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歪みの苑  作者: みづき
四章
68/82

<28>

 ニナは眩しさに目を開けた。

 かすかに聞こえてくる小鳥のさえずりに身じろぎし、横に首をひねり――ニナはぎょっと目を見開いてその状態のまま硬直した。

「な、なん……」

 目の前に人がいる。

 いつもは深い海を思わす瞳は閉じられ、形のよい唇からは小さな寝息が漏れている。柔らかそうに揺れる飴色の髪は無造作に乱れ――ニナは勢いよく眼前の青年から視線を外す。

 整った顔立ちの青年はウィルである。

 けれど、なぜこうなった、どうしてウィルと同じベッドでしかも隣で寝ているのだと――ぐるぐると考え、昨夜の記憶がよみがえりニナはふわりと頬を朱に染めた。

 昨日は自分の過去を語ったのだ。

 決して誰にも言わなかった、そしておそらくこれからも言わないだろうと思っていた過去を。

 ウィルは静かに聞いてくれ、そして同じように優しく抱きしめてくれた。

 過去が変わらなくて、許されないことをしたのは二人とも理解している。

 ただの傷の舐め合いだと言われればそれまでだが、ニナには不思議と心地よかった。

 そしてその後、ウィルは言ったのだ。

 ――そばにいて欲しいと。仮ではなく、本当の姿で。

 そっと触れた唇は少しかさついていて、そして少しだけ果実水の味がした。

 髪を撫でてくれた手は優しく、頬を滑る指は温かい。

 抱き寄せる腕は強く、予想以上にたくましく――ニナはいまだ残る感覚を思い出して小さく奇声を発した。

 熱が集まった頬を冷ますように両手を当て、シーツに顔をうずめる。

 抱き合ったまま眠った昨日は今までで一番熟睡できて、幸せな夜だったように思えた。

「……ウィル」

「なんだ?」

 ぽつりとつぶやくと、耳に届いた声にニナはがばりと顔を上げた。

「ウィル!? お、起きてっ……」

「大きな声を出すな。さっき起きたばかりだ」

 顔をしかめ、わずかに寝癖のついた飴色の髪を掻く。

 それがどこか色っぽく感じてしまうのは目の錯覚である。

 言動は今までと変わらない、昨夜の方が可愛げがあったほどで――悶々と自分に言い聞かせるニナにウィルは不審な目を向けた。

「ニナ? 寝ぼけてるのか?」

「お、起きてるから……!!」

「あのー、すみません。お取り込み中悪いのですが……」

 ベッドの上に突っ伏すニナと、それを見て怪訝な表情をするウィルは突然聞こえた声に顔を上げた。

「兄上、ニナ。ちょっといい? あ、そのままでいいから。刺激強いし」

 扉の前で手を振るのは、ウィルの弟であるロイアだ。

 十二歳とは思えぬ発言にニナは首を振った。

「ち、違う! そんなんじゃないから! 誤解しないで!!」

「あ、そうなんだ? てっきりシーツの下は何も着てないのかと――」

「着てるから! ちゃんと!!」

 顔を真っ赤に染めたニナは全力で否定する。

 はたから見ればそういう関係に見えるのかもしれないが、違うのだ。

 ただ同じベッドで寝ていただけで、やましいことはひとつもない。

「はいはい。冗談だから。で、兄上とニナにちょっとお話が」

「なんだ?」

 ウィルとニナが体を起こすと、そんなに大げさなことじゃないよとロイアは笑う。

「ただ、今日の昼に来て欲しい場所があるってだけですよ。あぁ、昼食を食べた後で構いませんので」

 そう言って告げられた場所に二人は首を傾げる。

「城でもいいだろう。なぜそんな場所に――」

「まぁ色々と。人には聞かれたくない話なので」

「……わかった」

 普段そんなことを言わないロイアなのだ。何かわけがあるのだろう。

 この国に関わることか――そう思い、二人はその要求に頷いた。

「じゃあ、ごゆっくり。侍女にはもう少ししてから来るように言っておきますね」

 にっこりと微笑んでロイアはそう言い残し、目を見開くニナをよそに扉の奥に消えた。

「ち、違う、誤解で――!! ウィル、誤解された!」

「誤解なのか?」

「え?」

「誤解なのか? ニナ」

 ずい、と顔が近づけられ、俺はこのままでもいいがとつぶやく声が聞こえたと同時に唇に何かが触れた。

 柔らかく、少しかさついた――温かな何か。

 声にならない悲鳴をあげてニナはとっさに口を抑えた。

 ウィルから逃げるように仰け反ると、口を覆っていた手を掴まれ今度は引き寄せられる。

「なにっ……!?」

 息を呑む。

 整った顔が近づき、そのまつげが伏せられかすかに揺れているのを見た瞬間、再び唇が熱を帯びる。

 反射的に後退しようとするが、後頭部を押されつけられ逃げることができなかった。

 目を見開いたまま長いまつげを見つめていると、それが少し離れて今度は角度を変えてニナの唇に覆いかぶさってくる。

「……っ」

 全身に力が入り、ニナは身を固くした。

 何が起こっているのか思考が追いつかない。

 目の前にいるのは本当にウィルか――そう考えてしまうほど、今の一連の行動は彼に結びつかないものである。

 優しく包み込むような唇は温かく、強張った体をほぐしてくれるようであった。

「……ニナ」

 唇が離れ、囁かれる声は甘い。

 普段のウィルからは想像もつかないほど、甘く感情のこもった囁きだった。

「ウィ、ウィル! いったん離れよう……!!」

 甘い吐息を感じた瞬間、ニナは顔を真っ赤にしてウィルの胸を両手で押す。

 なぜだ、と不満げな声を漏らすウィルは確実に寝ぼけているに違いない。

 いや、先ほどはきっちり話していた。

 なら酔っ払っているのか――けれど酒などは飲んでいないし、何もそんなものはこの部屋にない。

「ニナ」

 名前を呼ばれ、ニナはびくりと震えた。

「誤解されるのは嫌か? 俺が昨日言った言葉、ちゃんと伝わっていなかったのか?」

「ち、違うけど……いや、違うこともないんだけど。とにかく伝わってはいるから! だから離れて!!」

 再び顔を近づけニナの顔を覗き込むウィルを必死で押し戻し、顔をそらし続けた。

 どくどくと鳴る心臓を宥めつつ、ニナは深く息を吸い込む。

 こんな経験は皆無だった。

 いつも狙われるばかりでさらにはそれらを一蹴し、誰の手にも落ちることなく今まで生きてきたのだ。

 耳元で囁かれる声色も、澄んだ蒼い瞳の奥に見えたかすかな甘やかさも、すべて知らないもの。

「も、もう起きよう。マリヤ呼ぶから」

 強引にベッドから這い出て、ニナは小さなベルのようなものを鳴らす。

 すぐさまマリヤが部屋に入り、その奇妙な空気にわずかに口元を緩めた。

「おはようございます。陛下、ニナ様」

「わ、私部屋に帰るから」

 小さく首を垂れたマリヤの隣をすり抜けて、ニナは音を立てて部屋を飛び出した。

 途中で引っつかんできた紺色の布を肩にかけ、胸元に引き寄せる。

 ぎょっとする兵士らをよそにニナは廊下を駆け抜け、すでに侍女が待機していた部屋に滑り込んだ。

「ニナ様!? どうなされて――」

「な、何でもない! 昼食食べたら出かけるから!」

 ウィルと、と言った途端頬が熱をもつ。

 先ほどの光景が脳裏に蘇り、慌てて首を振る。

 そんな主人に不審な目を向ける侍女に気づいてはっとすると、ニナは用意された服に着替えると言い顔を背けた。

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