいと思い知る。
「命くん、ありがとう」
「いえ、どういたしまして……」
命はいつもの澄ました笑顔であるが、その顔には脂汗が浮かんでいる。
「無理、させちゃったね」
「いやいや、この程度。でも、ちょっと疲れたかな……」
「……大地さん、は?」
フュリーは二度目になる疑問を投げかけた。それに、水成が答える。
「オレたちを逃がすために、戦ってる。あのバカみてえに強いジジイとな」
「……そんな。あんな、気配もなく接近するなんて普通の魔術師じゃないわ。大地さんが危ない……!」
「実際にただもんじゃねえよ。ありゃ流石の親父殿でも、わかんねえぞ」
水成の傍ら、ブレイズが目を閉じて腕を組んでいる。
「ブレイズちゃん、どうしてここに!? なんで一緒に戦ってあげないの!?」
「あたしもそう言ったさ! でも親父殿から頼まれたから仕方ねえだろうが!」
感情的に、立ち上がって怒りをブチ撒けたブレイズははっとした。今までそうしていたように、目を閉じて腕組みをして座りなおす。
自らを律しているのだ。大地を助けたいのはブレイズも同じだが、どうにかそれを堪えてここで護衛を引き受けている。
「……ごめんなさい」
「いい」
短く一言。それきりブレイズは話しかけてくれるな、と言った風に殺気を募らせた。
「でも、心配です。影一郎さんも、馬車に乗った時からずっとこんな様子で……」
フローリアが影一郎を見やる。影一郎は馬車の窓からじっと外を眺めている。窓の縁に肘を当てて、一点を見つめて微動だにしない。
「やっと、長年のしこりが取れて本当の親子になったばかりだもの。心ここにあらずといった様子ね」
フュリーの言葉に反応したのは命だ。
「……心ここにあらず?」
命は影一郎を見た。じっと見つめ、顎に手を当てて考える。ややあって、命の顔からさーっと血の気が引いていった。
「兄さん! まさか……!」
命が立ち上がり、影一郎の服を掴んだ。
すると、今まで影一郎だと思われていたそれは、どろりと溶けだした。黒い闇となってどろどろに溶け、そのまま本人の影と一体化して――影すら、なくなった。
「……は?」
水成は間の抜けた感想を述べた。五人だけになった馬車の中に、静寂が流れる。
「やられた」
命は額に手を当て、ずるりと座り込んだ。
「影一郎さん、まさか」
フローリアは泣き出しそうな表情で、影一郎の座っていた辺りを探るように触れている。
ブレイズはいまだ難しい顔で黙り込んでいる。
「あいつこんな芸当できたのかよ! くそ、ユーフェリアに来た影響で出来ることが増えてやがる!」
水成が叫んだ。できる魔術が増えたのは水成も命も同様であるが、影一郎がどのような状況にあるのか、分断されていた影響で全く知り得ていない。
命は慌てて窓の外を見る。
「もうだいぶ馬車は走ったけど……多分、最初からこのつもりだったんだ! 影の中で移動できているとしたら、兄さんはもう父さんのところにいる!」
「御者ァ! この辺で休憩できるところはないか!?」
ブレイズが窓から顔を出して、御者台に向かって叫んだ。
すると、すぐに馬車が止まる。
ちょうど、グローリー南西部セントベル地方の砦の近くにある小さな町に差しかかったところだった。
「どうせ一度休憩を入れようと思っていましたので」
初老の御者は馬を休ませると、御者台から降りた。ブレイズは馬車の扉を開けて降りた。
「そうか。すまんが、しばらくここでツレを待ちたい。大丈夫か?」
「日の出の一時間後くらいまでしか待てません。それ以上はもしかしたら軍に追いつかれるかもしれませんので」
「! あんた、事情知ってんのか」
事もなげに言ってのけた初老の御者は、日が昇り始めようとしている東の地平線を見上げた。
「ええ。マグナディアス様に受け賜ったのはわたくしですので。そのくらい把握しておりますとも」
見ると、御者は身体のがっしりした男性だった。マグナディアス同様、年齢を感じさせない肉体であることがうかがえる。
「これでも元近衛騎士団でしてね。まあ、グローリー馬車の御者は大抵は元軍人ですよ」
「そういうことか。まあ、天職だな」
ブレイズは感心して言う。
「端折って言うとそうなります。普通の馬はここまで早く走れないでしょう」
まだ三十分も走っていないはずだが、かなり遠くまで来ている。城下町から南西の砦というと、地図上では五十キロほどは離れている。
「……あれはアストラ君ですね。彼が従騎士だったころから知っていますが、そうですね。今だと勝率は五分でしょう」
「……そんなに、マグナディアスは強いのか」
レッドヴォルフでは魔術に関してはトップであり、将軍の称号を得ていたブレイズ。だが武力総合という評価に関してはまだ上がいたのだ。
マグナディアスが言ったように、ブレイズは体格に恵まれていない。魔術部門ではトップでも、総合的にはトップにはなれなかったのである。
グローリーの階級に関しては知るところではないが、大将軍と将軍の間には深い溝があるように感じている。
「さすがにマグナディアス様も御年七十歳を迎えようとしています。いかな鉄人と言えど老化には逆らえますまい。このわたくしも、ですが」
御者は力こぶを作って見せる。まったく衰えているようには見えないのだが、それを衰えと言い張れるのであれば、全盛期は一体どのような姿だったのだろう。
「だからと言ってアストラ君にも全盛期のキレはないでしょうが、それを考慮に入れて、サバを読んで五分。彼女が向かったのは正解かもしれませんね」
「そうだろうか。――彼女?」
彼女、とは誰のことだろう。影一郎はとっくのとうに向こうに到着しているはずだが。
嫌な予感がしたブレイズ。馬車の中を見ると、案の定更に一人減っていた。
命と視線が合うと、命は困ったようにやれやれと肩をすくめてみせた。回復したばかりのフュリーは、全快ではないにも関わらず一も二もなく飛び出していったのだろう。
「あいつらはもう……」
なんのために自分が残ったのやら。移動手段を持たぬブレイズには、どの道何ができる訳でもないのだが。
「今のうちに休まれていてください」
何かを推し測ったらしい御者は苦笑した。
東の地平から、ついに太陽が顔を出した。やがて日の出を迎えようとしている。
城下町を遠く見据える平原の中原は、見るも無残な状況になっている。速馬車の往来を想定されて整備の行き届いた街道はしかし、地面が盛り上がり、かと思えばひび割れ、街道を一文字に貫く亀裂となっている。
土くれや有象無象の小石や、小岩が散乱していた。不自然に地面から生え伸びた岩肌は天を衝く勢いで伸びているものもあれば、互い違いに斜めに生えて中空でぶつかり合って奇怪なオブジェクトを作り出していたりもした。
決着はつかない。互いに出せる力は出し尽くし、魔術の限りを尽くした。自らに流れるマナを大地と一体化し、気配もなく相手ににじり寄ることを得意とするのはグローリー兵の一面ではあるが、この泥臭い戦況もまた、一面である。
お互いに満身創痍である。実力は拮抗していた。
だが、大地はもう魔術を使えないところまで追いつめられているが、マグナディアスにはまだ少し余裕が見られた。
――使えるには使えるが、使えない。
元々そこまで魔術が得意ではない大地は、徐々に追い詰められていた。
「ギリギリの体力勝負に持ち込もうとしたようだがな。わしは老いさらばえたが、いまだ貴様に劣るとは思っておらぬよ」
「いやあ……やはり敵いませんね」
口端に引きつった笑みを浮かべて、大地は距離を取った。服はあちこちが裂け、土くれでぼろぼろになっていた。加えて魔術の使い過ぎで全身が鉛のように重く、傷の痛みもあいまって、大地の動きは明らかに精彩を欠いている。
「今の今までどこぞで平和ボケしていたな? そのツケが回ってきたのだ」
「……っ」
傷を負いながらもここに来て一層、眼光と剣筋に鋭さを増してきたマグナディアスの剣は、重い。受けることも難しくなりつつある。
平和ボケしていたつもりはない。地球でのデスクワークも外回りも軽作業も、全て家族を守るための戦いである。
時間があれば剣を振っていた。勘を鈍らせないよう、身体を動かす趣味を模索していたこともある。だが、そのいずれも戦いとは縁遠いものだ。ツケと言われればそれを否定することは難しい。
魔術は、あと使えて一度だ。それを超えると――
十八年前のあの光景が目に浮かぶ。エヴァンを死なせてしまった間接的な要因。それだけは、何としても避けたい。
体力的にはまだなんとかなる。しかし短時間で決着をつけるとなるとどうか。
大地が想定した以上に平和ボケの代償は大きかった。
それは大地と神奈が子供のために。家族のために求めたものだ。間違っていたとは思わない。
だからこの道を貫き通さねばならない。
それがケジメだ。この人にも、きっと散々迷惑をかけた。昔も今も。
ちゃんとこの人を乗り越えていかねばならない。
「づあああ!」
裂帛の気合で、大地はマグナディアスの剣を押し返す。さしもの巨体もこれにはついに剣を弾かれ、のけぞった。好機とばかりに大地は苛烈に責め立てる。
マグナディアスの鮮血が舞った。なおも大地の剣は留まることはない。二度、三度。立て続けに斬りかかり、マグナディアスの鎧が砕け飛ぶ。
大勢は決したと思われた。
その時である。
どこか遠くで、なにかの音がした。
城下町の門が下りたのである。ゆっくりと門が開き、跳ね橋が降りる。
――時間切れ。マグナディアスに向き合っていた大地は、横目にそれを確認してしまった。刹那の時。ただの一瞬である。
「一騎打ちの最中に余所見とは。見下されたものだな……!」
その攻撃の手が緩んだ一瞬を点かれ、大地は剣を弾き飛ばされた。東の空に昇る朝日の光が、宙を舞い飛んでいく剣を照らし出す。
呆然とその様を見送り、立ち尽くした大地は死を覚悟した。
「――残念だ。しかしこれもまた宿命。許せ」
その剣が振り下ろされた刹那。
「親父!」
巨体の影から躍り出た影一郎が、大地に飛び掛かった。大地を渾身の力で突き飛ばした影一郎は、その勢いのまま大地と絡み合って地面を転がった。
「……! 何だ、何が起こったのだ!」
剣を振りぬいたマグナディアスが動揺する。数多の戦場を経験したマグナディアスですら、影一郎の影を使う魔術は見たことがない。目の前に起こった現象に理解が追いついていないのだ。
一度は死を覚悟したものの、転がった先に自らの無傷を思い知った大地。
振り返り、城下町のほうを見る。豆粒ほどに見え、距離のある騎馬隊の到着にはまだいくばくかの時間が残されている。――まだ、戦わなくては。
「ありがとう、影一郎くん……君がいなければ、僕、は――――」
大地を押し倒すような体制のまま、動かない影一郎に違和感を覚える。無意識に影一郎を抱きしめていたその手に、濡れたような感覚があったので、何事かと思い、それを見た。
べっとりと、おびただしい血が大地の手を濡らしている。
「……え」
ぐったりとした影一郎は、どうにかといった苦悶の表情で顔を上げた。
「……よかっ、た。間に合っ……」
顔にはじっとりと脂汗が浮かんでいる。苦しさに歪んだ表情を、影一郎は笑顔に変えた。
「いま、まで……ごめ、」
そして、力尽きたようにぱたりと倒れ伏した。
「――――」
呼吸を確認する。まだ、どうにか息はしているが、背中の傷が深い。内臓を傷つけているかもしれない。であれば、早く命に見せなければ、最悪死に至る。
大地は影一郎を抱えた。マグナディアスを振り返ることなく、大樹に繋がれたマグナディアスの馬に向かっていった。
「……おい、貴様。儂を無視するか」
影一郎を抱きかかえる大地に、ほんの少しだけ躊躇したのか。マグナディアスはすぐに斬りかかることはなかった。
マグナディアスの言葉が届いているのかどうか。大地は振り返ることはない。その態度に、ついにこめかみに青筋を浮かべたマグナディアスは怒号を放った。
「バカ弟子が! 儂が情けをかけるとでも思うたか! ここで仲良く散るがいい!」
もはや一切の容赦はない。大剣を構え、獣のように大地に突進をしかけるマグナディアス。
だが。ぐらりと。その突撃の足は止まる。
マグナディアスの立つ地面に、たちまち亀裂が走った。ぐらぐらと地面が揺れ、大きな唸りを上げて地震が発生した。
「な、き、貴様……!」
「すみません。あなたに構っている時間はないので」
揺れる地表をとくに意に介した様子もなく、大地はマグナディアスを据わった目で、もはや興味すらなさげに見ている。とうとう地面を割かんとしていた亀裂は、街道を二分するほどの規模となって、ついに割れた。
大いなる咆哮のような唸りと共に、地面が割れる。大地に追いすがるマグナディアスはしかし、砕けつつあった地面に足を取られて、その断崖絶壁となった地表に足を滑らせていった。
それでもどうにか断崖に手を伸ばし、ぶら下がりながら生きながらえている。
「貴様……!」
「これで騎馬隊の到着まで時間を稼げる。申し訳ないですが、僕の勝ちです」
影一郎を抱えたまま、大地は冷たい声でそう告げる。傷に障らぬように影一郎をそっと地面に横たえると、大地は転がっていた剣を取った。
「……この規模の魔術を行使すれば、貴様とて無事では済まぬ。今も立っているのがやっとのはずだ」
「まだ、立てる。僕が立てなくなっても、家族がいる。――最後まで、迷惑をかけます」
大地は剣を地面に突き立てた。すると、マグナディアスが掴まっていた部分の地面が崩れ去る。奈落の底へ落ちていくと思われたマグナディアスは最後の悪あがきに出た。
瞬間、かつての大将軍はいかなる速さで魔術を用いたのか。大地の足元もまた崩落し、体制を崩した大地は自らも奈落へ落ちかける。
とっさのところで崖に手がかかり、掴む。ほっとしたのも束の間、その腕に予期し得なかった重力がのしかかり、大地は顔をゆがめた。
マグナディアスが大地の足を掴んで、ぶら下がっていた。
「師匠……!」
「貴様を逃したとあっては儂も裁かれるのでな。何、共に逝こうではないか。弟子よ」
「……」
それもいいかと思った。
何より平時であればともかく、大地にはもうこのまま崖を掴み続ける余力すら残っていないのだ。
きっと、十八年前の件にマグナディアスは責任を感じていたのかもしれない。自らが我が子のように鍛え上げた戦士が、国を裏切ったのだ。
どれほど裏切られた気持ちになったのだろう。わかるはずもない。
自分自身の死が、その償いに……――清算になるのだろうか。
――できれば、影一郎だけは皆の元に送り届けてやりたかった。あるいは、それで命は助かるかもしれないが……。薄れる意識の中、その心残りだけを胸の中でつぶやいて。
大地はふっと脱力した。思考する力すらもはや残されていなかった。
二人で、深淵へ続く崖の奥底へ沈んでいく。
「――いいえ、逝くのはあなただけよ」
凛とした声が響いた。ふわり。大地だけが重力の支配を離れて宙に浮かんだ。
大地の足首を掴んでいたはずのマグナディアスの手は、手首から先が切断されていた。
重力を無視して、風の魔力で浮かび上がるフュリーは大地をかき抱いている。空いた片方の手には渦巻く風の刃の残滓が残っていた。
何が起こったのか、理解できないという驚愕の表情を浮かべ、マグナディアスはひとり、真っ逆さまに奈落の底へ落ちていった。
「……間に合ってよかった。本当に……」
今しがた到着したばかりのフュリーは、地表の裂け目の中空を浮かびながら、愛おしそうに大地をその腕に抱いた。
本来であれば、フュリーが受けたダメージは深刻なものだった。しばらくはまともに戦力として使い物にならなくなる傷である。マグナディアスもそのつもりで攻撃を与えたのだろうとフュリーは考える。
結論として言えば、神崎命の回復能力が異常であるとしか言いようがなかった。それを想定し得なかったからこそ、こうしてマグナディアスの裏をかくことが出来たのである。
意識を失い、ぐったりとしている大地をフュリーは地面に寝かせた。呼吸や脈拍を確認し、ようやく大きく安堵のため息を吐き出した。
「どうにか生きてる……はあ」
そうして、やや離れた場所に倒れている影一郎へと歩み寄った。背中の傷から大量の血液が流れ出しており、辺りに血だまりを作っている。フュリーは絶句した。
「……これ、は……生きてる。生きてるけど……!」
予断を許さない。致命傷であると一目で誰もが気づく。
命を酷使するようで忍びないが、一刻も早く二人を連れて行かなければならない。ポシェットの中に緊急用の包帯などがあるが、それでは話にならない。
大の男を二人小脇に抱え、フュリーは宙に浮かんだ。魔術で飛びさえすれば重力の問題はクリアされるので、重さはさしたる問題ではなかった。問題と言えば、もはや肉眼ではっきり分かるほどに接近を許している、グローリー騎馬隊のほうだ。
「とっとと逃げるに限るわね」
いまだ消えない頭痛に顔をしかめて、フュリーは飛び上がった。小脇に抱えた二人を見やると、一層気を引き締めて。
平原の街道を真っ二つに穿った巨大なクレバスに、騎馬隊の足は必然と止まる。
それを尻目にして、フュリーは振り返ることなく飛び去って行った。




