第4章-2 光の都アーリア
「……そのシェダという子供が、影一郎くんだ」
語り終えた大地は、静かな面持ちである。影一郎のルーツを語るということは大地が抱える原罪をも見せるということである。
アスロック大陸中央、光の都アーリアの宿屋の一室。
予定通り先に到着した大地、水成、命、フュリーは影一郎らを待つ間、時間を潰していた。そこで大地がぽつぽつと語り始めたのである。
初めて聞く兄の出自に、水成と命は言葉が紡げずにいる。
「じゃあ、影一郎さんはユーフェリア人だったんですね」
「話さないでいたのだけど、カンナと管理者が話していたのを聞かれでもしたんだろう」
「……管理者?」
突如として沸いた新たなワードに、三人は一様に首を傾げた。
「ああ、うん。今の話に出てきたカンナとアトナは人間じゃなくて。管理者って言って。どっちかって言うと神様に近い存在らしいんだよね」
「お前は何を言っているんだ」
大地がユーフェリア人の告白をした時にはなんとか口をつぐむことが出来た水成も、とうとうたまらずそう言った。
「神様って。父さん、ちょっと話が眉唾になってきたんだけど」
命は頭を抱えるように額に片手を当て、うつむいてちょっと待て、と掌を立てた。
「僕も詳しいことは分からないけど、そういう存在があるらしい。実際に奥方――アトナさんはありえない魔力を有していたし、神奈の操る魔術も普通ではなかった」
「普通じゃない……ですか」
『普通』、人の扱う魔術は属性に準じたものである。応用も効くが。
だが、大地が見てきたところ、神奈の扱うそれはあまりにも多岐にわたるというか、常識にとらわれない。きっとその気になれば、アトナもそのように振舞えたのだろう。
しかしながら、当時のアトナは魔術士官という立場があった。今になってみれば隠していたのだろうと大地は推測ができた。
聖石を盗む時だって、神奈がいなかったら無理だったのだ。
霧や閃光弾で目くらましをしたり、厨房に時限式に発火させてボヤを起こすなど。他にも透明化したり、気配を完全に消したり、それでも見つかった時は相手の精神を操っ見なかったことにさせたりした。城からの脱出も高いところから飛び降りたりした。
「それでもやむなく戦闘があったんだけど本当に静かに意識を奪うんだよ」
「そりゃ、魔法のようだな」
水成の使う魔術も水属性という縛りにとらわれている。水成に限らずともユーフェリア人全てに言えることではある。地方ごとの大気中のマナに偏りがある事に起因するものだ。
そこで黙っていたフュリーが口を開く。
「見たことがないでもないですが……。マインドコントロールあるいは強烈な負荷をかけるのは、極東の島国に呪術が伝わっていて、そういうのがあるとは聞きました。ですが、それだけでは説明できませんね」
フュリーは、義母が行使できる特殊な魔術のことを思い出す。
「(お母さまも魔術で説明が難しいことを何度かやってたけど……。うーん)」
「まあそれは分かったよ。で、さっきの話にもあったけど、父さんはなんで聖石なんて大事なものを盗もうと思ったの? 国宝なんだよね」
命が疑問を発した。大地はうーんと腕を組んで唸る。
「それを説明するには、管理者と、彼らが従属する神界なる組織が関わってきてね、割と説明が面倒臭いんだ」
「神界か。お伽噺みたいになってきたね」
命が苦笑した。話がまったく予期しない方向に全力で舵を取りつつある。最初から大地を疑うつもりは微塵もないのだが、早くも自分を見失いそうだった。
その時である。威勢のいい声と共に、ドアが勢いよく開かれた。
「話は聞かせてもらった! そいつはあたしも聞きたいね!」
「いつから? 気配、分からなかったよ」
少しだけ驚いて、大地は感心した様子で言った。扉の外にいるブレイズに、皆の視線が集中している。
「……今しがた。たった今到着したところなんでな」
不愉快そうに大地から視線を外して、ブレイズはぶっきらぼうに答える。
ふと、ブレイズひとりがそこにいることに気づき、水成は疑問に思った。
「あれ? 兄貴とフローリアちゃんは?」
「あー、なんかまあちょっと色々あってな……。今はその辺散歩してる。影一郎のやつも一緒だよ。で、神崎大地。アンタだ」
ブレイズは大地をびしっと指さした。
「僕が何か?」
「あんた、グローリーでお尋ね者だったぞ。しかも手配書はデッドオアアライブだ。聖石を盗んだほかにも国家転覆罪とか殺人罪とか色々問われてる」
「マジかよ……」
「それはそれは」
水成と命はうわあ、と呆れたように眉をひそめて大地を見た。余罪の内容がかなり物騒な割にはあっさりした反応ではあるが。しかし、当の大地はあっけらかんとして、
「そうかあ、そりゃやっぱりバレるよね」
などと動揺するそぶりもなくのんきなものであった。
「はっきりしてもらおうか。ついでに影一郎が帰ったら全部話せ。仮にも親子のくせに隠し事多すぎんだろお前らたいがいにしとけよ!」
部屋の出入り口で喋っていたブレイズはずかずかと踏み込み、大地のほうに近寄ると胸倉を乱暴につかみ、引き寄せた。至近距離でガンを飛ばし、糾弾する。
「ご、ごめん。わかったから一つずつね」
その勢いに押され、大地は思わず尻込みした。フュリーはなぜか近い、近いとわめいてひとり焦っている様子である。
「オレも気になる。……別に、親父が殺人していたとしても構わない。ただ、知っておきたい。もう俺たちにも隠し事はなしにしてくれ」
水成の語調に淀みはなく、瞳はまっすぐ大地を見据えていた。
命はそれに頷いて、同じく大地を見つめている。
「……隠したくて隠していたわけじゃないんだ。知らなければ、一生知らないままのほうがそれに越したことはないって思ったんだ」
ブレイズの手をやんわりと押しのけ、シャツの胸のあたりの皺を伸ばす大地。ブレイズは静かに舌打ちし、ベッドの縁に腰かけた。
「お尋ね者なのは間違いないだろうね。なにせ聖石を盗んだのは本当だ。……国家転覆なんてのはただ話に尾ひれがついただけのでっち上げだろう」
「殺人は?」と、水成。
「……殺人は、そうだね。僕がいなければ、エヴァンはあの戦場を生き残っただろう」
ブレイズは虚空を睨んで、ヴェルダンの墓地を思い出している
「その言い方だと、大方僕のせいで死んだーとか抜かすんだろ。てめえみたいなやつにはよくあるこったな」
「ははは。耳が痛いね」
「……はー、全くよ」
足を組みなおし、やれやれと言った様子でブレイズは大げさに呆れて見せた。
そして、そのまま床を蹴り、勢いをつけてどかっとベッドに大の字で寝転ぶ。短めのスカートの裾がひらめき、対面していた大地は思わずぎょっとした。
「こらこら、女の子がはしたないよ」
全く意に介した様子もないブレイズは遠い目をしてふっと笑う。
「あんたもあたしを女扱いするのか。……とは言うけどさ、もうちょっとフュリーみたいに出るとこが出るような成長をしたかったね」
上体を起こしたブレイズの視線はフュリーの胸部付近に。ブレイズのそれと比較して、一目瞭然に戦闘力の差が見てとれた。そこは女同士、遠慮もせず臆面もなく、じっとなめ回すように眺めている。
「何言ってるのよ。私なんて大したことないんだから。上には上がいるのよ!」
「下には上しかいねーんだよバーカ!」
持つ者に持たざる者の気持ちはとうてい分からない。もはや女として色々なものを捨てているつもりだったブレイズだが、ここ数時間の間で価値観が徐々に変わりつつある。
持つことに羨望の気持ちがないでもないことに気づいたのだ。
その傍ら、神妙な面持ちで瞑想している水成に気づいた命。
「水成? どうかした?」
「いや、なんでも」
立ったままの態勢で腕を組んで目を閉じ、悟りの境地を開かんとしている水成。その脳裏に駆け巡る煩悩を、命はなんとなく察した。
「……白?」
「しま……おいこら、何言わすんだてめえ!」
角度的にはばっちり見えていたと思われた水成、煩悩を追い出すための瞑想であった。
「君も一応三次元にも興味があったんだねえ、お兄さんほっとしたよ」
「だまれテメエ、いつもスカしやがって!」
照れ隠しにいきり立って拳を振るう水成を易々と笑いながらいなす命。水成も顔だけは狙っていないのだがどこにも当たらず、あるいは受け止められてしまう。
大地は破顔した。
「こらこら、喧嘩は駄目だよ」
「ブレイズちゃんも、もうちょっと気をつけないと」
少しだけ顔を赤くしたブレイズは、無言で居住まいをただした。
*
とっくのとうに日が沈んでいるはずなのに、街全体は明るい光に包まれている。ところどころに設置された街灯は魔術の力で光り輝いている。火の力を借りない光というのはどうも人工的なものしか知り得ない影一郎だが、この魔術の光は地球のそれと比べてずいぶんと生命力が溢れているように感じた。
以前、フローリアに光の魔術を見せてもらった際、魔力や生命力を増幅させることができるのかもしれないと言っていた。街の光を見ていると、どこか満ち足りた穏やかな気分になるのはその影響なのだろうか。
ユーフェリアに来て二日目の夜。影一郎らはようやく大陸中央のアーリアにやってきた。
野盗を撃退し、馬車を走らせ始めた頃には日が沈んでいた。真っ暗になっていた辺りがアーリアに近づくにつれ徐々に明るくなっていくような錯覚があった。否、錯覚ではなくまぎれもない事実だった。
光の都アーリア。光属性のマナが豊富な、名前通りの光に満ちた街である。
この街は不戦条約が締結されており、いかなる国もここで争うことはできない。
というのも、アーリアを事実上統括している光の協会には神の御使いである『管理者』が在籍しており、下手な動きをすれば見たこともない魔術を操り、即座に平和的平定されるといった噂話があるのだ。
無神論者である影一郎はバカバカしいと思いつつも、その一方で異世界や魔術があるのに神があり得ないのはおかしいだろうか。という考えも芽生えつつあった。
事実として、アーリアは今まで一度も戦火に見舞われたことがないという。噂話が嘘か真かはさておき、純然たる事実があれば事情がなんであれ真となりうるには違いない。
服飾店でフローリアが新しい下着を見立てて購入したのち、落ち合う予定の部屋にブレイズは一足先に向かった。
見送った影一郎とフローリアは、特にあてもなくぶらぶらと歩いている。
少しは晴れたつもりだが、気持ちを整理する時間がもう少し欲しかった。
それに、フローリアが得意とするのは光の魔術である。であれば、元をただせばアーリアに所縁があるのかもしれないから、少し歩きたいとフローリアは申し出た。
という訳で、お互いに意見の一致を見て今の状況に至る。
自分の落ち度でゲートを不安定な形にして予期せぬ分断を強いてしまったことや、グローリー王国でのアトナに間違えられた件で、ふさぎ込み気味だったフローリアだった。
ようやく無事に合流できたことからか、少しだけ元の明るさを取り戻していた。
しかし、ここでもあの名前を聞くこととなる。
「アトナ……さま?」
通りすがっては人々にその名を呼ばれるのであった。
「いいえ、人違いだと思います……」
「ああ、そうですか。申し訳ありません」
そりゃそうだよね、といった妙に納得した顔で、通りすがりの青年は立ち去ってゆく。
グローリーの人々とはまた違うリアクションであるので、その理由を問いただせば何か分かるのではないか。
去り行く背中に、影一郎は思い切って声をかけた。
「あの。アトナというのは、この街にいた人の名前ですか?」
「いいえ、アトナ様はこのアーリアに伝わる光の女神の名ですよ。言い伝えと文献にしかその姿は確認されませんが、なんででしょうね。アトナ様が実在すれば、あなたのような雰囲気の方かなあと思うのです」
それはもはや遺伝子レベルの崇拝と言ってよいのではないだろうか。
フローリアは申し訳なさそうな顔をした。
「……ごめんなさい。ご期待に沿えなくて」
「いえいえいえ、そんな顔をなさらず。ではこれで失敬」
青年もまた、申し訳のなさそうな顔をして、手を振って去っていった。
「そんなに似ているもんなのかな、そのアトナっていう人と」
「どうなんでしょうね。なんだか、わたし自分のことがよく分からなくなってきました」
あてもなく並び歩くフローリアの瞳は、伏せ気味に下を向いている。自分の生立ちを求めて始まった一連の出来事の末に、さらに謎がひとつ増えていた。
心細いのかもしれない。と影一郎は思う。今はその小さな肩がより一層小さく見えてしまい、儚くて今にも消えてしまいそうな錯覚を見る。
……触れていいのだろうか、自分が。
フローリアを元気づけてあげたいが、その方法が分からないでいる。
そうしていると、フローリアの歩みが止まった。たたらを踏んで影一郎も歩みを止めると、目の前に高い塔が聳え立っているのが見えた。
塔の出入り口には衛兵が詰めており、荘厳な装飾も相まってただならぬ場所であることがうかがい知れた。
どれだけそうしていただろうか。二人が塔を見上げてたたずんでいると、ふいに横合いから声がかけられた。
「光の塔といいます。珍しいですかな?」
法衣のような白いゆったりとした服をまとった、白髪白髭の老人が立っていた。
いきなり話しかけられて驚いた影一郎は、言葉を探す。
「え、ええ。ここに来るのは初めてで。観光名所……とか、ですか?」
「観光名所と言えば観光名所ですな。この塔が光の女神アトナ様の御神体とも呼ばれておりますゆえ」
「光の女神……」
再三聞いたその名前が一体何なのか。フローリアの心を晴らすには、その正体を探る必要があるのではないか。
意を決して影一郎が口を開こうとした時、先手を打つかのように老人が一歩前へ出る。
「よろしければ、中も見ていかれますかな? 一般客用に開放されておりますので」
「それじゃあ、ちょっとだけ。フローリア、いいかな」
「……はい」
覇気のないフローリア。それなりの時間を歩いたかもしれないし、思えばユーフェリアに到着してひと悶着あり、移動にも時間を取られて慌ただしかった。
塔の見学を終えたら、馬車でも捕まえてすぐに宿屋に戻ったほうがいいだろう。こういう時は思い詰めてもらちが明かない。休息を取って一度リセットしなければならない。
さて、衛兵のいる出入り口と思しき門とは逆の方向から塔へ進入した。中は聖堂になっており、この時間にも関わらず参拝客がちらほらと見て取れる。
上へは端にある螺旋階段から登れるようになっている。
「私はここの管理をしております、司祭のレナードと申すものです」
「これは丁寧に。俺は神崎影一郎といいます」
「フローリア・フローライトです」
名乗って一礼する。するとレナードはフローリアに目を留め、少しばかり見つめていた。
「……あの、何か?」
「ふむん。確かめたいことがあります、上までお付き合い願えますかな」
フローリアを見ながら立派に育ったあご髭をなでつけ、何かを得心したようにレナードは頷く。階段へゆったりと歩き始めたので、二人はそれについていく。
「疲れてないか? 階段、大丈夫か?」
「え、大丈夫ですけど……――ああ、そんな風に見えるんですね。ごめんなさい、わたしは大丈夫ですよ」
フローリアははっと伏し目がちだった自分に気づき、かぶりを振る。そして少しはにかんだように微笑んでみせた。
「ありがとうございます」
螺旋階段をのぼった先には、小さくて質素な、一階の装飾過多とも言える内装とは対照的な印象を受ける祭壇があつらえてあった。
ちなみに階段は別の場所からまた伸びていたのだが、その先は完全に展望所になっているだけらしい。祭壇には小さな棺のようなものが供えられている。
「フローリア殿。その棺に手を触れていただけますかな」
「え? ……こ、こうです?」
フローリアがおずおずと祭壇に歩み寄り、そっと棺に触れた。
すると、ふわりと。フローリアの手から小さな光が生まれたように見えた。光が収まったかと思うと、その棺の蓋が自動的に開いたのである。
「やはり……やはり、そうであったか」
傍らで見守っていたレナードは声を震わせた。満足そうにうなずいて、棺の中に入った何かを取り出した。恭しく、それを献上するようにフローリアに差し出す。
「お納めくださいますか」
「納め……って、これは聖石!?」
棺から現れたのは、紛れもない聖石。今フローリアが持っているグローリーの聖石の形状と全く同じものだが、感じ取れるマナの属性はそれとは異なる。
アーリアを温かく照らし続けている、光。あまねく人々を優しさで包み込む、慈愛の光がその聖石に内包されている。
「すみませんが、受け取れません」
「しかし、これはあなた様の……」
「そこですが、わたしはアトナではありません。そもそも、アトナとは何者なんです?」
ただただ困惑した様子でフローリアが問いかける。
レナードは我に返り、慌てて聖石を棺の中に戻すと、申し訳なさそうに頭を垂れた。
「……取り乱したようです。平にご容赦を」
「それはいいんですが……」
「アトナ様のことですね。私が知る限りのことをお話いたします」
――光の都アーリアという国が興ったのは、250年ほど昔のことになる。アスロック大陸の中央に位置し、グローリー、レッドヴォルフ、ティターニア、アニスの四大国のいずれにも属さない第五の国として注目された。
そも、興った要因としてもっとも引き合いに出されるのは、四国間の戦争である。ひどい話だと、交易の為に正式な手続きを踏んで越境したにも関わらず、それが原因で戦争の火種となったという話もある。それぞれが対極の位置にある国々において、もはや外交すら難しい状況になっていた。
そのため各国は一時休戦し、大陸中央の荒れ地――ほぼ、戦場として便利に使われていた――を開拓して、各国へ中継するロビーの役目を持った、アーリアという国を興した。
案の定、当初は問題だらけだった。各国からそれぞれ人と資材を寄越して一時とはいえ協力して作り上げた国である。どこの誰がこれをまとめ上げると言うのか。またしても一触即発の雰囲気が漂う中、どこからか現れたのが『管理者』という神の代弁者である。
管理者は人智を超えた魔術を用い、あっけなく人々を平定した。この地での戦争行為を厳しく取り締まり、聖石をもたらした。聖石が放ち続ける光のマナは平和の象徴として、永遠に消えることのない暖かな光を灯した。その管理者の代表が、アトナという小柄な少女の姿をした女神であったのだ。
何度か小競り合いが発生しそうになったことはあったものの、いずれも未然に防がれた。それはアトナの仕業とも、他の管理者の仕業とも、管理者でない何者かの仕業とも言われた。その事実が、アーリアに神の威光ありとして、人々の心を縛った。結果的に不戦条約は意味を持って続いていくことになる。
その後もアトナはちょくちょく“同じ姿で”現れたとされるが、目撃情報としては決め手にかけるものばかりで、その実よく分かっていない。……という要因もまた、人智を超えた魔術によるものであると裏打ちされてしまう。
アーリア南西地区より、やや中央寄りに聳え立つ光の塔は開国当時からあり、アーリアの象徴とされている。象徴は人々の心の拠り所となり、やがて”女神アトナのもたらした光の塔“は様々な意味合いで重要な場所になる。パワースポットとも女神の御神体とも言われ、観光名所となって今に至る。
「……まるで本当の神様みたいですね」
「まるで、ではなくまことなのですよ」
話を聞き終えた影一郎は、まるでお伽噺のようだと思った。250年もの間同じ人間が存在するはずがない。あるとしたら、違う人間が何代かに渡って同じ人間を演じるというものだ。……あるいは、人間ではない何か。それが神の代弁者という、管理者なのか。
隣で黙っていたフローリアは、おずおずと控えめに挙手をした。
「あの。そのアトナという同名の女性がグローリーで、しかも割と最近に亡くなった、という話はご存知で……?」
「18年前の話ですな。ちなみに同一人物です」
フローリアとしてはカマかけをしたつもりだったのだが、あっさり認められてしまった。
「色々信仰上まずいことが多いので、同名の女性ということにしてあります。情報統制ですね、正しく知っているのは数人でしょう」
レナードの言う言葉が本当であれば、グローリーのアトナとアーリアのアトナは同一人物で、しかも神の使いである管理者ということになる。
そして、それほど影響力のある神が亡くなったとあればもはや暴動が起こってもおかしくはない。レナードの言う情報統制はなるほど正しいものだ。
「では、なぜフローリアのことを亡くなったアトナだと勘違いしたんですか?」
「聖石の眠る棺を開けられたからです。光の塔はともかく聖石自体は間違いなくアトナ様がもたらしたもの。これが戦火の火種にならぬよう、彼女か、あるいは管理者のごく一部にしか開けられないように、棺に閉じ込めてくださったのです」
それが、今誰でもないフローリアの手により開かれたのだ。加えてフローリアは光魔術の適性があるし、見た目としてもアトナのそれと一致する。
「わたしは管理者などという者ではないですよ?」
「そうですなあ。ですから、私にはアトナ様が生まれ変わってここにいる、という全く確証のない、独りよがりの与太話しかできません。……申し訳ないが、忘れていただきたい」
果たして与太話だろうか。と影一郎は密かに思う。
偶然にしてはあまりにも出来過ぎていることが多い。
「でも、流石に聖石は受け取れません。そもそもなくなったら、まずいですよね?」
「……それがそうでもないらしいのです。グローリーなどは聖石が存在しない現状でも、大きく環境が変化した様子がないことから、ただちにマナが途絶えると言ったことは起きえないでしょう。まあ、百年二百年後にはどうなるか想像しかねますが」
「なるほど……――――え」
門外不出だと言われているグローリーの秘密がバレている。影一郎はぞくりとした。だとすればこのレナードという司祭は一体何者なのか。
フローリアも察して、にわかに三人の間に緊張が走る。なおもレナードは続けた。
「今宿屋におられるのは、アストラ殿でしょう」
指名手配犯のアストラこと大地の存在が、確実にバレている。
――まずい。どうにかして早くアーリアを脱出しなければならない。影一郎は、フローリアの手を引いてにじり下がる。
「……」
「……? ――ああ! いえ、違うのです。私は敵対するつもりは毛頭ありませぬ」
じりじりと後退する影一郎とフローリアを見てただならぬ雰囲気を察知したレナード。何事かと考え、ある結論に思い至ったようである。
「違うって? 親父を狙っているんじゃないのか」
「ほう、ご子息であられたか! ――彼は今、聖石と共に雲隠れをして十八年経ってもなお国に追われております。各国いたるところに間者が紛れ込んでおりましてな……」
本当はご子息でもなんでもないのだが。
それを飲み込み、影一郎は続ける。
「あんたは、間者なのか?」
「はっはっは、なんの力も持たない私風情が諜報の真似事など」
レナードはわざとらしく明るく笑って、陽気に手をひらひらと振った。
「――実際はアーリアでは私が統括しているのですが」
「やはりか」
これはまずい、と思った。今すぐにでも地球に戻らねばならない。
フローリアの作るゲートは、セントアリアの墓地でしか作れないのだろうか。だとするとまた移動に時間を取ることになる。影一郎は背中に冷や汗をかいた。
「アーリアに関しては、私で止めておきます。ただ、これより先、道中の無事は保証しかねますので、くれぐれもご注意を」
意外にも、全てを知って味方でいてくれるようである。影一郎は少しだけ警戒を解いた。
「……いいのか?」
「むしろこちらからお願いしたい。くれぐれも、無事に元の世界へ帰ってください」
「! レナードさん、あんたはどこまで知って……」
レナードの表情は変わらない。穏やかな笑みをたたえたままだ。その人の良さそうな笑顔の裏にはかりごとがあるようには到底思えなかった。
「十八年。アストラ殿が聖石と共に雲隠れした時間です。そして今の今まで。各国に何百人と紛れ込んで生活をしている諜報員が、キャッチできなかった。挙句子供まで育てているとくれば、もう残るはお伽噺の異世界くらいしかありますまい」
「まあ、確かに一理ある」
「――今の、この世界の現状をご存知ですかな」
急にレナードの声のトーンが下がったので、影一郎はぞくりとする。
「い、いいえ」
「でしょうな。……レッドヴォルフ現国王のアマデウス王はたいそうな野心と、戦における天賦の才をお持ちの暴君です。あるいは、グローリーとの長きに渡る因縁にも決着がつくかもしれませぬ。そうなるとかのレッドヴォルフが四大国を統べるのも時間の問題となりましょう」
「確かに。魔術の相性的にも少し融通が効くようになる。拮抗しているって聞きましたけど、一つ崩れればあとはなし崩しってことに……」
道すがら、ブレイズから軽く聞いていた情勢を頭に浮かべる影一郎。
「はい。そして、言い伝えでは聖石は一か所に四つ集まると、その大きすぎる魔力の影響で暴走し、世界を飲み込んでしまうと。さる予言でも、世界にこの先よくない兆候が見えるとされているのです。だから、できることならこの光の聖石と、地の聖石と共にうまいこと隠れていていただきたいという事です」
ここに至って影一郎はようやく腑に落ちた気持ちになる。最初から、アストラ・レイヴァンスの関係者だと踏んで接触し、釘を刺しにきたと言うことだ。
フローリアに関しては……偶然としか言いようのないことだが。生まれ変わりなど、あり得ることなのだろうか。
魔術、異世界、神、管理者……地球で暮らす普通の人々にとって、漫画や小説といった創作の中のお話でしかないことが今、影一郎の目の前でたて続けにその存在を主張し始めている。何を受け入れ、何を排斥すべきか。それが定まらない。
「話は分かりました。聖石は受け取ったほうが……いいんです?」
警戒した時のまま、影一郎が遮ったような立ち位置のままでいたフローリアは一歩前に出て、レナードと向き合った。
「強要は致しません。受け取っていただいても良いですし、そうでなくとも構いません」
「わたしが、アトナの生まれ変わりとは限りませんよ?」
「そうでしょうね。ですがこれもまた縁というもの」
「……」
腑に落ちない様子だったフローリアだが、意を決したように聖石を受け取った。
「戦争が落ち着いた時に、必ず返しに来ます」
「ええ、よろしくお願いします」
レナードは笑顔を見せた。屈託のないその笑顔に、フローリアもまた笑顔を返す。
そこへ水を差すのも何か悪い気がするのだが、影一郎は今一度レナードへ問う。
「最後にちょっと、聞いてもいいですか」
「なんでしょう」
「異世界も、聖石の暴走も、その先のよくない兆候も。このユーフェリアにとっては当たり前の知識……なんでしょうか」
「いえ、全く。ごくごく一部の人間しか知り得ないことです」
影一郎は異世界ユーフェリアに対して疑問を抱き始めていた。聞いたところの、どん詰まりつつある戦況。閉鎖的な国々。マナの偏りと魔術の相性。聖石を奪わんとする暴君。不確かな予言の先の破滅。そのどれもが世界の命を縮めようとしているのではないか。
「異世界のことは置いておくとして、聖石に関しては正しい情報を開示して、平和的にやっていったほうがいいのでは」
ブレイズの言う通り、いたずらに人々の命を奪うだけの戦争なんてないほうがいい。このフローリアだって、戦争の被害者――戦災孤児だったのだ。ブレイズとフュリーもそうである。
行く末の終着点が破滅かもしれないのであれば、尚更のことだ。
「それを公表して暗殺された学者がおりましてな」
「なんで!」
「何かの不利益に繋がるか、都合が悪いからでしょうなあ。それに、そういった風説の流布はいつの時代も罰せられるさだめでしょう」
「……わかりました」
予言なる不確かな情報の為に影一郎たちにできるのは、聖石を預かっておくことしかない。そも、三人娘が地球にやってきた原因が分からずにいるため、聖石を所持することに対するリスクも相応にあると影一郎は考えているのだが。
それもアーリアで大地を擁する影一郎らを見逃すための、取引とでも思えばいい。大地が地球で暮らしてきた十八年間も、実は同じリスクを抱えていたのだと考えれば別段変わったことはないのだ。バレる時はバレるのだろう。
「あの、聖石は預かるので。代わりに異世界のことは黙っててくださいね」
「黙るも何も、存在しないものをどう語れましょうか。“仮に”あなた方が異世界からやってこられたとして、どうやってこちらにいらしたかは分かりかねますが、我々にとって異世界とはそういうものです」
「……似たようなもの、か」
大地も似たようなことを言っていたと思い出す。アプローチしようのない異世界など、ないも同然だと。
「すまん、忘れてください」
「はい。では、旅の無事を願っております」




