<9>
仁和は窓の外に視線を向けた。
角度的にも城下の様子がちゃんと見えるわけではないが、それでもほとんどの建物が元に戻っているといっていいだろう。
活気づいてきた町は賑やかになる。
カルティア国は農作物が盛んで、この国で食べられているものはすべて自国の物。さらに貿易が盛んなため、珍しいものから少し変わったものまでカルティア国に流れ込んでくる。
のんびりと空を見つめて、射るような視線に堪えかねて仁和は首をひねった。
「……サリー」
「はい」
「そんなに見なくても、勝手にどこか行ったりしないから」
洗濯物をたたむ手を動かしながら、サリーはじっと見つめてくるのだ。それも、小さな動きすらも見逃さんばかりの勢いで。
おそらく、勝手に城下へ行こうとした時のことを根に持っているのだろう。
「本当ですか?」
「うん」
だから、そんな目で見るのはやめて欲しい。
見つめてくる視線が気になって、ほかに集中できないのだ。
サリーはしぶしぶといった様子で視線をそらした。それでもまだ信用されていないらしい。
ちらちらと仁和を見る彼女にため息をこぼす。
「あ、サリー」
「はい」
「今日ケトルっている?」
「いえ、今日は訓練場の方へ行くとのことで……」
サリーの言葉が言い終わる前に、仁和は椅子から立ち上がった。
「ちょっと城内歩いてくるね」
「え」
「すぐにとはいかないと思うけど、戻ってくるから」
ひらひらと手を振って、そのまま扉の方へ行く仁和を慌てて止める。
「に、仁和様! だめです、ケトル様がおられない時は――」
「うん。だから城内に」
「分かってないじゃないですか!! 城内でも危険なんです! 戦いは終わりましたけど、もしかしたら敵が――」
再び行こうとする仁和の腕を必死で取る。
いくら戦いが終わったとしても、敵兵がくるかもしれない。
そう訴えてくるサリーに仁和は眉を下げる。
自分の身を案じてくれているのは嬉しいが、門番もいるし見回りの兵士もいる。戦いが終わったことで警備は緩くなっているようだが、もしものことも考えているだろう。
そう問題が起こるようには思えないのだ。
どうしようかと、必死で止めようとするサリーを見て唸っていると、扉が軽く叩かれた。
誰なのかと一瞬思案したサリーは、仁和にしがみついていた腕を放して扉を開ける。
「はい、どちらさまで――」
そう顔を上げた瞬間、サリーが目を剥く。
「へ、陛下っ!?」
扉を開けた先には、ジャンソンと親衛隊を引き連れたウィルが立っていた。
どうしてと思う前にウィルが口を開く。
「どうした? もめる様な声が聞こえたが」
「あ、い、いえっ……!! なんでもございません」
「城内をちょっと、歩こうと思って」
首を振るサリーに近づいてそう言うと、ぎょっとしたようにサリーが仁和を見る。
「城内に?」
「うん。ねぇ、ウィル――」
「なら俺と行こう」
仁和の言葉を遮るようにして言ったウィルの言葉に、思わず驚きの声を漏らす。
妙に嬉しそうなウィルをぽかんと見つめていると、どうしたらいいのかわからずに慌てふためいているサリーが視界の端に映る。
「え、ウィル?」
「それならケトルがいなくても大丈夫だろう?」
「陛下!?」
さらりと言ってのけたウィルに親衛隊隊長であるジャンソンが目を見開く。
後ろで驚いている臣下らを無視して、ウィルは仁和の手を引く。
「ジャンソン、下がっていていい。他もだ」
「陛下、しかし……!!」
「大丈夫だ」
「そういう問題ではありません! 午後から定例の会議があるんですよ!?」
「……それまでには戻る。多少時間が遅れたからといって怒るような者たちではないだろう?」
「陛下っ!!」
焦るジャンソンにそう言い捨てて、考える間もなくウィルに手を引かれて部屋を出る。
終始呆然としていたサリーと、ウィルの勝手な行動にどうしようかと悩んでいる親衛隊を横目で見ながら仁和は引きずられるようにウィルの後ろを歩いた。
「――ウィル、私行きたいところがあるんだけど……」
「逃亡か?」
しばらく歩き、そうウィルに言うとからかう様に返される。
「違う!」
微かに肩を揺らすウィルに眉をひそめた。
なぜか会うたびに笑われている気がする。
仁和は繋がったままの手に視線を落とした。
強引に掴まれていた手も今はすっぽりと優しく包まれている。
「どこに行きたいんだ?」
ひとしきり笑ったウィルを軽く睨みつける。
「仕事があるんじゃないの? さっき会議だって言ってた」
「あぁ、時間をずらしたから問題ない」
「そんなことしたらだめでしょ!!」
「大丈夫だ。あぁ、でもあの怒りで真っ赤に染まった年寄りの顔を見るのは嫌だな」
戦いの終わったカルティア国の今後について懇々と話し合う会議。頭の固い、脂ぎった男たちとの会議はウィルにとって苦痛でしかない。
だが、怒らなければいいのだ。
あの男たちが怒鳴り散らす声がウィルは好きではない。
その光景を思い出したのか、ウィルは顔をしかめて首を振った。
「……で、どこに行きたいんだ?」
諦めもなく問いかけてくるウィルにため息をこぼし、仁和は観念したように口を開いた。
「……私がここに来る時、触れた歪みを研究してるって言ってたでしょ」
「あぁ、グランディか」
「その研究してる場所に行きたいの」
ふとウィルが眉を寄せる。
なぜ、と問いかけているような表情をして、けれどすぐにそれは消えた。
「そんなところに行くより、城内を歩いていた方がいいだろう」
「え、私――」
「一人では迷うのだろう? あの時と同じように」
蒼い瞳を細めて笑うその姿はまさに美形と呼ばれる分類だろう。
吸い込まれそうな蒼い瞳は深海を思わし、筋の通った鼻、形のよい唇。さらりと揺れる飴色の髪は思わず触ってしまいたくなるほど柔らかそうだ。
「あ、あの時って……」
仁和は顔をしかめる。
城下に出ようと思って門を探すが、わからずウィルに見つかってしまった時のことである。
いつまでも根に持つ男は嫌われるぞと胸中毒づいた。
「また迷うと困る。行くぞ」
強引に、けれど優しく手を引かれて思わず足を踏み出す。
それを満足そうに見つめて、ウィルは驚く侍女や兵士を素通りしていく。
「ちょ、ウィル! 目立ってるんだけど」
「あぁ。普段はジャンソンたちが一緒だからな」
「ジャンソンって、あの男の人?」
ウィルの後ろに立っていたが、その視線はくいるように仁和を見つめていた気がする。
「親衛隊の隊長だ。腕もいい。ケトルもなかなかだろう?」
「ケトル? 戦ってるところなんて見てないけど」
「そうか。元々は俺の護衛をしてたんだが、かなり腕がよかった」
そう言うウィルの瞳を見て、ほっと息をつく。
以前、自室で見たような瞳の色ではなかった。あのくすんだ、何も映していないような感情の読み取れない瞳。
それが今は綺麗な蒼色だった。
なぜかそれに安堵して、仁和はウィルを仰ぐ。
「どこ行くの?」
もう行きたかった場所になど行かせてもらえないだろう。
諦めてそう問うと、ウィルは微笑した。
「まずはどこからか……適当に歩くついでに仁和に道を覚えてもらわないとな」
そう言いながら、仁和の手を包む手に少し力を入れた。
広い城内をウィルと手を繋いで歩いているということが不思議と嫌ではない。むしろ、安心してしまう。
強引にここに連れてこられ、仁和の意志など無視を決め込んで――文句の一つや二つ、言いたいと思っていた男とこうして肩を並べていることがひどく不思議で、なぜか笑みが浮かんだ。
「仁和、気になってたんだが――なぜそのドレスなんだ」
「え?」
「クローゼットに入ってあっただろう? 衣裳部屋にも」
「あ、あぁ……」
ウィルが言っているのは、あの宝石のちりばめたドレスのことである。
衣裳部屋にあるものは露出度が高く、胸元がざっくりと開いたものや、足を綺麗に見せるためのスリットが入ったものが多かった。
部屋のクローゼットに入っているのは派手だが露出度が低い。けれど、宝石をちりばめたドレスをそう安々と着れるわけもなく、仁和は初日と同じクローゼットに入っているドレスを着ていた。
「着てはくれないのか」
「だ、だってあれ高そうだし、それにサイズが……!!」
どれも腰周りはきつく、全体的に細い。
それはとても自分が着れるようなものではなかった。
わずかに頬を赤らめながら言うと、
「そんなことはない。きっと似合う」
と、瞳を細めてふわりと微笑んだ。
サイズもぴったりだと付け加えて。
その表情を見て一瞬息を呑む。
その笑った瞳があまりにも、あまりにも――慈愛にあふれていたから。
じっと見つめる仁和の頬にウィルの指先が触れる。
手の暖かな温もりを感じて、仁和はとっさに身を引く。
「う、ウィル!?」
突然のことに目を見開く仁和に微笑んで、また手を引いた。
「行くか」
「う、うん」
ふたたび肩を並べて歩き出す。
ウィルは時々突拍子もないことをする。それらにすべて意味があるのかわからず、仁和はただそれに振り回されていた。
道行く人は何事かと驚きつつも、立ち止まって頭を下げる。
廊下を歩きながら案内をされ、ふとウィルの腰に視線が釘付けになった。
「剣……?」
それは、中庭で見たときと同じ剣。
ウィルの体格にあった長さになっている剣は細かな装飾がされ、一見すれば飾り物かと見間違うほどに綺麗だった。けれど同時に、どこかおぞましさも秘めている。
それをじっと見つめていると、気付いたウィルがそっと剣に触れた。
「代々受け継ぐんだ。王になる者に。俺は父上から受け継いだ」
「――お父さんに?」
そういえば、ウィルの両親にはあったことがない。ウィルが国王ならば、父親はどうなるのだろう。
「少しずつ形を変えて、それぞれにあった剣に変えるんだ。身長にあわせて刃の長さを変えたりする」
「へぇ」
よく見ると、剣の柄には細かな傷ができていた。
歴代の国王が使っていた証。
以前の形を失わないように、けれどその人に合ったように作り変える。
そんなことができるのはよほど腕のいい鍛冶屋だけだろう。
興味津々に見ている仁和に、
「欲しいか?」
と少し剣を持ち上げる。
「え!? い、いい!」
「そうだな。仁和には短剣の方がいい」
「いや、そうじゃなくて……」
剣なんて物騒なもの持ちたくない。
「今度鍛冶屋に頼んでおく。持っておいて、いざという時に使えばいい」
できれば、そんな時はないほうがいい。
そんなことを思って視線を落とし――目を見開く。
けれど一瞬でそれは消え去り、ただの錯覚だと気付いた。
「仁和?」
はっとして顔を上げると、覗き込んでくるウィルと目が合う。
「ううん、なんでもない」
ゆるく首を振る。
そうか、と言ったウィルとまた城内を歩く。
――一瞬ウィルの手が、真っ赤に染まっているように見えた。