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神崎家と異世界の三人娘  作者: 未確認物体X
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第5章-1 光と影

地上界生活日誌 その1

アテネシア暦702年6月18日 雨


 精神的に、日記に向かう余裕が出てきたので新たに始めます。

 少し前の話ですが、あっけなくわたしは神界から追放されてしまいました。

 この地方の管轄については、後釜に親友のカンナが配属されたようです。

 彼女に資料と書類を渡し、引継ぎをしたところでわたしの管理者としての任務はすべて終了しました。この引継ぎに時間がたいそうかかったものです。

 カンナはひどく心配した様子で、泣きそうになりながら「たまに様子を見に来るから!」と言っていました。


 わたしの親友は昔っから世話焼きですからねえ。

 ここの後任になった件だって、上にたいそう頭を下げまくったそうで。

 こそばゆいような。申し訳ないような。わたしが泣き出してしまいたい。

  ……積み重ねてきたものが崩れるのは一瞬だと言います。

 でも、また積み上げていけばいい。



 それと、無事に出産が終わりました。

 人間として子供を産むなんて、貴重な体験です。神界を追放されなければ経験しえなかったでしょう。死ぬ思いでした。本当に!


 無事、男の子を出産しました。名前は、シェダと名付けます。

 影という意味の言葉をいじったものですね。

 わたしの適応属性が光なので、わたしの対になるようにという願いが込められています。

 光と影ってところです。エヴァンのセンスも中々のものですね。

 しかしまあ、出産はほんとにしんどかったです。


 それに出産して一か月はもうまともに日記を書くモチベーションもありませんでした。

 今もちょっと熱っぽいですが……。

 授乳は早々に粉ミルクに切り替えたので、あまり苦労もないです。

 カンナも、出産してからというもののこっそり三日に一度はこっそり降りてきて手伝いをしてくれるので、大助かり。もう、彼女には足を向けて眠れない……。


 前からでしたけど、エヴァンはより一層わたしにやさしくなりました。

 幸せだと感じます。夫に、親友に、街の人に愛されて。

 こんなに幸せで、罰は当たらないのかな。




                    ※




神崎命がそれを聞いたのは、五歳のころ。物心がついて、まだいくばくかと言ったところではないか。だから、その時は意味が分からなかった。


 もっと言葉を覚え始めてから、少しだけ意味が分かるようになった。

 兄である影一郎が、父親と何か言い争いをしていたのだ。本当の子供じゃないとか、何とか、そういったことを言っていたようだと記憶している。


 今になって思うことは、どうしてそんなことを言ったのだろうという、寂寥感。

 当時、五歳の命と、三歳の水成の身体にとある変化が起こっていた。魔力の発露である。何も分からなかったそのころは、マホウと呼んでいた。


 不幸な事故で母親が亡くなってしばらくしてからのことだった。突然、魔力が身に宿り、ただただ当惑し、泣いていた二人を大地はおろおろと宥めていた。


 そんな折、自分たちの力になってくれたのは影一郎である。


 七歳の影一郎は、少しばかりマホウに覚えがあった。大地ももちろんマホウを使えたと思うが、大地の言っていることはよく分からなかった。

 だが、影一郎は命や水成の立場になって考えることができていた。いわば、二人にとってのマホウの先生である。流石に、まだ物心のつかない二歳の水成の扱いには辟易したものの、命は影一郎の存在に救われたのである。


 未知のその力が、どれだけの恐怖だったか。それを制御し、うまく使いこなすことで世のため人のためになるのだと教えてくれたのも影一郎だ。


『きょうふをのりこえるんだ』と、彼自身の言葉で慰めてくれたあの頼もしさを、命は忘れたことはない。


 時は流れ、命が十一歳の頃。流石に魔法にも慣れてきて、影一郎の言いつけ通り、人前で目立つような使い方は決してせずに穏やかに過ごしていた。


 そんな折である。車道の端で倒れている、ぼろぼろの白猫を見つけたのだ。まだぴくぴくと動いてはいたものの、頭から血を流しており、もう助からないのだろうと思った。


 よくある話である。交通事故だ。


 命は、車の隙をついて猫を歩道まで引きずり込んだ。

 もしかしたら、自分の魔法で治せるかもしれない。そう祈り、魔法を使った。

 果たして、猫の外傷は治った。だが、それだけだった。


 猫はもう動くことはなかった。

 間に合わなかったのである。


 命はうなだれた。この魔法は、傷は治せても命は治せないのだ。

 そこへ、ちょうど高校から帰宅中の影一郎が通りかかった。事情を話すと、共に悲しんでくれた。そして、この猫を埋めようと提案した。


 自宅の隣に公園があるので、そこの木の根元でいいのではと結論を出し、運搬は任せろと、影一郎は自分の影の中に猫をしまい込んだ。


 影一郎は、自分の影にいろんなものをしまい込める。漫画で出てくる、便利な四次元ポケットのようなものだと言っていた。だから、帰宅中ではあったが通学鞄すら持っていなかったのである。

 影一郎もまた、人前では魔法を使わなかった。小さい頃にそれをやって、幼稚園の友だちを泣かせたことがあると。それを一番最初に教わった。本気を出せば影に入り込んで、別の影から出てくるなんて芸当も出来る。素直に命はそれを凄いと評価していた。


 公園に到着して、いざ埋めようとしたところ。影から取り出した猫の死体が、動き出したのである。にゃあと鳴いて、影一郎と命にすり寄った。


 命を吹き返したと、喜んだ。

 喜びはすぐに違和感に変わった。白猫は黒猫になっていたのだ。影一郎の影に黒猫など入っておらず、間違いはないはずだった。


 その不思議な黒猫を、神崎家で飼うことにした。

 命はその夜に、高熱を出して一週間寝込んだ。


 一年後。


 後にも先にも、カラスの死体などを目の当たりにしたのはこれっきりだった。

 たまたま、学校の催しでとある山にある長い長い階段を登っているところ、休憩所の外にぼとりと落ちて来たのだった。


 階段の周囲は木々の生い茂る林そのものであり、カラスのねぐらであったのだろうと推察された。その上空や周囲の木々を見ると、仲間とも敵ともとれるカラス達が点在していた。なんらかの事情で助かる見込みのないこの個体はおそらく、食われるのだろう。

 命はもう一度試してみたいことを思いついて、カラスを拾った。リュックにしまいこみ、帰宅した後に蘇生を行った。


 当然、生き返るはずもない。その後、影一郎に頼み込んで影に入れると、やはりカラスは息を吹き返し、元気に飛び回った。

 命が回復させ、影一郎の影――影一郎の魔法をもらっていると仮定した。そういう順序を踏めば動物を生き返らせることができると、命は確信した。


 が。その夜、またも命は高熱を出した。今度は三日で熱が下がったものの、影一郎にはこっぴどく叱られてしまった。しかしながら、兄は父には話さないでいてくれた。

 それきり、実験だろうが何だろうが死に瀕した動物を回復させることは厳しく禁じられた。それも大地ではなく影一郎に、だ。


 大地はもちろん、父親として子供のことを大切に思ってくれている。

 影一郎は、兄として弟の気持ちに寄り添ってくれていた。

 そのことを誰よりも命は知っている。水成だって、魔法のことに関しては影一郎にだいぶ世話になったので、感謝しているはずだ。


 だから、影一郎が家を出て県外に一人暮らしすると分かった時は、寂しかった。

 突き放されたと思った。その理由がずいぶんと昔に偶然耳にしたあの話であることはなんとなく理解していたから、何も影一郎のことを責めることはできなかった。


 家族なのに、何も言えなかった自分を恨めしく思った。心の底では、もっと頻繁に帰ってきてほしいと思うのだがなんと声をかければよいか分からずにいる。


 だが、今は違う。


 真実をすべて知った影一郎に、本当の意味で手を差し伸べられるのは家族だけだ。血は繋がっていなくても、影一郎と兄弟として暮らした日々は、真実の家族の日々に違いない。

 必ず、皆であの家に帰るのだ。



 思えば、影一郎が根暗と呼ばれるようになったのはいつからだっただろう。

 幼稚園の頃、まだ魔術が自分だけのものだとは露知らなかったころ。友だちの前で影の中に手を突っ込んでみせて、泣かれた記憶がある。


 影一郎の得意技のうちの一つだったのだ。泣かれるなど、思ってもいなかった。


 いくつになってもそれだけは覚えていた。影一郎の人生における最初の間違い。

 それから、なんとなく影一郎が持っている不思議な力のことは隠すように生きてきた。命や、水成は少し遅れて魔術に目覚めたので、自分の二の舞にはさせるまいと、一生懸命言葉を尽くして、どうにかこうにか頑張って制御させた。


 ――ああ。そういえば、そのころからか。


 影一郎は生まれながらに、魔術と共にあったと思う。だが、命や水成や違った。

 それを知った時から、なんとなく疎外感を感じていたのかもしれない。


 それが始まりなのだろう。


 深い深い闇の帳の中。思考が暗い闇の中に落ちていく。

 影一郎とフローリアは、暗い牢獄の中に二人捕らえられていた。

なぜこんなことになってしまったのか。暗い昏い闇の中に浮かぶたいまつの炎を眺めながら、己の状況を整理していた。


 レナードの言う通り、地球からセントアリアの墓地に転移してきた影一郎たちはずっと見張られていたのだ。


 ティターニアに転移した大地たちも、おそらくそうだ。聖石を盗んだ罪人であるアストラを捕らえるチャンスを、虎視眈々と狙っていたのである。

 アーリアでは条約の効果や、レナードの管轄であったこともありその目は途切れていたものの、アーリアを出るとやはりすぐに監視が再開されたのだろう。


 なるほど、影一郎たちはアーリアの国境付近で野盗に襲われたが、それこそが斥候だったのだ。非戦力とみなされた影一郎とフローリアに、人質の白羽の矢が立ったのである。


 大地のほうは空を経由していたためにその隙はなかったが、アーリアでレナード司祭が言っていた通り、住民に紛れた諜報員が逐一、アストラ・レイヴァンスの報告を行っていたらしい。今更ながらにそんな事実を思い知る。


 ……セントアリアの岬の孤児院には、グローリーの間者がいた。


 ずっと、いたらしい。気の遠くなるほど長い時間、ずっとあの場所で間者として、働いていたのだ。実に、十八年の歳月を、そこで。


 当初は真剣にアストラを捕縛するつもりでいたのだろう。長い長い年月を経て、すっかり形骸化してしまった任に、意味があったのだろうか。まるで島流しや左遷のようだ。


 しかしながら影一郎らが現れたことにより、機構はどうにか息を吹き返した。

 連日、都合三人の少女が忽然とセントアリアの岬で姿を消したこと。その後影一郎たちが同じ場所から突如現れたこと。十八年前に大地の消息が絶たれた場所で立て続けに起こった出来事は、にわかに注目されつつあったのだ。


 やがて全国に散らばった諜報員たちの調査の上に、同時期ティターニアでアストラの存在が確認されたのである。

 案の定、雁首をそろえてセントアリアにやってきたことが決め手となった。


 孤児院のシスターであるエレインは奥の部屋で縛られていた。真っ先に伏兵に捕らえられたのは、目をつけられていたフローリア。それで皆、身動きが取れなくなった。


 そして、追加で影一郎が指名された。

 水成は水の魔術、命は即座に人を昏倒させる謎の魔術を用いるとして、警戒されていた。


 端から端まで観察されていたのである。


 ことここに至り。セントアリア孤児院に待ち伏せしていたグローリー兵の丁寧な説明によって、神崎家の面々はその一連の顛末をようやく知るに至った。

 警戒していなかったわけではない。相手のほうがずっと周到であったのだ。


 こう陰鬱としたところでじっとしていると、どうも気持ちが弱くなってしまう。

 影一郎は後悔する。ユーフェリアに。大地が隠し通そうとした過去に首を突っ込むべきではなかった。大地の懸念通りの結果になってしまったことが、それを裏打ちする。



 ここはグローリーのどこかであると推察される。目隠しをされ、かなりの距離を途方もなく歩かされた。わずかだが傾斜があったので、地下であるかもしれない。


 兵士が言うには人質二人の身柄と、地の聖石とアストラの身柄を交換するという。そのような取り引きを交わしているという情報だけは入手できた。


 二人の身柄は一時預かりされているということだ。

 この作戦を指揮するグローリー兵の準備が出来次第、交換が行われるのだろう。

 大地のことだ。仮に自分自身を犠牲にしても、必ず影一郎たちを助けに来る。


 分かり切っている。それが辛かった。


 隣を見ると、フローリアが小さく体育座りをしていた。

 哨戒の衛兵はずっと牢屋に張り付いている訳ではなく、少し離れたところで番をしているようだった。

 影一郎は隣に座り込み、小さい声で、フローリアに声をかける。


「ごめんな、俺がわがまま言わなければ、こんなことには」


 フローリアは、顔だけ影一郎のほうを向いた。力なく笑う。


「いいえ、そもそも、わたしがゲートの生成に失敗したせいで……」

「……いいや、たとえ成功して、ちゃんと転移できていたも結果は同じだっただろう。親父の言う通り、ユーフェリアに行こうなんて考えたからだ」


「影一郎さんのせいだなんて、誰も思ってないです! 肉親に会いたいと思うことが間違いなわけ、ないじゃないですか」


 泣き出しそうな震える声で、フローリアは影一郎の肩にすがりつく。


「……ありがとう。ごめんな」


 この状況下においても、気遣われてばかりだった。改めて少女の芯の強さを垣間見た気がしたが、その手が小さく震えていることに気づく。

 どれだけの地下なのかは分かりかねるが、少々牢屋の中は冷えた。寒さに震えているのか、恐怖ゆえにか、あるいは寂しさに。

 フローリアは以前、自分はひとりなのだと言っていた。


 つい何時間か前まで総勢七人で鉄道小旅行としゃれ込んでいたのだ。その落差もあってか、今になって思い出さなくていいことを思い出したのかもしれない。

 あくまで影一郎の想像である。――そう思うのは、他ならぬ影一郎自身がそのように身をもって実感しているからだ。


「以前、俺は君の孤独に寄り添えないって言ったけど。結局、俺は……母さんの子供でもなかった。本当の両親は、もういない」


 言葉を探しながら影一郎は語りかける。相槌や慰めをせびるわけでもなく、ただただ、フローリアに聞いてほしかった。そのためだけに、言葉を紡ぐ。


「それはいいんだ。別に。俺にとっては、親父と母さんが両親そのものだ。けど、なんだろうな。心の奥底がちりちりするというか。急に心細くなった。そんな態度、親父は好まないだろうし、家族に失礼だからしないけどさ」

「はい」

「……我ながら贅沢な孤独だと、思うよ」


 孤独を感じるほうが間違っている。でも、今はまだ、気持ちの方が追いつかないでいる。

 気持ちが心に追いついた時は、自分でも改めて家族になれるのだろうか。


「……わたしもそう思います。そしてわたしが感じている孤独もまた、贅沢なものです」

「そうだろうか」

「です。わたしはひとりだと言ったけれど、孤児院のシスターエレインや、わたしを引き取ってくれたキースセインさん。教育係のアンナさん、ミハイルさん。友達と呼べる子もいました。ブレイズさん、フュリーさんだってそう」


 フローリアは顔を上げて虚空を見つめた。在りし日の、大切な人たちの懐かしい顔を思い起こしているのだろうか。慈しみに満ちたその表情は、どこか今にも泣きだしそうで。


「水成さん、命さん、大地さん。そして、影一郎さん。わたしはとっくにひとりなんかじゃなかった。でも、勝手に自分はひとりなんだと思い込んで……何様だ。って、感じです」

「……」

「料理とか、家事が好きなのもそうです。ひとりだと思い込んだわたしが、唯一自分の居場所を作れる手段だから。なんか、むなしい空回りですよね」

「……はは、そうかもしれないな」


 フローリアは困ったように。眉をハの字にして、苦笑してみせた。

 似ていると思った。その嘲笑も、勝手にひとりでふさぎ込んでしまうところも。ひとりで頑張ろうとして、空回りしていたことも。その在り方に、影一郎の影が重なる。


「ねえ、知ってます?」


 膝を抱えて座るフローリア。抱えた腕に顔を半分埋めたまま、隣の影一郎を見上げる。

 その仕草に、影一郎は思わずどきりとする。


「同じ孤独を分かち合える人は、愛し合えるんですよ」

「……そうかもしれないな」


 臆面もなく言うフローリアの表情は、薄暗い牢屋の中では完全には見て取れない。

 それはお互いさまなのだが、見ようと思えばいくらでも見れる距離まで、二人の距離は近くなっていた。


 それでもその確認をしないのは、顔を見られたくないからなのか。

 やはりお互いさまかもしれない。


「なんて、わたしのかつての主――キースセインさんの受け売りですけどね。同じ孤独が分かる人は、同じ寂しさに寄り添い合えるんです」


 フローリアはそっと影一郎との距離を詰めた。いつの間にか、肩の触れ合う距離までになっている。


「だから、大地さんの言う通り。ここを出て地球に帰ったら、家族になりましょう。きっといい家族になれます。そして、影一郎さんはたまには実家に帰ること。節句がないと顔も見せないなんて、わたしが許しません」


 十も年下の少女にぴしゃりと命じられ、影一郎は何も言い返せない。


「善処します」

「あと、食生活も心配なのでたまに様子を見に行きますね。ごはんとか、作ります」

「え、ええと、そこまでしてもらわなくてもいいかな。割と距離あるし、移動にも体力使うし、メシくらい作れなくもないし」


 影一郎の脳裏に、お隣に住んでいる聖女のような女性を思い浮かべる。別に影一郎は多少なら料理くらいできるのだが、彼女は中々それをさせてくれない。

 ……なぜか、影一郎には二人を合わせることはためらわれた。……なぜか。


         *


 そうして身を寄せ合っている二人。おもむろにフローリアがぽそりと言った。


「それで、どう思います? この状況。大地さん……来るでしょうか」


 お互い孤独自慢をして、多少心が晴れたのか。暗い牢屋にあって存外に二人とも、前を見る活力を取り戻していた。


「親父なら多分来る。だが来てほしくない、っていう本音もないこともない」

「わたしたち、血も繋がっていなければ赤の他人ですしね」


 そういうことを冗談交じりで言える心の余裕も出てきた。よい傾向である。


「でも、それでも来る。あの人はそういう人ですよね」

「ああ、そうだ。――……うん、そろそろらしいな」


 影一郎は、自らの影に手を突っ込んだ。そこから一枚の紙きれを取り出す。


「それは?」

「俺と水成と命の影は繋がるようにしてあるんだ。極端に離れてるとリンクが切れるけど、まあ、五キロくらいなら……」


 フローリアたちが地球に来た時に多少説明した程度で、実際に見せるのは初めてのことである。はっと何かに気づいたらしいフローリアは、眉根を寄せる。


「もしかして、それを使えば脱出できたのでは……」

「いやいや、人間は俺が入るくらいしか出来ないから。モノとかはともかく」


 昔はコレを使って色々やったものだ。影一郎は魔術に物を言わせてこっそり悪ガキを楽しんでいた昔を懐かしむ。


 結論として、小物や小動物などは割と際限なく入るのだが、家具などの大物や、自分以外の人間はどう頑張っても影に入り込めなかった。ものも送信できたりできなかったりする。影一郎は、ものによってキャパシティのような数値が定められており、それが振り切ると駄目なのだろうという、水成の受け売りであるゲーム脳で片付けていた。


 それで、今しがた水成か命のどちらかがこのメモを影一郎に投げ込んだのだ。

 大地と繋がっていないのは彼に対して後ろめたい気持ちがあったからである。


「ちょっと、こっそり照らしてくれるか」


 もはや感覚がマヒしているのか気づいていないのか、密着するほど身を寄せている二人。影一郎が紙切れを差し出すと、小さな淡い光でフローリアがそれを照らし出す。吐息の触れ合うほどに顔を寄せ合い、それを確認した。


『指定があったのでぼちぼち親父が人質交換に向かう。そちらも兵士の指示に従って絶対に抵抗したりしないように』


 影一郎は文字で察する。これは水成からのメッセージである。


『以下、親父が立案した作戦を明記するので目を通しておくように。 水成』


 そこには作戦と称されて、やたら小さい文字で長い文章が記されていた。その几帳面な文字は大地直筆であると見て取れる。暗がりの中、小さい光でなんとか目を通し、影一郎とフローリアは密かに笑う。


「……なるほど。流石は元副隊長殿だな」

「はい」


 二人は顔を見合わせて密やかに笑った。かくして、人質交換作戦(仮)が幕を開けようとしていた。

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