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歪みの苑  作者: みづき
一章
8/82

<8>

 無造作に伸ばされた髭を触り、ジャンソンは深く息を吐き出した。

 兵士たちの憩いの場である専用の食堂はいつも以上に賑わいを見せている。

「ジャン。そう気落ちするなよ」

 ジャンソンの隣に座っていたヘリックが軽く肩を叩く。

 四十一歳、妻なし子供なしの訓練と警護に明け暮れる親友の肩を叩きながら、ヘリックは一際大きな声で叫ぶ。

「こっちもう一杯持ってきて!」

 あいよ、と食堂を一人で切り盛りしているマザーはにこやかに笑う。

 名前の通り皆の母のように優しく寛容で、けれど悩んでいる相手には毒舌を吐きつつもきちんと相談に乗る彼女に兵士たちは心を許している。

「ヘリック」

「なんだよ。これ以上飲まないとか言うなよ? こういうときは飲んだほうがいいんだって」

 木でできた年代物のテーブルに、一際大きなコップが音を立てて置かれた。

 それを見てヘリックが目を瞬く。

「え、マザー。これ……」

「いいんだよ。今これしか空きがなくてね、こっちのほうがいっぱい入るだろ?」

 出されたコップには溢れんばかりの酒がそそがれている。

 ひっきりなしに訪れる兵士がいるため、常に余りが出るほど皿やグラスがあるのがこの食堂である。さらに、食堂に来る兵士は料理よりも酒だ。

 そう言って笑うマザーに苦笑し、ありがとうと礼を言う。

「お代はちゃんといただくけどね」

「はいはい」

 マザーの気遣いに微笑して、コップをジャンソンの前に差し出す。

「ヘリック、俺は――」

「いーから。飲め、な?」

 ぐいっと目の前に近づけられたコップをしぶしぶ受け取ったジャンソンに満足し、へリックも自分のコップを傾けた。

「……いつまでも引きずんなよ」

 へリックの言葉にジャンソンが瞳を伏せる。

「七年間も自分を責め続けたんだ。もういいだろ」

 ジャンソンからの返答はない。

 親衛隊副隊長であるヘリックは細く息を吐いた。

 あちこちから笑い声や冗談交じりの怒鳴り声が聞こえてくる。酒に酔った兵士らは、ここに上司がいることすら忘れているらしい。

 ふっと口元を笑みの形に作り、へリックは視線を移す。

 この七年間。自分を責め続けたジャンソンの姿を嫌というほど見てきた。

「なあ、ジャン――」

「俺行くから」

「は?」

 突然席を立ったジャンソンに目を瞬く。

「これから国王のところに行かなくちゃいけないんだよ」

「え、聞いてねぇぞ!?」

 国王であるウィルのところに行くなど一言も聞いてない。それなのに、たっぷりそそいだ酒を勧めてしまった。

「俺が言う前に遮ったんだろ」

「すまん!!」

 ジャンソンがあまり酔わないことは知っているが、酒の匂いを漂わせた状態で国王の元へ行くのはいかがなものか。

 謝るヘリックに苦笑して、

「別に、そんなに飲んでねぇよ」

 そう言い残してジャンソンは食堂の扉をくぐった。

「……どこがそんなにだよ」

 それを目で追って、ジャンソンの飲んでいたコップを見て苦笑した。

 なみなみ注がれた酒は半分以上なくなっていた。

「あ! あいつ、酒代払っていってねぇ……!!」

 まぁたまには払ってやるかと、へリックは手に持っていたコップを傾けて窓の外に視線を移す。

 夜空に浮かんだ月が、静かに城を照らしていた。

 薄暗闇の中で影が動く。

 静かな、大きくひらけた廊下を突き進んで、ジャンソンはふと笑う。

 お節介な親友の言葉が脳裏に浮かんだ。

 自分を責め続けていたのは確かで、それは一生消えないと思っている。むしろ、消えてはならないのだ。

 決して許されることのない過ち。

 そして、そのせいで大きく変わってしまった人。

「あれ、ジャンソン? どこ行くの?」

「ろ、ロイア王子」

 暗闇から音もなく現れたロイアに目を見開く。

 傍に兵士の気配はなく、単身で城内を歩き回っているのだとわかってジャンソンは慌てた。

「お一人で? お部屋に――」

「ねぇ、どこ行くの?」

 重なる質問に言葉が詰まる。

 わずかな火と窓から差し込む月の明かりしかなく視界が悪いが、よく見ればロイアの腰に剣が差さっている。

 確か献上品として出されたものだったかと記憶を掘り返す。

「あ、国王のところへ……」

 歯切れが悪くそう答えると、ロイアは小首をかしげた。

 闇の中に溶け込んでしまいそうな黒髪が揺れる。

「兄上のところ?」

「はい」

「へぇ。そっか……行っていいよ」

 はい、と頷こうとしてジャンソンは動きを止める。

「ですが、ロイア王子は――」

「あぁ、大丈夫。もう部屋に戻るから」

「ですが」

「早く行かないと駄目なんじゃない?」

「……し、失礼します」

 微笑むロイアに頭を下げて、ジャンソンは歩き出した。

 闇の向こうにその姿が消えるのを確認して、ロイアは視線を動かす。

 そして、柱に向かって名を呼んだ。

 大きな柱からゆるりと出てきた漆黒とも言えるような影は、続くロイアの言葉にただ頭を垂れていた。

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