12話
カフェ・マーメードは、水族館の敷地内の一角にある。透との待ち合わせの時間よりも、早く着いてしまった美咲は、青を基調とした着物に、貝の刺繍の入った帯の和装姿で透を待つ。
「どうなるんだろう……」
窓の外の海を眺めながら、巴と海のことを思う。海と空の境界は、同じ青なのにハッキリと分かられている。今は、夕暮れで空はオレンジ色に染まっている。
「何がですか?」
「透。やだ、私ったら口に出していたのね」
自分の失態に美咲は小さく笑う。そんな彼女を見て、透は軽くため息をつく。
「どうしたの?」
「聞きたいのは俺です。夏至祭り以来、元気がないですよ?」
「そう?」
「そうですよ」
透は美咲の向かいの椅子に座る。
「何か頼む?」
「えぇ」
店員を呼ぶと、透は美咲と同じものを注文する。
「珍しいね。甘い飲み物なんて」
「たまにはね。で?どうしたんですか?せっかくの可愛い和装姿が台無しですよ?」
真っ直ぐに美咲を見つめる透。いつもは言い渋る美咲に、食い下がって知りたがる透ではないが、今回ばかりは、自分の中に秘めてばかりいる美咲が心配でならなかった。
「巴達のこと。私が悩んだって仕方ないんだけどね」
美咲は困った様に笑う。
「美咲。たとえ今は脳の記憶が忘れてしまっていても、心と体の記憶は、ちゃんと憶えているんですよ?」
「本当?」
透の言葉に、美咲の瞳には光が燈る。
「本当ですよ。あの2人は今もお互いを好いているんでしょ?」
美咲は頷く。
「それなら、大丈夫ですよ」
透は綿毛の様な柔らかい笑顔で答える。その笑顔に美咲の不安は消えていった。
そこに、ちょうど注文した飲み物が運ばれてきた。
「透」
美咲はそっと透を呼ぶ。
「何ですか?」
「心配かけてごめんね。ありがとう」
感謝の言葉とともに、透にとって久しぶりの、美咲の心からの笑顔。
「さぁ。これを飲んだら、夜の水族館を見に行きましょう」
透は、夜の海のように静かに微笑む。
2人はマーメードを後にして、水族館ヘ入った。夜の水族館は、昼とは雰囲気が全く違っていた。
水底に身を隠すもの、お互いに身を寄せて眠っているもの。水中に漂うもの。ほとんどの海の住人たちは、眠りの世界を旅をしている。
”静寂“この言葉が相応しい。
2人は螺旋の回廊をゆっくり歩く。美咲は魚たちの夜の姿に驚きもしたが、透が本当に水族館に来たかったということの方が、数倍も驚いた。
「本当に来たかったんだ」
隣を歩く透を見上げて、美咲は言った。
「え?変でしたか?」
「変じゃないよ。ただ、私をからかうために、夏至祭りで賭けをしたんだと思っていたから」
美咲の言葉に、少しふざけすぎたかと透は反省した。
「でも、よかった」
「え?」
ふふっと美咲が笑う。
「透が楽しそうで」
透は急に立ち止まる。数歩先を歩いていた美咲は振り返る。
「どうしたの?」
相手が自分を想っていてくれることが、やたらと嬉しかった。透は、口元に手をやり、緩む口を隠す。
「なんだが、今日は俺の方が、やられっぱなしですね」
「そう?透がそう思うなら、いつものお返しってことにしておいて」
「行こう」と、美咲は右手で左の袖の袂を持ち手を差し出す。透はその手をとり、2人は手を繋いで歩きだす。
夜の水族館、そこは時間がゆっくりと過ぎていく。




