第2章-5 一時帰還、そして
フローリアは、水成に平謝りされた。
謝られる理由がとんと分からなかったが、借りたスマホにはGPSなる、発信機のようなものが常に機能している状態だったらしい。
要は最初から監視されていたのだが、別にいいのにとフローリアは苦笑したものである。
翌日。ひとりバスに揺られてフローリアは、四度目の参拝に来ていた。
神崎神奈の墓石のある摩敷霊園にひとり、やってきている。一度はユーフェリアで。二度目はここに落ちてきて。もう一度行くとブレイズにフュリーが落ちてきて。そして今。
あれから影一郎を説得して熊本にとどまらせた。
合わせる顔がないからと神崎家に帰らせることまではならず、熊本のどこかで外泊していると思われる。手の届く距離にいるだけ、ましだと思った。
そして、自分自身はひとつの疑問に決着をつけるために、ここに一人で来た。
ハンドバッグから取り出したるは、神崎家の仏間にひっそりと静かに光を放っていた、小さな石。――曰く、グローリー王国の国宝たる、聖石。
聖石はそこにあることで価値を発揮するもので、魔術師が手に取ってどうにかなるものではない。まして民間人が手にしたところで豚に真珠以前の問題だ。
というのがフローリアが今までの人生で聞いてきた定説であるが、果たしてそれは真実なのだろう。これを魔術師が魔石がわりに使えるものならば易々と大陸の一つや二つ消し飛んでいてもおかしくはないし、あれほど戦争が地味に拮抗するはずがない。
二日前の夜、軽い気持ちでブレイズ、フュリーから回ってきた聖石を手にした時に、フローリアはぞわりと身体をはい回るような薄気味の悪い感覚に襲われた。
誰も何も感じていないようだったので、その場は何もないようにやり過ごしたのだが。
こっそりと、昼間一階に誰もいない時に聖石を手に取ってみるとはっきりと分かった。あの感覚はいわゆる魔石を使用するのと同じ感覚だ。それが極端に強大になっているだけで。
魔石は、魔術適性がなくとも誰もが魔術を使えるように開発された石である。
魔術師が大気中から取り込むマナを石に詰め込み、極端に取り出しやすくした優れものだ。これの開発が進み、飛躍的に生活は豊かになり、より多くの人が戦争に駆られた。
――つまり、聖石がフローリアの魔力と呼応していた。魔石と同じように。
手に取っている今も感じる。あの時感じた未知数の力は、今となってはすっかり慣れて馴染んでしまうほどにフローリアと相性が良い。
そして考えた。
もしや、この魔力を使えば世界を繋げるのではないか。
大地は、異世界と異世界を繋いだのは神奈だと言っていた。
二つの世界を繋いだ場所に共通してカンナの墓石が存在するのは、偶然ではないのではないか。この場所であれば、あるいはと考える。
大地はこの聖石は抜け殻だと言っていた。魔力を使い切ってしまい、聖石はおろか魔石としての価値もない出がらしだと。
とんでもない。
一般的な魔石を一千万積んでも届かない。膨大な魔力がここにあるのだ。ゆえに、フローリアは決行する。すべては、影の差した瞳をした、あの青年のために。
この地球に飛ばされてきた日の情景を思い出す。魔術の行使はイメージが何より肝要である。空間が裂け、うねり、漆黒の異空間が顔を覗かせる。その空間こそがふたつの世界を繋ぐ門。――これをゲートとでも名付けることにする。
聖石がまばゆい光を放ち、フローリアの手を離れる。浮き上がった聖石に手を突き出し、念じた。あの日見た光景をこの場に再現する……!
フローリアの身体がびくん、と跳ねた。現実ではとうていありえない量の魔力の奔流に意識が持っていかれそうになる。
聖石が発する魔力とフローリアの魔力が混ざり合う。それはフローリアの眼前で虹色の光を生み出したかと思うと、電流のように閃光を放ち、暴れ始める。
魔石に魔力を持っていかれることなどありえないが、やはり規格外ということなのだろう。フローリアの中にある決して豊潤といえない魔力が空になっていくような錯覚を抱く。
そして、光が弾けた。空間が、世界が、弾け飛んでなくなった。――かに、思えた。
たまらずきつく目を閉じていたフローリアが恐る恐る目を開くと、墓石の頭上の空間に。フローリアの目線と同じ高さに、ぽっかりと穴が空いていた。
それは穴と呼ぶには歪な形をしていた。
小高い丘の上にある霊園からは、熊本の緑豊かな景色が一望できるのだが、それに混じって歪な黒い異空間が存在を主張している。
フローリアの魔術はおそらく、成功した。
聖石を確かめると確かに魔力が相当量目減りしているのが確認できた。
……尋常な減り方ではない。フローリアの見立てではあと数回ゲートを開くと、本当に大地の言うところの抜け殻――要するにただの石ころになってしまうだろう。
「……でもこれ、本当にユーフェリアに繋がってるのかな……」
問題とすべきはそこである。
眼前でおどろおどろしく揺らめいている未知の空間が、ユーフェリアに繋がっている保証はどこにもない。第三の世界という線もありえるのではないか。
これをのちに影一郎にくぐらせるとなると、やはりまずは自分が実験せねばなるまい。
無事にユーフェリアに到着すれば、同じ要領でまたゲートを作り出せばいいだけだ。
失敗したなら――その時は、その時である。
どうせ神崎家との間に繋がりはないのだ。フローリアひとり抜けたところでなんの問題があるだろう。
――覚悟は決まった。ゆっくりと、ゲートに手を伸ばす。
「待ちな」
聞きなれた声を聞いた気がして、フローリアは振り返った。
その目が驚きに見開かれる。なぜ。なぜ、ここに?
「そりゃお前、コンビニから帰ったら聖石がなくなってるもんだからたまげたぞ」
「それは……規模は小さいけど、あの時の現象を再現したの……?」
フローリアが抱いた疑問に、ブレイズは涼しげな顔で言い放った。
一方でフュリーは困惑している。巨大な空間の裂け目に飲み込まれたあの時を思い出してか、冷や汗を流してたたずんでいた。
「そいつはあの時、あたし達を飲み込んだブラックホールと同じものか?」
「……おそらく。わたしは仮に、ゲートと名付けました」
「ゲート……」
フュリーは反芻して、小さく広がる異空間を警戒した様子で見つめていた。
「ふたつの世界を繋ぐ、ゲート……です」
しかし、作ったフローリアにもその自信がない。
それを察してか、ブレイズが明るい声で言う。
「じゃ、確かめるか。あたしら三人でそこに入るってのはどうだ。な?」
肘で小突かれたフュリーはびくっとして顔をこわばらせた。
「……お、女は度胸。何でも試してみるもんよ!」
と、やけっぱち気味に語調を強めて己を鼓舞しはじめた。気合十分である。
盛り上がる二人の様子に、フローリアは当惑した。
「あ、あの。聞かないんです……?」
「何を」
間の抜けた顔でブレイズはしれっと答えた。
「いや、なんで聖石を使えるのかとか、ゲートを作れたのかとか、色々……」
「聞いてほしい?」
すべてを見通したような微笑みで、フュリーは問う。
正直な話、フローリアには何一つ分からないから聞かれても困るのだが。
「聞かれても、分からないんですが」
「なんだよそれ。じゃ別にいいだろ、さっさと済ますぞ」
「そうね。見たい番組があるからさっさと済ませて帰りましょう」
そうして、二人はフローリアの横に並び立った。
ブレイズがぷっと噴き出す。
「フュリー、お前だいぶこの世界に毒されてきたな」
「ゲームばっかりやってるブレイズちゃんに言われたくありません」
「もう、緊張感ないですね」
並び立った三人は手を繋いだ。中央にフローリア、両横にブレイズ、フュリー。
地球に落ちて来た時は別々だったが、三人とも同じ孤児院で育った仲間である。
ともに手を繋ぐ日が来るとは。このめぐり合わせに心から感謝して、フローリアは手を握り締める。
「いきますよ!」
「おうよ!」
「ええ!」
そうして、三人は飛んだ。
すぐにゲートの引力が三人を吸い上げ、すっぽりと飲み込んだ。
三人を飲み込んだゲートはやがて収束をはじめた。ねじれ、歪んだ空間が更なる歪を生み出したかと思うと、渦を巻き始め――何もなかったかのように、消えてなくなった。
*
惑星ユーフェリア。グローリー領内セントベル地方の南西端、海沿いの崖を背に、セントアリアの街並みが広がっている。その郊外、やや離れ、更に崖を背にして教会が建っている。教会が運営する孤児院はその隣に慎ましく存在する。
教会の裏手に広がる花畑を抜けると、集合墓地がある。海風の涼やかな、爽やかな場所に、戦死したセントベル地方出身の兵士や、一般家庭で天寿を全うした老人や、不慮な事故、病気などで亡くなった様々な魂が眠っている。
さらに岬に向かって離れると、たった一つだけぽつんと墓石が建っている。
カンナ。
その名前が刻まれた墓石は誰を待って建っているのだろう。
孤児院のシスターが言うに、墓に参る人間は今まで一人たりともいなかったのだという。
「無事に到着したわけだが」
ブレイズは周りを見回した。間違いなく、ユーフェリアであるらしい。
「戻ってきたんですね、わたしたち」
「……」
フュリーはうつむいて顎に指をあて、しばらく押し黙っている。
「フュリーさん?」
「そう言えば、空間転移の魔術をトロンベが開発していた……ような、気が」
「知ってるぞ、それ全ッ然進展しないのに費用がかさむから頓挫したやつだ」
「わたし自身はトロンベと縁もゆかりもない人間ですね……」
その研究とやらとフローリアの関係はないものと思われた。
「そうよね。なら、私たちをあの巨大なゲートで無理やり地球に送ったのは、トロンベの人間……?」
「なんのために。それにその研究は頓挫してるって言ってんだろ」
「そうよねえ」
何はともあれゲートの作成には成功した。フローリアはほっと胸をなでおろす。
「で、どうするよ。シスターエレインに挨拶していくか?」
ここで何者かの手紙によって集った三人はまず、同様に院長のエレインに挨拶をした。
かつて孤児の頃は三人ともここで育った。ブレイズとフュリーはまだ物心のつかない年齢だったこともあり、おぼろげにしか覚えてはいなかった。
それでも、ブレイズとフュリーにとって第二の故郷と呼べる場所には違いないのだ。
「よく考えれば、わたしたちって孤児院からここに来て、その後行方不明……」
「按配よく、裏手は岬の最先端ね」
状況からして集団自殺と見なされている可能性が高い。どこの誰かは存じ上げないが、とんだタイミングで異世界に放り込んでくれたものである。
「……どう、します? わたしは地球に戻りますが、お二人はこのままここで……」
伏し目がちにフローリアが訊ねると、返事の代わりに帰って来たのはげんこつだった。
フローリアの頭上で星が瞬く。
「いたい……」
眉を吊り上げたブレイズが、静かな怒りをたたえてフローリアを見据えていた。
短い付き合いではあるが、これは本気で怒っていると理解した。大地に対しても一瞬だけこの表情を見せたことがあったとフローリアは記憶している。
「てめえ……次言ったら殴るぞ」
「もう殴ってますよ!?」
「二度殴る」
「ぴっ」
こめかみに青筋を浮かべて指の骨を鳴らすブレイズにただならぬものを感じて、フローリアは怯えた。
どうどうとフュリーがなだめる。
「まあまあ」
「もういちいち言わせんな恥ずかしい。そら、とっととゲート開けよ。帰るぞ」
「……ありがとうございます」
「ふふっ」
そのやり取りを、フュリーは穏やかに見守っていた。
そして帰路のゲートも難なく作成し、無事に地球に戻ってくることができた。
これで実験成功となる。
「そんで、お前が何故か聖石から魔力を引き出せて、ゲート(仮)を作れるってのは分かった」
盆シーズンにはまだ早く、人気のない摩敷霊園。神奈の墓石の前に戻ってきた三人娘。
改めてフローリアに問いただそうとするブレイズ。聖石を勝手に持ち出しはしたが、それ以外は特に後ろめたいことはないのに、なぜか咎められている気になってフローリアは小さくなった。
「……はい」
「ゲートがちゃんと作用して、一応向こうからもこっちに帰ってこれることが分かった」
「……はい」
「さて、もうそろそろ話を聞いてもいいな?」
神奈の眠る場所が二つの世界を繋ぐ扉を担っているのだろうか。とフローリアは何気なく考えた。
しかしここまできてやはり、フローリアがやりたいことに二人を巻き込んでいいものかと思ってしまう。あるいは、それを言えば二発のげんこつを貰ってしまうのだろうか……。
「あのな、確かにあたしらは他人だが、ワケの分からない手紙を頼りに集まって、色々あって異世界にまで来ちまったんだ。今更他人行儀はよそうぜ?」
「乗りかかった船、というやつね。フローリアちゃん、なんでも言っていいのよ」
目線を合わせてまで、こちらの意を汲もうとしてくれる二人に申し訳ない気持ちになる。
確かに手紙に書いてあった内容は違うのかもしれないが、例えそうだとしてこの二人がそんなことを気にするのだろうか。違うから、お前は無関係だと突き放されるのだろうか。
きっとそれは違う。ひとしきり笑って、もう一度頭を小突かれるかもしれない。
「えっと、じゃあ相談です。……影一郎さんのことです」
「あのトーヘンボクがどうした」
「私は昼あんどん派」
「ひどくないです!?」
この二人は影一郎に対して出会いがしら割とひどいことをしたはずなのだが。
「まあ、私たちはあの人のことよく知らないから……」
「昨日か。確かあいつのことを追いかけて行ったのはお前だったな、あの後何があった」
「ええと、駅に入る前に掴まえて、喫茶店でお茶して、話をして……それくらい、です」
よくよく昨日のことを考えると何やら気恥ずかしくなり、顔に熱が灯ってゆく。
その顔を見たブレイズは苦虫をかみつぶした顔でうげ、と唸った。
「んだよデートかよはいはいごちそーさまです」
「ち、違います!」
「リア充は滅するべし」
「ブレイズちゃん水成くんの影響受けすぎじゃ……」
大地の告白からの深夜パジャマパーティからまだ一両日だが、ブレイズと水成の距離はぐっと近づいていた。
水成はゲームのプレイ仲間が増えたことを単純に喜んでいたし、ブレイズはゲームにどっぷり浸かってしまい、めきめきと腕を上げつつあるらしい。先日などは一日中、水成の部屋に入り浸っていた。
フローリアから見れば立派なおうちデートな訳だがそこは黙っておく。
「……そうじゃなくて。わたし達と同じ、お墓との対面になるとは思いますけど、一度でいいから会わせてあげたいんです」
「けど、大地さんの気持ちを考えると……どうするのが正解か分かりかねるわ」
フローリアが影一郎とお茶を楽しんだのち、神崎家に帰るとフュリーが大地の晩酌をしていた。食卓は乱雑な酒のつまみと数多の空ビール缶が散乱しているという、頭を抱えたくなる食卓であった。
命曰く、精一杯大地を甘やかしてつまみを作ったとのこと。……致し方ないが。
大地としては、仮にユーフェリアに行ける方法があったとしても影一郎を絶対にそこに行かせたくはないらしい。
もしもユーフェリアに住むなどと言われたら立ち直れる自信がないと、泣き上戸で酒を煽っていたのがなんとも哀愁を誘ったものだ。ちなみに飲み過ぎた大地が駆け込みが間に合わず、吐しゃ物の惨状に見舞われたトイレの後片付けをしたのはフローリアである。
「今、地球――取り立て日本では盆という節句? らしいな。なんでも、死者の魂が一時的に墓に帰ってくるんだとか」
あと三日もすれば、シーズン到来でこの霊園も墓参りの客が増えることだろう。
その習慣はフローリアが知る限りでは、グローリーには根付いていないものだ。
「いいんじゃね。墓参りくらい、させてやってもいいんじゃないか。とあたしは思うぞ」
ブレイズの提案に、フローリアはピンと心に刺さるものがあった。
同じだったからだ。セントアリアの岬でカンナの墓に参った時、心のどこかで少しだけ救われた気がしていた。
もしかしたら母親などではないかもしれない。であれば、今後のフローリアの人生において関係性の薄い人物かもしれない可能性はあった。
だが、あの時だけはフローリアが抱える孤独が少し和らいだ気がしたのだ。
フュリーとブレイズはなおのこと、他人に知らされたことと言え母親の墓石に出会えたことが、どれだけの救いになっただろう。
「それでもユーフェリアに移住するなんてのたまった場合は――」
「引っぱたいても締め落としても地球に連れ帰るのよ」
「あとはゲートに放り込むだけ、です」
三人とも最後は一つの答えを得ていた。顔を見合わせて、互いに最適解を示し合った。
「しかしやけに肩入れするな。思えばあたしらが神崎家に来た時にはすでに、ちょいちょいあいつのこと見てただろ」
「ラブなの? もしかしてラヴなの?」
ブレイズとフュリーが急ににやにやとしてフローリアをからかい始めた。
「い、いやいやそんなんじゃなくて! なんか、気になるというか、ほっとけないっていうか、いつも寂しそうで、なんでだろうって……」
わたわたと顔を赤くしながら身振り手振りで言い訳を始めたフローリアを、二人は生暖かい目で見守っている。放っておけばどのくらい自爆するんだろうな、と期待を込めて。
そうして、電話で影一郎にことを伝えると食い気味に、しかし神妙に、深く感謝された。その上で墓参りを済ませたらきちんと地球に戻る約束を取り付けて、着々とユーフェリア小旅行の段取りが組まれ始めていた。
グローリーの案内、何かあった時の自衛手段、そして移動手段と、ユーフェリア出身の三人はもちろんのこと、それに影一郎を加えた四人での旅が想定された。
……当然最後まで隠しおおせる訳もなく、その日のうちに命と水成にバレる。
影一郎の存在は伏せ、五人で、一泊二日ないし二泊三日程度で熊本を旅行してくると大地に告げる必要があった。流石に家主に無断での敢行はできない。
思えば、大地からの車を出すとの申し出を断った時から怪しまれていたのだろう。あるいは、熊本旅行のくだりからかもしれない。
などと紆余曲折を経て、ユーフェリアツアー神崎家ご一行の旅は、七人での家族旅行の様相を呈し始めた。いや、すでにそのようになっていた。
「四日は休みを取ったからね、これで僕も準備はばっちりだ」
一番乗り気なのは意外にも大地だった。休みを取るために、準備期間の二日間死ぬ思いで働いたらしい。いつになく帰りが遅く、皆が心配したものだ。
影一郎が少々呆れ気味に大地を非難する。
「いや別に休みを取ってまでついてくる必要は……」
「僕にだって、今までいろいろ黙っていたことの罪滅ぼしがあるし、親として皆を引率する義務がある」
「……なんか、だいぶ開き直ったな、親父」
一昨日あれほど気まずく別れた親子が。離れて暮らすことに慣れてしまい、顔を突き合わせる回数の減った親子の距離が、少しだけ縮まっているように見えた。
まだまだぎこちないものの、これを機に少しずつ、元の距離に近づいていって欲しいとフローリアは心からそう思う。
神崎家からだいぶ離れた郊外、摩敷霊園の、神崎神奈の墓石の前に家族と三人娘が集っている。
それぞれ旅行鞄に外泊の準備を済ませ、水成や命などは異世界観光を決め込んでいるらしくカメラやスマホの予備電源の確認に余念がないようだ。
影一郎のためを思えばこそ、こっそりと行って帰るよりはずっとこのほうが良いのかもしれない。プランは当初のものと様変わりしてしまったが、結果オーライとする。
「女の子三人に男一人とかいうけしからん旅になるより全然いいだろ。許さん」
と、水成が影一郎を恨めしそうに睨めつけた。
何やら楽しげに、命がそれに同調する。
「兄さんにこの子らをどうにか出来る甲斐性があるとは思えないけどね」
「いやいや何かあったら問題だろうが……むしろ何か粗相して愛想尽かされて、異世界に放り出されでもしたらもれなく俺が終わる」
想像して影一郎はぞっとした。その影一郎の肩を力強く大地が叩く。
「それは駄目だ、ちゃんと帰ってきてもらわないと僕が困る」
「そうですよ、ちゃんと家に帰るまでが異世界旅行です! ね、大地さん」
「いいことを言うね、フュリーくん」
わちゃわちゃしてきた大家族を前に、ブレイズはひとりため息をついた。
「大丈夫なのか、これ」
「なんとかなるでしょう。ささ、もったいぶっても何ですしやっちゃいましょう」
三人娘は、地球にやって来た時と同じ出で立ちである。ブレイズは赤くて丈の長いコート、更に影一郎を昏倒させた杖を持っている。フュリーは同様の白いコートにキャスケット帽。最低限の道具が入ったポシェット。フローリアは、自身の私服と買い与えてもらったハンドバッグ一つである。
その他衣類は大地がまとめて旅行鞄に持っているのだが、三人に共通する意思として、ユーフェリアでこの神崎家とは別れるつもりでいる。であればこその元の服装である。
――神崎家と別れたあと、自分はどうすればいいだろう。
フローリアとしては本当にユーフェリアに帰ることになるとは思っていなかった。まあ、ひとり立ちの世界が地球からユーフェリアになっただけの話である。
どこか、違う国に行って仕事を探してもいいし、キースセインの屋敷に戻ってもいいかもしれない。事実、彼は戻ってきても戻らなくても、好きにしてよいと言っていたのだ。
神奈の眠る場所に聖石をかざすフローリアの頭に雑念が生まれた。それはまだ小さな、ほんの小さなよどみである。今はまだ。
影一郎。彼は今後いったいどうするのだろう。問題は彼自身の気持ちから来るものだから、墓参りが終わればすべて解決すると思われる。そうなれば、神崎家は真の意味で仲睦まじい四人家族に戻るのだろう。
そこに自分がいないことは必然である。であるが、フローリアはそれを寂しく思った。
パチッ、パチパチ――
虹色の光を伴った空間が閃光を放ち、明滅しはじめる。
同時に、フローリアは寂しいと感じた自身の矛盾をむなしいと思った。
別れるために尽力しているのはなぜ? ――影一郎の、力になりたいから。
バチバチ! バチッ!――
光が明滅し、歪曲する。歪曲した空間はその最奥から黒い異空間を覗かせた。
なおもまた激しく光を放つ。
「……ブレイズちゃん」
「……ああ、大丈夫、だとは思うが……」
――力になってどうする。これから先、関わることのない人間の力になって何になる?
本当はどうしたい?
「違う……」
ぽつりと、蚊の鳴くようなフローリアの声は誰にも聞こえない。
そこに激しく渦を巻く魔力にすべて飲み込まれてしまったのか、誰一人としてそれを聞くことはなかった。
本当は、影一郎に、自分を見てほしい。影一郎のために頑張って、少しでも自分に恩を感じてほしい。そうして、見返りにまたあの喫茶店で――二人で、お茶を――……?
――ああ、これは、ひどい。
なんという矛盾。なんという私利私欲。
孤独に寄り添うとか、力になりたいとか、放っておけないとか、さんざん耳障りのいい言葉を並べ立てて、その実は下心にまみれた醜悪な欲求だけがそこに横たわっている。
「こ、これは……なんというか」
「これが、異世界に繋がるゲートってやつか」
命と水成の嘆息するような言葉で、フローリアははっと我に返る。
目の前には、今出来上がったばかりのゲートが展開されていた。ただ、以前作ったものと比較すると、明らかに別物であった。
もともと、この世のものと思えない気味の悪い空間のはずである。が、眼前にあるそれはさらにドス黒く、陽炎のように揺らめいた空間の端から縦横無尽に伸びる亀裂が走っていた。亀裂が亀裂を生み、歪みが歪みを作り出している。
失敗した? いや、魔術の原理は同じだし、昨日作ったそれと本質的には何も変わりはしないはずである。
「さ、さあ、ちょっと怪しいですけどこんなもんです。ね、影一郎さん」
「確かに、あの時上空に広がっていたのはこういうヤツだったな。だいぶ規模は小さいが」
「そういうもんか。で、これに飛び込めばいいの?」
「引力が働いてるみたいだから、飛び込めば吸い込まれるだろうね」
初見の命と水成はさして追及もせず、納得した様子でゲートを眺めていた。
その一方、ブレイズとフュリー、そして大地はこわばった表情を見せている。
「水成くん、命くん。離れた方がいい。 ……そのゲートは一度破棄するべきだ。一から作り直した方がいい」
大地は言い放った。ブレイズとフュリーも冷や汗を流してうなずく。
「なんか、よくは分からないけど嫌な予感がする。親父殿の言う通りにした方がいい」
「……そうね、フローリアちゃんの様子も、何かおかしかったし」
言われてみると、ゲートを作りながらとんでもない雑念を脳内に垂れ流していたような気がする。その影響を受けてか、明らかに不完全なものが出来上がってしまった。
「何かあっても大変ですしね、すみません、一度これはご破算ということで――」
苦笑いをして、フローリアはゲートを破棄しようと試みた。その時である。
不完全なゲートはその形をさらに歪に変化させた。ゲートと周りの空間との境界に次々と裂け目が生じてゆき、徐々に世界を侵食していくかのように、裂け目が広がり、漆黒の異空間が大口を開けた。
フローリアの眼前、墓石の前。人が何人か入る程度の規模だったゲートは上空へと推移し、今や何倍もの大きさに膨れ上がりつつある。
影一郎の声が震える。
「おい、まさかこれって……」
「まずいな、これは」
苦々しい表情で、ブレイズとフュリーは上空を見上げた。
「あたしらがユーフェリアで飲み込まれたのも、まさしくコレだよ」
「……飲み込まれるのかしら」
他人事のように眺めていた命と水成の顔にも動揺の色が見える。
「それで異世界転移は出来るっていうのは証明されている訳だけど……これは」
「穏やかじゃねえな」
先ほどとはうって変わって暴風の様相を呈してきた天候に、動揺が走る。
聖石を片手にどうにか対処しようと手を尽くしていたフローリアは、力なく首を振った。
「どうにもならないみたいです。ごめんなさい、わたしのくだらない思いつきで」
泣きそうになりながら、フローリアはただ謝った。
そのフローリアの両肩に手を添えて、影一郎はふるふると頭を左右に振る。
「……君は俺のために、色々やってくれようとしたんだろう。それを非難することはできない。悪いのは俺だ」
「いいや、何も言わずに異世界のことや、君のことを隠していた僕が一番の諸悪だよ。君が責任を感じることはない」
「でも、親父」
「いいえ、それは――」
フローリアと大地と影一郎が責任を負い合う中で、更にゲートの引力は増しつつある。
「ああもうこの状況でくだらねえ謝り合いはやめろ! 来るぞ!」
ブレイズが叫ぶと同時に、ゲートから発せられた引力が暴風と共に神崎家と三人娘をかっさらう。たちまち七人は宙を舞い、大口を開けた空間の歪に吸い込まれてゆく。
またしても霊園には局地的に台風にでも見舞われたかのような爪痕が残された。
誰もいなくなった霊園の上空で、ひっそりとゲートが閉じる。最初から何もなかったかのような真夏の青空と、入道雲だけがそれを見ていた。




