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牡丹の花束  作者: 柊 さつき
2/22

1話

鼠色(ねずみいろ)の壁の町屋造り風の外観、店内はレトロな喫茶店・金木犀。

本日のおすすめは『ロシアンコーヒー』

カランカランと、お客さんが来たことを知らせる扉の鈴。

「いらっしゃいませ」

「いつもの、ホットコーヒーをお願い」

「はい」

巴は、ホットコーヒーの用意をする。

金木犀は、巴の祖父・巽が切り盛りする店。巽一人では大変なので、孫の巴が店員として働いている。店長として厳しく教育する巽のおかげで、巴は開店準備を任されるようになった。

和装が基本のこの国。洋装か流行りだしてきているなかに、店は巽のこだわりで和装。巴が来ているのは、萌木色(もえぎいろ)の地に、前下身頃には椿の刺繍がある着物。その上に白いフリルのついたエプロンをしている。巽も茄子紺の着物にエプロン姿の渋く粋な感じである。

「はい。お待たせしました」

「ありがとう」

コーヒーに焼き菓子を添えるのが、この店の特徴。今日の焼き菓子は、抹茶のクッキー。

「巴ちゃんも、店番が板についてきたね~」

「まだまだですよ」

巴は苦笑する。常連客の多いこの店で、巴の顔なじみも増えてきた。

そこに、もう一人お客が来た。

「いらっしゃいませ」

「本日のおすすめで!」

来たは、この町にある花屋で働く黒崎海。

焦げ茶で少し長めの髪に、褐色の肌、涼しげな顔立ちの青年。

「今日は、ダリア」

英字新聞に包まれた、小ぶりの桃色と白のダリアが、カウンターに登場。

「いつも、ありがとうございます」

「黒崎ちゃん、まめだね~」

からかう常連のおばさんに、海は淡い笑顔で応える。

海は店に来るたびに、小さな花束を持ってくる。おかげで、店内はいつも華やかだ。

「今日は、ロシアンコーヒー」

「ありがとう」

巴は、もらったダリアを花瓶に活ける。海は、その後ろ姿をじっと見つめる。

「何かついてますか?」

視線を感じて、巴は海を振り返る。

「いや」

カランカラン。

「いらっしゃい。あ!剣ちゃん」

「こんにちは」

「今日は、お休み?」

「はい」

そんなやり取りをしながら、海のひとつ隣に座るのは、明るい茶の癖毛に漆黒の瞳の洋装の青年・木藤剣迩(きとうけんじ)。

剣迩は、幼い頃この町に越してきた。慣れない土地で道に迷い、途方に暮れているところを、巴に助けられた。それ以来、仲の良い幼馴染みだ。

歳は巴の一つ下。父親が東都国人、母親は西都国人、いわゆるハーフ。明るい茶の癖毛は母親譲り。

「何にする?」

「カプチーノ」

「了解」

巴は、カプチーノを作り始める。

「ダリアですか」

「あぁ。今日入ってきたんだ」

花瓶に活けられたダリアに気がついた剣迩に、海が答える。

「剣ちゃん、お待たせ」

「ありがとうございます」

剣迩にカプチーノが出される。

「珍しいですね。黒崎さんが黙っているなんて」

「ん?心配してくれてるの?」

「べ、別に。ただ珍しいから」

顔を紅くして否定する巴を、海は楽しそうに見ている。剣迩は、そんな二人を静かに見守る。

「もう、一年になるんだなぁと思ってさ」

「一年?そうか、一年になりますね」と剣迩。

一年前、巴は事故に遭い、記憶の一部が抜け落ちている。

「足りないものは、思い出せた?」

「何も……ごめんなさい」

海に問いかけられた巴は、悲しそうに首を横に振る。

「謝ることはないよ」

「でも!」

「ほら、接客業がそんな顔しないの」

「そうですよ。せっかくの花かんばせが台無しですよ」

何か言いたげな巴を、海と剣迩はなだめる。

「お前、そんなことよく言えるな……」

「本当のことですから」

歯が浮くようなセリフを、剣迩はさらりと言う。

なだめていたはずが、海は剣迩の口喧嘩に発展。それから、三人は他愛ない話をして、巴が落ち着くと、海は仕事に戻っていった。


夕方の金木犀は、穏やかな時間が流れる。巴は海と初めて会ったときのことを、思い出していた。

今の巴が彼に初めて会ったのは、病院のベッドの上だった。巴は事故に遭い、病院に運ばれた。命に別状はなかったけれど、一部の記憶が抜け落ちてしまった。記憶喪失だ。

“一部の記憶”は、事故に遭った日から一年前までの記憶。巴の中のカレンダーの年号は、みんなより一年遅れていた。

巴が目を覚ましたとき、病室には巽に美咲、剣迩、あともう一人知らない男の人がいた。

その男の人が彼だった。

「貴方は、誰?」

巴の言葉に、彼は言葉を失ったようだった。

「巴、何を言っているの?彼は……」

「俺は、黒崎海。金木犀の常連で、君が事故に遭ったと聞いて心配で来たんだ」

何か言いたげな美咲を遮って、彼は話し出した。

言葉を失っていたのが嘘のように。

「私が事故に?」

「そうだよ。でも、無事でよかった」

彼は淡く笑ってそう言った。どこか悲しげな笑顔だと思った。

一年分の記憶がないのは、穴が空いたような感覚。その穴を埋めるように、皆いろいろ教えてくれた。ただ、彼だけはあまり教えてくれなかった。

彼は入院中、何回も会いに来てくれた。決まって小さな花束を持って。その小さな花束は、病室の机を埋め尽くしていった。見舞いに来てくれた美咲は、それを見て「すごいわね」と、半ば呆れたようにため息交じりに笑った。


「黒崎さん」

「ん?」

「私と黒崎さんは、どんな関係なんですか?」

「……」

ずっと疑問に思っていたことを、彼が来てくれたときに聞いてみた。美咲は友達、剣ちゃんは幼馴染み。常連客というだけで、彼はありったけの優しさをくれる。

彼は黙ってしまった。

「思い出したいんです。無くした記憶の中で、私は黒崎さんと知り合っているんでしょ?」

「……言ってしまうのは簡単だよ。でも、俺は君が思い出すのを待っているよ。無理にでなく自然にね。だから、焦らなくていいんだよ」

彼は優しく微笑んだ。でもそれは、目を覚ましたときと同じ、どこか悲しげで、彼を傷つけているんだと思い知る。

何も言えないでいると、彼は「また来るよ」と、帰っていった。

思い出せないということは、ひどくもどかしいもので、それは今でも変わらない。

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