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神崎家と異世界の三人娘  作者: 未確認物体X
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第5章-2 神崎家、出陣

 影一郎とフローリアは後ろ手に上半身を縄で捕縛され、下半身だけで歩ける状態になっていた。兵士に連れられ、粛々とその後ろを歩いている。

 この縄が厄介ものである。魔力を抑制する特殊な素材でできているらしく、これで捕縛された者は誰であれ魔術を満足に使えなくなってしまうという代物だ。


 それなりの時間を歩かされた。前を行く青年の兵士は基本的に無言であったが、少しだけ会話する機会もあった。


「一般人を巻き込むなんて、本来あり得ないけどな。うちの隊長も出世がかかってるからってピリピリしててさ」


 話の通じる相手だと判断し、影一郎は情報を引き出そうと考えた。


「……アストラを捕らえると、出世できるのか?」

「出世も出世、大出世さ。俺らは近衛騎士以外に十ある隊のうちの、ケツから数えて三番目の落ちこぼれさ。もしかしたら、これで四つくらいは昇進できるかも……!」


 そう言って目を輝かせる兵士はぐっとガッツポーズを取る。

 言われてみれば、あれほどの額の指名手配犯をこのような回りくどい手口で捕えようとしている理由はこれかと、今にして影一郎は思う。


 大地がティターニアで見つかった時点で、なんなら大量に兵を導入して人海戦術で包囲すればなす術もなかっただろう。大地がいくら強くても、どうにかするタイミングは少なからずあったと思われる。

 要するにこの兵士の属する部隊が手柄を独占しようとしているのだ。こうして地下牢を利用したのは、秘密裏に誰にも邪魔されずに大地を捕らえるためだろう。


 レナードが言っていた各国の諜報員とやらから、どのようなルートでグローリーに情報が届いたのか存じ上げないことであるが、この作戦実行の裏には涙ぐましい努力があることは間違いないと察する。。

 影一郎は推して考える。首謀者は小物ではなかろうかと。


「隊長って、どんな人なんだ?」

「悪い人じゃないんだけどな。自分がのし上がるためにはこういう狡い手も容赦なく使う。……ああ、あれだあれ。なんだっけな」


 前を歩く兵士は歩きながら腕を組んで、虚空を見上げてうーんと唸っている。

 ひとしきり唸って考えて、ぽんと小気味よく手をたたいた。


「小悪党」

「お、おう」


 そんな小悪党でも策謀するくらいの手腕はあるらしい。大地からもらった作戦がどれだけ通用するか。相手によっては希望が見えてくるかもしれないと影一郎は期待する。


 やがて、それまでの細く薄暗い通路とはうって変わって広い空間に出た。

 巨大な円形の広間である。一定の間隔で壁伝いに配置されたたいまつには煌々と炎が燃え盛っており、この空間はほかに比べてやけに明るく見える。


 床や壁は何も整備されてはおらず、単に地を慣らされただけの広間であるように見えた。

 そしてそこがただの広間ではないことを主張するものがある。外周に円を描くようにぽっかり空いた空洞だ。どこまで続いているのか、底の見えない奈落の闇がそこにある。

 一度外周に足を踏み外せば、それで終わりであることが伺える。


 なるほど、もしも地下牢から脱獄しようものならばここを通らざるを得ない。

 出入口は二か所。それを封鎖すれば完全に袋のネズミとなり、そこに待っているものは地獄への片道切符。


 グローリーは土壌と気候に恵まれた豊かな土地であるそうだが、ここに国の擁する闇を影一郎は垣間見た気がした。

 広間中央に、一人の男がいた。男を中心として、兵士と思われる帯剣した何十人もの男たちが散開して並んでいる。


「スパイダー隊長、連れてきました」


 青年兵士は、広間に繋がる通路に一歩出て敬礼をした。

 広間中央の男は軽装の甲冑に身を包んで帯剣した、騎士然としたたたずまいの背中をしていた。ただ、それが口を開いた時にがらがらとその印象は瓦解する。


「遅ェよどこで油売ってたンだ。捕虜を連れてくるのも満足にできねェのか。あ?」


 チンピラか。影一郎はげんなりした。

 顔は中年に差しかかったばかりといったところか。無精ひげが目立ち、どうも堅気と思えない人相の悪い面構えをしている。顔で損をして口調でも損をしている。

 それでは損するばかりの人生ではないかと影一郎は同情する。


「あ? 何見てんだコラ。一足先に殺してもいいんだぞ」

「……」


 後ろのフローリアは怯えきっているので、余計な刺激は避けることにした。

 しかし、影一郎はその態度と口調に聞き覚えがあった。アーリアの国境付近で出くわした賊の首領だ。深いフードで顔が隠れていたが、そういえばこんな感じではなかったか。


「すんません隊長。この地下牢やっぱ長いんで道に迷ったんですわ」

「ほとんど一本道だろうが。……まあいい、ぼちぼち時間だ。準備しとけ」

「了解」


 男は影一郎にはもう振り向かず、散開して待機している兵に混じった。六十人以上はいるだろうか。相手が大地だから警戒してのことだろうと影一郎は推察する。

 待つこと五分足らずか。果たして、大地は来た。


 影一郎と同じように、魔術封じのロープで両腕を拘束されている。後ろ手の影一郎とは違って前に固定されており、その手のひらには聖石が戴かれていた。

 それだけではない。ところどころにブレイズが受けたものと同様と思われる御符が貼られており、そこから黒く濁ったもやのようなものがにじみ出ている。


「……あの時の魔術封じです。あんなに貼られては、動くのも精いっぱいだと思います……」


 後ろで小さくなっているフローリアが、影一郎にだけ聞こえるように小声でぽそりと言う。


「……そうか」


 痛ましいその姿に、影一郎は見ているだけで心苦しくなった。


「約束通り一人で来たんだろうな? アストラ・レイヴァンスよ」

「もちろんだとも」

「ま、合図がないってことは間違いないだろうな。こいつらとの交換条件はテメエの持ってる聖石と、テメエ自身だ。いいな?」

「ああ」


 毅然とした大地の様子を見て、こらえ切れないといった風にスパイダーは笑う。


「クク、笑い話だなぁ? 他人を救うために自分を差し出すたあ滑稽過ぎて笑っちまうぜ。なあ、お前らもそうだろ、笑っちまうよなあ??」


 スパイダーがそう言って周囲に目配せをすると、実に五十人以上もの兵士からやたら統率された棒読みの笑い声が放たれ、広間にこだました。……滑稽である。


「他人ではない。家族だ」

「……」


 ふいに、影一郎の目頭が熱くなる。今までの父親に対する歪んだ態度の数々が頭をよぎり、それがとんでもなく滑稽で、言葉にできない。うつむいたフローリアの表情までは、見て取れなかった。


「ま、いいさ。魔術が使えねェからよ、何もできねェとは思うが、少しでも怪しい素振りを見せたらすぐにこいつらを突き落とす」


 いつの間にか影一郎たちの後ろにいたらしい大柄の兵士に乱暴に頭と髪を掴まれ、広間外周の空洞まで引きずられた。影一郎とフローリアの前に、奈落の闇が口を開けている。

 えも言われぬ恐怖に、膝が笑う。フローリアは、震えながらも必死に涙をこらえていた。


「見下げ果てたものだな。いつからグローリーの軍人はここまで堕ちてしまったのか。正義と騎士道を重んずる騎士団が。――騎士団第八隊隊長、スパイダーどの」


 あくまで冷静に毅然に、態度を変えずに大地は言い放つ。優位な立場は揺らがぬと、涼しい顔をしたスパイダーは鼻で笑う。


「テメエには関係ねェことだ。元・第一隊副隊長どのよ。ロートルはおとなしく聖石とここで心中しやがれ」


 大地は、ゆっくりと広場中央に向かって歩み寄る。そして、指定の場所で立ち止まると地面に聖石を置いた。


「そのまま十歩下がれ」


 言われた通りに、大地はゆっくりと後退していく。

 十歩下がったところで、スパイダーの兵が五人。大地を取り囲んだ。

 それを確認して、スパイダーは中央で聖石を拾い上げる。


「親父……」

「さて、辞世の句がありゃ聞いてやらんでもねェぞ」


 俯いたまま、大地は口を開く。


「……聖石なんぞいくらでもくれてやる。だが――」


 ゆらりと、顔を上げる。遠くにいる影一郎にでもそれがはっきりと見て取れた。

 今までともに生活をしてきて一度も見たことのない、恐ろしい表情だった。

 いつか本当の親の話をした時、怒らせてしまったと思ったものだが。はっきりと今分かることがある。あんなもの可愛いものだった。


「俺の家族によくも乱暴してくれたものだな。ただで済むと思うなよ、若造!」


 大地が叫ぶ。

 瞬間、広間に突風が舞った。無数のたいまつに灯った炎はたちまち消失し、広間に闇が広がっていき、兵士がにわかにざわついた。


「な、なんだ! 何が起きた!? ――こ、殺せ! とっとと殺せ!!」


 スパイダーの怒号が飛ぶ。怒号と共に、剣劇の音が鳴り響いた。


「親父……!」


 大地からもらった作戦を思い出す。今は、大地を信じるほかにない。

 闇が広がったことで影一郎としては非常にやりやすくなった。影一朗は、牢屋にいた時から用意していて今までずっと控えさせていたそれを解き放った。


「スティングル! スレイプニル!」


 影の中から蠢いて、何かが姿を現した。カラスの姿と黒猫の姿をした、漆黒の闇。影一郎の”使い魔“である。カラスをスティングル、猫をスレイプニルと名付けている。


 それらは、アーリアの国境に続く街道で影一郎が密かに戦力として放とうとしていたものである。

 ブレイズに指導を受けたことで、自信をもって使役することができている。

 二匹は影一郎の声に呼応して闇の中で閃いた。たちまち影一郎とフローリアを拘束していた魔術封じのロープを断ち切ってしまい、二人を乱暴に掴んでいた兵士へ攻撃を与える。 


 兵士予想だにしなかった攻撃にたじろぎ、後退した。


「なんだこいつは!? ああくそ、突き落としてやる!」


 影一郎の影から生じたスレイプニルは、闇雲に剣を払う兵士にあっけなく切り伏せられた。亡骸はずぶずぶと影に沈んでいく。

 兵士の凶刃が影一朗を襲おうとしたその時、


「閃光弾!」


 ”打ち合わせ通り“影一郎は目を閉じる。そのタイミングでフローリアは手の中に光を生成した光を地面投げつける。たちまち激しい光が爆発し、周囲を巻き込んで兵士の目を焼いた。

 ほどなくして、周囲が明るくなった。フローリアの光が弾けとんだあと、再びすべてのたいまつに激しく炎が灯っていたのである。無論、それはフローリアが灯したものではない。


 大地のほうはというと、大地を囲んでいた兵士は大地をめった斬りにしたつもりでいたが、気づけば大地はおらず、お互いを斬り合っていた。かくして彼らは自滅した。


「あああああ、目が! この、調子に……!」


 そして、影一郎の前にいた兵士はいまだに目を押さえてひるんでいる。

 それでもなお、やけっぱちになりでたらめに剣を振っていた兵士はしかし、突然事切れたように倒れ伏したのである。


 神崎命がそこにいた。魔術、”生命操作“の作用のひとつである。

 彼が通り過ぎ去った後には、生命力を極限まで下げられた兵士が次々にぱたぱたと倒れていった。

 触れるだけで終わる戦闘。

 どうにか視力を回復した兵士は、それを目の当たりにして恐怖し、一目散に逃げ出した。


「兄さん、フローリアちゃん、大丈夫? ひどいことされなかった?」


 ひどくうろたえた様子で、命は影一郎に縋りついた。


「大丈夫だ。心配かけたな」

「ありがとうございます……!」

「はあ……本当によかった。もう心配で心配で、どうにかなりそうだった」


 胸をなでおろす命。その命の背後に、スパイダーの兵士が迫りつつあった。


 その剣が振り下ろされる刹那、またも影一郎の影から躍り出たスレイプニルが跳躍し、その剣を弾き飛ばす。続けざま、返す刀の鋭い爪による斬撃が兵士に降りかかった。固い鎧をたやすく両断し、鮮血を散らして兵士は気絶する。

 もはやただの猫の動きではない。


「さ、安心するのはまだ早い。ここを切り抜けよう、命」

「任せて。兄さんはおれが守るよ」


 すかさず影一朗は、先ほどから旋空していたカラス・スティングルに命じてスパイダーの手から聖石を奪い返した。

 影一郎の呼び出した黒猫とカラスは、かつて命に二度目の生命をもらった動物である。影一郎の影に潜り、影一郎の魔力を吸うことで活動できるようになったものの。それらはすでに通常の生命とは異なるものになっていた。天寿を超越した個体に、二度目の死はなかったのである。


 それ以来、二匹は影一郎が面倒を見ている。ユーフェリアに来て以降、二匹がものすごい魔力を放っているのを確認した影一郎はこれは使えるのでは、と思ったのである。

 一方、聖石を奪われて怒り心頭のスパイダー。怒号が響き渡った。


「どこから仲間が侵入してきた!? ――ああくそ、いいから殺せ! 皆殺しだ!」

「殺すだと? やってみろよ。やれるもんならな!」


 スパイダーの目の前で、爆炎が燃え盛った。

 炎の中から、一人の少女がゆらりと姿を現す。抉れた地面の中に現れたのは、深紅の髪の、赤い少女。先端に巨大な赤い宝玉を戴いた杖を手にし、ブレイズは不遜に笑った。


「よお、一日ぶりじゃねえかクソ変態野郎」

「てめえ……あの時の魔術師か」


 少女の持った杖が赤い光を帯びる。するとたちまちガシャガシャと杖は形状を変化させていき、剣のようなフォルムへとなったのである。


「ははん、見えたぞ。野盗騒ぎは全部お前の差し金だな」


 剣の切っ先を差し向けてブレイズは言い放った。対するスパイダーはちっと舌打ちをした。


「それがどうしたァ? 手柄は全部俺たちがいただく! 情報統制も作戦の内だ!」


 ブレイズがスパイダーに斬りかかった。


 スパイダーはその剣を易々と受け止めると、にやりと顔をゆがめて笑う。


「あの時と今じゃ手数が違うってことが分かんねェかな!?」


 スパイダーが渾身の力で剣を押し返すと、ブレイズはひとつバックステップした。

 待ち構えたかのように大量の兵士がブレイズに飛びかかり、いくつもの剣が殺到した。


 完全に背後を取られたブレイズ。もはやこれまでと思われたその瞬間、兵士は次々と焼き尽くされ、身もだえして地面を転がった。焼けた肉の匂いが漂う。


「悪いな、状況が状況だ。ほんの少しばかり力を出させてもらう」


 ブレイズをとりまくように、人の顔を一回り大きくしたような大きさをしたいくつもの火の玉が中空に浮かび上がった。その数はみるみる増していき、二十、三十を超えた時点でスパイダーは視認をやめる。


「て、テメエ……その魔術、もしかして煉獄の魔女……」

「お、知ってんのかよ」

「煉獄の魔女、レッドヴォルフのブレイゼスか!? なんでこんなとこにいるんだ! 死んだんじゃねェのかよ!?」


 スパイダーの顔が色濃い恐怖に染まっていく。兵士を呼び集め、自身は後ろに下がっていった。ブレイズはそれを見て失望する。


「さあ? あるいは、お前が見てるのは亡霊かもな」


 亡霊のそれとは似つかわない真っ赤な炎を次々と周囲に放っては兵士を薙ぎ払ってゆく。

 なおも撃ちだされた炎は目減りすることなく、次から次へ途切れることなく生成される。

 その様は戦時中において煉獄の魔女、あるいはレギオン・ブレイズと呼ばれた。

 今のように何十単位の火球などまだ生易しいものである。


 たった一人に軍隊が殲滅されるその様から、一人の軍隊。あるいは焔の魔女と。畏怖の象徴として君臨していた。

 その背中に、大地が立つ。


「やれんのか、親父殿?」

「雑魚ばっかりだし大丈夫だよ。魔力なんか使うまでもないね」


 大地はいつの間にか腕の拘束だけを外し、剣を持っていた。倒れた兵士から奪ったものだろう。その身体に傷一つなく、息一つ乱していない。

 いまだその身体にはいくつもの魔術封じを残しながらも、足取りに一糸の乱れはなく。


「そうかそうか。そんじゃあお手並み拝見といこうか、鬼神のアストラよ!」



 ブレイズは心から楽しそうに笑った。背中を任せられる戦士が身近にいることが、何より嬉しいと感じている。

 そして、影の使い魔や命の魔術を軸として立ち回っていた影一朗たちの前に、つむじ風をまといながらフュリーがふわりと降り立った。


「大地さんに頼まれたから。あなたたちは私が護るわ!」


 兵士は次々と、広間の入り口から殺到してきている。正面通路を見張っていた兵士だろうか。明らかに、都合百人以上は投入している。


「フュリーさん、なんか元気だね」


 すっと襲い来る兵士に触れて、なんでもないように昏倒させる命。命の目に映るフュリーは、今までで初めて見る気迫を孕んでいる。


「あの人が私を頼った……私を。私を! 今日のフュリーは一味違いますよ。ふふ、ふふふ……!」

「こわい」


 鬼気迫るフュリー。素直に影一郎は感想を述べた。

 激しく渦を巻く風の障壁が影一朗たちを包み込む。同時にあまたの兵士を巻き込み、飲み込み渦巻いていった。もはやその領域には誰一人として近づけまい。

 これこそがティターニアが誇る、護りの風である。

 

だが、敵も序列は低かろうが、いち軍隊である。やられっぱなしではない。相手にだって魔術はあるのだ。

 ……なのだが、そうした魔術のことごとくは発動する前に潰されていた。


 矢が飛来していた。魔術により鋭利に形作った水流による矢である。

 矢の出元をたどれば、あからさまに不自然な足場が壁の一角、角度次第では視認の難しい、やや高い場所に作られている。


 その足場の上から水成が狙撃していた。妙な動きを取ろうとする輩、水成に気づき、魔術で水成の足場を壊そうとする輩を正確に撃ちぬいていく。あるいは、それらが行動する前に神崎家、あるいは三人娘のなんらかの行動で未然に防がれる。


 水成の矢は正確に飛んで行った。弓矢の技術というには語弊がある。地球というとんでもなく薄いマナの環境下において、水成は積極的に水の魔術を活用し続けて十年が過ぎた。水質の操作も水流の調整もお手の物である。


 ユーフェリアに来た時、彼の魔術は飛躍的に向上した。今まで抑圧されてきたものが解き放たれたかのように。それは命にも言えるし、影一郎にも同様のことが言えていた。


 ――かくして、あっという間に広間の制圧が完了した。


 実に、総勢七名で百人弱もの兵士を全て鎮圧したのである。眼前にぽつんと立っているは、指揮官スパイダーただ一人。


「……冗談だろ。こんな笑えねェ話があるかよ」


 驚いたことに傷らしい傷を負っていない。今までずっと護られて、護らせてやってきたのだろう。

 その他はというと、大地の指揮通り倒れた兵士の誰もが死傷には至っていない。


 また、全員が倒れたわけではない。早々に白旗を上げたり、逃げた者には決して追撃はしなかった。

 大地は聖石を盗んだ罪人ではあるが、戦争以外の殺しなどもってのほかだ。

 スパイダーは冷や汗をかいてじりじりと後退している。


「このまま隊を崩壊させておめおめと手ぶらで帰ったとありゃあ、あの人にぶっ殺されちまう……!」


 意を決したのか、やぶれかぶれなのか。あまりにも従軍している兵隊とは思えぬ構えで、スパイダーは大地に向かって突撃した。

 それをあっさりといなす大地。剣の腹で側頭部を叩きのめすと、スパイダーは無様に剣を放り出し、地面を転がった。


「く、くそ……」

「第八隊とは言え隊長がこれではね。隊長以外は筋がいいんだが、これじゃあんまりだ」

「ンだとテメエ!」

「もうよしてくれ、隊長!」


 スパイダーがいきり立って、再び立ち上がり、なりふり構わず大地に突進しかけたが、それを一人の兵士がタックルで止める。


「……あんたは」


 影一郎とフローリアを、地下牢からここまで先導していた青年兵士である。身体のあちこちに切り傷があり、鎧や軍服も焦げてボロボロである。ほうほうの体でなお、スパイダーを身体を張って止めたのだ。いっそ痛ましい。


「レイス、テメエ……なんのつもりだ」

「いってぇ……。もうやめましょうって、俺らの負けですよ」


 スパイダーより先に立ち上がった、レイスと呼ばれた青年は続ける。


「鬼神のアストラだけならまだしも、どういうルートを通ってきたか、仲間が合流した。しかもその中には煉獄の魔女と……ああそいつだ、あのプリムまでいるじゃないですか」


 レイスはフュリーを指さした。つられて、大地たちの視線もフュリーに集まる。なぜだか照れた様子でフュリーはおどけて苦笑した。


「そいつが何だってんだ」

「知らないんすね。ティターニアの城壁のセンターですよ。どうやっても突破できないウォールウインドの中核」

「……嘘だろ。そんな情報はなかったぞ」


 スパイダーの瞳が驚愕に揺れる。


「いや、俺もまさかとは思いましたよ。全然聞いた話と違う外見でしたから」

「どゆこと?」


 水成がフュリーの肩に手を置く。びくっとフュリーは跳ねた。


「お、王女プリムと町娘フュリーはあくまで別の存在であってね?」

「それでそれで?」

「この出で立ちで戦争に出ることはまずないから、他国の人は絶対知らないんじゃないかなーと……」

「ふーん。ブレイズもそんな感じ?」


 あくまで自然を装っていたらしいブレイズだが、水を向けられてびくっと過剰に反応した。冷や汗を流してキリキリと錆びついたように首を回して顔を背ける。


「か、隠してた訳じゃない。ただ、あんまし、知られたく、なかっただけで」


 先ほどまでの活き活きとした戦いぶりはどこへやら、急にもじもじとしおらしくなったブレイズは小さい声で言い訳を始める。


「ああ、隠してたのってそれだったんだな」


 影一郎は納得した。練度の高すぎる魔術に、鋼の精神力。あの国境の戦いで見せたブレイズのそれはやはり本気などとは程遠く。小指一本で済むとは冗談ではなかったのだ。


「隠すことねえだろ別に。親父には隠し事すんなっつって自分は隠し事か」

「事情があるんだよ! あと知られたくなかったのもほんとだ! 悪いか!」

「まあまあ……」


 ブレイズに詰め寄る水成。顔を赤くしてムキになるブレイズ。二人の間に命が割って入る。スパイダーは、そんな様子を見てひどく気落ちした様子で、


「……こんなやつらに負けたのかよ」


 そう、吐き捨てた。

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