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神崎家と異世界の三人娘  作者: 未確認物体X
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第4章-1 力を持つ者、持たない者

地上界視察日誌・第7節 その20

アテネシア暦701年7月1日 晴れ


 地上に降りた管理者は人間と交わってはならない。

 神界において視察に降りる管理者に耳タコで言われるのがコレです。

 タブー。禁忌です。

 わたしは三百歳弱の新参者で、当時何が起こってそのような禁忌が出来たのか、

 聞いたことしかありませんでした。どこか、他人事のように軽く思っていたのでしょう。

 今日から百時間程度が神界帰還のボーダーラインのはずです。

 が、思った以上に器と魂の結合が人間そのものに近づきすぎていて。あと十時間も猶予がないようです。

 原因……。わかりきっています。

 魔力を使いすぎたこと。確かにそうです。でも、それだけではない。

 あの人との子を身ごもってしまったこと。

 これにより一気に器が人間に近づいてしまった。疑いようもありません。

 神界に帰るにはこれを破棄せねばなりません。つまり……

 ……。


 今まではこんなこと、なかったのに。

 あの人の顔が、いつまでも頭から離れてくれない。





                    ※




アストラ・レイヴァンスとエヴァン・エインズ。家が隣同士で、いわゆる幼馴染だった二人は家族ぐるみの付き合いをしており、兄弟のように仲良く育った。


 お互い武人の家系であり、父親は両方とも従軍していた。それに倣うように、一六歳になって成人する頃エヴァンは軍へ入隊した。六年後、当時のエヴァンと同じ十六歳になる頃にアストラも後を追うように入隊した。


 神崎大地ことアストラ・レイヴァンスが二十歳の若造だったころ。

 当時、アストラはその実力を買われ、グローリー聖騎士団の第一隊副隊長の任に就いていた。血のにじむ訓練を重ね、剣の師による容赦の一切ないシゴキにも耐え抜いた。その努力が実を結んだのである。


 そして、その第一隊隊長に就いていたのがアストラの幼馴染であり、兄貴分でもある親友のエヴァン・エインズ。当時二十六歳。

 アテネシア暦701年。グローリーの隣国レッドヴォルフ帝国の先王であり穏健派筆頭のアステオスが崩御したことにより、国情は一変。新たに即位したアマデウスは、急進派の舵を取った。それまで交易によって互いの文化を交換し合って、共に発展を目指していたのだが、アマデウスは奪うことを選択した。すなわち、国土および聖石の略奪に走りはじめたのだ。


 それまでは味方であった隣国レッドヴォルフがたちまち敵となり、いつ戦争になってもおかしくない一触即発の剣呑な雰囲気が両国を包んでいた。

 特に国境付近の砦には第一~第十隊までが詰め、交代で寝ずの番が続いていた。


 そこにふらっと現れたのがアトナという不審な少女である。

 持ち場が別にあったアストラは、敵の密偵かもしれないとだけ聞いていた。

 ――どうせエヴァンが身辺調査をしているから問題はなかろう。そのように簡単に思っていた。


 ちょうど第一隊の管轄で、担当がエヴァンだったことは彼女にとっての救いだっただろう。他の隊には残忍で人の心をもたないような隊長もいるという。


 ……気づけば二人はくっついていた。本当に、いつの間にやら。


 アトナは少女のような見た目だったが、成人していたらしい。

 エヴァンのロリコンは今に始まったことではなかったし、控えめに言っても重症だった。アストラは絶対にエヴァンは結婚できまいと高をくくっていたのだが。そのエヴァンに一歩先を越されたのである。


 ショックでないとは言わないが、二人はどうもお似合いのカップルだった。

 出会うべくして出会ったのだろう。先を越されたなど、どうしてやっかむ事があろうか。


 ふらりと現れたアトナは当時頻発していたレッドヴォルフとの小競り合いに巻き込まれたヴェルダンを容易く救ってみせたという。

 アトナは稀代の才能を持った、魔術師だったのである。


 その日の管轄であった第五隊、第六隊は突然の奇襲に統率が取れず、砦を二つ破られた。 

 国境の街ヴェルダンまで進軍を許してしまったのだ。その状況をいとも容易く、一人で覆したのがアトナである。鮮やかな魔術と、その見た目にたがわぬ統率力はあっという間に軍に広まり、まさかの魔術士官就任というスピード出世を果たしたのである。


 第一隊長と、魔術士官。エリート同士である二人の恋愛を誰もが祝福した。


 エヴァンとアトナは、その年に結婚した。

 アテネシア暦702年。その二人に第一子、男の子ができた。


 名をシェダと言い、二人の下ですくすくと育つ……予定だった。

 その年の暮れ、いよいよ戦争は激化していくこととなる。

 出産したアトナは、後任に役目を託して一線を退いた。


 エヴァンとアストラ率いる第一隊は、近衛騎士を除けば随一の戦力を有していた。

 常に戦争の第一戦に立たねばならず、隊長であるエヴァンと副隊長のアストラはしばらく戦役に駆り出され、国を離れた。


 二年後の704年にようやく戦争はグローリーの勝利で終結する。



 エヴァンは帰ることが出来なかった。



 大事な局面でアストラが使い物にならなくなってしい、その穴を埋めるよう奮闘していたが、最後は敵の部隊長と刺し違えた。


 アストラはというと、おめおめと生き残ってしまった。


 話に聞いたエヴァンの最期は立派だった。しかし、彼が残したものを考えると、立派などと死んでも言えない。エヴァンの死はアストラの中に打ち込まれた、永遠の十字架となった。


 凱旋の時、隊の列を抜け出したアストラは軋む体を引きずって、エヴァンの家に駆けこんだ。

 せめて、エヴァンの顛末を正しく知らせる義務があると思ったからだ。


 ――だが。アトナはすでに病で亡くなっており、埋葬された後だった。


 家に残っていたのは、子を抱きしめるカンナと、二歳になるシェダだけ。

 カンナのことは知っていた。アトナの親友であり、たびたびアトナとエヴァンの子育てを支援していたとアストラは聞いていた。


 アストラとカンナは顔見知り程度の仲でしかなかったけれど、アストラは彼女のことを心優しい女性だなと感心していたものである。


 カンナは、帰ってきたそのアストラの顔を見ると堰を切ったように泣き出した。

 理解したのである。たった二歳の子供が世界にとり残されてしまったことを。


 ……なぜ、自分が生き残ってしまったのだろう。アストラは、後悔した。毎日後悔した。その時の光景を夢にまで見た。夢に見るたび、なぜ死んだのは自分ではないのかと、無意味に自分を叱責した。


          *


 ヴェルダンの宿で一晩を明かし、その翌日鉄道に揺られること丸一日。やがて、グローリーとアーリアの国境に到着する頃合いだ。

 その間、影一郎ら三人の間にほとんど会話はなかった。


 もとより影一郎が知り得ていた出生に関する情報は、『大地と血の繋がった子供ではない』ということである。

 燃える病院の中で神奈と何者かが話していた内容は完全には覚えていないのだ。断片的な情報を組み合わせて解釈し、行き当たりばったりに大地のサンプルでDNA検査をしてみたらたまたま結果が出ただけのことである。


 結果を見て影一郎はその通りに解釈した。大地と影一郎は血が繋がっていない。


 自分と血が繋がっている神奈はもう死んでしまい、この家には赤の他人が一人居座っているのだと。

 だから、母の墓参りは何より尊重した。そのたった一つの墓石が影一郎のすべてだった。

 大地には感謝した。血が繋がっていなくても、ここまで育ててくれたことに。だから、彼がくれる仕送りには一切手をつけられなかった。


 これ以上世話になれない。大地はもう、影一郎から解放されるべきだ。


 ……そういった、今まで何より縋っていた何もかもを根底から覆され、影一郎は打ちひしがれていた。まるで気持ちの整理がつかない。そもそも、感情が追いつかない。


 フローリアもフローリアで、墓参りの後も幾度となく道行く人に間違えられた『アトナ』なる名前にひどく困惑している。

 アトナという名の持ち主は、影一郎の実の母親である。


 なぜそのような因果関係があるのか。それほどまでに似ているのか。なぜ、それが自分なのか。フローリアには何も推し測れない。

 フローリアは何もできずにいた。どうやって触れればいいのかも分からず、かといって気を抜くとアトナの名にはげしく頭が揺さぶられた。


 ただ時間だけが過ぎていった。


 その沈黙を、ブレイズが破る。


「……着いたぞ」


 どれだけ喋らずにいたのか。喉から変な声が出てきた気がして、ブレイズは咳払いした。


「おら、いつまで辛気臭い顔してんだ。とっとと立つんだよ! ほらほらほら」


 色々なことがあったが、気持ちを切り替えていかねばならない。

 ブレイズは乱暴に、強引に二人を立たせて歩かせる。


 国境の駅は閑散としており、極端に人気がなかった。

 ブレイズが得た情報によれば、近頃は野盗が特にここら一帯の国境付近を徘徊しているため、一般人も商人もこの辺りには近づきたがらないという。


 現在この問題は国の預かりになっている。騎士団による駆逐が始まってからそれなりの時間が経っているため、時間の問題だろう。


 どうしても通過したい際は傭兵を雇うか、迂回して別の国境を通過するなどするように、ということだ。

 駅を出た3人。いまだグローリーの領内である。生い茂る緑の中に一本通った街道を、このまま30分程度歩けばアーリアに到着する。


 ……が、ブレイズはどうにもきな臭さを感じて仕方ない。


「この見るからに何か隠れてますよっていう街道……」

「なあ、多少金はかかるが馬車に乗ったほうがいいんじゃないか」


 押し黙っていた影一郎が、ようやく口を開いた。

 駅の前には馬車が一台か止まっている。客はなく、御者はヒマそうにしていた。

 やはり野盗のくだりがあってからだろうかとブレイズは察する。他にもアーリアに通ずる道は存在するとはいえ、腐っても国境である。平常はもっと賑わっているに違いない。


 グローリーの馬車は見かけよりもスピードが出ることで世界的に有名である。

 御者は魔術師である。魔術師が馬に地属性の魔術を流し、馬を経由してグローリーの土壌に通すことで極限まで衝撃をカット。馬に負担はなく、客室は揺れがなく。それでいて風のようなスピードを長い時間保てる優れものである。


「確かにそうかもですね。でもブレイズさんがいれば追いはぎくらい大丈夫だと思いますけど」

「まあ、それはそうだが」


 フローリアもそれに賛同した。


「……そういや、魔術師なんだっけ」


 影一郎はブレイズの顔に視線を移した。


「んだよ。そうは見えないってか」

「いや、そうじゃなくて。やっぱ、魔術で戦うんだよな」

「そうだ。あとこいつな」


 ブレイズは肩に担いだ杖をとんと肩で鳴らす。

 今は荷物をひっかけていてとてもそうは思えないが、これもまたれっきな武器だという。


「そいつを見ると頭の古傷が疼く……」


 影一郎は恨めしい目をして後頭部をさすった。

 影一郎にとっては忘れもしない。ブレイズが地球に落ちて来た日、影一郎をノックアウトさせた杖そのものであった。


「悪かったって! いつか借りは返すから!」


 ブレイズは笑って影一郎の肩をばんばんと叩いた。迷惑そうにしている影一郎だが、その表情は少し楽しげであった。

 その様子にフローリアは微笑む。ようやく、影一郎が少しだけ前を向きつつあることがフローリアは嬉しい。


「さ、とりあえず馬車の支払い済ませましょう」


 そんな二人をよそに、フローリアは馬車の御台へと歩いていく。


「すみません、三人なんですがいいですか」

「おや、この時期に客とは珍しいね」


 御者は男性だった。目深にフードを被っていて、特徴は掴みづらい。

 グローリー馬車はその性質上、ある程度練度の高い魔術師でなければならない。この男もきっとそうなのだろう。


「ええ。アーリアまでお願いしたいのですが」

「そうかい。ただ、今はほら、野盗騒ぎがあるだろ? だからほんのちょびっとだけ割り増し料金をいただいてるんだが、構わないかな」


 フローリアは影一郎とブレイズを見た。

 いまだにじゃれ合っていた二人はしかし話だけは聞いていたのだろう。さしたる不平を見せる様子もなく、ブレイズはサムズアップした。影一郎もそれに倣う。


「そうか。んじゃ、全部な」

「はい。……はい?」


 フローリアは耳を疑う。

 今、何と言った?


「全部置いて行けっつったンだよ。聞こえなかったのか、お嬢ちゃんよ!」


 男が手をかざすと、フローリアが立っていた地面が地揺れと共に隆起し、フローリアを突き飛ばした。

 ブレイズが難なくそれを受け止めると、ぎろりと御者を睨みつけた。


「女子供相手にいい趣味してるじゃねえか」

「いい反射神経してるじゃねェか。ガキが」

「お前が最近出没してるっていう野盗か」


 男はにやりと下卑た笑みを浮かべる。


「ああそうだとも。俺たちがなァ!」


 男が指を弾くと、いつから潜伏していたのか。木造りの駅の影や街道の茂みなど。様々な場所から野盗と思われる黒装束にフードを被った男たちが現れた。


 その総勢は合わせて七人ほど。

 最初から囲まれている状況になり、三人は背中合わせになって警戒する。


「……状況が悪いな」


 影一郎はブレイズに語りかける。いくらこのブレイズが手練れの魔術師とは言っても、ろくに戦力にならない影一郎とフローリアを抱えたままで一対多では厳しいのではないか。


「……」


 ブレイズは視線だけ影一郎に答え、警戒を緩める様子はない。


「なあ、一応俺も戦えなくはないと思う。任せてさえくれれば……」

「お喋りはそこまでだ。男は動くな、喋るな。殺すぞ」


 隆起した地面がアスファルトを突き破り、鋭い刃と形を変えて影一郎の心臓を狙っていた。すんでのところで止まっており、影一郎は思わず口をつぐんだ。

 フローリアは冷や汗を流して唾を飲み込む。その身体は小さく震えていた。


「おい、やめろ」


 ブレイズが一歩前に出る。リーダー格と思われる御者の男の前に進み出る。


「おい、止まれガキ」

「荷物は預けるから魔術を収めてくれ。そいつに傷をつけられちゃ、困る。もちろんそっちの妹にもな」


 ナチュラルに妹と呼ばれて何事かと思ったフローリアだったが、そういえばそのような設定であったのだ。ブレイズはあくまで冷静であることが伺える。


「殊勝なことだな。じゃ、とりあえずお前は武器を捨てて、頭に手を当ててこっちに来い」


 ブレイズが魔術師であることも見抜いているらしい。ブレイズは杖を彼方に蹴り飛ばした。両手を上げて後頭部に当て、ゆっくり歩いていく。

 男がそれを確認したらしい。影一郎の胸に向かっていた地の刃は霧散した。


「……!」


 影一郎は歯噛みした。このままブレイズに任せていいのか。

 実際、戦えなくもないのだ。ユーフェリアにきて何度かこっそり、とある魔術を試してみたがかなり良好であることが判明している。で、あれば。


 それを用いれば、おそらく奇襲のような形で相手に一撃入れることが出来る。

 ばれないように細心の注意を払いながら、影一郎は魔術の準備にかかった。


「よし。ンじゃあ魔術封をさせてもらうぜ」


 リーダー格の男はブレイズの後頭部の、両手に符のような何かを張り付けた。


「あれは魔術封じの御符です。あれを使われると、魔術師は簡単には魔術を使えなくなります……」


 小声で喋るフローリアは、青ざめてブレイズを見ている。

 ブレイズはすました顔で、されるがままになっていた。


「想像よりキツいだろ。これは特注品でな、封に時間はかかるが、やっちまえばこの通りよほどの魔術師でも解除が難しくなる。いずれ足腰も立たなくなるぜ」


 男が言うや否や、効果が表れたのか。ブレイズは身体を震わせて、がくりと地面に膝をついた。


「……確かに、こりゃあ相当のものだ。ていうか、そこまでの魔術師だと思ってくれてたのか?」

「いや別に。ただこういうのも面白いと思ってよ」


 男はブレイズの外套を持っていた短刀で引き裂くと、赤いジャケットの下の、シャツのボタンを一つずつ外していく。白い肌と下着があらわになっていく。


「……」


 ブレイズは抵抗する様子もなく、じっとしている。あるいは、動けないのか。


「おい、やめろ!」

「は? 喋るなっつったろが」


 再び影一郎を土くれの刃が襲う。それも8方向からフローリアと影一郎を取り囲むように伸びて、たちまち二人は身動きが取れなくなった。


「た……兄貴、やっぱり少女趣味だったんすか」

「ド変態っすねたい、兄貴」

「でもそこに痺れるっす!」

「憧れます!」

「うるせェよ! お前らだって分かってて着いてきたんだろうが!」

「たまには新鮮でいいっすね。この背徳感は燃えるっす!」


 目付け役なのか趣味ではないのか、何なのか。一人だけは影一郎とフローリアを監視して、残る男たちは皆ブレイズを囲んでいく。


「くそ……!」


 もう少しで合流地点のアーリアに到着できた。もう少しで!

 あるいは野盗騒ぎが収拾するまで待つべきだったのか。ふさぎ込んでばかりでまともに考えもしなかった影一郎は己を恥じ入った。ブレイズがいるからと、すっかり頼り切ってしまっていたのだ。


 影一郎とフローリアが動けずにいる間も、ブレイズは辱められようとしている。

 魔術は使えるがブレイズが捕縛された今、戦力は影一郎のみに等しい。

 自分だけで乗り切れるのだろうか。戦いの素人である影一郎はその判断を下せない。足が竦んで動けなくなる。

 そうこうしている間にも、ブレイズの上の下着は弄ばれるように短刀で裂かれてしまった。


「ジャケット邪魔っすね」

「いい素材してんなこのジャケット。切断めんどくせえ」

「そっちは任せます、とりあえず下も行っとくっすね」


 べたべたと好き放題にブレイズに触りまわる男たちに、とうとう影一郎は我慢の限界を迎える。


「……くそ、いい加減に――」


 その時である。

 空の彼方から、何かが飛翔してきた。

 それは高速で回転しており、影一郎には何かが回転しながらブレイズのほうに向かっているとしか視認できない。


 そこで影一郎は思い出す。そういえば、ブレイズは不自然なほどに力強く、杖をあらぬ方向に蹴っ飛ばしていたような気がしたのだ。

 しかし、それは杖と言うよりは鋭利な刃物のような形状をしている。

 音もなく、確実にブレイズに向かっている。危ない。影一郎がそう叫ぼうとした時にはすでに。


「うお!?」


 回転しつつ、ブレイズの頭上から真っすぐ背後の地面に突き刺さった。

 果たして、それは短刀のような形状をしている。それを野盗たちが認めた瞬間、ブレイズを中心としておびただしい炎がごうと巻き起こった。

 炎は野盗の男たちをあっという間に包み込み、激しく燃え盛った。


「うわあああああ!!」

「あつ、あっちィ! 何をしやがった!」


 見れば、ブレイズの両手は自由になっている。あの短刀が魔術封じの御符を断ち切ったのである。


「やれやれ」


 おまけだ、と言わんばかりに指を鳴らすと、更に炎が渦を巻いて爆発的に燃え上がった。


「やべえ! お前ら退散だ、退散!」

「隊長が遊ぶからっすよ!」

「だから兄貴と呼べとあれほど―― だあああ熱い、あっちィ!!」


 あっけなく、野盗たちは尻尾を巻いて逃げ出した。

 いつの間にやら影一郎とフローリアを取り囲んでいた魔術は消え去っている。

 影一郎とフローリアを見張っていた男も、いつ逃げたのか。いなくなっていた。

 ブレイズが短刀を拾い上げると、たちまち元の杖の形状に戻ってしまった。


「ブレイズ!」


 影一郎はブレイズの元に駆け寄った。一も二もなく外套を拾い上げ、強引にブレイズに着させて前を隠す。あまりの勢いに、ブレイズ自身がたじろいでいた。


「お、おう。すまんな」

「だ、大丈夫なのか。ほんとに大丈夫なのか。なあ」


 影一郎はブレイズの両肩を掴み、追いすがるように肩をゆすって問いかける。


「大丈夫大丈夫何もされてないだから揺すんな揺すんな、揺す――やめろ!」

「おうっ」 


 あまりのしつこさにキレたブレイズはヘッドバッドを影一郎に見舞った。

 影一郎の頭に星が飛ぶ。影一郎は後ろに倒れて尻もちをついた。


「まあ、地球で買ってもらった下着はダメになったが、あとはなんともねえよ」


 全く問題ない、と言った風にへらっと笑っているブレイズ。影一郎に背を向けて、外套を羽織ったままいそいそと着衣を正し始めた。


「本当にすまん。俺が不甲斐ないばかりに……」

「不甲斐ない? 何言ってんだお前今更」

「くっ」


 ぽかんとして悪気のない刃を放つブレイズ。影一郎は膝をついた。


「いや、魔術を使って切り抜けるべきかどうか迷った。けど、戦い慣れてない俺一人じゃどうにもできないかもしれないと……」

「……ああ。あれ、お前のか」


 視界の端に何かを認めたブレイズは得心がいったという風に頷く。それから影一郎の肩を軽く叩き、屈託のない笑みを浮かべた。


「なんとかしようとしてくれたんだな。捕まってるフリしてた間も本当に心配してくれてたこと、その、割と嬉しかったぞ。ありがとよ」


 言い終わり、少し照れた様子で影一郎から離れるブレイズ。

 その言葉の中にさらっと聞き逃してはいけない何かがあった気がして、影一郎は眉を寄せる。


「…………フリ?」

「やっぱり気づいてなかったか。捕まってるフリだよ、あれは」


 ブレイズはあっけらかんと言い切った。影一郎は当然腑に落ちていない様子である。


「は? いやでも、膝ついてたし」

「だから油断させるための演技。最初っからあいつらの目線な、フローリアに行ってたんだよ」

「……」


 影一郎はぎょっとした。脱力してへたりこんでいるフローリアを見ると、涙目でふるふると首を振っている。


「どうやらロリコンのクソ変態集団だと予測したから、外見だけならあたしでも行けるかと思って代わりに行った。群がってきたところで適当に封を解いて、一網打尽。以上」

「……お……」

「お?」


 わなわなと震える影一郎。首をかしげるブレイズ。そして――。


「お前なあああ!」

「うお」


 再びブレイズの肩に掴みかかる影一郎。捕まったブレイズは驚きつつも、特に逃げることはしなかった。それどころか、どこか楽しげである。


「すまんすまん、許せよ」

「ほんっとーに心配したんだぞ! いくらブレイズが強い強いって言っても、あれだけ大の男に囲まれちゃ流石にもうダメかと……」

「あー。何から何まで申し訳ないや。実は、あれくらい小指一本で片付くんだ」

「は?」


 冗談みたいにしれっと言い放つブレイズに、影一郎は思わず目が点になる。

 邪魔する奴は指先一つでダウンなのだろうか。漫画みたいなことを想像して、影一郎はいやいやとかぶりを振ってブレイズを咎める。


「冗談はやめろ」

「いや冗談じゃなくてな……。実はわけがあって派手な大立ち回りは今のところできない。フローリアを狙ってた変態だったのは事実だから、落としどころとしてあの作戦が一番良かったんだ。……あたしにとっては、だが」


 詰め寄る影一郎に、ブレイズは変わらない調子で答えていくが、流石に後ろめたいことがあったのか。徐々に影一郎の視線に負け、あらぬ方向に目線を外しつつあった。

 影一郎の胸に、ちくりと。失望にも似た、自責の念が芽生えた。

 泣きそうになりながら、影一郎はブレイズの肩に力を込めていく。それを察してかブレイズは外しつつあった視線を戻し、影一郎を見つめなおす。


「確かに。戦力として信用できないのは仕方ないけど、何か言ってくれてもいいだろ……」


 両肩に掴みかかったまま、うなだれる影一郎。

 それだけ、自分自身が許せなかった。あの時、自分なりに魔術を用意しつつも何もできなかったことが情けなくて仕方ないのだ。

 ブレイズは何も言わず、影一郎の手にそっと自らの手を添えた。

 顔を上げる影一郎。その目を真っすぐ見つめている。


「違う……! 信用できないとかじゃない。お前も、フローリアも、戦うことなんてしなくていい」

「……ブレイズ」

「戦争なんてないほうがいい。暴力なんてないほうがいい。追いはぎも強姦も、それを追い払うことも。本当はないほうがいい」


 ブレイズが添えた手に、力がこもる。


「ないほうがいいけど、それでも力を持ったやつは持たないやつを護ることが義務だとあたしは思っている。力を持たないやつが、無理に戦うことはない。だからさ――」


 ブレイズは影一郎の手をすっと剥がした。腰に手を当て、ドヤ顔で薄い胸を張る。


「戦いは、無条件であたしに任せろよ」


 努めて明るく言うブレイズだが、影一郎はどうしても許容できないことがあった。


「分かった。分かったが、ひとつだけ約束してくれ。それができなきゃ、任せてなんてやれない」

「なんだ」

「さっきみたいに、自分の身体を囮に使うなんてのは、やめてくれ」

「いや、でもな」


 食い下がるブレイズになお追いすがる影一郎。


「嫁入り前の女の子なんだから、身体は大事にすべきだ」

「――」


 ブレイズは硬直した。

 何か変なことを言っただろうかと、影一郎は逡巡したが。ややあってブレイズはぷっと噴き出して笑い始める。


「――は。ははっ! 分かった。分かったよ!」


 また、ばんばんと影一郎の肩をたたいてブレイズは愉快そうに笑う。それはもう笑う。

 笑いすぎて目端に涙を浮かべるほどに、ブレイズは笑っている。


「このあたしを女扱いしたのは、あのクソ野郎ども以外じゃお前がはじめてだよ」


 笑いすぎて紅潮した顔で、ブレイズは愉快そうに笑っている。


「でも。――うん。努めてやるよ。それと一つ、お前には助言しておく」

「助言?」


 ブレイズは目を乱暴に赤いジャケットの袖でぬぐう。袖で隠れた目が露になった時には、すでに笑顔は消え去っていた。真剣な面持ちで、影一郎を見つめている。


「どうしても戦わなきゃならない時が来るかもしれない。でも、その時はきっとお前一人じゃない。……仮に一人だったら戦うな。戦いについて素人のお前は、一人では絶対に何もできない」

「……な、なるほど」


 ころころと表情を変えるブレイズに影一郎は少しばかり戸惑っている。

 が、話の内容自体は至極全うであった。先ほども影一郎が感じ入っていたことをすべて見透かした上で言っているかのようだ。


「一人じゃなければ、味方を信じて自分のやれることをやれ。背伸びをするな。なんでも背負い込もうとするな。できないことをやろうとするな。そういった緊張が恐怖になり、足を竦ませる」


 まるでその通りだった。影一郎には返す言葉もない。


「助言痛み入る。心に刻んでおく」

「ああ。あと、さっき用意してたお前の魔術をちょっと見せろ。多分だがここぞという時に役に立つ気がする」

「わ、分かった。ちょっと待ってくれ」


 人通りのない街道のど真ん中で、魔術講義を始めだしたブレイズと影一郎。

 二人はもちろん気づかない。

 茂みの中でふん縛られていた本物の馬車の御者を発見したフローリアが、人知れずそれを救出していたことに。


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