第3章-1 異世界・ユーフェリア
地上界視察日誌・第7節 その13
アテネシア暦701年6月2日 曇り
一日眠っていたようです。魔術を使いすぎました。
起きたとき、ベッドの傍らに椅子で眠りこける彼がいたものだからびっくりしました。
第一部隊の隊長ともあろう人が、何故わたしにここまでしてくれるのでしょう……。解せない。
――思った以上にレッドヴォルフの先遣隊が派手に攻め込んでくるものだから、つい正当防衛のために色々やりすぎてしまったのです。
国境の砦と町を護る第一部隊にほとんど混じるとか……。
しかし、あの堅牢な砦があんなに易々と突破されるとは。レッドヴォルフの勢いがすごいです。
あちらの新たな国王がそれだけの気質をお持ちなのでしょう。
そのおかげで町を護るためちょっとでしゃばるつもりが、出すぎました。
これくらい、許されますよね?
だって、しょうがないじゃないですか。
大の男性に、あんな目で懇願されては……
人としてのこの器で出来うる範疇のことだったら問題ないはずです、ええ。
ついでに私の魔術を見込まれて魔術士官になってくれとか何とか。ああもう。
私のような小娘が魔術士官など、ついてくる人間もいないでしょうに。
と思っていたら意外とそうでもなく。
ちょっと派手に立ち回りすぎました。反省。
どうせあと一か月の辛抱です。どうにか乗り切りましょう。
※
「では、光の都アーリアの宿で落ち合うということで」
目を閉じながら、フュリーは話しかける。
すると、頭の中に聞きなれた声が響いてきた。
『それで異存はない。そっちは移動に半日かからないだろうが、こっちは行って戻ったりするし、速度も違うから多分丸一日かかると思う』
「そうよね。一応、余裕をもって明日の夜を目安にする?」
『そうだな、トラブルがないとも限らない。では明後日の夜を限度としてくれ』
「……それを過ぎたら?」
『どちらかが何らかのアクシデントに見舞われて全滅したと判断する。が、今は幸いどの国でも戦時中じゃないし、こっちにはあたし、そっちには親父殿とフュリーがいるからまずありえないだろ』
「まあ、最悪私がティターニアまで飛んで、また念話すればいいだけの話よね」
『それでもいい。確認だが。ヴェルダンにある、影一郎の父親の墓ってのは教会の裏手で間違いないんだな?』
「大地さんがそう仰ってたので間違いないと思うわ。裏手が共同墓地になってるみたい」
『了解。じゃ頼んだぞ』
「はい、任されました」
ティターニア王城。王女アメジストの私室にて、ブレイズとの念話を終えたフュリーはほうと一息ついた。自分が魔術を使ったわけではないのだが、感覚的に慣れない。
その横で念話の魔術を行使していたティターニア女王・アメジストは微笑む。
「もう、すぐに発つのですか?」
「お預かりしている方々を、ちゃんと元の場所にお返ししないといけないので……」
大地ら三人は客間で待たせている。ちょちょいと風の魔術を使って会話をこちらに流してみると、夏休みがあと何日とか、何日休みの間に帰れるかどうかとか、そういうとりとめのない話をしているのが聞こえた。
あの巨大なゲートに飲み込まれたのち、異世界転移は無事に成功していた。
――転移自体は。
フュリーと、命、水成、大地は大陸北東部に位置するティターニア王国の領土内に落ちていた。領内随一の魔力溜まりスポットである、郊外も郊外の森の中、エンデという大樹のふもとに。
大樹の周りに広がる森林地帯は、あまりに不自然なマナの量で野生動物や植物が突然変異するという、生態系バランスが崩れている危険地帯である。
人はまったく寄り付かない。はっきり言って早くも全滅のピンチかと思われた。
が、森をあっさりと離脱できたのは神崎大地の力によるものが大きい。最悪の場合を想定していたらしい大地は自前の剣を持参しており、変異した動物や植物――魔物を相手にちぎっては投げ斬っては投げの一人無双としゃれこんでいた。
結果、森を出るまで大地は傷一つ負わずに皆を守り切った。
その様にフュリーはたいそう惚れ直したのである。
「お返ししていいの? あなたの好きそうな殿方が一人混じってますけど」
「ちょ! それは違――」
「あら、違いましたか。ならあの子の見合い相手に」
「違わないので、やめてください。やめて」
ユーフェリアに来て、影一郎らとはぐれてからまずは森の中を探したが、一向に見つかる気配はなかった。スマホの通話も繋がらないと三人は嘆いていたので、ならばと一度ティターニア王城に戻ってきたのだ。
突然の来客を伴った帰国に女王アメジストと、国王バッカスは驚いた。特に娘が男を、しかも三人も連れ帰ってきたことに。
「……しかし、この魔術は何度経験しても慣れません」
念話の魔術。どんなに離れた距離にいる相手とも、意思のみで会話ができる特殊な魔術だ。
しかし条件が厳しく、互いが知り合いで、ある程度心を許している間柄でしか会話ができない。その上、フュリーが知るところではティターニア女王であるアメジストしか使える人間がいないのだった。
知り合ってまだ日が浅いブレイズやフローリアと意思がリンクできるかどうか、ある種の賭けであった。まして会話すらほとんどしなかった影一郎となど絶対に不可能だろう。
フュリーとしては内心不安でしかなかったのだが、あっさりブレイズと一発で意思疎通できた。どうやら、あとの三人は無事にグローリー王国に転移できていたようだった。
大地曰く、影一郎の父親の墓石があるのは、グローリーと隣国レッドヴォルフの国境付近にあるヴェルダンなる街という話だった。そこで墓参りを済ませてから、互いの国の中間地点にあるアーリアで合流するという手筈となったのである。
フュリーたちがいるティターニアは大陸の北東。グローリーは南西とまあ見事に真逆の位置に落ちてしまったのである。
現状、地球に戻るためのゲートを開くことができるのはフローリアしかいない。何を置いても合流するほかにはないのだ。
「いつも不思議に思ってたんですけど、念話とか遠見とか……お母さまの使う特殊な魔術って、どういう理屈で使えるようになってるのかしら?」
「魔術には色々あるのですよ。あなたも精進することです」
「そうやってすぐはぐらかす……。まあ、別にいいですけど」
別に答えを得ようと思っている訳ではない。フュリーにはアメジストと普通の人間とは決定的に違う何かがあるような気がしている。強いて言えば、根本的な部分が異なるような気がしている。
「で、それからどうするのです?」
「……どうするって」
す、と女王アメジストの瞳が細められた。フュリーはどきりとする。
「彼らを送り届けて、また帰ってきますか? そうではないのでしょう」
「……それは」
「惚れた相手は、ちゃんと捕まえておきなさいな。まだ完全に惚れていないとしても、ツバくらいつけておきなさい」
てっきり引き留められると思っていたフュリーは目を見開いて驚いた。
「いいんですか……? あの、引き留めたり、しないの?」
「別に。あなたの好きなようになさい。ただし帰ってこないつもりの場合、バッカスには黙っているように。国を動かしてもあなたを止めるでしょう」
「……はは」
暇をもらって、食べ歩きの旅行と銘打って国を出たことの真の目的が家出だったことはとうにアメジストにはバレていたのである。バッカスにはともかく。
この義母には一生敵わない、とフュリーは嘆息した。
影一郎をユーフェリアに送り届ける、という作戦を決めたその日、フュリーとブレイズとフローリアの三人は、影一郎に墓参りをさせて地球に返して、そのまま神崎家との縁を切ったほうがよいと考えていた。
そのあとは、仮に地球に戻るにせよ、ユーフェリアに残るにせよ三人で生きるのもいいと。そういった結論を出していた。
それが早くも揺らいでいる。
「あなたが血を受け継いでいないことは関係ありません。あなたにその気があれば、後継者としていずれ女王に即位してもらいます」
「でも、それは」
フュリーが言いづらそうに難色を示すと、アメジストは心底詫びいった様子で、表情を曇らせた。
「プリムのことでしょう? ごめんなさい、勝手にあなたを引き取っておきながら、あなたには気遣ってもらってばかりでした」
「いいえ。お母様とお父様に拾っていただけて、フュリーは幸せでした」
ティターニアの正当な血統を受け継ぐ王女は、フュリーではない。フュリーは孤児であり、拾われ、孤児院に預けられてから間もなく三歳の頃には魔術の才を見出されてティターニア王室に引き取られた。
それはまだ幼い王女プリムに魔術の才能が皆無であることが発覚したことに起因する。
ティターニア王室では一番目に生まれた子を国王、あるいは女王とする決まりがある。子供は、若い間は国を守る軍事組織『ウォール・ウインド』の御旗を勤めねばならない。
魔術は持って生まれた素質が八割、努力が二割と言われている。そのため王室では濃い魔術師の血を枯らさぬよう努めて後継者を作ってきたのだが、魔術師のDNAに100%はないのであった。現に、このような特異な魔術をも自在に行使できるアメジストからでさえ、天文学的な確率で不幸の子を授かることもあった。
国の体面的によくなかったので、王室は各国の孤児院を当たってフュリーを見出した。
以来、プリムはフュリーとなり、フュリーはプリムとなった。
それだけである。それだけの話で、王女は王女でなくなった。
身代わりとなった子は、本当の王女を無視することはできなかった。
王室の闇を知ったフュリーが何より待ち望んだのは、飲酒が許可される十六歳の誕生日である。グレて品格を落とせば自分などよりプリムが王女として見直されるのではないかという作戦だった。品格が落ち切った後、事実を公表すれば自分など見向きもされるまい。
だから不良に走った。
城に併設された軍の兵舎を夜中にこっそり抜けては、城下町の屋台街でおじさまたちに堂々と混じっては飲み食いする下町のアイドルと化した。
まずは変装して、時間をかけて溶け込む。馴染み切った後に爆弾を投下するだけの簡単な仕事である。
万が一、フュリーに手を出そうものならば風の魔術で吹っ飛ばされるので、それもまた痛快でいいとして城下町の名物になったとかならなかったとか。
結果、屋台の酒と濃い味のつまみと、中年男性がすっかり好きになった。
……それだけの話である。思いを馳せて、フュリーは微妙な顔をした。
「……いや、幸せだったらもっとまともに育つべきでした」
「ほんとにね」
遠い虚ろな目をしたアメジストは、フュリーの暴走とも呼べる自己主張の日々を思い出していた。すべて過去の因習にとらわれて凝り固まってしまった王室のやり方が悪いのであって、フュリーは何も悪くないのだが。それでも一時期大騒ぎになったものである。
「自分の居場所は見つかりそうですか?」
「まだ、確信はありません。けど――」
もっと近くであの家族を見ていたいと、フュリーは思う。
その中に自分の居場所があるのなら、それはとても素敵なことだ。
「そのめぐりあわせはきっと偶然じゃない。だから、大切になさい」
「本当に、ありがとうございます。お父様にもよろしくお伝えください」
「しばらく経ったあとに、ね」
微笑みを交わして、二人は抱き合った。
ひと時の別れになるかもしれないし、永遠の別れになるかもしれない。もともと、血の繋がりのない、まがい物の親子だったかもしれない。
けれど、親子の絆は確かにここにあった。
*
「親父は確かに強い。バカかと」
「もう父さん一人でいいんじゃないかな」
「そうかなあ。僕より強い人間なんて吐いて捨てるほどいるよ」
「いや、吐いて捨てるほどは絶対いないと思うの」
四人は旅支度をするために城下町にやってきていた。
移動は、アーリアまではティターニアが擁する飛空艇であっという間である。
そもそもフュリーは王室お墨付きの魔術師である。フュリーに随伴して十人程度なら、風の魔術であっという間に空を飛んで移動できるのだ。しかしながら、空の交通法により個人がティターニアの領空を飛行することは基本的に禁じられている。
裏を返せばティターニア独自の法であるため、他国であればどれだけ飛んでもよいという訳だが。緊急時、いつでも飛べるように魔力を温存しておくようにとの大地の指示もあり、フュリーは魔力を温存するようにしている。
グローリーには馬車と鉄道しか交通手段がない。ティターニアのフュリーら四人は移動に少しばかり時間の猶予があることになる。
地球からこちらに転移してきた際、エンデの大樹に落とされたといった時のような不測の事態に備え、水成と命の護身用の武器を調達する目的もあった。
大地は剣術、フュリーは風の魔術でどうとでもなるが、二人はそうはいかない。
城下町を歩くこと30分。フュリーの案内で軍御用達の武具屋に到着する。
「支度金は一応もらってるから、好きなものを選んでいいのよ」
「オレは最初から決めてたからな……さて」
ところ狭しと並べられた武器をぐるっと見回すと、何かを見つけた水成はある一角へ向かっていった。弓矢のコーナーである。
「水成くん、君、弓なんて使えたっけ」
「今年から体育の授業科目で弓道が始まったんだよ。なんか、武芸が必修で選択制になってて……剣道とかもあったが、面白そうだったから弓道を選択した」
「日本の学校は変わってますねえ。戦争のない世の中なのに……」
戦争がなければそんなものを扱う機会など永遠にありはしない。あるいは、戦争がなければこそ趣味嗜好で触れることもあるのだろうか。
そう考えれば、決して血を流さない競技として武器を振るう世界があってもよいかもしれない。フュリーはひとつ、目から鱗が落ちる思いだった。
「……しかし分からん。フュリー、いい弓ってのはどんな弓なんだろうか」
「うーん、私も専門外だから……店員さんに選んでもらおうか?」
「そうしてくれ」
フュリーはぱたぱたと店員のところへ駆けていき、初心者用で扱いやすい弓矢を注文した。
すると、店内に大地と命の姿が見えないことに気づく。不思議に思いドアを開けると、店の前で大地と命がのんきに世間話をしていた。
「命くん、何か買ったの?」
「いや、何も」
命は丸腰の両手をひらひらと広げてみせた。
「え……それでいいのかしら」
「うん。水成は水の魔術と組み合わせて色々できるかもしれないけど、おれは得物があるとかえって邪魔かな」
命の魔術はいわゆる回復魔術である。
出血を止め、傷をふさぎ、たちどころにケガを治してしまう。
ユーフェリアの戦時事情において命属性の魔術師は貴重というレベルを逸脱した価値を持つ。命属性の魔術の才能を見出されれば、即刻国のお抱えになってもおかしくはない。
どこで誰の目が光っているか分からないので、フュリーとしては出来るだけ命に魔術を使わせたくはないのだが。
「でも、護身用に短剣とか、小さめの丸盾とかは?」
「盾はいいかもしれないけど、やっぱり邪魔かな。俺は相手に触れてこそなんぼだからさ」
命は相手に触れなければその魔術を発揮することができない。
確かにそれはそうだが、それと護身とはまた意味が違うのではないか。フュリーが腑に落ちないでいると、それを察した命が手招きする。
「じゃ、試しにフュリーさん、ちょっと来て」
「? はあ」
傷を負っていないフュリーは怪訝そうに命に歩み寄る。いったい何を回復するというのだろうか。
やおら命がフュリーの肩に手を触れる。するとどうだろうか。フュリーは一気に立つ気力を失い、膝をついて地面にうつぶせに倒れ伏した。
「――? ……う、嘘……」
起き上がるどころか、喋ることさえできない。魔力が削がれている感覚はないが、魔術を行使する気力がない。だって、指一つ動かせないのだから。呼吸さえやっとである。
再び命がフュリーに手を触れた。するとふっと身体が軽くなり、先ほどまでの倦怠感や疲労が嘘のように元通りに回復した。
「という訳で、護身も多分これでいけるかな」
「ちょっと危険だけどね。相手の懐に入る必要があるし」
と、大地は指摘する。あくまで戦いの素人である命にはリスクも伴う行動だ。
触れればよいので、リターンがかなり大きいのだが。
「そこはそれ、拳法ちょこっとかじってた訳だし、受けるだけなら何とかなるかな。自分自身の回復もできるし」
「それも危ないんだよなあ。マンガやアニメでそういう能力のキャラはたいてい死ぬ思いしてるか実際死んでるよね」
「自分の能力くらいは弁えてる。安心してよ、父さん」
「いやいやいや!」
立ち上がったフュリーはあっけにとられて言葉を失っていた。
命属性の魔術師がこんな芸当を行うなど聞いたことがない。影一郎が言っていた、魔力を吸い取るといった独特の魔術でもないようだ。
「? 何か?」
「何かじゃなくて! そんな魔術聞いたことないわよ!」
「あ、そうなんだ……これは失敬」
てへぺろ、と頭に手をやって謝罪のような何かをする命。フュリーは少しだけイラッとした。
大地にしても命の魔術は埒外の代物だったようで、大地はひとつ命の魔術について考察した。
「つまり、命くんの魔術は回復というよりも生命力の操作ってことになるのかな」
「おれはそう認識してるよ。まあここまで強烈なのは地球じゃ絶対できなかったと思うけどね」
水成と命はユーフェリアに来て、枷が外れたかのように魔術師としての頭角を現している。他にも身体が軽くなったり、力がみなぎってくるなど。まるでフュリーたちが地球に行った時と逆の現象が起こっているのだ。
それはおそらく大気中に含まれるマナの量に起因する。
この世界には神がいて、神は精霊を地上に遣わしている。
精霊は世界にマナを分泌し続け、人々はそれをうまく生活の役に立てている。むろん悪事や戦争にも使われる。――魔術がその一端でもある。
そしてユーフェリア全土に向けて聖石がそれをフォローすることで、ようやくマナは世界に満ちるようになっている。
戦争の跡地は人や草木の死した負のマナが発生し、それが蔓延して野生動物などにあてられると突然変異したりするとか。一説ではある。
ティターニア郊外にあるエンデの大樹は、大昔あの森で戦争が行われた際に多くの負のマナを吸い込んだ。以来、森全体に異質のマナが流れるようになったという。
ゆえにマナや魔術などないほうがよいという一派もいるが、それは神にそむくことになるとかなんとかで、宗教上難しい。なかなか、何事も一辺倒にはいかないものだ。
「待たせたな!」
武具屋から弓を持って出てきた水成。その手には弓だけで矢がどこにも見当たらない。どこかに落としたのだろうかとフュリーは首を傾げる。
「……矢は?」
「いらんって言って突っ返した、ほい、矢の分差し引きのお釣りな」
「は、はあ……」
解せぬと表情で語りつつ、フュリーはお釣りを受け取る。
「解せぬ。って顔してるな、まあ見てな」
自信に満ちた表情をすると、徒手で矢を番える水成。その弓にみるみる水が集まっていき、矢を形どった。番え、きりきりと引き絞っていく。
「……その辺でいいか」
アスファルトで幾何学模様が描かれ舗装された道に、水成は水の矢を放つ。まるでそうは見えないのに、鉄の強度でも持っているのか、びいん、と矢がアスファルトに突き刺さり、亀裂を走らせていた。水成が弓を下げると、矢はただの水となって溶けだした。
「お見事。そこまで制度の高い魔術を使える魔術師は、中々いないのよ」
「よく知らんがゲーム知識の賜物ってことだ! ちなみに今のもちゃんと弓で放った訳じゃなくて8割は魔術で水を飛ばしただけだ」
魔術の行使には本人の素質――魔力が重要なファクターを占めるが、同じくらい重要視されるのがイメージである。どのように魔術を用いてどのような結果を生み出すのか。
水成や命の場合それがはっきりしているのだろう。でなければここまでの成果は出ない。
「でもそれなら弓いらないんじゃ……」
フュリーが怪訝そうな顔をすると、水成が抗議した。
「バッカ形から入るのは大事だろ! それにファンタジー世界の弓だぞ! 妄想もはかどるってもんだ!」
「……確かにそうね。イメージというか、マナを魔術に変換する際にその行使者の精神状態が反映されると言われているから。それを整理する意味で有用なんでしょう」
要するに才能があるということである。地球で水いじりに明け暮れたという、水成ならではか。
フュリーが思うに、水成と命は地球の極端に薄いマナの中でも難なく魔術を行使していた経歴がある。
しかも、まともな講義も受けずに自己流でだ。
薄いマナの中で日常的に、呼吸するように魔術を扱ってきた魔術師が、このマナの芳醇なユーフェリアに来たらどうなるだろうか。
抑圧されていたものが、そのぶん解き放たれるのだろう。
出来ることが極端に広く、深くなのだろう。いま、二人が見せたものはそういうものだ。
であればとフュリーは、少しばかり危機感を覚える。
あまりひけらかすべきではない。しかもティターニアの国柄である風属性以外を扱える、こんなに優秀な魔術師が野放しにされているのだ。
ティターニアの隣国は西のアニスと南東のレッドヴォルフである。アニスはともかく、好戦的なレッドヴォルフの、万が一にも密偵に目をつけられでもしたら。
「二人とも、あまり魔術は使わないようにした方がいいわ」
「そうなのか?」
水成が怪訝そうに疑問符を頭上に浮かべる。
フュリーは、自分の表情が強張っていることに気づいた。
それはいけない。いたずらに不安をあおるのはかえってマイナスとなりうる。
「ほ、ほら。ここは風魔術の使い手が多いから。割と珍しいのよ」
「ああ。ここらは人通りがそんなにないけど、さっきの一連のコントでだいぶ人目を引いていたなと思ってたんだ」
人目を引いていたことに気づいていたらしい、のほほんとした命。
フュリーは頭痛がしてきた。
「……早いところ、飛空艇に乗らないとね」
*
ユーフェリアの世界情勢はどん詰まっていると、どこかの偉い学者が頭を抱えているそうだ。さもありなんとフュリーは思う。
ティターニアの飛空艇技術は、豊かな風のマナあってものだ。風の魔法石もそこかしこで天然のものが大量に採れ、尽きることはない。何せティターニアの大気中に流れるマナの実に八割は風属性のマナだと言われている。それが自然に還元される時に魔法石が生まれるのだから、尽きるなんてありえない。
ちなみにそれを加工したものが魔石となる。
風のマナは年中涼やかな風を運び、ティターニア全土、右を向いても左を向いても、常に回転し続けている風車がそれを裏付ける。その代わりに少しばかり風が強いのだが、それでも穏やかと呼べるものであり、地球で言う台風やハリケーンなどとは無縁である。
ユーフェリアにはそういった、国特有のマナの偏りがある。フュリーが風属性の魔術を使うのもそうだし、ティターニアの軍隊もすべからく風の魔術師で構成されている。
ティターニアで過ごす限りは身体がそういう風に出来上がってしまい、他属性の魔術を使おうにもうまくいかなくなる。それは他国でも然るところである。
レッドヴォルフは炎。グローリーは大地。アニスは水など。この四大属性を擁する四つの国は四大国と呼ばれている。
属性には相性もあり、中々お国柄以外の魔術を行使することが難しいので、どうやっても一国一強とはなりづらい。そうやって国独自の文化で発展を遂げた国は自衛に走るのだ。
中には、現在であればレッドヴォルフ国王のアマデウスなど、積極的に他国の聖石を回収し、自国に持ち帰ることで他国のマナを自国に取り入れ、異文化の発展を目指すなどといった動きも見られる。急進派とも呼ばれた。
しかしながらいくら急進しようとしても、戦争となればいつも泥臭く長引くばかりで、両国ともに疲弊しきってしまうのが現状の関の山である。
グローリーとレッドヴォルフは、どうやっても相性が拮抗する。
アニスは、四方を海に囲まれた独自の地形を利用して天然の要塞と化している。攻め込もうとすれば四方より津波が押し寄せ、どうしても強行軍を強いられる。
それを理解して、アニスは動かない。ティターニアもまた穏健派であり、国防機関である『ウォール・ウインド』は防衛に特化した魔術師部隊である。
大昔の大戦で、報復によりエンデの森という聖域を失ったことからティターニアは滅多なことで他国に攻め入ることはなくなった。
その昔は交易も少なからずあったのだが、今やそれぞれが閉鎖的になってしまっている。
飛空艇で、大陸中央のアーリアに半日たらずで到着できるティターニアと、鉄道を乗り継ぎ丸一日はかかるグローリー。こうした格差の裏に、どうしてもどん詰まりつつある世界情勢が見え隠れしている。
「地球はその点、異文化交流も盛んのようで。文明レベルが高いのも納得ね」
「まあ、色々あるけどね。いまだに紛争の絶えない国だってあるんだよ」
上空十キロメートルから俯瞰する風景を眺めながら、フュリーら四人はユーフェリアの世界情勢について話をしている。
この飛空艇が世界的に普及していないことに疑問を持った命が切り口となった。地球では世界各国に飛行機が飛んでいるし、どんな辺境にもバスなり乗り継げばどうにかこうにか移動手段に困るということはあまりない。
ユーフェリアの交通事情は難儀しているらしい。
ティターニアに飛ばされたのは、運がよかったと言えるだろう。
「ま、だから紛争や小競り合いに巻き込まれないうちに、とっとと地球に帰るよ」
そう言った大地に、ふんすと意気込んでフュリーはぐっと拳を握った。
「はい! 必ずみんなのことは送り届けます!」
フュリーの様子に何かを感じ取ったのか。ほぼノータイムで大地は問いかける。
「君は、どうするんだい?」
回答を用意していなかったフュリーは固まった。押し黙ったのち、ゆっくりと口を開く。
「私は……、地球に亡命しても、いいかな……と」
おずおずと、控え目に、どこか怯えたようにフュリーは静かに答えた。
小さくなって反応を気にしている。
「……あの方は義母かい?」
「ええ、そうです。言ったとは思いますが孤児でしたので」
大地の言うあの方とは、義理の母アメジストのことに違いないだろう。
ティターニア城を出立する時、軽くアメジストと挨拶を交わしていたのをフュリーは目端で見ている。
会話の内容を聞こうと思えばフュリーには容易く聞けたのだが、なぜだかためらわれた。
「僕は、君はティターニアに帰ったほうがいいと思うけどね」
「……」
「血が繋がっていなくたって、親は親だし子は子だ。何を悩んでいるんだい?」
影一郎の事情が絡んだこの状況で大地が言うと説得力がある言葉である。
が、なおもフュリーは負けじと大地と向き合う。
「私、元が暗いんですよ。友達もいないし、人望もないし……。たまたま魔術の才能があったから、拾われ
て、軍隊の前線に立ってたりしますけど」
稀代の魔術の才を持った、希望の王女殿下。
そんな触れ込みで幼くして英才教育を受け、十歳になるころには軍に入隊した。
いくつかの実戦を経て、『ティターニアにプリムあり』と知らしめる、目覚ましい活躍を残す。その武勲は轟けば轟くほどに、己を苦しめた。
苦しんで苦しんで――ティターニアで成人認定される十六歳の誕生日の日、フュリーが生まれたのである。
「私があの国で王女として残っても、どうかなあと。何か、王女って肌に合わないですし」
「フュリーというのは、偽名だったのかい?」
「はい。その名は900年前の大戦で活躍したといわれる、私と同じ緑色の髪をした女性魔術師のものです。戦乙女アテナの率いた英雄のうちの一人で、紅一点という言い伝えです。だから、同性人気が高いんですよ。彼女の武勇はおとぎ話として絵本なんかにも残ってるんです」
饒舌なフュリーの語調から、その人物への憧れのような感情が見え隠れする。
プリムという、与えられた仮初めの自分から飛び立つのに、その名前はどれほどの勇気をもたらしたのか。
英雄譚を語り爛々と輝くフュリーの瞳はしかし、現実を前にして曇り始める。
「それに……たぶん、私がいないほうが、いい」
大地は頷きながら、フュリーの話をじっと聞くに徹している。
「いつもこっそり抜け出しては下町で飲んだくれるおじさまにお酌してました」
「ああ、道理で……」
影一郎が家を飛び出し、大地がうなだれ、フローリアもまた飛び出していった激動の日。がっくりと落ち込んだ大地に酒を勧め、率先して晩酌に付き合っていたフュリー。
どうすれば元気が出るか。ひと時でも気を紛らわすことができるのか、フュリーはその方法しか知らなかったのだ。
「ふふ、おかげで下町のアイドルなんですよ、私」
「だから武具屋のおやじと親しげだったんだな……」
水成は得心がいったように何度か頷いている。
「まあ、いずれ戻るにせよ戻らないにせよ、今この時の出会いを大切にしていこうかと。ティターニア王室の後継者は、私のほかに正当な王女がいるので」
「しかし……」
「大地さん。あなたが私を気にするのは、影一郎さんとの関係に重ねているからですね?」
「――それは」
図星をつかれたのか、大地は一瞬目を見開いた。そして眉根を寄せて目を伏せて、黙り込んでしまう。
「あなたにそれだけ思われている影一郎さんが、うらやましいです」
「だよなあ。だって言うのに……なんつうの、強迫観念っていうのかね」
水成の語り口は、兄に対してというよりは手のかかる年下の弟を語るそれのようだった。
「おれたちもいるし、長男だし、余計に色々考えちゃうんだろうね。それはそれで、こっちも寂しいんだけど」
少しだけ呆れたように、しょうがないなあ、と。むずがる子供を思うように、水成と命は困ったように笑う。
「うん、影一郎くんのことはとても大事だ。僕の命の次に。もちろん君たちだってそれは同じさ。だけど、あの子は……」
再び大地が目を伏せる。よほど特別な事情があるのだろうか。フュリーは影一郎に隠された真実が何なのか、気になり始めている。
「よかったら、話を聞かせてもらえませんか?」




