魔王様の婿養子になったけど、僕の妻はヒキニートです。
新作没案です。
「リーゼロットさーん、ご飯持ってきましたよー」
少しだけ赤みがかった茶髪が特徴の二十歳前後の男、ユウキは出来上がったばかりの料理をお盆に乗せて、とある部屋の前にやってきていた。
しかしその声に反応する者は誰もいない。
ユウキは少しだけ苦笑いを浮かべると部屋の前にお盆を下ろす。
床に料理を置くとは何事かと思うかもしれないが、掃除係の面々を信じての行動だろう。
そこにはもう一つ空の食器が置かれてある。
綺麗に食べ終えられたその食器はご丁寧にも綺麗に並べられていた。
もしかしたら部屋の住人が少しだけ気を遣ってくれたのだろうか。
「ユウキ殿、娘の調子はどうですかな?」
その時ユウキの背後から声がかかる。
「ま、魔王様」
それはこの家、否、この城の持ち主であり、魔族の全てを統べる者――――魔王だった。
「すみません、今日も部屋からは出てきてくれませんでした」
ユウキは深々と頭を下げ謝罪する。
魔王は少しだけ残念そうな顔を浮かべるがすぐにそれを振り払う。
「そう焦らなくてよい。これからたっぷり時間もある」
とても魔王とは思えぬ心優しい発言をする魔王に、ユウキは部屋のドアを見る。
部屋の中にいるのは魔王の一人娘、リーゼロット。
リーゼロットは以前から部屋に引きこもり、魔王の職務を手伝おうとも、魔族の繁栄に貢献しようともしない。
正真正銘、引きこもりの穀潰しだった。
そんな娘を魔王はどう思っているのか。
それが意外なことに、可愛くて可愛くて堪らないらしい。
これまで見てきた魔王の溺愛ぶりにはユウキも思わず吹き出してしまいそうなほどだ。
そんな大事な大事な魔王の娘を、どうして唯の人族でしかないユウキが世話しているかというと、そこには大きな理由がある。
「なんたって――――婿殿であるからな!」
魔王は大仰に笑い声をあげながら言う。
そう。
何を隠そうこのユウキは魔王の娘リーゼロットの婿、すなわち魔王の婿養子だった
ではどうして一介の人族のユウキがそんな立場になってしまったのか。
それは数日前に遡る。
◆ ◆
その日は魔王と人族の大きな戦争が始まった、歴史に残る日だった。
とはいっても前線では魔族と人族の圧倒的兵力差により、人族は敗走してしまっている。
「魔王様! 前線で捕らえた捕虜を連れてきました!」
魔族の男は一挙一動に気を配りながら報告する。
目の前にいるのが冷酷非情として有名な自軍の大将であればそれも仕方ない。
報告から少しの間のあと、一人の人族の男が魔王の膝元へ連れてこられる。
「皆は下がれ」
魔王は自らの部屋から人払いを済ませると、目の前の男を見る。
その服は戦いで傷だらけになり、頬にも数々の痣が出来ている。
ここからでは見えないところにも傷を負っているのは明白だった。
「名は」
「……ユウキと申します」
魔王の問いに人族の男、ユウキは丁寧に答える。
ここで魔王の反感を買うなど無意味でしかない。
「ユウキか、お前は先の戦での唯一の捕虜と聞く」
「はい」
単身逃げ遅れたユウキは数多の魔族に囲まれ、捕虜となった。
「つまりお前の命も私が握っているということだ」
「……」
ユウキも捕らえられた時からそのことは十二分に理解している。
そもそも何故あの場で殺されなかったのかが不思議なくらいだ、と。
「先に言っておくが人族からの交渉に応じるつもりは毛頭ない」
無慈悲に下された魔王の宣言にユウキは唾をのむ。
運良くここまで生き延びられたが、どうにもその命の灯ももう消えかかっているのかもしれないと、ユウキは一人息を吐く。
「そう諦めるでない」
「……?」
魔王の言葉の意味が分からずユウキは疑問符を浮かべる。
希望は絶たれたのではなかったのか。
「お前に選択権をやろう」
「選択権、ですか?」
魔王は何やら含みのある笑みを浮かべると指を二本立てる。
「一つは、ここで死ぬか」
これはユウキも予想していた。
あと分からないのがもう一つの選択肢だ。
可能性としたら死ぬまでの労働、とかだろうか。
人によっては死を選ぶかもしれないが、ユウキはそれでも死ななくて済むならと後者を選ぶつもりだった。
「もう一つは――」
これからの自分の未来を左右するだろう選択肢に、ユウキは魔王の指をじっと見つめる。
その頬には緊張からか汗が滴り、反対に口の中は乾ききっている。
「――――娘の夫となることだ」
魔王は小さく、部屋の中に響き渡るように呟く。
その一言はまず間違いなく、ユウキのこれからの人生が大きく変えるものだった。
「娘さんの夫、ですか……?」
一体、どういうことだろうか。
色々と想像はしていたが、さすがにそれは予想外。
魔王からの意外な提案に戸惑うユウキ。
「あぁそうだ」
しかも魔王は全く冗談などを言っている雰囲気ではなく真剣そのもの。
ユウキもそれでようやく自分の耳がおかしいわけではないということを察する。
「ど、どうして僕なんですか? 僕は人族ですし、普通は同じ種族同士で結婚とかはするものですよね……?」
自分の顔が並以上に整っていないことはよく分かっている。
魔王様の意図が全く読めない。
ユウキは密かに魔王の狙いを探る。
魔族である自分の娘を、捕虜として捕らえられた自分なんかと結婚させるなど、ほぼデメリットしか思いつかない。
少なくともユウキはそう考える。
そしてそれはユウキだけでなく、他の魔族たちも納得するようなことではないはずだ。
「娘は魔族が嫌いなんだ」
ユウキの質問に魔王はそう答える。
しかしいまいち要領を得ない回答に、ユウキはあまり納得のいく表情は浮かべない。
「まぁどうしてかはお前の選択次第でいずれ分かっていくことだろう」
直前で情報を出し惜しむ魔王にユウキは顔をしかめる。
魔王は分かっているのだ。
自分がその二択のうち、どちらの選択肢を選ぶのか。
だからこその餌。
「…………分かりました。魔王様の娘さんの夫とならせていただきます」
全ては死なないため。
そもそも戦争で前線で戦っていたとはいえ、魔族に対してそんなに忌避感があるわけじゃない。
人族には知り合いも友達も多かったから、そこにいただけ。
そんなユウキが選ぶ選択肢などもはや初めから分かりきっていた。
「うむ」
魔王様は満足そうに一度だけ頷くと、
「ではこれからお前……ではなくユウキ殿は私の婿養子ということで」
少しだけ丁寧な口調でそう宣言した。
◆ ◆
ユウキが晴れて魔王の婿養子となってから早一週間が過ぎたその日、長く続いた戦争は魔族の圧倒的勝利という結果と、魔王の意向による停戦によって一度幕を閉じた。
そしてユウキにとって今日はまた別の意味を持つ日でもある。
今日は魔王の婿養子になることが決定して初めて結婚相手と会う日だ。
「さすがに大きいですね」
徐々に近づいていく魔王城を見てユウキは呟く。
一体どれだけの年月をかけてこれを作ったのだろうか。
そう思うと気が遠くなる。
ユウキは魔王に苦笑いを向ける。
そしてあそこに自分の結婚相手がいるのだと思うと、少しだけ感慨深かった。
◆ ◆
「ユウキ殿、では今から娘を連れてくるので少々お待ちいただけるだろうか」
「は、はい」
ユウキが連れてこられたのは薄暗い一室。
さすが魔王城と言うべきかかなり凝った造りにユウキは部屋の中を見渡す。
壁に掛けられた蝋燭には小さな火は微かに揺れて、部屋の中に映る影は一度として同じ形になることはない。
一体どんな人がやってくるんだろう。
死なないためとは言っても、これからは自分と夫婦になる人だ。
魔王の娘ということはやはり屈強で筋肉が隆起するような人だったりするのだろうか。
出来ればそれは遠慮したい。
ユウキは頬を掻きながら苦笑いを浮かべる。
しかしその可能性が無きにしも非ずなのはユウキも重々承知していることだ。
どんな人がやって来ても変な反応をとらないよう気を付けなければならない。
ユウキがそう決意したその瞬間、部屋の扉が開かれ、中に入ってくる足音が聞こえてくる。
一つは魔王様、もう一つは誰か分からない。
ユウキは一度大きく深呼吸をすると、意を決して振り返る。
「…………っ!!??」
これは一体、なんだ……!?
変な反応をとらないよう気を付けていたユウキだったが、それを見てしまえばさすがに不可能だった。
ユウキの目の前には気まずそうな魔王様、そして布団で自分の身体を覆い隠す魔王の娘が立っていた。
突然のことにユウキは頭の整理が追い付かない。
「あ、あー、ユウキ殿、こちらが私の娘のリーゼロットだ」
そう呟く魔王の目線はユウキには向かず、そこらかしらを泳いでいる。
ユウキは魔王に紹介された自分の妻リーゼロットに目を向けた。
こ、これはまた凄いのが来た。
ユウキの頬を変な汗が流れる。
その視線は布団に覆いかぶされた自分の妻になる人へ注がれつつも、そこに戸惑いの色は隠せていない。
部屋の蝋燭も場の空気に呼応してか幾分か揺れが大きくなった気がする。
「ほらリーゼロット、挨拶を」
魔王はリーゼロットの背中を軽く押すとユウキに向かわせる。
といっても顔まで全部布団に覆われているのだからその表情を窺い知ることは叶わない。
「…………リーゼロットです。よろしく……です」
「っ」
瞬間、リーゼロットの口から紡がれる鈴を震わすような声。
その声を聞いたユウキは思わず肩を震わす。
今のは、この子の声なのか……?
か細い声であったのは間違いない。
それでもこの狭い部屋の中で、その声を聞きとるのは容易なことだった。
だからこその驚き。
まさかこんな布団を被るような人から、今のような声が聞こえてくるとはユウキは考えもしていなかった。
「よ、よろしくお願いします」
何とか立ち直ったユウキは魔王様から見てる手前、取り乱さないように頭を下げる。
それでもまだ困惑が消えたわけではない。
何しろ自分の結婚相手があれなのだ。
困惑しないほうがおかしい。
「…………あれ?」
頭をあげたユウキは戸惑いの声をあげる。
それもそのはず。
そこには自分の結婚相手となるリーゼロットの姿が跡形もなく消えてしまっていたのだから。
魔王様の背中の後ろにでも隠れているのかと思ったがそうでもない。
どこに行ってしまったんだ……?
そこでユウキは部屋の扉が開かれていることに気が付く。
さっき二人が入って来た時に魔王が閉めていたことを見ていたユウキはもしかして、と魔王に視線を向ける。
「も、申し訳ない。リーゼロットは眠いからと言って自分の部屋に帰ってしまった」
「は、はぁ」
申し訳なさそうに教えてくれる魔王はとても自分に選択を迫った時の姿とは思えない。
ユウキは怒涛の勢いで始まり終わっていった初対面を思い出す。
布団を被った魔王の娘リーゼロット。
彼女がこれから自分の妻になる。
ちゃんと一緒にやっていけるだろうか……。
ユウキはこれからの新婚生活に一抹の不安を拭い去ることが出来なかった。
◆ ◆
リーゼロットとユウキが初めて対面してからまた数日が経った。
ユウキは未だに自分の妻の顔を見ていない。
というよりも「見れてない」というのが正しいだろうか。
「リーゼロットさーん、ご飯持ってきましたよ」
ユウキの声に反応してくれる者は誰もいない。
ここ数日、毎日同じことばかりしている気がする。
やっぱり今日もだめか……。
ユウキは心の中でため息を吐くと、料理の入った食器を空の食器と取り換える。
どうやら部屋からは出てこないにしろ栄養バランスの考えられた料理はちゃんと食べてくれているらしい。
そこだけは安心できるが、出来れば少しくらいは自分の部屋から出てきてほしいものだ。
「魔王様は別に急がなくていい、って言っていたけど」
あまりにも進展がなければ見限られてしまう可能性だって少なからずある。
そうすれば殆どの確率で『死』が待っているだけだ。
出来ればそれだけは避けたい。
そもそも本当にどうして魔王様は自分なんかを……。
魔王様の娘がいくら訳あり物件だったとしても、魔王の婿養子になりたい魔族ならたくさんいるはずだ。
それがわざわざ自分なんかに。
魔王曰く何か理由があるということまでは教えられていたユウキは少しだけ考えてみるがさっぱり分からず断念する。
そんなことを考える暇があるならば、リーゼロットと仲良くなる方法を考えた方が何倍も堅実な手だ。
ユウキは今日も何の進展もなく、空の食器を持って帰った。
◆ ◆
「ユウキ殿」
それから何の進展もなく時間だけが進んでいたある日、これからリーゼロットに料理を届けようとしていたユウキに魔王から声がかかった。
何の進展もないことに、ついに痺れを切らしたか。
だとすれば自分の未来は明るいものではないだろう。
ユウキは少しだけ緊張しながら魔王の言葉を待つ。
まさかユウキがそんなこと考えているとは露知らず魔王は目的のものを探すべく懐のあたりを探っている。
「これを持っていくとよい」
そう言いながら魔王は一つの鍵をユウキに差し出した。
何の鍵か分からないユウキは首を傾げ、受け取った鍵をじっと見る。
「もしかして、リーゼロットさんの……?」
まさかとは思うが、自分の娘の部屋の鍵を渡したりしてきたわけじゃないだろうな。
「うむ」
そのまさかだった。
魔王はユウキの言葉に満足そうに頷くと料理を届けるよう急かす。
「こ、これでどうしろと?」
しかしユウキは魔王の真意を探ろうと試みる。
魔王が娘であるリーゼロットのことを可愛がっているのはこの数日間で嫌というほどに理解した。
そんな愛娘のもとへ男を行かせようとするなんてありえない。
「まぁ今日は何も聞かないでそれを持っていけばよい」
だが魔王はユウキの質問に答えない。
まるで、どうして自分が魔王の娘の婿として選ばれたのか教えてくれないように。
「分かり、ました」
ユウキは渋々と言った風に頷く。
一応魔王の婿養子となり命の安全は確保されているが、魔王の機嫌を損なえばその限りではないだろう。
温かい料理が冷めないうちに、ユウキはリーゼロットの部屋へと向かった。
◆ ◆
「……うーん」
ユウキは今リーゼロットの部屋の前にやって来ている。
本来であればここで料理を置いて帰ればそれで終わりなのだが今日にいたっては少し違う。
ユウキはポケットに入れておいたリーゼロットの部屋の鍵を取り出す。
これは使うべきなのか……?
この鍵は自分が魔王様から貰ったもので、恐らくは魔王様もこの部屋に入ることを望んでいるのだろう。
もしかしたら夫婦同士の仲を良くするための、魔王様なりの考えだったのかもしれない。
ユウキは一度大きく息を吐くと扉の鍵穴に差し込む。
ゆっくりとだが確かに奥まで入っていく鍵は、次第にユウキの緊張感をも高め始める。
そして鍵が止まる。
どうやら一番奥まで差し込んだらしい。
「……ふぅ」
この中で生活しているのは僕の妻リーゼロット。
これから共に歩んでいく人がいる。
緊張しないわけがない。
でもここで機会を棒に振ってしまえば、次の機会はいつやってくるのだろう。
ユウキは一度息を吐くと、手に持つ鍵をゆっくりと回し始めた。
――――ガチャリ。
そしてドアが開いた。
「…………え」
緊張の面持ちで部屋の中を覗いたユウキだったが、それも一瞬で崩れてしまう。
部屋の中に居たのは呆けた顔でユウキを見つめる、着替え途中のリーゼロットだった。
「……ひっ…」
誰か入ってくるなど予期していなかったリーゼロットは突然の訪問に小さく声をあげる。
「ご、ごめんなさいっ! ま、まさか着替え途中だとは思わなくてっ!」
ユウキの目に映るのは下着姿のリーゼロット。
初めてちゃんと見る自分の妻の姿にごくりと唾をのむ。
目が、離せない……!
着替え途中なのだから一刻も早く目を逸らさなければいけないのは分かっているのだが、ユウキにはそれが出来ない。
それほどまでに自分の妻の姿に見とれていた。
布団の中にこんな子が隠れてたなんて……。
正直予想外だった。
どうしてこんなに綺麗で可愛い子が引きこもったりしているのかが全く分からない。
ただ魔王様がどうしてあれだけ可愛がっていたのかは分かったような気がする。
「っ」
気づけばリーゼロットは次第に自分から距離を取り始めていた。
周りに何も自分の身体を隠すものがないのか、必死にその小さな手で身体を見せないようにと奮闘するリーゼロットの姿は反対に扇情さを炙り出し、その魅力はユウキには計り知れない。
ユウキはそんなリーゼロットの誤解を解くべく少しだけ歩み寄る……が、これがいけなかった。
リーゼロットは大きく息を吸ったかと思うと、今にも大声をあげようとしている。
「ひっ……だ、だれか―――ッ」
『侵入者、侵入者! 魔王城に侵入者が現れました! 場所は王女様の部屋付近! 至急応援願います……!』
その時リーゼロットの声が突然の城内放送によって遮られる。
なんとこの魔王城に誰かが侵入したらしい。
ユウキはその状況に驚きつつも、少しすれば騒ぎも治まるだろうと予期する。
しかしどういうわけかリーゼロットの顔が優れない。
顔を顔面蒼白にし、手だけでなく身体全体が小刻みに震えている。
そしてその視線は部屋の唯一の出入り口である扉に注がれている。
「リーゼロットさん……?」
一体どうしたんだろうか。
ユウキはそんなリーゼロットを不審に思いながら、先ほどの城内放送を思い出した。
侵入者が現れた。
どこに。
王女様の部屋付近に。
王女、様……?
リーゼロットさんって……。
ユウキはまさかとリーゼロットに視線を移す。
魔族にとっての王とは誰だ。
それは魔王様だろう。
それならば魔族にとっての王女様とはいったい誰だろう。
そんなの魔王の娘であるリーゼロットしかいないじゃないか……!
ユウキの遅すぎる理解の瞬間、部屋の扉が蹴られるようにして開け放たれた。
◆ ◆
「ま、魔王様! 大変です!」
「うむ、どうしたのだ」
魔王が自室で様々な書類の山を片づけていると突然部下が部屋に飛び込んできた。
普段なら軽くノックでもして恭しく入ってくるはずの部下がこのありさま。
それだけで魔王は何か緊急事態が発生したのだと理解する。
「侵入者が現れたのです……!」
「ほう」
部下の報告に小さく息を吐く。
魔王城の警備はそこらの警備とは一線を画す。
そんな魔王城に侵入者とはつまりそれだけの実力があるということなのだろう。
「それで、どこに侵入したのだ?」
もし近いということであれば早速出向いてその力を計ってやりたいものだ、と魔王は尋ねる。
「王女様――――リーゼロット様の部屋の付近です……!」
「……そうか」
大切な愛娘が狙われている。
というのに魔王の反応は冷めていた。
今まででは考えられない反応に部下は慌てる。
「魔王様!? リーゼロット様が狙われているんですよ!?」
「分かっておる」
しかし、そう言う魔王は一向に動こうとしない。
それどころか先ほどまで書いていた書類の続きをやり始める始末。
「魔王様!!」
部下は自分の上司であることも忘れて魔王を怒鳴る。
「……はぁ」
魔王は一度だけため息を吐く。
そういえばこの者は『あれ』を知らんのか。
それならばこうなってしまうのも無理はない。
教えてやるのが手っ取り早いだろうか。
「今、リーゼロットの下にはその婿であるユウキ殿がいるはずだ」
「あの一人だけ逃げ遅れて捕虜となった者、ですか? しかしその者が役に立つわけでもないでしょう!」
「いや、それは違う」
魔王は部下の言葉を否定する。
なぜなら、知っているからだ。
「お前はどうしてあれだけの戦争がありながら人族の捕虜が一人しかいないのか分かるか?」
「こ、殺してしまったからでは?」
「それでも一人というのはさすがに少なすぎるだろう?」
「で、ではどうして!」
「ユウキ殿が自軍を残すために一人戦場に残り、魔王軍を足止めしていたから」
「なっ!?」
魔王は知っている。
どうしてユウキが逃げ遅れたのかを。
「そんなはずありません! あそこには前線だけでも数千――いや、数万もの魔族の兵士たちがいたんですよ!? それこそそんなこと出来るのは魔王様くらいでしょう!? それをただの人族が一秒でも足止め出来るはずありません!」
部下の意見は最もだろう。
しかし魔王は首を振る。
「十五分だ」
魔王は呟く。
「な、何がですか?」
その時間に部下はまさかと思いつつも尋ねる。
「魔族数万の兵士たちが、一人の人間に足止めされた時間だ」
魔王は知っている。
ユウキがリーゼロットを任せられるだけの人間だと。
魔王は知っている。
「ユウキ殿は、強いぞ」
自分の娘の夫となる人間の。
自分の婿養子となる人間の、恐ろしさを。
◆ ◆
「……ひっ」
突然入ってきた何者かにリーゼロットは怯える。
それはユウキが入ってきた時とは比べ物にならないのは明白で、ユウキは一度だけリーゼロットを窺うと、その視線を侵入者たちへと移した。
侵入者の数は二人。
魔王城の警備を搔い潜ってきたってことはそれだけ実力があるはず。
この狭い部屋でどうやって対処しようか。
「あれぇー? ここにいるのは王女様だけじゃなかったぁ?」
「ふん、そんなことどうだっていい。邪魔をするなら殺すだけだ」
「それもそうだな!」
意気揚々とそう話す二人にユウキは目を細くする。
「ん?」
そんな時ユウキの服の裾を引っ張るものがいた。
言わずもがなリーゼロットだ。
リーゼロットは少し泣きそうな顔になりつつもユウキに顔を向ける。
「あ、あの人たちの狙いは私です。は、早くお逃げください」
と、そんなことを言ってくる。
しかしその言葉を聞いた侵入者たちには、
「なんとも健気だねぇ? そんなこと言われたら逆に逃がしたくなくなっちゃうよぉー?」
逆効果だった。
侵入者のうちの一人が気持ちの悪い笑みを浮かべる。
それを見たリーゼロットは恐怖で肩が震え怯えている。
「もしかして、知ってるんですか?」
どうにもリーゼロットさんの反応がおかしい。
ただの侵入者というのに妙に過敏になっている気がする。
「昔から、あの人たちに狙われていて、何度も襲われているんです……! お父様が、いつも助けてくれるんですけど、今日はなんだか遅くて」
「……」
ユウキはリーゼロットの言葉に押し黙る。
今日偶然か必然かユウキは魔王からリーゼロットの部屋の鍵を預かっていた。
そして侵入者が来た。
「……そういうことですか、魔王様」
ユウキは一度だけため息を吐き、そこで初めて魔王がどうして自分を婿養子になんてしたのか察することが出来た。
「あぁ? 何言ってんだてめぇ?」
「いやいや、こっちの話ですよ」
「はぁ? もうお前死ねよ」
会話のキャッチボールが出来ないことにユウキが落胆すると、その侵入者は突然ナイフを投擲してくる。
真っ直ぐとユウキの額を目がけて飛んでいくナイフから察するにそれなりの手練れなのだろう。
「あ?」
しかしそのナイフがユウキの額に届くことはなかった。
その直前、ユウキが人差し指と中指の二本だけで止めてしまったのだ。
「こんなところでナイフを投げたら危ないですよ」
全くこれだからこういう輩は困る。
敵に武器を渡してしまったことに気が付いているのだろうか。
「ちっ、クソ野郎が」
するともう一人の侵入者の男が今度は魔法を詠唱し始める。
もちろんそんなことをそう簡単にさせてやるユウキではない。
今しがた手に入ったばかりのナイフを今度は魔法士に向けて投擲する。
「ふんっ」
しかしさすが魔王城に侵入できるだけあって危なげなくそれを避ける。
そしてその間詠唱を止めることはない。
氷の魔法、か。
この密室で選ぶには良い選択かもしれない。
ユウキは微かに聞こえてくる詠唱でそう判断する。
炎では部屋が燃えてしまうし、水では相当な上位魔法でない限り即死性がない。
雷と土は純粋に密室では使いにくい、といったところだろうか。
「死ねッ!」
詠唱が終えた魔法士の前方に突如魔法陣が浮かび上がると、そこから幾つもの氷塊がユウキへと向かっていく。
この数と弾道から察するに、どうやらユウキだけでなくそのままリーゼロットをも始末しようと考えているらしい。
「護れ」
その瞬間、ユウキとリーゼロットの前に現れる光のカーテン。
それは圧倒的防御力で侵入者の氷魔法を弾く。
「なっ!? 光属性の上位魔法を無詠唱だと……!?」
さすがの侵入者もこれには驚いたようで、その顔には緊張の色を浮かべる。
リーゼロットは一体何が起こっているのか分からず、呆けた顔でユウキの背中を見つめていた。
魔法には火、水、風、地の基本属性の四種類と闇、光の二属性がある。
属性ごとには下位、中位、上位、そして最上位という括りがあり、位が上がっていくごとに威力もそれだけ上がっていく。
その中でもとりわけ修得が難しいといわれているのが闇と光だ。
そんな光属性の、さらに上位魔法を詠唱破棄するということはすなわちそれだけ実力がある、ということに他ならない。
「君たち、そろそろ退いてくれないかな」
ユウキは侵入者二人を牽制しつつ警告する。
早くここから立ち去れ、と。
「ちっ、面倒なやつがいやがる。おい、来やがれ!!」
すると侵入者の一人が何かに呼び掛けるようにして叫ぶ。
誰に言っているのか分からずユウキは首を傾げる。
「きゃあっ!?」
その瞬間、轟音が響いたかと思うと部屋の窓の方の壁が何者かによって大きく壊されてしまった、
振り向いた先には、真紅のドラゴンがユウキを見つめている。
その大きさは軽く十メートルは越え、ちらちらと窺える牙は人をかみ殺すには十分な鋭さだ。
「またこんなところに面倒なものを……」
思わずため息を吐きたくなる。
しかし自分の妻であるリーゼロットがいる手前、あまりやる気のないところは見せられない。
「はっ、これでてめぇも終わりだぁっ!?」
侵入者がそう言い終えないうちにユウキは次の行動に入る。
使うなら、風かな。
ユウキは侵入者たちに手をかざす。
使うのは風属性中位魔法の詠唱破棄。
突然のことに反応出来ない侵入者たちはユウキの魔法によって身体を浮かされる。
そしてそのままユウキは、ドラゴンが壊した壁の方からその二人を投げ捨てた。
魔王城まで入ってくるような手練れだからどうにか対処するでしょ。
問題はこいつ、だよね。
『ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ゥ゛ゥゥゥ゛ゥ』
ドラゴンは唸り声をあげ、ユウキたちを威嚇する。
リーゼロットは今までに味わったことのない恐怖に身体が固まっている。
するとその直後、ドラゴンはゆっくりと口を開けて炎を溜めていく。
きっとここで死んでしまう。
こんなドラゴンから逃げられるとも思えない。
ドラゴンの口の中の炎が徐々に大きくなっていくにつれてリーゼロットの絶望の色は濃ゆくなっていく。
そしてその炎がいよいよ放たれる瞬間、固まるリーゼロットの眼前に大きな背中が立ちはだかる。
両者の間に割り込んできたのは、他の誰でもない自分の夫、ユウキだった。
「ユ、ユウキさん……?」
ドラゴンと向かい合うユウキを後ろから見つめる。
僅かに見えるその横顔はさっきの苦笑いからあまり変わっていない。
でもどうしてだろう。
自分の夫が少しだけ怒っているように見えるのは。
「ドラゴンさん」
呼び掛ける。
「僕は貴方自身には何の恨みもありません」
出会ったのも今日が初めて。
恨みなんて持つような暇なんてなかった。
「でも貴方はしてはいけないことをしました」
他の人からしたらそんなことはないのかもしれない。
でも自分にとっての価値観の中ではそうだ。
してはいけないことをしてしまっている。
「僕の妻を、怖がらせました」
偶然が重なって結婚した自分たち。
その顔を見たのだって今日が初めて。
でも僕の妻だ。
これから共に歩んでいく大切な人だ。
怖がらせる? 怯えさせる?
そんなの――
「――――許しませんよ?」
ドラゴンの口から炎が溢れ出てくる。
ユウキは軽く手をかざすと水の上位魔法をその口目がけて放つ。
炎と水では相性というものがある。
大きな水の塊はドラゴンの炎を一瞬で消沈させてしまう。
あとは、本体のみ。
仮にもドラゴン。
上位魔法では少し厳しい。
終わらせるなら、
「雷でいいかな」
最上位魔法だ。
最上位魔法には特徴がある。
詠唱破棄が出来ない。
そして、詠唱者の詠唱次第でまた新しい最上位魔法を生み出すことが出来る。
その威力も効果も、詠唱者のイメージで変わるのだ。
『求めるは悪しきを滅ぼす一筋の刃。絶対なる正義を以て、我が願いを叶えん。轟け――』
――――雷鳴
イメージするは圧倒的なまでの『罰』
ユウキの詠唱が終わったその瞬間、視界が光で覆われ空を裂くような轟音が響き渡る。
その光が消え去った時、そこにはユウキとリーゼロットの二人だけが立っていた。