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牡丹の花束  作者: 柊 さつき
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東都国(とうとこく)は、四方を海に囲まれた島国。近年、西の海の向こうの西都国(せいとこく)から渡ってきた技術で発展している。東都国を“和”とするなら、西都は“洋”だ。文化は西都のものを取り入れつつ、東都の文化が色濃い。東都の南側は、和と洋がほど良く交わった地域。

その南の端にある瓦屋根に白壁の花屋・フローライトの朝は早い。鉢植えを表に出して水をやり、切り花はそれぞれのケースに入れる。そんな開店準備をしているフローライトの電話がなった。電話をとったのは、ジーンズに白いシャツの青年。この花屋で働く黒崎海(くろさき かい)。

「ありがとうございます。花屋・フローライトです」

「黒崎君か? 朝からすまない」

喫茶・金木犀の店長であり、海の恋人・巴(ともえ)の祖父の巽(たつみ)から電話だった。

「巴が事故に遭って、病院に運ばれたと連絡があったんだ。君も藤野病院に来てくれ」

「え?」

「私も今から向かう」

「わかりました。俺も今から向かいます」

(巴が事故に?)

海は電話を切ると、真っ白になりそうな頭を何とか働かせ、フローライトの店長である親方に事情を話して、つけているエプロンも外さずに店を飛び出した。

藤野病院は、高台にある西洋建築 の建物で所々東都らしさがある。

いつもは何とも思わない病院へと続く坂道が、やたらと長く感じられた。

「巴……」

昨晩、電話で話していた愛しい人の、どこまでも澄んだ声がよみがえる。

“今日ね。虹が出ていたの”



海が病院のロビーに入ると、いつもの茄子紺(なすこん)の着物姿の巽が海を待っていた。エレベーターで、巴のいる病室に向かう。

「巴は?」

「大丈夫。外傷は少しあるが、命に別状はないよ。今は薬でよく眠っている」

「そうですか」

海はホッと胸を撫で下ろす。

巴のいる病室の階にエレベーターが止まり、二人は巴のもとへ歩き出す。

「ただ……」

「ただ?」

言葉を切る巽に海は先を促す。巽は海を見つめて重い口を開いた。

「ただ、事故の際に頭を打ったことで、記憶喪失になっているかもしれない」

「え?」

海の耳から一切の音が消える。巽の言葉しか耳に入らない。

「検査では、特に異常はなかったらしい。だが、担当医はもしかしたらと言っていた。目覚めるまでは分からないが、覚えておいて欲しい」

「……はい」

ホッとしたのもつかの間、海の中で不安が頭を持ち上げる。

巴のいる病室の前に着いた。だが、海はドアノブに手をかけることすらできない。

情けないと海は思う。巴が自分のことを忘れてしまっていたらと思うと、入るのが恐かった。

「黒崎君」

「はい……」

海は、目を閉じ一呼吸おいて、ドアを開けた。ドアの先には、真っ白いベッドに、脳や心臓の動きを確かめるためだろう機械の線に繋がれて眠る巴がいた。

枕元には、巴の親友・大蔵美咲(おおくら みさき)が座っていた。いつもの

勝ち気な様子は見られない。美咲の傍には、海も顔見知りで巴の幼馴染み・木藤剣迩(きとう けんじ)もいた。

海が立ち尽くしていると、美咲は立ち上がり、自分が座っていた椅子に海を座らせた。剣迩も海に気遣い、窓際に移動する。

「……巴……」

白で囲まれて眠る巴は、神聖に見えた。どうか目を覚ましてと、海は巴の手を握り願う。

そんな海の姿を、切なそうに見て美咲は海からそっと離れ、巽の近くへ行く。

「必要な荷物を持ってきますね」

「ありがとう。美咲君」

「いいえ」

美咲は、弱々しく言葉を紡ぐ。

「……ん……」

「巴!」

巴が目を覚ました。巽と美咲、剣迩が駆け寄り、巴の手を握る海の手に力が入る。視界がぼやけているのか、巴は空いている手で目をこする。

「おじいちゃん、美咲、剣ちゃん……」

巴は、巽と美咲、剣迩を確認した。誰もが記憶も大丈夫だったんだと思った。

「巴」

しかし、海の呼びかけに巴から返ってきた言葉で、期待は一気に打ち消された。

「貴方は誰?」

巴は海を見てそう言った。海は唇を噛みしめ、握っていた手をそっと話した。

「巴?何言ってるの、彼は……」

「俺は、黒崎海。金木犀の常連で、君が事故に遭ったと聞いて心配で来たんだ」

海は美咲の言葉を遮り話し出す。

「私が事故に?」

「そうだよ。でも、無事でよかった」

海は静かに笑って見せた。しかしその姿は、巽と美咲、剣迩にはとても悲しく映る。


巴が目を覚ましたことを看護婦に報せ、担当医の桧垣(ひがき)が巴を診察した。その後、美咲て剣迩、看護婦に巴を任せて、巽と海は、桧垣に別室に呼ばれた。

桧垣の眼鏡の奥の群青色の瞳は、悲しそうに揺らいでいた。

「記憶喪失になっています。それも、昨年から今日までの、約一年分の記憶がなくなっています。八塚さんの中では、年号が約一年前になっています」

「他は大丈夫なんですか?」

巽が尋ねる。

「はい。記憶が抜け落ちている他は問題ありません。身体のことも心配ですし、様子を見るために、しばらくは入院した方がいいでしょう」

「わかりました」

桧垣と巽のやり取りが終わったところで、海が口を開いた開いた。

「俺のことは、覚えてなかったみたいです……」

巽が励ますように、海の肩に手をおく。

「貴方が八塚さんに初めて会ったのは?」

「ちょうど、記憶がない部分に入ります」

「そうですか……」

桧垣は、眼鏡の蔓に手をやり悲しそうに目を伏せる。

「記憶は戻るのでしょうか?」

「はっきりとは言えません、その人によりますね。戻るとしてもいつになるのか……。一時的なものだということを願うばかりです」


二人は桧垣に礼を言い、診察室を出た。海は巴のもとには戻らずに、ロビーへと足を進める。巽は見送りについていく。

「黒崎君」

「また、来ます」

何か言いたげな巽に、海はそれだけ告げ、病院を後にした。

すぐにフローライトには戻らず、病院の裏の竹藪をぬけて、あまり人に知られていない滝まで行った。そこは巴とよく来た場所。海は滝壺の水面を殴った。やり場のない悲しみ、手がかじかむのも構わずに、何度も何度も。

「……っ」

海は、しばらくそこから動けなかった。


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