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干し肉、果物、スープ、ワイン。
それぞれのパンが何に合うかを想像しながら、咀嚼していきます。
パンにも色いろあるのですけれど、酸味の強い二番目のパンが気に入りましたわ。黒くで粒がごろごろ入っています。一度揚げた木の実が入っているようで、カリカリと香ばしいのが高得点ですわ。
外の喧騒も、カリアのおかげで一切耳にも目にも入りません。
私はただ、目の前のパンに集中することができるのです。ああ、本当に優秀なメイドをもって私、運命に感謝いたしますわ。
もちろん食べ比べるために不必要な化粧はすっぱり落としましたわ。乙女の化粧は武装と同じ。私は戦場から無事帰還した英雄ですの。暖炉の前でくつろぐのに、剣は必要ありませんわ。今、この要塞にあって、私には心強いカリアという鎧がおりますもの。
私化粧を落としますと、そこらのメイドに紛れることができる特技がありますから、万が一王子が入ってきたとしても、他人として接すれば万事うまくいくと信じております。
だいたいお母様が美しいからといって、娘も美しいなどとは思い込みも甚だしいですわ。私のお父様は王族としての威厳は備えておりますけれど、割りと地味な顔をしておりますのよ。戦場で紛れて戦いに加わるような地味顔ですのよ。
「とりあえずこの国で小麦粉もそうですけれど、バター、種、焼型、それぞれ数種類は入手したいところですわ」
「承知いたしました」
「ああ、少しでも練習しないと、あの感覚を忘れてしまいそう……」
それでも沈む私に、頼れるメイドは応えてくれます。
「かしこまりました。なんとか王城内の小麦を分けてもらってきます」
そう言うと、音もなく消えてしまいました。
分けて、ね。少しくらい頂いても構わないかしら。あちらはこちらの希望に応えることなど、まるでなさそうだけれど。
まあ、あの子は変装も隠蔽も完璧なので、心配はいらないのです。
守護魔法もきっちりと張り巡らせているせいで、外にいた守衛の一人が面白半分に石を投げたのが跳ね返って本人の脳天直撃ですわ。
ふふ、謝肉祭で見た喜劇みたいだわ。
私は少しでも感覚を取り戻すために、ドレスを脱ぎ、作業着姿になりました。
下着に見えますけれど、防寒完備でなおかつ町娘がよくするベストを身に付ければ立派に街歩きができるのです。
ドレスはそれぞれ部分ごとに着脱式になっていて、スムーズに着替えができるのが、オーダーメイドの良い所です。私が故郷から持ってきた服は全て、このような作りになっておりますのよ。
私が手袋を抜き取ると一般的な淑女にあるまじき実用的な筋肉を備えた腕があらわれました。普段は庶民の服なので気になりませんが、こういったお嬢様お嬢様した服を着ていると、やはり腕が太くて見苦しいのを実感します。
この腕の筋肉が衰えてしまっては、せっかく習得した秘伝の生地作りを忘れてしまいます。
鍛錬は毎日、とお母さんから厳しく言われていますもの。
ぐ、と腰を伸ばし、大きく手を広げると、ゆっくりと筋肉を確かめるように動かします。深い呼吸と共に、伸ばす、捻る、止める。それだけで随分ほぐれますが、それでもまだ足りません。魔力を皮膚の上にのせることをイメージしてそのまま腕立て伏せ、腹筋、スクワット。
よし、今日もパンと向き合う準備ができましたわ。
パシ、と隠していた手拭きをはたくと、私はお母さんに教わったパン形成の修行にとりかかりました。