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歪みの苑  作者: みづき
四章
64/82

<24>

「ニナ様!!」

 後ろから聞こえてくる制止の声に、ニナは肩越しに振り返った。

 そこには慌てて部屋から飛び出してくる侍女の姿があったが、少女は構わず廊下を駆けていく。

「ニナ様! お一人では――」

「大丈夫! お土産買ってくるから!」

「そういう問題ではありません!!」

 廊下に響き渡る二人の応酬に、驚いて足を止めた侍女や兵士が苦く笑う。

 すでに日常と化してしまったそれに、皆はただ笑うだけである。

 ――ニナが仮としてカルティア国国王、ウィル・ブレン・カルディーンの婚約者として城に住み始めてすでに一年以上が経過していた。

 十五歳となったウィルとニナであったが、変わらずその仮の関係は続いている。

 隣国には知られないようにと、万が一の可能性を考えて、ウィルの誕生式典の時にもニナは同伴せずひっそりと部屋の中で過ごしていた。周りの臣下たちからとやかく言われることはあったが最近はめっきり減り、比較的平穏な日々を送っている。

 ただ――

「どこへ行かれるのですか」

 低い、それでいてどこか嫌悪のような響きを持つ声にニナはぴたりと足を止めた。

 ちらりと背後に視線を移すと、柱の影からゆらりと出てくる人影に思わず目を細める。

「下町だけど」

「城下へ行かれるのでしたら、兵士か侍女を――」

「私は大丈夫だっていつも言ってるでしょ。……ジャンソン」

 語尾を強めると、声の主――ジャンソンは眉をひそめた。

 重苦しい雰囲気の甲冑に身を包み、そして常に陛下の傍にいようとする彼は一年前となんら変わりがない。

 その不機嫌さをまとった声色も、嫌悪の感情さえ滲ませる瞳も。

 彼だけが変わらなかった。

「あなたは陛下の婚約者だ。その立場を理解しているのですか」

「わかってるってば。いつもいつも言わなくても、ちゃんと気をつけてる」

 深く息を吐きながら、ニナは手入れを欠かさない腰に携えた剣を撫でる。

 下町に出ても特に目立たず、そして狙われないようにと質素な服を選んでいるのだ。そしてそんなニナの思いを汲んでか、最近は用意される服に以前ニナが着ていたのと同じ類のものが混ざっていることがあった。

「下町で暮らしておられたのは存じてますが、もう少し行動を謹んでください」

「ウィルは好きに暮らしていいって言ってたけど? それに私、下町の人たちに顔知られてないんだから」

 これ以上彼とは話していたくないと、ニナはじゃあねと手を振り踵を返す。

「まだ話は――」

「小言は帰ってから聞くから」

 ひらひらと手を振ってみせると、何か言いたげなジャンソンは微かに眉を寄せながも口を噤んだ。

「……本当、変わらない」

 背中に感じる突き刺さるような視線も、あの声色も。ニナがこの城へやって来た時から変わらない。

 何が彼をここまでさせるのか。

 小さくため息をつきながら外に面した廊下を歩いていると、視界の右端に鮮やかな緑が映りニナはちらりと目を向ける。

 ――カルティア城の中心には庭がある。

 そこは丁寧に整えられ、色とりどりの鮮やかな花が咲き誇っていた。

 緑が視界を埋め尽くし、色鮮やかな花々が見え隠れする。所々にベンチが置いてあり、その周りは円形になって区切られていた。

 さらにはそこへの道を作るかのように一本の道が伸び、中庭の中心――一際大きな円形にくり抜かれた場所へと続いている。

 その淵には鮮やかで可愛らしい花々が連なり、風に乗って小さく踊っていた。

 城の外観に反して派手ともいえるその光景に瞳を細めていると、

「何をしてる?」

 と、聞きなれた声が耳朶を打つ。

「――ウィル」

 中庭から視線を外して首をひねると、前方からゆったりと歩きながら小首をかしげている一人の青年を発見した。

 その背後には数人の兵士が甲冑を鳴らしながら歩いている。

「中庭見てただけ。こんなにすごい庭があるのに、城の中からだけしか見えないなんてもったいない」

 ふっと息を吐き出しながら、ニナはちらりと庭に視線を向けた。

「……そうか。で、どこに行くんだ?」

「行くの前提なの?」

「その格好としている時はいつもだろう?」

 かすかに笑うウィルの視線に思わず苦笑する。

 伸ばされ、以前よりも梳きどおりがよく艶やかな黒髪はひとつに束ねられ、派手な装飾などはなく機能重視のような服。

 それはいつもニナが城の外へ出るときの格好であった。

「ちょっと下町に」

「またか?」

「だって、下町の方が落ち着くし……見てるだけでも楽しいから」

「見てるだけなのか? ――お金は渡してあるだろう?」

 その言葉に、ニナは視線をそらす。

 ウィルからはもう一年以上前から定期的にお金を渡されている。城に住んではいるが、ニナの行動はいたって自由なためお金が必要だろうと、ウィルが渡してくれているのだ。

「――あれは、使ってない」

「なぜだ?」

 再び首を傾げるウィルは、視線をそらし口を噤んだままのニナに小さく微笑んだ。

「なら、俺と行くか」

「え?」

「これから行くんだろう?」

「そう、だけど……ウィルも来るの!?」

「あぁ。じゃないといつまでも見てるだけだろう? うまい店を知ってるんだ」

 ぎょっと目を見開いているニナの手を掴んだウィルは、呆気にとられる臣下たちをちらりと一瞥して廊下を引き返す。

「あ、ちょっ……ウィル!」

「お待ちください! 陛下!! 下町へ行かれるのでしたら、我々も――」

「お前たちは下がっていていい。――くれぐれも、ジャンには言うなよ」

 あれに知られると面倒だ、とウィルはそう彼らに言い残してニナとともに身を翻した。

 腕を取られながらニナはちらりと背後を見やる。

 どうしたらいいのかわからず困惑した表情を浮かべている臣下たちを見て、さすがに気の毒に思えニナは自身を導く青年に口を開いた。

「ウィル」

「気にするな。いつものことだ」

 困ってる、と言おうとした言葉は遮られ、代わりにウィルの声が降ってくる。

 周りを顧みないウィルの行動に人々は振り回される。

 ニナはそんな自分の腕を引くウィルを見上げた。

 颯爽と歩く、けれどニナの歩調に合わせてくれる彼の飴色の髪は柔らかく揺れている。どこまでも深く、吸い込まれてしまうほど澄んだ蒼い瞳は海を思わす。

 ずいぶんと見慣れたそれが、ふいに動いた。

「ニナ。どこへ行きたい?」

「……やっぱりウィルも行くの?」

「いつまでも見ているだけだろう? 金は俺が出すから気にしなくていい。――大通りの露店か?」

「見てみたいのは大通りだけど……あそこまだ、見に行ったことなくて」

 ニナの言葉に怪訝な顔をしたウィルに、気まずそうに顔を俯かせる。

「人多くて。それに私、あんな人のいるところ行ったことないから」

 様々な国へ行ったときはもちろん下町にも立ち寄るが、やはり大通りには近づけなかった。なにがあるかわからず、また何かあったときにすぐに逃げられない。

 女の一人旅というだけで狙われることの多いニナは、そんな些細なことでさえも警戒して暮らさなければならなかった。

 神経を張り巡らせ、一瞬の隙も見せてはならない。

 襲ってきた相手に容赦などするだけ無駄だと身をもって経験してきたのだ。真紅に染まった剣を迷いもなく振り下ろす、そんな日々――

「……そうか。なら、俺と行くのが最初だな。――俺も剣を持ってる、そんなに警戒することもない」

 はっと我に返ると、ふわり、と柔らかく微笑まれてニナは思わず狼狽する。

 最近、こうして笑みを向けられることが多い気がした。最初に出会ったときのような、意地の悪い笑みではなく――まるで、包み込むかのような。

「まずはどこから行く? ――ニナ、どうした? どこか具合が……」

「な、なんでもない。ウィルのおすすめのところ、連れて行って」

 わずかに跳ねる鼓動を無視して、今度はニナがウィルの手を引いた。

 ――肩を並べて廊下を歩いていると、出会う侍女や兵士らが揃って微笑ましそうにこちらを眺めているのをみてニナは小首をかしげる。

 隣にいるウィルを見上げても、特に気にしていないような顔をしていており、ニナが眉をひそめた時遠くから軽い足音が聞こえた。

「――兄上! ニナ!!」

「ウィル様!!」

 前方から駆けて来る二人の少年にぎょっとし、まったく違う彼らの形相にニナは思わず一歩後ずさった。

 嬉々として迫ってくるのはカルティア国第二王子であるロイアで、焦りの混じった必死な顔をしているのはウィルの護衛を勤めるケトルである。

「二人で散歩ですか?」

「ウィル様! 行き先をちゃんとおっしゃってからにしてください!」

 二人の元にたどり着いた途端口を開いた彼らに軽く頭を抱えたウィルは、小さく眉をひそめながらケトルを見た。

「兵士には言ったが。さっきまでは数人一緒にいたぞ」

「俺には言ってくれてません」

「……ケトル。仮に言ったとしても、どうぜついてくるんだろう?」

「当たり前です!」

「ウィル。私も行き先言えってしつこく言われてるんだから、あんたも言いなさい」

「……ニナ」

 自分ばかりでは不公平である。

 少し部屋を出ただけで、どこに行くのか、何をしに行くのかを聞かれるこちらの身にもなって欲しい。あまつさえ一緒について来ようとするのだ――それがたとえ中庭に行く時であっても。

 自由に行動していいと言ったのはウィルである。

 最近は減った方であるが、以前は少しあたりをうろつくだけでも兵士に警戒され、遠くからであるが微かに監視するような視線を感じる。

「まさか、ウィルが指示してるんじゃないよね?」

「違う。俺はやめろと言ったが周りが聞かないんだ」

 そう呆れたように首を振るウィルも何かと言われているようであったが、彼は国王である。

 単独で行動しているのばかり見ているせいか、そのあたりの認識が薄くなってきている。

 もっとも、国王らしさがあまりないからかもしれないが。

「よかった。二人は変わらずで」

 すると、にこにことした笑顔でロイアが口を開く。

「ジャンソンなんかいまだに反対してるみたいだし、城の皆も最初は警戒してるようだったので。でも、二人が仲良しでよかった。せっかく兄上の婚約が決まったのに」

 周りの空気のせいで二人の関係が壊れるのかと思ったと、ロイアは嬉しそうに微笑む。

「手まで繋いで散歩なんて、皆が微笑ましそうにしていました」

 その言葉に、ぴたりとニナの動きが止まる。

 そろりと視線を落とすと、そこにはしっかりと繋がれた手が視界に映る。

「……ち、違うっ!!」

 力任せに手を振り解き、ニナは必死で首を振った。

 特に考えて行動しなかったためか、今の今まで繋いでいたことすら忘れていた――城の皆がこちらを見て笑っていたのは、これが原因だったのか。

 頬が赤く染まり、ニナははっとしてウィルを見上げる。

「ウィル、知ってたんでしょ!?」

「い、いや。今気づいた」

「嘘!!」

 口元を押さえて肩まで震えているウィルは、こちらに顔を向けようとしない。

 知っていて今まで黙っていたなど――ニナはさらに赤く染まった顔できつく睨んだ。

「……ところで、ご結婚はまだなのですか? 兄上」

「ロイア!?」

 ぎょっと目を剥くと、ロイアは相変わらず嬉しそうに微笑んでいる。

「婚約を発表されてもう一年以上が経っていますが、結婚のご予定はないのですか?」

 その問いに思わず言葉が詰まった。

 彼はこの婚約を仮だとは知らないのだ。まさか兄である国王が、周りに急きたてられるのが嫌で仮の婚約を結んだなどとは思ってもいないだろう。

「今のところは予定していないが……まぁ、後々な」

「そうですか。決まったら教えてくださいね」

 ウィルの言葉にニナは驚いて小さな声を漏らすと、口元に薄く笑みが浮かんでいるのが視界に映り、隣に佇む足を軽く蹴る。

「っ……」

 体が少し前に傾き、低く唸ったような声が隣から聞こえたがニナは知らん顔でロイアを見た。

 黒く染まった髪を揺らしながら無邪気に微笑むその姿。

 暗く、どろついた感情など持ち合わせていないような――ニナはそんなロイアを見つめ、きゅっと瞳を閉じる。

「ねぇ、ロイア」

「なに?」

「どうして、いつもそんな顔してるの」

 きょとんと目を瞬くと、ロイアは薄く口元に弧を描いた。

「そんなって、どんな? 僕、変な顔してた?」

「……ニナ?」

 訝しげな声とともにウィルに覗き込まれ、ニナはすっと視線をそらす。

「……ごめん、なんでもない」

 視界の隅で、ロイアが微笑んでいる。

 何の変哲もない、いつもの笑顔で。

 けれど、どうして誰も気がつかないのか。もしかすれば、気がつかないフリをしているのかと思ったときさえあったほどに。

「ロイア様。そろそろ休憩のお時間が……」

「えー、もう? しょうがないか、遅れたらスワナに怒られるしね」

 そのとき、ロイアの後ろでケトルが囁くように口を開く。

 それに不満げな声を漏らすと、じゃあまた、と二人に手を振って渋々ながらも今来た道を戻っていった。

「ニナ? どうした、具合が悪いのか?」

 そんな後ろ姿から視線をそらせないでいると、ゆるりと伸びた細い指で前髪を掻き分けられ額に触れられる。

 ひやりとした感覚がしてニナは思わず身を引いた。

「だ、大丈夫……っ」

 額を手で抑え、かすかに眉を寄せているウィルに首を振る。

 ウィルの指の感触が消えず、ニナは額を隠したまま顔を背け体を反転させた。

「ウィル、行こう」

「だが」

「大丈夫。ぼーっとしてただけだから」

 蒼い瞳が揺れ、何が言いたいのかをニナは察してゆるく首を振った。

「奢ってくれるんでしょ? ウィルのおすすめの店で」

 ひらりとウィルの横を通り抜け、肩越しに振り返る。

 目を瞬いたウィルは、淡く微笑んで頷いた。

「あぁ」

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