小さな幸せ
後日談「祝いの日」の前日のお話です。
ざわざわと、心地よい喧騒が耳朶を打つ。
両方から行きかう声はどれも活気に溢れ、力強く頼もしい。今さらながらに、カルティア国の人々は強いと思ってしまう。
少女は顔を上げ、青く澄んだ空を見つめた。
風に乗って気ままに進む白い雲は、きっとどこまでも続いているのだろう。
ぼんやりとそんなことを思っていた少女は、一瞬で目の前に現れた顔に小さく悲鳴を上げた。
「そんなに驚くな。こんなところでぼんやり突っ立ってたら危ないだろう?」
「ご、ごめん。……何買ったの?」
少女――仁和は眼前のすっぽりとフードを被った男に苦く笑い、その手に持たれていた二本の串に小首を傾げる。
「あぁ。うまそうな匂いがしてたからな。出来立てだそうだが……嫌いか?」
ちょうど昼頃に差しかかり、お腹が減ってきたという二人の意見に男――ウィルは何か買ってくると告げて、仁和を人波から逸れた露店の脇へ促し人だかりに消えた。
大通りはいつもと同じく人々で賑わい、それらを呼び込む露店も数が多い。
仁和とウィルは視察がてらに下町へ降りたのだが、ほんの数か月前に許されざる裏切りの戦いがあったとは思えぬほどいつものそれと同じだった。もっとも、ロイアの配慮でか下町やそこに住む民たちには一切被害が及ばず、またそんなことがあったと知っていたのはごく一部だという。
死亡者の出た貴族に関してはごたごたが続いているらしいが、王やその婚約者、王子たちが無事だという知らせを受けた民たちは以前と変わらず――多少の混乱はあったものの、比較的穏やかに暮らしている。
「嫌いっていうか……食べたことない」
仁和はウィルから一本の串をもらってそれをまじまじと見つめた。
油で揚げたであろうこんがりきつね色をした衣は円形で、そこに一本の串が刺してある。衣の中身は何なのかウィルに聞いても教えてくれず、仁和は香ばしい匂いのするそれにかぶりついた。
さくりと小気味のいい音がし、中から湯気が溢れ出る。
「おいしい」
口の中にわずかな甘みが広がり、ほくほくとした触感に仁和は目を瞬いた。中に入っている具材は少し違ったが、それは元の世界での食べ物を彷彿とさせるものだった。
「だろう? 中身にも色々と種類があるんだ。軽食からお茶の時間に出す菓子にできるものまである」
串に刺さった状態のものは初めて見たが、懐かしさを感じさせるそれを仁和はあっという間に食べ終えた。
「……ねぇ、ウィル」
「ん?」
「人って、強いね」
同じく揚げ物にかぶりついていたウィルはぴたりと手を止め仁和を見やる。
「争いがあっても、何があっても……こうやって生きてるんだね」
眩しささえ感じるほど逞しい人々に仁和は目を細めた。守られているばかりではない、自分の足できちんと立って生きている人たち。
たとえ争いがあったとしても、それぞれがきちんと自分がすべきことをしていくのだろうか。
「……そうだな。ここにいる人たちを手助けするために、俺たちがやるべきことをしなくてはならない」
「うん」
あんまり自信ないけど、と苦笑する仁和にウィルは優しく微笑みかける。
「大丈夫だ。俺が傍にいる、俺が支える。――だから、仁和も俺を支えてくれ」
その言葉に小さく頷き返し、仁和はふいに声をかけられ視線を落とした。そこには小さな男の子が一人、両手で一輪の華を優しく包んでいる。
「どうしたの?」
「あの、これ……っ」
恥ずかしいのかわずかに頬を赤らめて、花を差し出しながら男の子は小さな声でよろしくお願いしますとだけ言い残して踵を返した。
視線で追うと、そこには若い女のもとへ駆けていく男の子が視界に映る。上手にできたよと言わんばかりの笑顔と、すごいねと頭を撫でて褒める女の人。
その背後には小さな露店を構えていて、そこから一人の男が顔を出す。今日出たばかりの店らしく、店を行きかう人々にも同じく花を渡し呼び込みをしている。
ちらりとウィルを見上げると深海を思わす蒼い瞳が優しく細められ、仁和はふわりと心が温かくなるのを感じ、手渡された綺麗な花をくるくると指で回した。
「帰ろっか。ウィル。早く生けないと、このお花萎んじゃう」
「あぁ、そうだな」
淡く綺麗な一輪の花。
風が吹けば散ってしまうのではないかと思うほど儚いけれど、まっすぐに伸びて先を見据える姿はとても逞しかった。




