3話
今日は、朝から雨降りで、美咲は金木犀で本でも読もうかと、読みかけの本をバッグに入れて、部屋を出る。石畳の道を、恋人の透がプレゼントしてくれた水玉の傘をさして歩く。
「元気そうね」
「美咲!いらっしゃい」
雨の日でも、巴の肥は周りを明るくする。紺地に水色の水玉が並んぶ着物は渋めだが、赤の半幅帯で可愛く着こなしている。
「注文は?」
「キャラメル・ラテで」
「了解。では、お好きな席へどうぞ」
窓側の席を選んで、本を読み合わせる。外の雨の音と店内のサウンドは、調和がとれている。ランプの明かりは店内を暖かくする。
「何を読んでいるの?」
しばらくすると、キャラメル・ラテとフロランタンが運ばれてくる。
「相原すがやの『黒椿』。不思議な話よ」
美咲は、そう言って背表紙を持ち上げてみせる。
「読み終わったら、貸してくれない?」
「いいよ。でも、珍しいわね」
今、 美咲が読んでいるの本は、山に住む妖しと妖しの視える女性の不思議な恋物語。美咲の知る限り、巴が好む類いの話しではない。
「たまにはね。ゆっくりしていって」
「ありがとう」
巴は仕事に、美咲は読書に戻る。
巴は和がよく似合うと、美咲は思う。
昔からの付き合いで、美咲が色の勉強をするために、東都国の首都・紫紺|しこんに行っていた時期も、巴はよく遊びに来たり、手紙をくれたりした。
美咲は、その人に合う色を診断する仕事と、洋装の服を扱う店で働いている。色の診断の仕事だけでは、まだまだ食べてはいけない。でも、やりたいことを、仕事に出来ていることは幸せなことだと美咲は感じていた。
―貴方は、誰?―
雨の音に集中力を持っていかれた美咲は、あの日、記憶喪失になった巴が、海にそう言ったことを思い出す。
あのときの二人は、見ていられなかった。
巴が亡くしている一年分の、海にまつわることは彼に口止めされて、巴には教えていないけど、一年間に巴と遊びに行ったこと、世間の出来事、地元のことは美咲なりに教えた。
雨の日は、やたらと人の思考を後退させる。
かれこれ一時間は居座ったか、そろそろ透との約束の時間だと、美咲は席を立つ。
「ごちそうさま」
「もう、帰るの?」
巴はコーヒーの専門誌を読んでいる手を止めて、レジに立つ。
「透と待ち合わせてるから」
「透さん、元気?」
「相変わらずよ」
ふっと笑う美咲の目に、レジの近くの赤紫の紫陽花が目に留まる。
「紫陽花、綺麗ね」
「でしょ?黒崎さんが、持ってきてくれたの」
海に関わる話をする巴は、とても嬉しそうだ。
「あいかわらずな人ね。巴もまんざらでもないでしょ?」
「なっ!私は……」
からかう美咲に、巴は顔を紅くして口をパクパクさせる。そんな反応を見て美咲は、海君、頑張っているんだと思った。
「図星」
止めの一言に、巴とうとう怒る。
「美咲!」
「あはは、じゃあね」
店を出れば外は雨降りで、美咲は傘をさして歩き出す。
何気なく道向かいに目をやると、美咲の働く店の常連客の女の子が歩いていた。海に片想いをしていた、夏の似合う髪の短い女の子。
「花屋のお兄さんに、告白したんです」
ある日、店に来た彼女はそう言った。
さばさばした性格をしていて、それでいて人のことをちゃんと考えている子。いろんな話をしていく中で、彼女が好きな人が海だということを美咲は聞いてるいた。事情を知っている美咲は、内心複雑だった。
「どうだった?」
「ふられちゃいました。”好きな子がいて、その子のことを待っているから“って」
「そう……。でもこればっかりはね」
「そうなんですよ」
彼女は、気持ちの整理がついたのか、どこかスッキリしているようだった。
「縁ある人は必ずいるわ」
「大蔵さんが言うと、説得力あるなぁ」
「それは、経験者だから」
美咲は、ふざけて胸を張って見せた。
「どんな人なのか楽しみにします」
彼女は、向日葵のように笑っていた。
海は巴を待っている。彼女は立ち止まらずに前を見ている。二人とも強い人だと美咲は思うよ。
まるで、命と引き換えにとでもいうかのように、抜け落ちてしまった、巴の海に関する一切の記憶。
事故後、美咲は巽に呼ばれて金木犀に言った。そこには海もいた。
「俺は、巴が思い出してくれるまで待ちます」
「いいのかい?」
「はい。一年、一年待っても巴に記憶が戻らないのなら、改めて自分の気持ちを伝えます」
海は巽と美咲にそう言った。そして、もう一つ頼み事をする。
「美咲さん」
「なに?」
「俺と巴が付き合っていたこと、巴に言わないで欲しい」
「わかったわ」
海は安心したように穏やかな顔をする。
このとき、美咲は海が巴を待っていられるのか疑った。
美咲自身の、昔の果たされなかった約束を嫌でも思い出す。巴には、傷ついて欲しくないのが美咲の本音。
たが、海は巴を大切にしているのがわかった今では、そんな海が眩しく見える。
待ち合わせの場所で、いつの間にか小雨になった空を仰ぎ見る。
(この気持ちは、いつになったら晴れるのだろう)
「美咲」
呼ばれて前を見れば、透がいた。
「何を見ていたの?」
「虹が出てないのかなぁと思って、空を見ていたの」
暗闇にいる二人に光が差し込みますようにと、美咲は願うように、また空を見上げる。
「出るかもね」と、透も空を見る。




