<7>
「だめです!!」
サリーの声が部屋に響く。
実は仁和と歳がひとつしか変わらない彼女は、なんとか止めようと手を伸ばす。
「大丈夫だって」
そう言って、止めようとするサリーをかわして仁和はクローゼットを開く。
手早く髪をひとつにまとめて選んだ服に着替え、これなら完全に侍女に紛れ込むことができそうだと満足げに頷いた。
「城下に行くなんて、絶対だめです!!」
「少し見てくるだけ。サリーはここにいて」
辛うじて城下にいても目立つことはないだろうと選んだ服をひらりとなびかせる。仁和がいつも着ているドレスが入ったクローゼットから一番適したものを選び出した。
部屋の真ん前が衣裳部屋になっているのだが、開けた途端踵を返した。やはり庶民的なものが自分には合っているなと結論付けて、仁和は部屋に戻ってクローゼットを物色し始めたのだ。
そして城下に行くと言った途端サリーには猛反対され――今に至る。
「仁和様! 城下はまだ危ないと……!!」
確かに、城下は危ないと聞いた。戦争が終わったばかりでがれきも多く、崩壊してる建物も多い。けれど最近はようやく以前のカルティア国に戻ってきている。
「少しだけだから。それに、今日はケトルもいないんだし」
今日はケトルが何か用事があると言って仁和の傍にはいない。そのため、決してひとりで部屋の外には出さないようサリーは言われていたのだが、仁和にとってはこれ以上ない日である。
「たまにはひとりで、ね?」
ぐっとサリーの言葉が詰まる。
ここにやって来てからというもの、仁和の傍には常に人がいた。部屋から出るときにはケトルが、部屋の中にはサリーがいる。たまにはひとりでゆっくりしたいというものわかる。
サリーは首を振った。
「ですが、それとこれとは話が別です!」
ゆっくりしたいのなら自分が部屋を出て行く。なにも城下に降りることはないのだ。
「すぐ帰ってくるから。じゃあ、あとよろしくね!」
そう言い残して、サリーが口を開く前に部屋を飛び出した。
後ろからサリーの声が聞こえたが、構わず廊下を走りぬける。なるべく丈の短いドレスを選んでいた為か、思ったより走りやすい。
廊下を駆け抜けて階段を下りる。
「えっと、ここからどうだっけ?」
とりあえず中庭に着いたのはいいが、外へ出る門にはどうやっていけばよかったか。
話には聞いていたものの実際来てみるとわからない。
悩みながら視線をさまよわせ、
「んーと、確か――」
「散歩か?」
呟いて体を反転させようとした瞬間、唐突にかけられた声にびくりと肩を震わせた。
再び問いかけてくる声の主の方に視線を向けて、仁和の顔が引きつっていく。
よりによって、一番見つかって欲しくない人に見つかってしまった。
「……ウィル」
ゆったりと前方から歩いてくるウィルの腰には剣が刺さっていた。
長く細い剣は兵士が持つような大きいものではない。視線がそれに釘付けになっていた仁和は、はっとしてウィルに向き直った。
その拍子に結んだ髪が揺れ、それにそっと近づいてきたウィルが触れる。
びくりと揺れた黒髪に触れるウィルは瞳を細め、絡みとられた髪をそっと撫でて、
「似合うな」
と、口元を笑みの形に作った。
さらりと揺れる黒髪は艶が出ていて梳きどおりがいい。
サリーに半ば強引に、悲鳴をあげて体を隠し、逃げようとするのを無視され丁寧に体を洗われた。特に髪は丁寧に洗われたせいか、前よりもさらさらしている。
なんとなく気恥ずかしくなって、その視線から逃れるように口を開いた。
「こ、こんなところで何を?」
「散歩だ。仁和もだろう?」
そう言われて言葉に詰まる。
反射的に顔を上げれば何もかも見抜かれているような視線とぶつかり、堪えかねて逃れるように視線をそらす。
「こんなところで、ひとりでいいの?」
一国の王が単独で行動などありえない。その身にもしものことがあったら国が傾く以上の問題だ。いくら城内といえど、あまりにも無防備である。
「ひとりではない。ちゃんといる」
「え?」
瞬時、がさりと音がする。
音につられるようにしてその方向を見ると、国王直属の親衛隊隊長であるジャンソンが目を見開いていた。その後ろには何人かの兵士が甲冑に身を包んでいる。
見晴らしがいい中庭でいったいどこに隠れていたんだと思うほど目立つ男たちが仁和を不審がらないのは、国王であるウィルが根回しをしてくれたからである。
城内を歩き回っても、視線は向けられるものの特に注意されなかったのはそのせいだろう。
根回しが完璧な男だと、ウィルに視線を戻す。
「これで、逃亡は無理だな」
「っ……」
仁和が目を見開く。
そして楽しげに目を細めているウィルを恨めしげに睨みつけた。
「別に、逃亡しようなんて思ってない」
根回しが完璧なだけではなく、意外にも意地悪な男らしい。
「そうか。ならいい」
仁和の言葉に満足げに笑う。
その瞳が深い海を思わせるような蒼い色になっているのを見て、小首をかしげた。
確かウィルの自室に出向いた時はくすんでいたはず。焦点が合っていないような、何もその瞳には映していないような色だった。
その瞳が、今は楽しげに細められている。
「陛下」
じっと探るように見つめていたとき、ジャンソンが口を開く。
髭を生やした男はそれ以上何も言わず、わずかに眉を寄せて主を見つめた。
「……あぁ。わかっている。ではまたな、仁和」
くるりと踵を返したウィルはふと立ち止まり、
「――逃亡などしようと考えるなよ。いくら戦いが終わったとはいえ、外は危険だ」
そう言い残して、親衛隊とともに颯爽と城内に消えた。
「仁和様!!」
しばらく消えた城内を見つめていると聞きなれた声が耳朶を打ち、思わず肩をすくめる。
振り返るとサリーが大きな柱から飛び出してきた。
「さ、サリー」
「もう、お一人で部屋の外に出ては危険です!!」
ずいっと近づいてくるサリーを両手で制し、
「ご、ごめん」
「ケトル様がいらっしゃらないときは特にです! もしものことがあったら、私……!!」
青ざめる彼女に苦笑いを向ける。
「ずっと探しててくれてたの?」
「……いえ、陛下とお話されていたようでしたので」
若干涙ぐんでるサリーはゆるく首を振る。
「そ、そっか」
なだめる様に軽く背中をさすり、ふと思い至ってサリーに問う。
「ねぇ、ウィルって何かあるの?」
「え? 何か、とは?」
「……病気とか」
さすがに心を病んでしまっているのかと聞くのも躊躇われる。
わずかに悩んでそう答えると、
「いえ、私が仕えていたのはほんの数日ですし……あまりそのようなことは」
と、サリーは悩むように小首をかしげ、けれど思い至らずに首を振った。
確かに一国の王であるウィルにはとてつもない重圧がかかるだろう。そのせいで心を壊してしまったとも考えられる。
先ほど見た感じではそのようなことはわからなかったが、ウィルにもいろいろあるのだろう。
なにしろ、顔をあわせたのはほんの数回程度だ。
何かが小さく引っかかりながらも、仁和は勝手にそう結論付けた。
「あの、陛下になにかありましたか?」
「ううん。なんでもない」
心配そうに見つめるサリーに微笑して、部屋に戻ってと再び急かされるまま城内へと足を踏み入れた。
その時ちらりと肩越しに中庭を見る。
さっきまで話していた場所を見つめていると、もういない男の姿が脳裏を掠めた。
仁和を見つめて細められた瞳が、やけに優しかった。