プロローグ1 終わりと始まり
アテネシア暦704年。グローリー王国とレッドヴォルフ帝国の戦争はようやく終結するらしい。
……ここからでは、それくらいのことしか分からない。
この小さな家で、まだ二歳になる子供とともに小さく抱き合って。戦争の終わりを三年間待ち望んだ。
やっと、終わる。
国境に一番近いこの街、ヴェルダンに直接戦火が及ばないということは、おそらくは此度の戦争はこの国、グローリーの勝利に終わるのだろう。
避難していた人々も、徐々にヴェルダンに戻りつつある。城下町から回ってきた最新の新聞いわく、今日の暮れには騎士団が凱旋してくるのだという。だからだと思われた。
それだけなら良いニュースである。
悪いニュースもあった。……この子の、父親の殉職。
死亡通知書。誰かにとっての大切な人の生死が他人事のように記載されてある、死神の紙きれ。先日、それがこの家に届いてしまった。
しかしながら、戦争が長引いて余裕がなくなってくると情報の信ぴょう性は薄れてゆくこともある。現に、この死神の通知書が届いてなお、何食わぬ顔で生存してきた兵士も少ないながら存在するらしいことは聞いていた。
前向きにとらえよう。まだ、決まったわけじゃない。そう思い込んだ。
戦争が長引くにつれ、終わりに向かうにつれ、そのささやかな希望の炎は不安と恐怖で細く小さくなっていった。騎士団の中でも最前線に立つあの人が、果たして本当に無事であるだろうか。
待ち遠しい。
――訂正すると、私は戦争が終わるのを待っている訳ではなかった。
この子の父親がちゃんと生きて帰ってくること。それだけが待ち遠しい。
それを待っているに過ぎなかった。だから、街の住民がどれだけ避難していても、ここを離れることが出来なかった。
「大丈夫。……大丈夫だからね」
いったい誰に向かってものを言っているのか。何百回目とも知れぬその言葉を口にしたその時、ふいに木造りの一軒家がかすかな振動に揺れた。
凱旋である。騎馬の蹄と軍靴と、市民の歓喜が地を揺らしていた。
特に義務はないが、ヴェルダンの市民はいつも決まって列を作って騎士団を迎える。
本来なら自分も加わるべきだ。だが、恐ろしくてそれを見ることができない。
このまま何も見ずに、ただ子を抱きうずくまりながら待つだけのほうが楽なのではないか。待ってさえいれば、いずれかは。
――では、この子は。
子を見つめる。まだ二歳の年端もゆかぬ男の子。抱きしめる私の感情が伝わっているのか。少し不安げに私のことを見つめ返しているように見えた。
……足音が聞こえる。足並みをそろえて行進する騎士団にあって、足並みの揃わない足音がひとつ。それが聞こえたとほぼ同時にして、家の扉が勢いよく開け放たれた。
「あ……」
力ない声が漏れた。逆光の中たたずむシルエットは、待ち望んだ姿ではなく。
扉を開いた男は、小さくなっている私を認めると、息を切らしながらやってきた。
膝を折り、視線を合わせ。……ただ、悔しそうに、力なく首を横に振った。
――何もかもが終わったのだ。戦争も、この子の家族も。
堪えられない思いが溢れ、私は涙を流した。子供はきょとんとしていたが、私につられて泣き出す。彼はじっと、何も言わずに私たちのそばにいた。
それは一つの家族の終わり。
そして、もう一つの始まり。
はじめまして。
マイペースでやっていこうと思います。