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神崎家と異世界の三人娘  作者: 未確認物体X
18/21

第5章-3 大将軍マグナディアス

「負けたのは俺らなんで、引き揚げます。すぐには追撃させないようにしますから、あとはそちらのルートで逃げるなりご自由に」


 消沈したスパイダーを引きずって、最後に一礼したレイスが広間を後にした。

 第八隊が引き上げて誰もいなくなった広間。本来ならすぐに脱出すべきだが、しばしの間、大地たちはここにとどまっていた。一人一人の無事を確認している。

 大地は影一郎にすり寄ると、眉をハの字にしてひどく情けない顔をした。


「大丈夫だったかい? ケガは? ひどいことされてない?」

「もう命に言われた。……ああ、大丈夫だけど。でもなんでこんなリスクの高い作戦を」


 影一郎が申し訳なさそうに言う傍ら、ブレイズは大地に何枚も貼られた魔術封じの御符を一つずつ慎重に切り剥がしては燃やしている。


「リスク? まあ、確かに僕一人じゃ助けられなかったし、誰か欠けても攻略できなかったかもしれないね。だけど、家族が全員そろってたんだ。こんなものリスクでもなんでもないよ」


 そう言って、大地は屈託のない笑顔を浮かべた。

 その笑顔を目の当たりにして、とうとうこらえきれなくなり影一郎は涙を流す。


「ごめん、親父。今まで、くだらないことばかり言ってきて、本当にごめん」

「いいんだよ。分かってさえくれればそれでいいんだ」


 俯いて涙する影一郎を抱きしめようとする大地。しかし、影一郎はすっと身をかわした。


「なんでさ!」

「いや、流石にそれははずい」

「なら私が」


 フュリーが小さく挙手をして、すすすと大地の懐に入り込もうとしている。

 それをすっとかわした大地。このコントには流石に水成も失笑に耐えない。


「なんで!」

「どさくさに紛れて何なんだアンタ」

「いいじゃない! 減るもんじゃないでしょう!」

「やれやれ」


 大地は苦笑した。そして、どこか他人事のようにそのやり取りを見ていたフローリアの肩に手を置いた。じっとフローリアの顔を見つめている。


「……え?」


「事案」

「事案」

「警察……通じないか」

「そうじゃなくてね!?」


 神崎家の兄弟は、各々が冷めた目で父親を見つめていた。

 スマホは当然圏外である。


「やっぱり、似てるよ。君は」

「ああ……アトナさんの話、ですか?」


 ヴェルダンの街を歩いていると次々に飛んでくるアトナなる名。

 だが、あの時もアーリアの時も、そして今も。フローリアはフローリアでしかないのだ。いきなりアトナなどと言われても、それは酷と言うものである。

 返答に困っているフローリアを見て、大地は慌てて取り繕った。


「……アトナさんは、赤の他人なんかじゃない。僕の大切な親友の、大切な人だった。僕にとってもかけがえのない友人だったんだよ」

「……え?」


 語る大地の声色が変わったような気がして、フローリアが顔を上げる。

 優しく、昔を懐かしむような、温かい声色。


「世界で一人になってしまった影一郎くんを育てると神奈と二人で決めた時。僕らは死んでしまったお互いの親友の忘れ形見を、絶対に守り抜こうって決めたんだ」

「親父……」


 影一郎はうつむいた。昔を語る大地の表情は、ただ穏やかで。影一郎の胸は締めつけられている。


「初めてフローリアくんを見た時、思ったんだ。似ているのは偶然かもしれない。けど、僕は嬉しかった。すっかり歳を取ってしまったけど、まだ、僕はあの夫婦に報いることが出来るのかなって」


 フローリアは不思議な気持ちになった。

 あるはずのない懐かしさと、感じるはずのないやるせなさや、切なさ。大地を通した先に、いつかの幸せな光景が垣間見えた。


「影一郎くんと、君を助けることができて、本当に良かった……!」


 ――ああ。この人が背負っているものは家族だけじゃないんだ。

 涙を流しながら見せる大地の笑顔に、フローリアの胸にひとつの熱が灯る。今までずっと、手放していた大切なものが、自分の中に返ってきたのだ。大切に、大切にそれを抱く。


「ありがとう。助けてくれて、ありがとうございます……!」


 大地の胸に顔をうずめ、フローリアは静かに涙を流した。

 その言葉に大地はどれだけ救われたのだろうか。大切なものを抱くように、大地はフローリアを抱きしめた。

 横から、フュリーが乱入して二人を抱きしめる。


「またこいつは……」

「何か問題でも?」


 テコでも離れないと目が雄弁に語っている。

 ならばと水成はブレイズに目を向けた。


「いいや、問題ないんじゃね。そらお前もいっとけ」

「はっちょっ待っ」


 静観していたブレイズは想定外のプッシュに体制を崩し、間抜けな声を上げて大地に向かって倒れ込んでいった。結果、大地ハーレムが出来上がる。


「後で殺す……」


 ぎろりと殺意をこめてガンを飛ばすブレイズ。しかし体勢はそのままである。


「微笑ましいね、兄さん」

「俺たちも行っとく?」

「オレは遠慮しとくわ」


 三兄弟は、苦笑しつつも温かく、抱き合う三人娘と父親を見守っていた。



 広間から外へ向かう途中。地下牢の横合いに大地の魔術で横穴を空け、ひっそりと隠し通路である地下道を七人で歩いている。影一郎とフローリア救出作戦の折に利用した、隠し通路である。手に持ったたいまつの炎だけを頼りに進む。


 地下牢の広間に通ずる最後の通路の一角、その何でもない壁に隠されていた通路から入り込み、もうずいぶんと長い距離を歩いていた。


「そういえば、ブレイズはなんで死んだことになってんの?」


 道中、談笑してた一行だがふと思い出した水成がブレイズに問うた。神崎家で一度。先ほどの広間でもスパイダーが言っていたことである。

 ブレイズはああ、と答える。


「家出するため」

「は」


 神崎家の男は一様に言葉を失う。だからって、死ぬ必要はないのではないか。


「いーんだよ。あたしなんてどうせ元は孤児だし。それにもう戦争で人を殺すことに嫌気が差したし、それをレッドヴォルフのためにもあのクソ親父のためにもやりたくない。絶対にだ」


 極力殺さないように。先の決戦の際、大地からそのようにオーダーが飛んだ時ブレイズはどこか晴れたような、安心したような表情をしていた。

 自分の人生を、誰に怨まれても仕方がないと言っていたブレイズ。殺さずにいられることは、ブレイズにとっては何より価値のあることだった。


「あたしはもう戦争の道具のブレイゼスじゃない。その名はもう、捨てたんだ」

 言い切ったブレイズは何の淀みも後ろめたさもない表情で、胸を張っていた。

「いいじゃん。かっこいいぞ、お前」

「――」


 水成が笑いかけると、ブレイズは少しだけ表情筋が停止したかのように固まる。その言葉に何を思ったか、口元を少しだけ手で隠し、目を逸らした。


「……ありがとよ」


 似つかわしくもない、蚊の鳴くような言葉は果たして水成に届いたのかどうか。照れ隠しのつもりだろうか、歩調をひとりぐんぐんと早めて、先頭を歩く大地と並ぶブレイズ。


「ブレイズちゃん可愛い」


 ぷっと噴き出して笑うフュリーに、水成と命も同調するように倣う。


「萌えを理解してるな。可愛いぞ」

「可愛いね」


 ブレイズは顔を真っ赤にして吠えた。


「うるせえ! 殺すぞ!」

「体力が有り余っているようで、結構」


 前を行く大地の苦笑にイラッとしたブレイズは、ずかずかと歩いて大地に並び、わき腹を小突いた。


「で、この通路はどこまで続いてんだよ」

「グローリーの外かな。平原のド真ん中に出るよ」

「え? 俺らが突入したのは城下町の外壁んとこの……どっかの木の根元からだったよな。あそこに出るんじゃないのか」


 水成は意外そうに声を上げた。命やブレイズとフュリーも同様の反応を示している。


「これは十八年前、僕がグローリーから聖石を盗んだあと脱出するために作ったものでね。仮にこの隠し通路がバレても足がつかないように、迷宮のように作ってある」

「一本道だったじゃん」

「侵入は速やかに。脱出は念入りにという訳でね。魔術で強引に押し通ったりすると崩落するようにしてあるから、今は使えないルートのほうが多いんだけどね……」


 その言葉通り、何度か崩落して行き止まりぶち当たっていた。大地を先導して何度も曲がったり、魔術で扉を開くようにして壁を閉じたり開けたりしながら進んでいる。

 崩落している通路は、おそらく十八年前の名残りだろう。聖石と同時期に大地がグローリーから消えたので、その痕跡を追っているうちにここを発見し、調査の末にこうなったのか。あるいは、地下牢から脱獄しようとした囚人が偶然発見して――という線もなくはない。


「まだ残っているということは、未調査ともとれるし手がかかっていないともとれるね。どうなんだろう、先回りされているのかな」


 顎に手をあてて考え込んでいた命が警戒した様子で言うが、大地はそれにいや、と否定した。


「調査済みならこんな地下牢に通じているだけの隠し通路、すぐに撤去すると思うけどね……。まあ、警戒は必要かな」


 それから休憩を挟みながら四、五時間ほど歩いただろうか。ようやく出口へたどり着いた。先行していた大地が、後ろ手に一行を制する。


「様子を見る。ないとは思うけど、先回りされていたら強引に突破する。いちおう、フュリーくんはすぐに飛べるように準備しておいてくれ」

「がってん承知です」


 あれでも魔力消費を抑えて立ち回っていたらしいフュリーは、大地の指示を受けて意気込んだ。


「ティターニアならいざ知らず、グローリーに空飛ぶ乗り物はないからね。セントアリアまで一気に飛べるわ」

「ティターニアの魔術師って皆飛べるの?」


 影一郎が疑問を投げかける。本来であれば人間が空を飛べることが地球ではありえない。


「それはオレも気になってた。ティターニアには空の交通法があるんだっけ?」

「そうよ。飛空艇も飛ぶのに、誰も彼も飛んでたら事故を起こしちゃうから。地球の道路交通法と同じね」

「なるほど……」


 影一郎と水成は納得した。命は興味深そうに話を聞いては頷いていた。


「おーい、大丈夫そうだから出るよー」


 そこで大地が戻ってくる。どうやら杞憂だったようだ。

 出口は階段のような作りになっていた。一行が抜け道を出ると、大地の言う通りに見晴らしのよい平原に出る。

 その平原にまばらに立つ、大樹の根元に出た。

 辺りは真っ暗だったが、東の地平に少しだけ光が見える。


「強行軍だったけど、歩いた甲斐があった。これで追っ手の心配はなさそうだね」


 大地はグローリー城下町のほうを見て、少しだけ緊張を解いた。

 城下町は背の高い外壁で覆われている。外からではグローリー王城の頂上がどうにか肉眼で見える程度だ。

 スパイダー軍の敗北を受けた兵士たちが、まだ城下町付近を捜索しているのであれば余裕で逃げ切ることができるだろう。


「さて、あとはフュリーくんの魔術でセントアリアの孤児院までひとっ飛びかな。魔力は大丈夫かい?」

「はい。温存するように言われていたので、ぶっちゃけ十全です。すべてはこのための布石だったんですね、流石です!」


 気合十二分のフュリー。大地に詰め寄り、輝いた目で見上げている。


「流石は元副官かな。地下牢での立ち回り指示も的確だったし、あんたが副隊長にいた理由が分かるよ」


 ブレイズは心底感心した様子で大地を褒めた。地球にいた頃や、アーリアの宿では散々大地に厳しく当たっていたが、地下広間での戦いを経てその態度は信頼に変わりつつある。


「さて、じゃあみんな、私の背中に触れてね。服を掴んだりしなくても、ちょこっと触れるだけでいいから」


 言って、フュリーが一向に背中を向ける。自然と大樹のほうを向く形になり、


「――――え?」


 その存在に、そこにいる全員が気づかなかった。


 眼前に迫っていたそれに、たまたま間近で振り返ったフュリーが一番最初に気づいたのだ。

 そして、フュリーが気づいた時。すでにフュリーは横合いに吹き飛び、かなりの距離をもんどり打って転がっていって、ぴくりとも動かなくなった。


 何が起こったのか、誰も理解が追いつかない中でブレイズが一番に口を開く。


「……おい。てめえ、いつの間にそこに居やがった」

「いつの間にも何も、ずっと大樹の陰で貴様らを見守っていたが」


 存在感はおろか、殺気も魔力もなんの気配も漂わせずに、男が立っていた。

 男は、巨体の老人だった。――老人とそれを呼ぶには、あまりにも語弊がある。鍛え上げられ、鋼のような筋肉に包まれた肉体。

 甲冑が申し訳程度に見える有様である。


 その精悍な顔にはたっぷりと白い髭がたくわえられていた。白髪はすべて後ろに撫でつけられており、老人と呼べる要素はそのくらいのものであった。

 すばやく距離を取る大地。その後ろに影一郎らが控えた。


「あなたの目は誤魔化せませんか……マグナディアス師匠」

「……」


 老人はアストラ・レイヴァンスの剣の師だった。かつてのグローリー王国近衛騎士団・大将軍。マグナディアスその人である。


「気配なんて感じなかった。奴さん何者なんだよ、親父殿」


 杖を剣に変え、ブレイズは大地と並び立った。その顔はいつになく張りつめた様子であり、一瞬もマグナディアスから目を離そうとしない。


「我らグローリーの民は母なる大地と共にあり。大地は我。我もまた大地。マナの根ざし方を忘れたか、この馬鹿弟子めが!」

「……っ」


 確かに、大地にはブランクが実に十八年もあった。それでも忘れてはいない。身に染みついた魔力の流動だ。

 自身の力に母なる大地の力を乗せるのがグローリー兵の戦い方である。大地はブランクもあったものの、魔術封じの護符を全身に受けていたのが決定的にそれを鈍らせた。


 熟練した兵士の中でも特に隊長格より上のクラスになると、大地に流れるマナと自分とを結びつけて気配を経つことが出来る。大地の属していた第一隊、それと第二隊の隊長と副隊長はその術の習得を義務付けられていた。

 無論、その上ともなれば当然のようにそれを行う。


「待て待て、グローリーの隊長格や将軍格とやり合ったことはあるが、あんたみたいに全く気配がないのは初めてだぞ。いくらなんでもありえねえ!」


 ブレイズは戦時中グローリー兵と対峙したことは幾度もあるが、いまだかつて経験のない圧力にただ困惑していた。

 いくら魔力の流れとやらで大地に押し込めても、戦争となれば兵士は例外なく殺気を抑えられない。殺気を飛ばすと魔力も自己主張を始める。


「確かに、グローリーの伏兵の練度は相当なもんだったがよ。それでも気をつければどうにか分かる程度だった」


 だからこそブレイズはそこにいるマグナディアスに気づかなかった。

 ここは戦場ではない。隠密に徹したグローリーの精鋭は、さながら忍者のようだという。

 加えて、一つだけはっきりとしたどうやっても覆せない要因がある。


「儂はかつてのグローリーのナンバーワン。大将軍である。退役して二十年ほどになるが、まだまだ衰えておらんわ」


 静かに、マグナディアスは巨大な両手剣を構えた。岩のようなそのシルエットに、思わずブレイズはじりじりと後退する。

 刹那。マグナディアスとブレイズの彼我の距離は十メートル以上はあったものの、一瞬でそれを詰めてくる。渾身の剣がブレイズに振り下ろされる。


「ぐっ!」


 受け止めるが、受け止めたブレイズの身体はどんどん地面にめり込んでいく。

 たまらず、斜に受け流してブレイズはバックステップを取った。


「このジジイ、化けモンかよ!?」

「反応速度は中々、だが膂力が足りんな。肉を食わんか、レッドヴォルフの若き将軍よ」

「喰ってるよ! 発育はこれからだからほっとけや!」


 一瞬で火球を十個ほど生成し、これを放つ。だがマグナディアスが剣を一振りすると、地面から分厚い岩肌が急速に伸びてマグナディアスを護った。

 岩肌が砕けたかと思うとすっと地面に溶けていき、一体化する。ブレイズは舌打ちした。

 大地が歯噛みして問いかける。


「退役していたのなら、なぜ今ここに!?」

「ああ。今ものんびり畑を耕しているとも。だが、馬鹿弟子が十八年ぶりに現れたと聞いてな。儂も駆り出された」

「この隠し通路の存在は、いつから?」

「完全に塞いだつもりだったろうがな。思い出せ。誰が貴様を一人前の戦士にした? 貴様の魔力の痕跡を儂が分からぬとでも?」


 ――参った。大地は空を仰ぐ。

 十八年前に気づかれていて、今回、行動を読まれた上で先回りされたのだ。


「近衛騎士団には知らせてはおらぬ。が、あの若造めには元より期待しておらぬ故、日の出と共にこの場所を知らせる段取りである」

「くっ……」


 近衛騎士団に先回りされることを回避できたことだけは、幸運と言ってよいのだろうか。あるいは、これはマグナディアスの情けなのか。大地は自らを叱責する。


「あの娘を封じればまず翼を失う。逃げることは許さん。ケジメをつけていってもらおう」


 遠くで倒れているフュリーを見る。フュリーの元には命がかがんでいた。


「大丈夫! 生きてる!」


 命が叫ぶ。あとは命に任せておけば大丈夫だろう。大地の胸のつかえが一つとれた。


「さて、そろそろいいだろう。貴様が儂を倒せたら見なかったことにしてやる。ここより東の大樹の麓に、速馬の馬車と信頼できる御者を用意してある。それでどこなりと消えるがいい」

「……倒せなかったら」

「死ぬだけだ。時間内に儂を突破できなければここに近衛騎士が到達して、やはり死ぬ」


 大地は考えた。恐らく、大地一行を捕らえるためにマグナディアスに声がかかったのだ。大地のことを最もよく知るのはエヴァン亡き今、師である彼しかいないのだから。

十八年前もそうだったのだろうか。あえて、大地たちを逃がしたのかもしれない。


 今回は違う。


 十八年前に大地を取り逃した罪を追及されているのかもしれない。

 自力で突破するしかないが、大地にはこの老兵を突破できる気が全くしていない。


 現役時代でさえ、とうとう超えることが出来なかった唯一無二の存在だった。今でもなお、変わらぬその威圧感にに足がすくむ。

 老いてなお、健在。それとも自分が衰えたか。


「おい親父殿! ぼさっとしてんじゃねえ!」


 ブレイズが大地を押しのけ、マグナディアスの剣を受ける。だが力では全く歯が立たず、受けるので精一杯の様子であった。剣を受けながら、下がらざるを得ない。反撃に転じることができずにいる。


「この野郎……!」


 距離を取ったブレイズは、腰を落としてその剣に激しい炎をまとわせていく。剣の何倍にも伸びて膨れ上がった炎が、日の上りかけた朝の闇を照らし上げた。なおも燃え上がり続けてとどまることを知らない。


「ここで派手に炎を焚けば、あの城壁の向こうまで居場所を知らせることになるだろうな」

「……!」


 ブレイズはとっさに炎の出力を下げた。下げざるを得なかった。


「やりにくかろう?」

「やりづれえな、まったく!」


 出力を落とした炎の剣でマグナディアスと斬り結ぶ。それでもなお、マグナディアスは涼しい顔で剣をいなすばかり。


 大地は考える。


 ――日の出まであと一時間弱といったところか。

 それと共に正門が下りて、正規軍の騎馬部隊がこちらへ向かうだろう。

 逃げる時間を含めても、せめて三十分でどうにかしたい。

 いまだ考えてばかりで、まともに動けずにいる大地を尻目に、軽々と水成の矢と、影一朗の使い魔をかわしていくマグナディアス。


 フローリアは見ていることしかできない。

 命はフュリーの頭に手を当て、回復を試みるが芳しくないようである。もしも、そこに戦いの余波が飛ぼうものならば命やフローリアにも危険が及ぶ。まして戦いの経験がない影一郎や水成をこれ以上酷使するわけにもいかない。


 加えて、夜通しの強行軍の後という最悪のコンディションである。スパイダーの作戦が兵士ですら寝静まった夜に行われた、単独の武勲に目がくらんだものであったことがそもそもの悪状況を招く要因である。

 覚悟を決めねばならぬと、大地は空いた片手で自らの頬を叩いた。


「みんな、ここは僕に任せてくれ。先に、あの馬車を使って例の場所へ!」

「馬鹿言ってんじゃねえ! アンタ一人でどうにかできる相手じゃないだろ!?」


 ブレイズがマグナディアスに迫りながら叫ぶ。


「しなきゃいけないんだ! これは僕なりのケジメだ!」


 剣を構え、大地はマグナディアスに肉薄した。ブレイズを押しのけて、マグナディアスを一人で引き受ける。怒涛の剣劇が閃き、ブレイズは蚊帳の外に放り出された。


「先にって……どうやってこっちに来るんだよ! 脚は!」


「近くに師匠がここまで乗ってきた馬があるから、それを使う。馬車用の早馬とは違うから、少し時間がかかると思うけど!」


 鍔迫り合いながら叫ぶ大地はしかし、マグナディアスに競り負ける。


「作戦会議は済んだか?」


 ガキィン!


「くっ!」


 剣を弾かれた大地は魔術で地面から岩肌を隆起させ、その衝撃をもって剣を打ち上げると、ジャンプして器用にそれをキャッチする。


「俺も残るぜ!」


 水成が弓を構え、水の矢をキリキリと絞る。傍らで、影一郎も頷いて使い魔を放った。

 しかし、大地の手が一瞬マグナディアスから離れたからか。二人の立つ地面が隆起し、体勢を崩す。そこに地面から魔術で掘り起こした土砂と小岩の群れが襲い掛かった。


 とっさにブレイズがこれを炎で弾き飛ばす。


「た、助かった!」

「お互い様だ!」


 その応酬を見て、大地は語気を強くして影一郎に叫んだ。


「わかってくれ! 君たちを守りながらではこの人とは戦えない!」


 大地は叫びながら、魔術による地割れや目つぶしなどを駆使してマグナディアスを遠ざけようとしていた。自らも肉薄し、あえて一対一に持ち込んでいる。


「あ……」


 影一郎は気づく。大地のことをフォローしていたつもりだったが、そんなことはなかった。足手まといだったのだ。しょせんは素人でしかない。

 地下牢広間での攻防は、相手の練度の低さを前提とした上での奇襲作戦がはまっただけに過ぎないのだ。

 その上、あれは大地やブレイズ、フュリーといった相手の力量を大きく上回る主力の大立ち回りを中心としたかく乱がメイン。

 こちらの保有する主力以上の手練れを相手にして、なおフュリーは動けない。

 影一郎ら素人に何が出来るはずもない。


「兄さん! 早く!」


 馬車のほうを見ると、フュリーをかついだ命と、フローリアがすでに乗り込もうとしていた。自分が大地の役に立たないことをいち早く察して、出来ることを模索していたのだ。神崎命はそういう人間である。


「……親父! 絶対に来いよ!」


 影一郎と水成も馬車に向かって走った。


「ブレイズくん。君もだ」

「なんでだ。あたしまで足手まとい扱いするってのか!?」

「違う、彼らだけでは何かあった時に対応できないかもしれない。君が守ってやってくれ」

「…………でも」

「頼むよ。君はできた妹だから、きっときょうだいを護ってくれると信じている」

「っ……!」


 ブレイズは目を見開いた。顔を歪め、目端にうっすらと涙すら浮かべて、叫んだ。


「な、んだよ……。まだ神崎の家で暮らすなんて、一言も言ってないぞ……!」

「頼むよ」

「……! くそ!」


 ブレイズは前線を退いた。振り返ることもせず、まっすぐ馬車に走っていく。

 ややあって、馬車が走り出した。初老の御者が駆る馬車は、一瞬でスピードを最高潮まで加速させた。あっという間に土煙で馬車は見えなくなる。

 広大な平原に、大地とマグナディアスだけが残った。


「さあ、心残りはなかろう。存分に死合おうではないか」

「あまり無茶をされてはお身体に響きますよ、ご老体!」

「抜かしおるわ!」


 剣劇が響いた。ごうと空気が鳴り、ビキビキと地面がひび割れ、粉塵が舞った。

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