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歪みの苑  作者: みづき
四章
66/82

<26>

 ニナは目の前に佇む、二十代前半と思しき侍女からの視線に顔を背けた。

「ニナ様」

 紺色の服に身を包んだ彼女は真っ直ぐにニナを見つめている。

 艶のある黒髪は綺麗に束ねられ、その佇む様はまさしく侍女の手本といったところだろう。

「ニナ様。勝手に城を出られては困ります。侍女が泣きついて来ましたよ」

「で、でもそれはウィルがいいって……!! 自由に暮らしてくれていいって言ったんでしょ!? それをいちいちどこに行くか聞かれるこっちの身にもなって!」

「――ウィル様に訂正してもらわなければなりませんね」

 深くため息をつき、侍女――マリヤは主の姿を思い浮かべる。

 わずか十五という歳でありながら国王を務め、国を導く役割を担っているウィル。

 ことあるごとにそんな彼の名を口にする彼女は、おそらくそのことに気がついていない。

 〝仮〟が〝本当〟に変わるのは、もしかするとそう遠くない未来かもしれない。

 けれど、それとこれとは別である。

「いくらウィル様が自由にしていいとおっしゃっていたとしても、ニナ様が婚約者であるという立場に変わりはございません。もう少し行動を謹んでいただかないと」

「……マリヤも、そういうこと言うんだ」

 ぼそりと呟かれた言葉にマリヤは小首をかしげた。

「とにかく。今までは目を瞑っていましたが、下町へ行かれる時も侍女に一声おかけください」

「それ、したら誰かついてくるんでしょ?」

「影ながらお守りさせていただきますが」

「やだ!!」

 力強く首を振ると、マリヤは呆れたようにため息をつく。

 まるで言うことを聞かない子どもを叱っているような姿にニナはぐっと口元を引き結ぶ。

「ニナ様」

「い、嫌なものはいや! それに、人に守られるほど弱くない」

 最近は剣を抜くことすらめずらしいほどであったが、それでも手入れを欠かしたことはない。

 いついかなる場面でも自分の身を守れるように、ニナは常に警戒している。

 意識するしていないに関わらず、それはもう体に染み付いた癖のようなものだった。

「……ご自分の身を守れるという自信があるのは結構ですが、あなた様の体は既にニナ様だけのものではないのです。――王の婚約者、そして未来の王妃となる方。何かあれば、あなた一人の問題ではないのですよ」

 凛とした瞳で見つめられ、ニナは思わず身じろいだ。

「それを、どうか肝に銘じてください」

 仮の婚約者なのに、という言葉をニナは飲み込んだ。

 真剣な眼差しは決して冗談で言っているわけではないのが目に見えていて、悪いことをして母親に怒られる子どものような気分になる。

 危ないのはわかる。

 自分が傷つけられれば、王であるウィルに迷惑がかかるのも重々承知しているつもりだ。

 そして一年前とは違い、今では自分の身に何かあればすぐに心配してくれる彼である。

 それは彼だけではなく、目の前にいるマリヤも、自分に仕えてくれている侍女も――今では廊下で会えば挨拶をする仲になった兵士や侍女。

「……ごめん。これからは、もう少し控えるようにするから」

「ニナ様」

「だから、ウィルには言わないで欲しい」

 きっと――いや絶対に、周りに慎めと言われて外出を控えるようにすれば、ウィルは皆に言っておくと言うのだろう。

 だから気にせず自由に暮らせと。

 それが最初からの約束だからと。

 けれどそうすれば、ウィルは周りから婚約者を甘やかしていると思われてしまう。

 婚約者にうつつを抜かす王だと。

 それは耐えられなかった。

「わかりました。――それともう一つ、お話があるのです」

「話?」

「近頃騒がしいので、身の回りには十分にご注意ください」

「……何かあったの?」

 かすかに眉をひそめているマリヤの表情に、ニナは人知れず体に力が入っていた。

 指が無意識に剣を辿る。

「いえ、今のところは。ただ、何か起こるのは確実でしょう」

「それって、ウィル?」

「わかりません。陛下も何か勘づかれているようですが……狙われる可能性で言えば、間違いなく陛下でしょう。けれど、ニナ様も危険なのは変わりありません」

 きっぱりとした口調にニナは唇を噛んだ。

 今の今まで、まったく知らなかった。

 怪しげな動きも、危険であろう視線も何も感じなかったのである。

 城暮らしで危機感が鈍ったのか――警戒は以前と変わらずしていたはずなのにと、思わず顔をしかめそうになったニナは小さく頭を振る。

「心配しないで、マリヤ。私は大丈夫」

「……護衛を」

「そんな大事にしたら逆に勘づかれるでしょ。私は大丈夫だから」

 にっこりと微笑んでみせ、ニナは軽く愛剣を撫でた。

 ――大丈夫。きっと、守ってみせる。

 もう二度と同じ過ちは繰り返さない。

 大切な人を、もう二度と失わないために。

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